好奇 高齢者 の呟き

地場産業や蒲原の風景 山 山野草 良寛歌碑、 史跡 旧北国街道を訪ねる、 また聞いたり話した、方言を紹介したい、 

解良栄重 良寛禅師奇話( 続)NO1

2007-03-21 23:33:32 | Weblog
踊り上手
良寛は 盆踊りが大好きだったようだ、
手ぬぐいで頭、 顔を包んで 女を装いで踊った、
人が聞こえよがしに この娘はしなやかで、振る舞いが
上品だと言った、勿論良寛と知っていたが、良寛はこの
ことを素直に喜び 人に褒められた事他人に 誇っていた、
良寛の短冊に
てぬぐひで 年をかくすや ぼんおどり

私たちの子供のころからお盆には夜中まで
町中では朝まで 17,8歳頃は盆踊りの
経験がある、若い男女の出会いの場でもあり、
娯楽の無い田舎の楽しみだったのだろう、

質素な生活
国上の庵に住んでいた時に客が草庵をを訪ねた時、
昼飯を盛るお椀が無かった、そこで近くの火葬場へ行き
こわれたお椀を拾ってきてお汁を出した、
訪ねたとき足を洗う たらいが無い為、味噌擂り鉢に水を
入れて出した、1つの鉢で足も洗い ご飯も盛る、まさに
一衣一鉢 だ 訪ねた客もこれではご馳走になるのも大変だ、
酒好き
詩歌にも酒を詠んだ ものがかなりある、良寛の手紙の
礼状に酒が一番多いとか、酒好きだが度を越した事は無い
大酔いすることも無い 人と一緒に飲むときは 汝一杯 
吾一杯と自分だけ余分に飲むことも無いし相手にたくさん
飲ませる事も無かった。弟由之に酒や行状を戒めた書簡が、

当時の農家や田舎の人は何か祭りか祝えごとか特別のとき
でないと酒を飲む機会はない、良寛は其の点では贅沢で
御三家あたりや与板の大阪屋 山田家では結構庶民が食べ
られないものを、口にしていたかも、
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解良栄重 良寛禅師奇話( 続)NO2

2007-03-21 23:22:33 | Weblog
ユーモア
良寛の茶席での話いわゆる濃茶であった、
茶碗のお茶を全部口の中に含んでしまってから
ふと次客の居る事に気がついた。やむなく再び
茶碗の戻して まわした。つぎの客人は念仏を
とないながら呑んだという、
同じ茶席か 鼻くそを取って右側に置こうとしたら
右側のお客がおよしなさいと 袖を引いた、そこで
左に置こうとしたら今度は左の客が 袖をひく、
良寛は仕方なく鼻くそを 鼻の中に戻した、

茶席の話 次客は困ったろう、いかに生き仏の
良寛さんから でも口に含んで吐き出された 
お茶では たまったものではない、

鼻くその話も愉快だ 懐紙になら良いのだが また
鼻の中に戻したとは、この話に尾びれがつき
その鼻くそは 良寛がクシャミをしたとたん、
どこかへ飛んでいった。

盗人が国上の草庵に入ったが何も取るものが無い
そため良寛の寝ている布団を盗ろうとした。
良寛はわざと寝たふりをして寝返りをうち
盗人が盗りやすいようにしてやった。
これは有名な話だが、

盗人に とり残されし 窓の月

口ずさんだとか。良く出来過ぎた話だ、

如何ですか、少しは楽しく笑っていただけましたか、
書きながら1人で可笑しくてなかなかキーボードが
打てないでした。  加藤僖一著 谷川敏朗著 参考
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原田 鵲斎(じゃくさい) 邸 (中島)

2007-03-21 00:02:10 | Weblog
現燕市分水中島 原田家は元々は国上の真木山
庄屋で此処中島村庄屋斎藤源右エ門所有を譲り受けて
移住良寛と親交が子陽塾の同門の医師で原田鵲斎
漢詩 和歌 俳諧にすぐれ、
良寛から鵲斎への詩

鵲斎に与う
秋風まさにしょうさく のうえ みだれて
かすみのごとし 一条の枯藤(ことう)のつえ
旧によって君が家に訪う

原田正貞(しようてい)鵲斎の長男で江戸に遊学後
医師に詩歌も

国上の山にのぼりて そこなる寺にやどりて
よあらしに降り来るものは 雨ならば軒ばにつもる
紅葉なりけり、    正貞

かえらむと しける山の主のよみ出けるうた
此山のもみじも今日は限りかな 君しかへらば
色はあらまし 良寛

前は原田良寛資料観として展示も そして解良家
からゆづり受けた、 茶室が良寛が出入りし宿泊した
良寛遺跡の重要な建物だ、
現在は展示館としては観られないようだ、残念、

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