好奇 高齢者 の呟き

地場産業や蒲原の風景 山 山野草 良寛歌碑、 史跡 旧北国街道を訪ねる、 また聞いたり話した、方言を紹介したい、 

いつも拙い ブログをお訪ね頂き 有難う御座います、NO 2

2007-12-31 14:23:42 | Weblog
今年も今日で終わり 明日からまた新しい年に平凡に暮れ そしてまた平凡な一年が
平凡が一番  若いときは 波乱万丈な人生を望んで居たが家庭を持ち 子育てをし
子供達の幸せ 家庭の安泰を考えると だんだん決められた 自分の人生を運命のように
歩くだけでもうこの年まで 時代もあるが そんな高等教育も受けずに ただ歩いた
だけかも知れません 後ろを振り返らず 前だけ見て 名声も無く苦にもされず

今まで地域の事や地域社会 に無関心で来たが 自分で出来る事を少しでも
と 地域の老人会の役員に 厚生年金受給者協会の理事に役員が高齢のため書類を
配る位ですが 後は親睦会 公民館活動  新潟県高齢者の大学の協力員も2年間
これも自分が学生として 2年間お世話になったので 自分が本当に学んだ事より
多く人と出会いが楽しい、 そんなお手伝いが出来た事を 喜んでいます 、
4年間新潟市まで通いました、人との出会い 交流が今年も 多くの人と出来た事、

今年の1月~12月まで 旧北国街道沿線史跡ぶらり散策に
お訪ね頂いた方 26313人  アクセス74387件 12月30日現在

特別多くの人にとPRはしませんが、有り難い事です それでも矢張り励みになります
自分の趣味も有りますが 今まで素通りしていた 処も興味が出てきます、

ここにこんな歴史が そんな発見も、そんな事なら前から 知っている そんな所
在ったんだと、少しでも興味を持って頂けたら、 コメントも嬉しいですが 最近迷惑コメントも
時々あり お訪ね頂いた方に 万一ご迷惑が有るとを 心配して受け付けない事も
有りますのでご了承ください、

今朝は雪で少しだけ白く成っています、私の部屋を除き掃除は大方完了この部屋が
一番大変です まだ時間が有る そうだお風呂場を今日は丁寧に天井のかび取りもしてから 少しは自分の遊び部屋 パソコン2台 プリンター2台 スキャナー テレビ 
絵画道具に雑誌,本や 描きかけの絵 つたやで 安いからと買い置きした 古本が沢山ある、家内は手が つけられ無い ここは私の城 整理しましょう。

皆さん良い新年をお迎えください、







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年も拙いブログに お訪ね頂き有難う御座いました、NO 1

2007-12-30 22:53:03 | Weblog
今年も後1日です 皆さんにはどんな年でしたか、
本当に多くの皆さんからお訪ね頂き 感謝しています、文才もないし 特別の
事が書ける訳もないが 自分が興味にあること そして実際に現場まで足を運び
自分の目で見て 自分で行動してが 本で読んだら出来るだけ その場所に が
私のブログです、 夜書いて 朝読み返して 誤字 脱字 送るがなの誤り
この程度の能力で 恥ずかしいですが、 少し背伸びしたりで 老人のボケ防止で
す ご容赦ください、 目指すは80歳いや90歳のブログガーを と急がずに
本当に有難う御座いました、
新しい出会い 悲しみ 別れ そして挑戦の年にとか でも本当は家族が健康で
新しい年を 迎えることが出来る 其れが一番幸せなことです、

個人的には今年からはじめた事は
下田で有機農法での野菜つくりジャガイモ ネギ 南蛮  カボチャ 里芋
サツマイモ ダイコン 枝豆 しょうが 20日ダイコンカブ 食用菊
今は雪の下でアサツキ ニンニク ソラマメ  キャベツ トウナが
春まで山行きはお預け、

新潟市観光文化検定(ニイガタ検定)3級受験 合格 今年は3級だけ
久しぶりに試験少し緊張しました、

今年から日本画初心者コースに入門 にも まだ1枚も完成していませんが、
水彩では30号2枚で 燕市展 と弥彦を書く展にも
写真も市展に出品しました、

地域の老人会のお手伝い 副会長で 春の慰安旅行 日帰りのお楽しみ会企画
12月に 趣味の作品展 展示会企画 初の試みで皆さんに楽しんで頂く事が出来ました、
小池公民館の地域を知ろう講座の企画 中越地震でコース一部変更もありましたが
無事に3回終了 燕市内 和島 出雲崎 11月の新津中野邸の紅葉と美術展を楽しんできました、

後日 中川一政展を再度 鑑賞に 、




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

干支 子年(ねどし)について

2007-12-29 15:19:05 | Weblog
来年は子年  『広報 つばめ  2008年1月1日号より一部引用』

十二支の一番手  これは昔 中国で時刻や方向を表すのに用いた,


子(し) 丑(ちゅう) 寅(いん) 卯(ぼう) 辰(しん) 巳(し) 午(ご)
鼠(ね) 牛 (うし) 虎(とら) 兎(う)  竜(たつ) 蛇(み) 馬(うま)

 
未(び)   申(しん)酉(ゆう) 戌(じゅつ)亥(がい)
羊(ひつじ) 猿(さる)鶏(とり) 犬(いぬ) 猪(い)
方向 時計廻り
北(子) 東(卯)   南(午)    西(酉)
(12時) (3時)   (6時)   (9時)

一二支の発生は中国 殷の時代(紀元前1200年から1500年           漢字の原形が出来始めた,  
(王充 (おういつ)(一二支の作者)
12の方向に動物を当てはめた事から、
(殷の時代 日本は縄文式文化時代で まだ日本では文字がない)

ネズミはネズミ目ネズミ科 哺乳類。上下にそれぞれ1対の大きな門歯がある
のが特徴これが1生伸び 続ける、
子供の乳歯が抜けると 屋根に上に向かって投げる(ネズミの歯になーれ)といって
こんな言い方はしていなかったが、
(これは屋根の上に投げたが意味はわからずただ投げていた)縁の下に投げたのも
同じ あやかりでしょうか。 ネズミのような丈夫な歯にの 願いか、

ネズミの木をかじるのは歯を研ぎ伸び過ぎないようにとも云われたが?

地球上で1800種類も生息している、
繁殖力も旺盛で ネズミ算的に増える  人間とかかわりで よくことわざにも

窮鼠猫(きゅうそねこ)を噛む, 大山鳴動(たいざんめいどう)してネズミ一匹
(頭頭の黒いネズミ盗む人 )
ネズミの嫁入り あれこれ選んで見ても結局は変わりはしない、
鼠小僧なんかもその中に入るか。

ネズミが逃げ出したら その家は火災になるそんな俗説もある、
農家の本家で生活していた 頃は天井裏で時々ネズミの運動会が それほど
特別の事でなく 日常茶飯事なことだった、

何でも食べ屋外でも 山でも河原でも 都会の下水道や 食堂の物陰
地球で人類が滅びたら 残るのはネズミとゴキブリかも知れません。

来年は私の干支 ネズミだから 旺盛な生命力に肖る事にしょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私のスケッチブック から  下田NO 2

2007-12-29 00:02:02 | Weblog
下田農園から粟が岳を見て 今年のお気に入り
畠での菜采作りも 楽しいが この風景 本来なら 立ち入り出来ない所

有機農法勉強会で借りて居るから  時間のある時はスケッしたり
のんびりお茶し、カーステレオでの音楽でも聞き 昼寝も 矢張り自然は
癒される、 (写真クリックでで大きくして見られます。(山百合の咲く頃)

ここを日本画の入門で一番に描いています。まだ未完成、

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私のスケッチブック から NO 1 夏井 

2007-12-28 23:52:37 | Weblog
夏井 刈り入れも済んで(写真クリックで拡大して見れます)

最近では珍しい『にお』 ハザキを見て貰う為に 特別に作られんでしょう
ハザキ 本来稲を架け 乾燥するんだが 横に何段もの架けるところも
今でも天然乾燥はこうして でも天候で 難しいし 品質もあり今は乾燥機で
時間を計算しても品質の安定と労力で、

子供の頃は農家の子供たちは みんな夕方になると稲架けの手伝いに 暗くなると
提灯で明かりを点け そんな思い出で 懐かしい風景

夏井のハザキのある風景は  春先の夏井 夕暮れ 晩秋の夕景 雪のハザキ
豊作の予感『秋』 四季を6枚くらい描いた また今度は30号~40号を、 

たくさんの方が描かれているので 本当は難しい 画題かも それだけに
魅力の在る所 テーマとも云える、 平凡な絵をどう観て貰う様に変えるか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国上山  我が家から  NO 1

2007-12-27 19:21:37 | Weblog
本当に珍しい晴天 朝方は少し寒く水溜りに氷も(燕弁でざえが張った)
こんな日は新年を迎える準備の掃除にと考えたが
我が家の屋根の雨樋 直ぐ前が神社で 欅に銀杏 杉
と落ち葉が 我が家の屋根に 晴れの日で無いと危険

雨樋の中は落ち葉に土もぎっしり詰り大変 一箇所は
木がかなり大きくなって根を張り 植物も生きる為に
大変だ こんな作業をこまめにして置かないと家屋に
ダメージがそして腐蝕に、

我が家の屋根上から見た 燕市唯一の山 国上山です
西北 290° 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

弥彦山 多宝山 我が家から NO 2

2007-12-27 19:16:53 | Weblog
久しぶりに 我が家の屋根の上に 雨樋の掃除か
雪降しでもなければ 見下ろせば家が沢山出来ている
前なら直ぐ田んぼ そして吉田弥彦方面まで見えたんだが

子供の頃の近くの田んぼ道 家の手伝いや 魚とりで
泥んこになりながら遊んだ そんなハザキが並んだ風景を
懐かしく思い出した、

弥彦山 我が家から西北310°
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

角田山 我が家から NO 3

2007-12-27 19:14:02 | Weblog
角田山 屋根から見て居ると そんなに遠く
感じない。
角田山は 大抵は灯台コースから登る事が多いが
最近 角田山も登っていない、 少し時間と距離が
あるが 角田山は 日本海 佐渡を見ながらのこの灯台コースが
最高だ 岩場も山野草も 新年はゆっくり歩いてみよう、

角田山 我が家から西北350°
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

粟ヶ岳 我が家から NO 4

2007-12-27 19:12:07 | Weblog
我が家から 今日は夕方の為 写真では見にくいかも
山頂はもう積雪で白くなっている、

我が家の屋上からは 山頂位しか見えない

粟ヶ岳は我が家から東南130° 守門岳は 東南 160°
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

配水塔 (水道の塔)我が家から NO 5

2007-12-27 18:56:16 | Weblog
燕のシンボル配水塔 (水道の塔)
何時まで このままに出来ないし 大分傷みも
保守が必要だ もう危険でも在るし 

取り壊しでも大金が必要だし シンボルも如何する、

新モニメントの問題も有るし モニメントで燕市のPRに
そんなに役立つとは 思いませんが、

我が家から東90°

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年末の燕市 平穏  NO 1

2007-12-26 21:16:47 | Weblog
今年も後5日 平穏な年末 穏やかな天候
(燕市のシンボル中の口川と旧配水塔 弥彦山 多宝山)

平凡な穏やかな一年が終わりそうです、
若い時なら 飛躍や絶望で毎日が毎年が 希望に燃え
そして失望し そんな日々で1年を終え 希望の新年を
迎えたが 今は平凡な平穏な日々が 幸せと感じる事は
年齢から来るのかもしれませんが、

あんまり安定だけでの生活だと 大切な事だが、 
幾つに成っても 夢を持ち続ける 生活に憬れます、

忘れたく無いのは 少年時の心 好奇心旺盛な そんな爺なら
面白そう、人生観は人それぞれですが、もうそんな画期的な
事は起こらないだろうが、 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年末の燕市 平穏 NO 2

2007-12-26 18:49:38 | Weblog
旧燕市街地は 3,8 の市日でも無いと
人が歩いてもいない 何処の町でもそんな様子
郊外に人が集るスーパー 大型家電 ホームセンター
車社会で駐車場が 満員 時代の流れですね、
(県央燕三条駅 サテイ辺り)

殆んど中央の大手資本 全国チーンだ、又便利なんです、
今 辛うじて残っている市街の店舗も 若い人が居なくて
存続は無理だ、 日々の乾物 野菜 下着位ではとても
生活出来ないだろうし 難しい 夢も一緒に売らないと

特に若い人が 集らない、どうする 燕 吉田 分水
三条の市街地  地場産業も 然りだアジアの追い上げ
これも若い人が集められ無い 将来を考えたらとても
専門知識 技術を生かせるか そんな会社も限られる
魅力ある企業、将来性が有りそうな 企業が出て来てくれないと、

我々の時代そんな高学歴で無くても 真面目に努力すれば
其れなりの仕事が出来たし、
格差社会が話題になるが。全体にそんな傾向が見られる

老舗も大企業も利益だけ 追っていると 現代人はそんなに
甘くないぞ、誠意 誠実 これは基本、燕弁で云うと 薄ら うんまく世渡り、

これはもう通用しない時代、良寛詩 地震後の詩に
道を語るを微骨の癡とす 己を慢(おごり)人を欺くを好手と称す
(道理を語ればばか者呼ばり)(自分は人より商売上手 人を欺く事も やり手と)

今日退職まで勤めていた 会社の当時の社長に会い 少し話をしてきたが
人生の年輪を感じました 50年以上前だから 当時やはり若くして
創業した頃に入社した事を思い出した、 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

論語から生れた名言、格言,成語 NO 1

2007-12-25 19:48:48 | Weblog
鶏を割(さく)くに いずくんぞ 牛刀を用いん
(鶏を料理するのに 牛肉をさく大きな包丁を
使う必要がなかろう 不必要に大げさなことをすることはない)

暴虎馮河(ぼうこひょうが)
虎と素手で戦い(暴) 黄河を歩いてわたる(漂)
無謀な行動のたとえ

利口
賢いこと 頭の働きが素早い  子供に対してお利口さんは
おとなしい物分かりがいい 時としては 利口は小ざかしい
たちまわりが 巧い 等 軽蔑的意味でも使われる
論語では口上手 口先だけの者、
和して同せず
君子は和して同せず 小人は同して和せず
君子は人と調和するが雷同(妥協)はしない 小人は雷同するが
調和しない

わたしは 日に三度わが身を省みる 
私は1日3回反省してみる 人から相談されて真心をもって応じたか
友人との交際で誠実さを欠くことが無かったか 自分が十分身につきも しないことを
人に受け売りしなかったか、(省 は目を少しあけてみる)からとか、

過ちは改めば過ちで無くなる 過ちは改めるに憚る事なかれ。
過ちて改めざる これを過ちという 
論語に何回か出てくる 過ちを犯したとき 取りつくろって ごまかそうとする
現代でもこれで 会社がおかしくなった所も、

人の己を知らざるを憂えず 己の人を知らざるを憂い
又人の己を知らざるを憂えず 己の能なきを憂え
上役に自分のことを認めてもらいず同僚が先に役職に
そんな時は他のことを考えず 自分に与えられた仕事を
真剣に 其れがやがて 人に知られることになる。

女子と小人は養い難しと為す これを近づくれば即ち不遜なり
これを遠ざくば 即ち怨む
女性を軽蔑していた 封建時代の中国で 今ならとんでもない言葉になる
日本でもこの間まで そんな風習が。

徳川家康 直江兼続 良寛さんも 論語は勉強されているんですね、
論語解説 解釈も種々と 有る様。

鈴木文台が良寛に論語の事を聞いたら 自分は注釈は読まない かえって
疑問が生ずるからと。
2000年以上世界で読まれてきたし 人生の 人の座右の銘に為っている。
私たちも知らずに使っていた言葉もかなり多い。

勿論 私はまだまだ殆んど 理解できないが、
頭の体操の積もりで、
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

良寛歌碑 大江茫々  NO 1

2007-12-24 18:46:39 | Weblog
与板 黒川放水路水門近く
(写真クリックで拡大して見られます)

大江茫々 春将暮 たいこうぼうぼうとして はるまさにくれんとす
楊花飄々 点納衣 ようかひょうひょうとして のうえにてんず
一声漁歌 杳靄裏 いっせいのぎょか ようあいのうち
無限愁腸 為誰移 むげんのしゅうちょう つがためにかうつさん

(10月8日の当ブログ 良寛詩 大江茫々の解説が掲載)


入軽井の旧家 山崎六右衛門に良寛さん 書き与えたものとも
伝えられている。

又中の口川を詠んだとも 新潟市白根 新飯田 円通庵にも
歌碑が有るとの事だが 訪ねたが解かりませんでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

与板 黒川放水路 水門近く NO 2

2007-12-24 18:33:00 | Weblog
信濃川からの水路で今わ整理されたり分水が
出来て水害の心配も無く
でもこの水路は長岡~新潟方面への輸送の重要な港
の役わりもしていたのかも知れませんが

信濃川はこの辺りは 広すぎる位だし 水路では
詩の感覚と少し違うような気もする、
(写真クリックで拡大して見られます)

良寛が新飯田の有願さんを訪ねたときに燕の新潟寄り
佐渡から児の木辺りの説が
三条の代官島 辺りで信濃川と中の口川が接して合流
していた 広い中の口川説を
旧燕市に この大江茫々の歌碑を造りたいですね。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする