好奇 高齢者 の呟き

地場産業や蒲原の風景 山 山野草 良寛歌碑、 史跡 旧北国街道を訪ねる、 また聞いたり話した、方言を紹介したい、 

2006年を振り返るNO3 趣味

2006-12-31 00:12:32 | Weblog
水彩画
子供のころ 小学生 中学生の頃はまだ皆貧しくて絵具 画用紙
(当時は図画紙と云う)すら買いなく其の時間になると1枚先生から配られていた
きっとたまたま写生した絵が褒められたことが図画が好きになったのかも
当時秋には展覧会があると 優秀作品に金賞(金紙)貼られる、此れが嬉しくて
他の勉強になるとする気が無いのに 此れだけは一生懸命だった記憶が、

退社してふと何をするか 釣り 鯉釣り此れは76CMまで 海 黒ダイ 40.5CM
アジ ソイ タコ大抵は夜つりになり危険と健康の問題も 山 此れも近く弥彦角田山
国上 春の花の時期それは楽しい 夏になると朝早くないと これがどうも
苦手で 山菜 きのこ此れも楽しいが季節が限られる、此れもやめなくとも
時々楽しめばと タバコ(45年喫煙) ゴルフは退社と同時にやめた、
水彩なら金も掛けずに楽しめる 雨でも家で描ける
燕の水彩画講座が出来たので。参加50年ぶりか絵を描くのはでも描いている事が
楽しい スケッチは7,8号 大きくて10号まで
何でも本当は基礎からなんだろうが 絵も深く考えたら難しい でもそれはどの世界でも
そうだろうから自分を知り 市展の賞や県展 等考えたら それは無理だし
構図 分割 何をこの絵で伝いたいのか 

少しは自己満足だけでなく 挑戦も今年は初めて30号F(90.9*72.7)に
昨年は20号 さすがに大きい まず何を描くのか 構図はデッサンは出来るか
スケッチを現場に何回も何回も足を運んでそれを家で描くの繰り返し
でも描いている時は無心で 時間が掛かり春先から描いて現場は夏に 
風景が変わって 季節が何時の絵になるか そして私たちの絵は
完成が無い すこし時間を経過してから観ると欠点が 手を加える又違う所が
どこで自分と妥協するかだ だからこそ それが次回に生かされて来るんだ
来年はどんな事に挑戦するか、 駄目だね 気が多すぎる、ひとつのことも
上手く出来ないのに、

もう今年も一日残すだけ お正月ゆっくりブログで 何を発信できるか
何をするか考えよう 、いつもアクセス頂き有難う御座いました、
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2006年を振り返る  NO2

2006-12-28 23:10:01 | Weblog
高齢者大学の協力員
今日高齢者大学の修了記念分集 が送られてきた、
(きずな) 今年の修了者の方々の2年間の大学の
での思い出や仲間との出会い 色んな分野の講師の先生の
お話に就いての感想等 4年掛かりでの修了のこと
途中で体調を崩しての再挑戦のこと 大正生まれの方も
サークル 此れから又 福祉やパソコン (1年)のことも
今年の終了者 2年間の 教養講座 新潟 長岡 上越会場で180人位
新潟県社会福祉協議会 新潟県長寿社会振興センター
がおおむね60歳以上の方の此処での仲間作りや此処で学んだ事を
地域社会でまた今までの社会経験を生かして貢献して
こんな事が本人にも定年でも此れからできる事が
沢山あることを考えてくれる為と私は理解しているが、

わたしの場合 今度2年生なる方々の担当ですが
皆さん意気生きと 和やかに楽しそうに学んで居る
方々を見て自分達の2年間を振り返り
良い仲間作りが出来たこと それは現役時代の仕事での上下は
此処ではない 皆横並び 同じだから それが今までの仕事関係や
しがらみもない 人と人の付き合いだから、
そんな人達に すこしでも楽しく学んでいただくのが 協力員で
出来る事は限られるが それが良いんだう、 生徒といっても
現役の時から仕事人間で真面目な人だから クラスはこの方々
どんな意見を出して 運営 仲間作りをするか 
特に2年目になればもう解かっているので楽しみだ、

来年定年の方 今年定年を迎えた方 高齢者大学は
本当に楽しく 意気 生きとした顔になり 良い仲間が
出来ますよ。女性の方も多いし、お奨めします。
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2006年を振り返る  NO1

2006-12-28 22:03:45 | Weblog
今年新年に掲げた目標
まず健康な生活 そして今年古希を迎えてもやりたい事が
沢山あるので 身体を大事にしてまず一番目の課題だったが。
これは病気らしい病気もなく 11月のドッグではコルステロール値
血糖値も正常でその他も安心してばかりいられないが、
有り難い事だ、親からの送られた大切な遺伝子に感謝し家族も見んな健康

幾つになってもやりたい事に挑戦 そしてそれには
頑張らない 急がない でも私は諦めない を信条に、

今年から始めた事 
2月から3月20日に新燕市が誕生する時に感じた事は吉田町
分水町や地元の燕市のことを知らない 近くの事の歴史や史跡 故事を
上辺だけ 此れでは少しでも調べてとブログを 近郷の事を発信と
話したり聞いた方言此れも忘れない為とこれからの子供たちにもと
意気込んだが 此れも頑張らない急がないで 気楽に そんな気軽に
行くことにでも飛び飛びでもどうにか11ヶ月 1日で40~150から
180くらいアクセスの時も 特別も事も書かないし 書けないが
私はよく 私のブログは雑炊で何がでるか 其の時々で一慣性がないかも
文章も表現も上手く出来ないが 此れは才能と能力のなさだから我慢していただこう
でも頑張れとの応援やコメントは やはり嬉しい。

他人 近所のプライバシーについては此れからも書きたく無い、
でも そんなことはとっくの昔に知っている話もでるかも 我慢してね
此れは都会で生活して子供のころや 近所の事が家族の中で話が出たり
懐かしんで頂けたらとの思いも、都会の生活で粟が岳の雪 山菜の話
田んぼのハザキの風景 弥彦山 国上山 子供のころの遠足の話が
家族の団欒で話題になればと、

まだまだ書きたい事が沢山あります 、これからも遊びに来てくださいね
コメントも嬉しいです、
時々とんでもない当て字や誤字 送り仮名 夜る書込んで朝読み返すと
赤面 汗顔の至りです、

次回は趣味についての今年を振り返る。
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夏戸城跡

2006-12-27 20:12:02 | Weblog
寺泊~出雲崎方面の低い西山丘陵にある山城
現在は個人の所有地で入れないので
館の後らしき入れ口まで 写真は舘小路

集落には館の名残の地名が
上杉家の臣 志駄氏居城
弥彦神社に大太刀を献納
(1415年備前国長船 家盛作の
大太刀長さ220.4センチ (7尺2寸7分5厘)反り9.4センチ(3寸1分)
重要文化財の内湾刀では一番長い
慶長3年上杉景勝の会津移封に同行 以後廃城に
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本光寺 大杉 NO3

2006-12-27 19:34:59 | Weblog
本堂横 裏山に
樹齢500年とも言われる大杉がある、
墓地の所に小さな祠
境内を掃除されていた若奥様にお聞きしたが
やはり歴史がある 御参拝りにくる人も多い
と思うが賽銭箱がない、
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本光寺 本堂 NO2

2006-12-27 19:22:17 | Weblog
良寛碑
ことしより 君がよはひを よみてみむ
 (今年)   (年)
 松の ちとせを あっりかずにして
    (千年)      良寛

先日は御薬代御帰し被遊(あそばれ)候,たしかに落手仕候
松樹千年の御歌によりあとにて思い出候
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夏戸 本光寺 NO1

2006-12-27 18:37:24 | Weblog
旧寺泊夏戸 夏戸城下 本光寺
良寛も時々足を運んでいた、
此処は 金龍丸 と言う薬を作っていた
住職 義成とも親しく 書簡がある 
その中の一部が碑にして境内に、
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良寛禅師 関係の著者名

2006-12-26 22:13:33 | Weblog
図書館で本を眺めながら良寛関係の著者本が多いので驚き
何人かの著名を 順序 不同
相馬御風 北川省一 渡辺秀英 中野孝次 谷川敏明
安藤英雄 林謙三  児島寅雄 松岡正剛 武田寛弘
板橋興宗 伊丹末雄 磯部欣三 栗田勇  吉本隆明
小林新一 斎藤廣作 式場麻青 高見沢和夫 飯田利行
高橋庄次 吉井和子 茂木光春 三上和利 三輪健司
八代静一 小島正芳 小松正衛 森山隆平 法眼慈応
佐々木隆 ののはらゆみ  須佐晋長 小島屠寅雄
玉木禮吉 大山澄士 浅田晃 高橋芳彦 入矢義高
桂尚樹 大橋毅 川内芳夫 村上博明 鹿児島徳治
岡本勝美 太田光一 吉野秀雄 中山樵夫   鶴田忠義
平沢一郎 宮 栄二  江端一郎 藤島暢 青木羊耳
荒井魏  原田勘平 水上勉 松本市壽 中本環 藤井正宣
橋本幹子 中村守一 田中圭一   竹村敏男 村上三島
松岡正剣 池田光知 渡辺秀世 渡邊三省 武田鏡村 大倉?
解良家蔵 久馬過激   蔭木英雄 杉安嘉正
子田重次 皆川喜代弘 駒井鵞静 85名まだまだ居られる。
上杉篤興 (木端集)
今日図書館で見た作家 研究者のお名前です 並んでいた本から
書き間違 読み違いいもあるかも


各良寛会 写真集 絵画集 漫画 古文書 貞心尼はちすの露
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かたみとて....(..続)  良寛詩歌 

2006-12-26 19:33:13 | Weblog
良寛墨蹟大観 和歌遍(一)
編集委員 加藤僖一 川口霽亭 谷川敏朗
長谷川四郎  飯島太千雄

かたみとて なにのこすらむ 
はるははな なつほととぎす
あきはもみじ葉

私の思い出となる品として 何をこの世に残しておこう
それは春は色美しく咲く花 夏は山に鳴く時鳥の声
秋は
色鮮やかな木々のもみぢであるよ、

この詩は 道元の
春は花 夏ほととぎす 秋は月冬雪 さえてすずしかりけり
から

川端康成は良寛の詩も 道元の詩と同じように ありきたりの事柄を
ありふれた言葉でためらいもなくと言うよりも ことさらもとめて
連ねて重ねるように 日本の真髄を伝へたのであります、
又自分の形見に残すものは なにも持たないし 何も残せるとは思わぬが
自分に死後も世に残る形見になってくれるだろう
日本古来の心情がこもっている
良寛の宗教の心も聞こえてくる 歌で良寛の最も日本人らしい心を
持った人物であると川端氏は述べている、
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国上山 落葉の山径 NO3

2006-12-25 23:12:04 | Weblog
春の山野草 新緑 鳥の声 紅葉も
それはそれで何時歩いても それぞれの楽しみが
晩秋 から今頃も木々の落葉で山全体が雪を迎える
準備で覆われると冬だ、
落ち葉が敷き詰められて そんな道を歩く
何か贅沢な感じも 落ち葉のじゅうたん少し
表現が古いかなぁ、
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国上山 NO 2 山ノ神参道

2006-12-25 22:39:16 | Weblog
蛇崩れで弥彦山 多宝山 角田山
そして此処からでも日本海 弥彦の山麓の家々
多宝山 角田山麓の家屋も 蒲原平野も

小さな社 山ノ神 伝説も
暮れの月の平日やはり 私たちのような
高齢者が多い やはり健康が
基本わ歩く事に有りそうだし ストレス解消にも

時間はある ゆっく楽しめれば。

ここは山の神参道の登り道
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国上山 ~弥彦山 多宝山 NO1

2006-12-25 22:22:22 | Weblog
今年最後の山歩きなるか
素晴らしい晴天に誘われて国上山散策に
最初は最近天候もあるが12月は何か気忙しく
忘年会が3回それでも1回は休ませてもらい
カラオケ 水彩 ダンス 昨日で今年の会は終わり
でも足が動かない いやはや年かと思ったが少し歩いたら
何時もの風景だが 癒されて
スケッチも3枚書いて 熱いコーヒとコンビニのおにぎり
ですっかり すっきり
今年は1月1日にも此処を 散策に手ごろだ。
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川端康成 美しい日本の私 と良寛

2006-12-24 18:31:10 | Weblog
川端康成 ノーベル文学賞を受賞
ストックホルムでの記念講演で
美しい日本の私の なかで
良寛の

形見とて 何か残さむ 春は花
 夏ほととぎす 秋はもみじ葉

良寛の自然感 人生観を広く紹介

口ずさむ良寛の詩歌 (全国良寛会)では上記だが
良寛詩歌集 北川省一撰では

かたみとて 何か残さん 春は花
山時鳥  秋はもみぢ葉

少し違うようだが?

うらを見せ おもてを見せて ちるもみぢ
 これも良寛詩歌集に
貞心尼の はちすの露には こは御みづからのには
あらねど 時に とりあひのたまふいと いとたふとし
とあるが?。
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願王閣 地蔵堂(分水)と遍澄(へんちょう)

2006-12-24 16:43:36 | Weblog
願王閣(がんのうかく)
大庄屋 富取家が建立寄進
良寛の弟子といわれる 遍澄(へんちょう)が
中村家 富取家 町年寄のなどに懇望され住むように
それまで乙子神社草庵に住み 良寛の世話をしていたが
遍澄のはからいで木村家に身を寄せるように
水上勉著 良寛 12月23日の新潟日報工藤美代子
恋雪譜でも
遍澄が入門を頼んだ時良寛は拒んでいない 5合庵から
乙子神社草庵 そして木村家へ  遍澄は師の身の上を案じて
の采配 遍澄の献身的な世話ぶりを感心した地蔵堂の庄屋たちが
願王閣の閣主にと懇願した、
和島村生まれ鍛冶職人の長男であるが 出家僧名で俗名は市内(いちない)

遍澄の歌碑
利鎌(とがま)もて刈りはらふべき人なし むぐら繁れる 敷島の道
                       釈遍澄 
良寛が寄宿先していた中村家の前に願王閣がある。         
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中村家 良寛 (栄蔵)寄宿先

2006-12-24 00:58:16 | Weblog
大森子陽の塾 三峰舘に入門
地蔵堂 (分水)に寄宿先 中村家の二階に
その頃近郷の庄屋や医者など裕福な名家の子弟だけしか
行くことのかなわない時代で ここで真木山の庄屋のちに
医者になる原田鵲斎や与板の豪商、三輪家の佐市などと多くの友と
めくり合っている、
今も中村家の二階の部屋がそのまま、
 
一思少年時  ひとたび思う少年の時   
読書在空堂  書を読んで空堂に在り。
燈下数添油  燈下しばし油を添えども
未厭冬夜長  未だ厭(いと)わず冬夜の長きを

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