好奇 高齢者 の呟き

地場産業や蒲原の風景 山 山野草 良寛歌碑、 史跡 旧北国街道を訪ねる、 また聞いたり話した、方言を紹介したい、 

燕市吉田今井家 香林堂 NO1

2007-02-28 23:38:54 | Weblog
吉田町の町通りの中でひときわ目を引く
レンガ造りの洋館 越後平野の鹿鳴館と絶賛したとか、
先日も歴史ある建物を市の財産として市会議員の提案が
明治28年『1895年』建築

蒲原の大地主で土地は1000町歩(300万坪)か
小作は3000軒も

今井家は長岡藩の御用商人でもあった、
河井継之助に多額の軍資金を援助した。
香林堂は家庭用の薬の販売 越後味噌の醸造も営んでいる。
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吉田町今井銀行 NO2

2007-02-28 23:38:32 | Weblog
こちらの洋館は大正期の今井銀行の建物
大地主で銀行を興し 北洋漁業も興した
すぐれた後継者が時代の波のなかでの才覚
商才のすぐれた人だった
中越戊辰戦争でも生き残ることが出来たのか
今は越後味噌と家庭薬と、
隣に天満宮は今井家の神社で出世天神との名
で呼ばれている

三条の丸井 今井邸の様な市の財産として
う有効な形で大切に文化財だから、
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野積橋 NO2 (右側山の裏あたり吉田寺)

2007-02-27 22:26:09 | Weblog
此処で秋には鮭採りして採卵して稚魚を放流していたんだが
今でもそうなのか、 本当は禁漁区で釣りくらいなら
なのも云われないのかも 今は水も少ないが露の頃
上流からの水で 怖くなるほど流れ 昨年も少し
上流では両側の田んぼ畠も川幅が広がった感じ
 
此処の分水路は殆ど人の手で造られたのかと
越後平野が穀倉地帯になったのも分水路の
お蔭なんだ、
渡部橋 夕ぐれの丘あたりは潟だった、ところ
吉田寺あたりも燕市だ 寺泊町もなんで新燕市
の仲間に入れなかったのか、 そしたら日本海まで
燕市に成れたのに、
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野積橋 NO1

2007-02-27 21:55:56 | Weblog
新信濃川 『分水路』の1番海寄り
川と海がすぐ眼下に 此処は夏の夕ぐれが
美しい夕日が佐渡に沈む時の眺めが好きだ、
夏場の夜は海から川に遡上する スズキを
電気うきをつけて上流のながれに乗せて
流し釣り 釣り人が何人も居てかわりがわりに
 
何回か挑戦したが駄目だった、私は海での
季節にも選るがキスの投げ釣り アジのさびき
やはり一番は黒鯛 メジナだ 1号位の竿
道糸3号 細仕掛けでの勝負 もうすこし
暖かくなったら 釣れない時は 海を眺めて
居るだけでも、




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三条旧競馬場 (三条城) NO3

2007-02-26 23:52:39 | Weblog
三条市に画材を買えに
競馬場付近から見た粟が岳が余りにも
綺麗なので途中で駐車して
寒いが雲もなく何か近くに見える感じが
此処は三条城があつた所であるらしいが
碑だけ有る 市内に古城町があるから時代が
違う時なのか?
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丸井 今井籐七の人間像 NO2

2007-02-26 23:41:13 | Weblog
今井邸は北海道での老舗デパート7店舗を展開していた
創業者今井籐七ゆかりの建物で現在は三条市の財産

今井家は6代も続いた旧家だが 大火が3回も
そして五十嵐川の氾濫 信濃川 中の口川の大洪水で

12歳で寺小屋をやめ奉公に
その後先祖伝来の家屋を抵当に家運の再建を
これも各地の米騒動などで一文無しに
北海道での新開地に家運をと陶器店の奉公から
天性の誠実と勤勉で信頼を得る23歳
明治5年に札幌で開業し まだまだあくどい利益
での商売がある中で廉売と誠実で
26歳で呉服店明治12年に正価販売を
大正5年北海道で最初のデパートが総3階建てた
利益は商人がお客様に商品を取り次ぐ手数料で
あくまでも妥当なもでなければいけない、
金は人のため世のために、

雛人形を見せて戴いた、今井邸のパンフより



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三条市 丸井 今井邸  NO1

2007-02-26 22:45:01 | Weblog
三条市丸井 今井邸  大正初期の雛段飾り
通り掛りに 大正初期 昭和戦前 戦後の雛壇を飾っている
と入り口に張り紙が 見て。
此処丸井 今井邸では良く絵画 色紙展などがある
今回も雛人形で古いものも有るようなので
見せていただいた。村上では来月あたりから
町屋の人形巡りで 私ではよく解からないが 皆さん
子供の成長と健康をお祝する、気持ちは何処でもどの
時代でも同じなんだろうが、 大正初期では 本当に
一部の裕福な家庭だけだったろう、
お内裏様お雛さまの後ろに飾る屏風は名誉市民の岩田正巳
画伯が描いた春秋図屏風が大年5年に描かれた。
我が家も娘の為に安物だがあるんだが、もう飾る事もない、
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弥彦山八枚沢(鉢)~粟ケ岳 NO2

2007-02-26 00:09:32 | Weblog
晴天で少し肌寒い こんな時が遠くの山〃が
本当に綺麗だ 粟ケ岳 守門も夕日に映える
時間帯がまた美しい

朝の弱い私は朝日に弥彦山の山頂が少し
頬染める乙女とは出会えないが
少しも今年は雪で悩まされてはいないが
今日にような寒さで日陰ではかめの水(めだかとすいれんが用)
上の方に氷の丸いトレーが出来ている、
燕の方言で (ぜぇ ) が張った、 明朝の水道の
ち凍結の心配も、

今夜は夜空の星も月も綺麗に輝く、
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八枚沢登山道 NO1

2007-02-25 23:49:27 | Weblog
此処からが本当の登山口だ2合目から階段が、
山野草はこの辺りまででも沢山観られるが、
カタクリ イチリンソウ ニリンソウ イチゲ
スミレも 別に山に登りに来たから必ず山頂まで
行かなくても良いし 花の図鑑とにらめっこしながら
花を見るのも 木々の名前も花の名前もそして
これが薬草でなんに良いとか この花は根が毒草だとか
少しだけ解かっても楽しいが 利用する時は慎重に
しないと駄目だが 漆の木なんか下を歩いただけでも
かぶれが出る方もあるし、熊の心配は弥彦ではないが
スズメバチはこれは危ない、登山道の近くでも巣を
造る事があるし 藪に入れば刺がある木も

自然が相手だから雨 カミナリが
 
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三条 地震 NO2 良寛詩

2007-02-24 22:25:42 | Weblog
地震亡霊塔の碑文は隆全住職への見舞い状

地震後の詩は長い詩なので1部だけ紹介
日々日々又日々   で始まり6句まで地震後の
日々夜〃寒さ裂肌  天候と余震
7句から18句まで天明大飢饉後 人々が贅沢になり
道義心をなくしたと嘆きこんな事を

世移軽靡信如馳  世はけいびに移ることと
         信にはするがごとし、
況怙太平人心弛  いわんや太平をたのんで
         人心ゆるむ
恩義頓亡滅   恩義とみに亡滅し
語道徹骨癡   道を語るをびこつのちとす。
慢己欺人稱好手  己に驕り人を欺くを好手としょうし

良寛詩一部 で特に人々に心の弛みや恩義がなくなり
道理を語れば馬鹿にし 自分は驕り高ぶり人を欺いて
も自分だけ儲ければ それが商売上手と持てはやす
そんな世相を戒めている、
これは現代でも同じ事が起きて自分だけがよければと
19句からは自然に逆らうことなく順応して身を慎み
人や天を怨むなと戒めている、
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三条 地震と亡霊塔 (供養塔) NO1

2007-02-24 21:21:26 | Weblog
三条市 真言宗 宝塔院 (国鉄北三条近く)
文政11年11月12日(陽暦12月18日)
三条地震( 現在の栄町)当時江戸で三条消失
と号外が出た。(1828年)
越後での被害全壊家屋1万2900戸焼失1200戸
死者1600人負傷者2700人 言われている、

良寛さんが親交のあった三条の宝塔院の隆全住職に
見舞い状が 良寛は隆全住職をよく訪ね長く滞在も、
三条の友人の安否を気遣われた見舞い状が、

隆全(1758~1835年)が1冊に書きまとめた
良寛法師歌集には歌が170首が収められている。

亡霊塔のとなりに三条城主定明公の奥方
宝塔院殿普門妙泉禪定尼 千坂姫墓もある
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高齢者大学の有志新年の集い

2007-02-24 11:31:06 | Weblog
H17年高齢者大学修了者の新年懇親会
だいろの湯 此処は3回目で温泉に入り
皆でワイワイガヤガヤ 久しぶりの再会
を楽しんだが 同じクラスの男性Fさん
女性のHさんが昨年と今年にまだ若くお元気そうに
見えたのに本当に残念でした、『黙祷』 人の事でなく
先ず健康とお互いに話が出てきます、これからまだまだ
気概で  、

いつも だいろ湯の近くにお住まいのMさんに
幹事をお願いして全部お任せ企画で本当に
有り難い事だ、絵説心経を希望者にお配りして頂き
今度般若心経でも少し勉強しましょうかと、

昨年はクラス会がありましたが 60歳~73歳位
ですが60歳を過ぎてからこんな素晴らしい仲間が
出来て 高齢者大学での勉強も然る事ながら 楽しい仲間に
お会えできるし メール友のKさんYさんブログ カラオケの
Mさんkさん 皆楽しい方々の交流で又別の企画もあればと
皆さん人生を前向きに真剣にそんな人たちだから

今回名前だけの幹事で申し訳なかったが、次回には少しでも
お手伝いします、
私とNさんで幹事のMさん宅で5時頃までお茶を
戴きながら骨董品を見せてもらい遊んで帰宅 、

今年も協力員として頑張って行こう 、お話していたら
偶然にも今日出席の Tさんの奥さんが高齢者大学の私たちの
担当 協力員クラスにいらっしゃるとの事 色んな出会い
が 本当に楽しい懇親会でした、

今年入学される方々にも今の私たちのように楽しい仲間作りに
参加したら定年後もまた楽しい人生がありますよ、

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我が家の山野草NO1

2007-02-22 23:50:23 | Weblog
雪割草 (ミスミソウ スハマソウ)
山の方ばかりでなく 我が家の片隅でも咲いた
シロ ムラサキ ピンク これからか
本当は雪の下で芽を膨らませ雪が消えて
春の日差しに一度に花を開く こんな花だが
何にも冬ごもりの支度もしなくて春に
落ち葉を風と霜除けに上から掛けただけ
山野ではこうして春を迎えるんだから、

自然のものはその方がいい 下手に
暖かくしたりしてかえつて枯らしてしまう事が多い
花が小さくても いいではないか 山野草の花は人に
観てもらう為に咲くのじゃない、 人の方が楽しく癒されれば

そんな理屈はどうでもよいが やはり春は良い
アウトドア派は楽しい季節 山歩き 山菜 バードウオチング
スケッチ、今日 小鳥も2種類来て鳴く声が聞かれた、
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福寿草 NO2

2007-02-22 23:50:03 | Weblog
山の花だけに関心が我が家のにも
山野草が2年ぐらい前か 家内が
誰からか頂いた 名前が目出たい
福寿草 今年は繁殖して株が増えた
ようだ、花が沢山ついて咲いていた、
本当に自然のままのように手入れもしてなく
鉢植えで無いから外で眺めるだけ、

木の葉の下から草花が芽を出し始めた

我が家の梅のつぼみも膨らんできたが
梅は実を沢山つけてくれるが花はそれほど
美しくない なかなか両立は難しいみたい
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弥彦山に残る旧北国街道  NO1

2007-02-21 23:36:03 | Weblog
麓から山道入るあたっりでは大八車が
すれ違う事ができそうだったが 急な狭い
道になったが、ここを越えて茶屋で休んだ事だろう
眺めはいい弥彦山頂 国上山見下ろせば眼下に
村々 晴天なら野積浜 日本海佐渡も 、
宝篋印陀羅尼塔(ほうきょういんだらにとう)
明和8年に建てられた、がある

この辺りで西生寺が近いので石仏が何体かある
旧北国街道の山道なら今の時期が下草も視界を
さえぎる木の葉もないし 早く咲く山野草でも
眺めながら ここを歩いた 代官所の役人芭蕉や
十返舎一九 や文人多く往来したことを偲んで
ゆっく歩くのに それほど歩きにくい事もない、
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