好奇 高齢者 の呟き

地場産業や蒲原の風景 山 山野草 良寛歌碑、 史跡 旧北国街道を訪ねる、 また聞いたり話した、方言を紹介したい、 

出雲崎 円明院   NO1

2007-03-08 23:31:18 | Weblog
良寛の生家の山本家 菩提寺
真言宗 豊山派 岸山 円明院
良寛の母 秀子(のぶ、 ひで)17歳で佐渡
から養女に(相川の山本家から)新津の桂家の
新次郎と結婚したが桂家の都合で実家に呼び戻され
たため別れ、 その後再婚 良寛の父以南
(与板から出雲崎の山本家に)両養子か

母は良寛が26歳で岡山玉島円通寺で修行中に
49歳で永眠した。
後に良寛の三番目のお弟が(宥澄)ゆうちょう
が此処の住職に。

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円明院 NO2 良寛歌碑

2007-03-08 23:30:55 | Weblog
橘屋の菩提寺の縁で円明院の第十世を継いだ。
大和国 長谷寺で仏学を修めた碩学(せきがく)と、
いわれた、
寛政12年正月5日に亡くなつた(観山)とも、

良寛43歳 弟 宥澄(1770年~1800年)
の早世を悲しんで歌を読んだ、

はらからの阿闍梨(あざり)の身まかりし頃に
夢に来て法門のことなど語りて覚めて

おもかげの 夢に見ゆる かとすれば
さながら人の世にこそありけれ

(亡くなった 弟の面影が夢の中に現れて仏法の
ことなど 語り合ったかと思うと 夢が覚めてしまった、
その はかなさは そのまま、この世にいきている
人のありさまである。)
 
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