好奇 高齢者 の呟き

地場産業や蒲原の風景 山 山野草 良寛歌碑、 史跡 旧北国街道を訪ねる、 また聞いたり話した、方言を紹介したい、 

心月輪

2006-08-29 17:03:50 | Weblog
 つまみの壊れた鍋蓋
此れは 良寛さんが 燃やされる木蓋
生かされたとか

私も真似て 心月輪と 良寛の筆をまねて
彫刻 これもなかなか 此れはバーナーで木目が出るように
焼きました、

物好きだなぁ、


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天上大風  と天寿

2006-08-29 16:52:01 | Weblog
天上大風
良寛さんが托鉢中に燕市で子供が凧をあげていた、
絵も字もない凧に 天上大風 と書いてやりました、
いろいろの説有り。有名な文字だ

海に遊びに行き浜辺に打ち上げられた、蓋か底か
八画の板 長く海でただよっていた板らしくなかなか
味のある板に 
これに彫刻してみました、飾りに面白いでしょう、

自分の作品だとお金で買いない
自分だけの飾り   創作も芸術性もないが、


親戚に 御不幸有り これから御通夜
故人93歳 おじいさん 怒っている顔を見た事がない、
戦後の厳しい時代も経験し 苦しいときも有ったと思う、
仕事 子育て 将棋 旅行海外も  穏当な人柄 最後まで
呆けない 2ヶ月くらい入院で天寿を全うする、 大往生かも
これなら長生きも良い、

イライラやストレスはどうも長生きできないようだ
のんびりあと20年くらい、欲張るか、


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貞心尼と良寛さん

2006-08-26 00:53:48 | Weblog
君にかく あひ見ることの うれしさも
  まだ さめやらぬ 夢かとぞ思う 
              貞心

ゆめの世に かつまどろみて ゆめをまた
  かたるも夢も それが まにまに
              良寛
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貞心尼と良寛さん

2006-08-26 00:41:36 | Weblog
木村家に良寛を訪ねた貞心尼 
若い尼 貞心と出会い(貞心尼30歳)
良寛 70歳 唯一度の心の灯をともした出逢いか、
わずか3年半の師弟の交際。

古希か 私もすぐに古希だ いくつになっても
気持ちだけは若くいたいものだ、

恋はもう無理でも ほんのりとした、片思えならいいかなぁ、
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以南の句碑

2006-08-26 00:26:09 | Weblog
良寛の父 山本新左衛門 (以南)
与板の割元庄屋 新木与五右門二男
出雲崎 名主 橘屋 山本家に婿入り
風流の道に 熱心であり俳人でもある

以南誕生の地跡に 代表作 自筆の句碑
朝霧に 一段ひくし 合歓の花
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塩之入峠 

2006-08-25 23:59:34 | Weblog
貞心尼 
信濃川を舟で与板(三国街道)から和島へ
小さな山越え 塩之入峠を越えて和島の木村家に良寛を訪ねて
当時はなかなかの難所のようだ、(塩の入る道)

良寛は弟由之を訪ねるときは難儀の様だ、新道が完成して
喜んで詠んだ歌

塩のりの坂は名のみになりにけり行くしぬべ万代までに、

塩入峠旧道西登口(写真) (与板側に塩水の井戸がある)
良寛は弟由之の住む与板に向かうとき ここ塩之入で道草
春の若菜摘み土産にして遅くなる
春の野の 若菜摘みとて 塩のりの この日くらしつ、
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貞心尼草庵NO 3  閻魔堂(えんまどう)

2006-08-22 00:12:12 | Weblog
今日 やっと貞心尼草庵を長岡市 福島町で
(平成7年11月に竣工)
場所が解かった、
 
閻魔堂に落ち着くと毎々から和歌の道を志していた、
良寛の弟子になりたいとと願い その思いは一層募り、
 三島郡島崎(和島島崎)木村家に良寛を訪ねる
良寛と初対面がかのう、

信濃川を舟で下り 与板から 塩入峠を越えて 島崎に
良寛70歳 貞心尼 30歳
交際3年半も満たない 1831年正月6日
良寛74歳 の生涯を閉じる その枕辺に弟 由之と
貞心尼姿も

良寛と自らが詠み交わした歌を書きそい
蓮の露 (はらすのつゆ)一巻を完成。

貞心尼はその後柏崎に
柏崎は後日 歌碑や史跡を訪れて
後日のブログに

歌人で良寛研究家 相馬御風は福島の閻魔堂に在住した
10余年間が貞心尼にとって一生涯中最も意義有り
かつ最も光輝ある 時代であったと述べている、

加賀の千代尼 京の連月尼 と ともに江戸中 ,末期の3代
女流歌人の1人とたたえられている。




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貞心尼草庵NO 2   閻魔堂

2006-08-21 23:34:23 | Weblog
閻魔堂が1850年2月火災で焼失している、

現在の場所から 50Mくらい所に建てられていた、
(閻魔堂跡)標柱がある 本堂と庫裡とあわせて6坪足らずの
小さな茅葺のお堂であつた、(いつ創建か明らかでない)
現在(写真)は平成7年11月竣工


1797年 長岡藩士の娘として生まれ、
17歳で開業医に嫁ぐ しかし数年で離別
柏崎の閻王寺で剃髪 仏道修行 長岡ほど近い
福島にきて庵主に。

1827年この閻魔堂に住むようになる 
10余年 後 柏崎に 移り1841年釈迦堂の庵主に


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貞心尼歌碑 NO 1

2006-08-21 23:01:47 | Weblog
  
  朝げたくほどは 夜のまにふきよする
   おち葉や 風のなさけ なるらむ、
     貞心尼 

良寛さまの歌の道 仏の道をとおして深い師弟と
の敬慕の心が 生き方を学んでいる様に 権力 富 名誉 、

 (焚くほどは 風が持てくる 落葉かな)
 
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カマキリ と蝉

2006-08-20 10:24:50 | Weblog
我が家の庭 (ただ木が数本植えてあるだけ)にタラの木があるが
蝉が羽化し 飛びたって行くのだが 今朝 蝉の羽音で目をやると、

カマキリが蝉を 今咥えているところ 昆虫たちの生き残りと
子孫を残す為の生存競争が、

蝉も蜘蛛や鳥の危険だけでわないのだ、短い夏がもうすぐ終わるのに。

人間社会もテロ 戦争 企業はM&A  TOB 大変だ、
高齢化(私もその一人)社会 どうする 日本、

少し脱線したみたい、
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おくのほそ道 NO 2 出雲崎から佐渡

2006-08-17 23:53:38 | Weblog
陽暦の8月18日に出雲崎の大崎屋に泊まる
(天領の町 妻入りの家並み)
海上40キロに幕府の財政を支えた 佐渡金山が、
妻入り(間口狭く奥行きが長い建築様式の町並)

  
 荒海や 佐渡によこたふ  天河

8月17日 夕方 芭蕉が出雲崎で日本海
佐渡を 見た頃の時間と思われる頃に
佐渡は良く見えた、(写真)

大崎屋の前に芭蕉園がある 銀河の序
大崎屋は今でも在り
この句にも すぐ裏は海で遠くの佐渡のこと
波の音 心象的な句とか
この時期 天の川はそこには観えない、

芭蕉園のある場所は橘屋(良寛の生家)没落後
出雲崎名主職を継承した、敦賀屋 (鳥井家)
屋敷後、
 
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おくのほそ道  NO 1 出雲崎から 弥彦山方面

2006-08-17 23:10:37 | Weblog
元禄2年 (1689年)7月3日
    陽暦8月17日 芭蕉 曾良、
弥彦 宝光院に宿をとり 弥彦神社 参拝か
宝光院は境内に樹齢千年の 婆杉もある古刹

新潟 弥彦に俳句をたしなむ豪商がいれば
越後の紀行も おくのほそ道にも弥彦神社 越後の
山 風景も詠まれていたかも、

海に降る 雨や恋しき 浮身宿 唯一新潟の句 ?がつくようだ。

北国街道を観音寺 麓から難所の山越え 猿ヶ馬場~西生寺

文月や 六日も常の夜 には似ず 西生寺に歌碑あり。

弥彦~西生寺~野積~寺泊~ 出雲崎 暑さと疲れで体調が
越後の旅は 楽しめないで 疲れ果てていたのかも、
国上寺はすぐ近くなのに...
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アメを買いに出た幽霊 (燕市 萬能寺)

2006-08-16 23:29:04 | Weblog
昔 萬能寺の大門に飴を売る出店がありました。
信心の厚い 飴売りのお婆さんは、店を閉めると
いつも寺に向かって念仏をとなえって帰ってゆきました。

お盆も過ぎて 秋風がひんやりと肌にしみるころのある晩、
お婆さんが店を閉め始めると、青白い顔をした
見知らぬ 若い女がアメを買いに来ました。
アメを受け取ると 1文銭を渡し、境内の闇に吸い込まれるように帰ってゆきました、
それから 毎晩のように店を閉める頃になると アメを
買いに来ました、6晩つづけて来た女は もう此れが最後とぽっんと呟いた、
不審に思い 女の後について行くと 墓地の方へ歩いてゆき
新しい墓標のまえで 煙のように消えました、

びっくりしたお婆さんはお寺の和尚に話しました、
「あの娘は可愛そうに、坊やの生まれる前亡くなったの」
と 和尚はねんぶつを 唱えました、

翌日も女は来ないので店を閉めてから 境内に入て行きますと、
暗い墓地の方で 乳呑み児の泣き声がしますので、
お婆さんは和尚さんに知らせ 翌朝娘の棺 掘り起こした、

「オギャア オギャア」と棺の中で男の赤ちゃんが泣いていました、
三途の渡賃6文は無くなつていました、
 
赤ちゃんは娘の両親に育てられ
萬能寺の小僧に上がり 和尚の跡を継ぎ、

立派な和尚になりました、

子供のころ 小学高学年か 中学の頃か聞いたことがあつたが
良い話だ 若いお母さんで自分の事 都合だけで子供が邪魔になつて
なんて とんでもない
教訓のような幽霊の話 怖くないし 此れぞ 母だ お母さんの心。

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豪農の館  NO4

2006-08-15 00:02:40 | Weblog
朱鷺の剥製

大時計 大オルゴール
金庫 陶器の大皿 等 家具調度品                                                                       歴代当主の在世年8代 図表
         
考古資料館 囲炉裏 台所 1俵の米’(60Kg)
毎朝炊いた、

イタリアレストラン 地酒おみやげも


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豪農の館 NO3

2006-08-14 23:48:46 | Weblog
庭園
各地の名石 を配した鎌倉 室町の回遊式庭園
庭園内には5つの茶室が

この庭は 京都、銀閣寺ゆかりの庭師
田中泰阿弥(新潟県柏崎市 出身)
五年がかりで造られた、
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