好奇 高齢者 の呟き

地場産業や蒲原の風景 山 山野草 良寛歌碑、 史跡 旧北国街道を訪ねる、 また聞いたり話した、方言を紹介したい、 

淨玄寺 良寛の書簡 妹 みか  NO1

2007-03-17 23:28:56 | Weblog
橘屋以南の三女みか 良寛の末の妹
歌人としても名高く七百首に及ぶ歌集を
残し貞心尼とも親交をあたためた
智現師没後尼となり妙現尼と称された。
76歳の天寿を全うされた。歌集でも
判れば後日一部でも紹介したい、

良寛追悼の歌

黒染めの君がたもとに 摘み入れし
野辺の若菜も形見とそ 見る

良寛は無量寿経 観無量寿経 阿弥陀経の
浄土三部経を借りた、書簡碑

貞心尼は良寛亡き後も妹みかや弟由之達と
交際は続いていたんだ、良寛の身内から
嫌われていた訳でもないようだ、
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淨玄寺 良寛の妹 みか NO2

2007-03-17 23:28:29 | Weblog
良寛の末妹みか嫁いだ寺
夫の智現上人は現在の新津笠井家にの生まれで
淨玄寺の養子となり 海岸と号
学徳の高い人で、文政2年に本山、東本願寺の
擬講師 ? 天保2年 嗣講師?を任じられた、

阿弥陀経に造詣が深く各地で講義を行っていた、

淨玄寺の開基は常陸の国新治郡大曽根村
相馬氏性念にて建立は1301年 
親鸞聖人に帰以し弟子となり11世玄嶺の時
出雲崎に移住している。

良寛の生家のすぐ近くで 教会のような建物
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