To be continued.

                   
アイリスの気ままに紡ぐダイアリー

悼む人 天童荒太

2009-06-25 21:15:09 | 読書


半分くらいから精神的にきつくなり、なかなか読み進むことが出来なくなった。

先週またギックリ腰をやってしまい、6日間というもの一歩も外出しなかった。
そのため本の世界にドップリとつかって、一緒に死者を追いかけて旅をしたかのよう。
あまりに多くの死に接して、重たい荷物をを背負わされたような感じになってしまった。
読み終えたら希望が得られるのだろうか。そうあって欲しいものだ。

「誰に愛され、誰を愛していたか、何をして人から感謝されたか?」

悼む人(坂築静人)は人が死んだ場所を訪れ、亡くなった人についての話を聞いて、死者を悼む。
死者は、新聞や雑誌やラジオのニュースで情報を得た、見ず知らずの全くの他人。
一日の終わりには、その日に悼みを行った相手のことをノートに書き込み、たった一人の特別な存在として胸に刻んでいく。

構成は、プロローグ、第一章~第九章、エピローグ

エグい記事が得意な週刊誌記者・蒔野抗太郎、
末期がんで三ヶ月の余命を自宅で過ごすと決めた坂築静人の母・坂築巡子、
自分が殺した夫を悼んでいる坂築静人と出会い、一緒に旅をすることになる奈義倖世

三人三様それぞれの今までの人生、悼む人との関わりによって変わっていかざるをえない心境などが語られる。
また、この三人の過去も平凡とは言えない強烈なもので、一人分でも一冊の本になりそうだ。

ほぼ半分を読み終えた。
他人の死にまつわる話を沢山聞かされて、食傷気味。
静人の「悼む」という行動の意味も、それを続ける理由も分からない。

しかし、第6章の知的障害を持った少年が殺された事件で、被害者の両親と悼む人のやりとりで何かが見えてきた。
「誰に愛され、誰を愛していたか、何をして人から感謝されたか?」について、遺族は思う存分悼む人に話すことができ、しかも自分が愛した者をずっと記憶していてくれるということは、残された人間にとっての救済になるのだろう。

他人から見ればありふれた死であっても、愛していた者にとっては特別な存在の喪失のはず。
その人間を別の誰かと一緒に悼むことが出来れば、心に深い平安が得られるのかもしれない。

悼みの旅を続ける静人と倖世は、倖世の自殺未遂をきっかけに結ばれる。
今まで「死」にばかり関わっていた二人だから、生きている証として生身の肉体を激しく求め合う。
映画「おくりびと」でも、そんな場面があったね。

それでも、二人は別れてしまうんだよね。
一緒に居ては、今まで通りに悼むことは出来ないだろう・・・と。
それも分かるけれど、例えばお金や子供とか現実的な問題、社会との交わりの中で、悼みをどう続けていくのかを見たかった気もする。

エピローグでは、静人の母・巡子の最期が描かれている。
今までの雰囲気とは違って、死の瞬間ではあるものの、優しさと喜びと安らぎに満ちていてる。
ここは、作者自身の思いが一番こもっている箇所なのかもね。

このお母さんは、見事なまでの生き様を見せてくれる。
自分が死に際したときには、お手本にしたいくらい。
冷静で、周囲の人間に気配りを忘れず、かつユーモラス
健康な今でも難しいのに、末期ガンでつらい状態の時には到底無理だな。

だけど、悼む人に悼んでもらうには、普通の病死じゃなくて、彼の目に留まるような事故や事件で死なないとダメなんだよね。
それって、なんか不公平  ひとりでは手が回らないから仕方ないか。
エデンの園のような愛の国に入れて欲しいな。
でも、誘惑に負けて追放されるのがオチかもね