神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

港から庄川まで万葉線に沿って歩く

2023年11月03日 08時31分38秒 | 散歩道
 富山県の西、小矢部川と隣接する庄川の間の洲のような場所(愛知、三重の長島のミニ版)にポツンとある小さな無人駅、万葉線の中伏木駅で降りた


踏切を渡ると、そこはもう小矢部川で伏木の港なのである。
小矢部川から南に遡れば高岡市の町になる
今日は富山は最高で25度の夏日、薄い長袖と薄いジャンパーを着てきたが、すぐに汗ばんできた、県内は各地で平年より6~10度も暑いのだそうだ。
伏木と言うと、父と多少の因縁があって、来たからには見ていかなければならない場所なのだ。

小矢部川河口



また戦争の話になるが、昭和20年3月、5月に米軍は東京を大空襲して東京市民11万人近くが犠牲になった
米軍はもはや東京市内を爆撃する必要がなくなったので、戦闘機による攻撃に切り替えた、それで調布など首都圏の高射砲隊もヒマ状態になった
しかし富山県の伏木港は富山市一帯に軍需工場、伏木港から新湊漁港にかけては食料運搬や物資輸送の拠点になっていた。
それで米軍はこのあたりの港に機雷を飛行機で落下させて、港の封鎖に動いた
新湊では機雷が爆発して100名以上の市民が死に、家屋の被害も多かったと言う。
そこで日本軍は飛来する敵機を攻撃する為、東京の高射砲を高岡に運んで伏木港一帯の防空基地としたのである。
父が所属した調布の高射砲も4門が高岡に運ばれたのだった。
そんな風に調布基地と伏木港は多少の縁があったのだ
何度か敵機を攻撃したが一発も命中しなかったと言うことである
8月1日、2日(終戦の2週間前)には富山市が空襲されて2000人以上の市民が死亡した。

伏木の港には小学生の時に修学旅行で一度だけ来たことがあるが、まったく記憶が無い、だから今日来たのは実に60数年ぶりなのであるが大きな船は見ることができなかった。

駅三つ分歩いて7500歩、この間にあるものは二つの河川の景色と港らしい雰囲気の倉庫や建物、そして万葉線 それだけで構成されている古い町であった。

































庄川河口




ひっそり こじんまりとした万葉線無人駅
このあと昨日のドラえもん電車が滑り込んできた





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