神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)

風吹くままに 流れるままに
(yottin blog)

リース作りにチャレンジ

2024年02月25日 10時39分24秒 | 趣味
 暇を持て余しているところにお誘いがあり、何をするかも知らず出かけて行ったら「リース作り」とのこと。
当残ながら、どんな材料で、どんな風に作るのか、完成形さえわからないので、ここは先生がおっしゃるとおり素直に聞いて作業を始めた。
参加者は5名で、二人一組で作るが、私は一人で作ることになった
材料は先生が揃えてくれたので、あとは接着作業だけ、それでも完成するのに3時間近くかかった。
先生が作ったもの、私たちが作ったもの、色とりどりで面白かった
あまり面白いので、来月もう一度、やることに決まった、一心不乱に集中していると時間もあっという間にたつ、指先の作業だからボケ防止にもなる
楽しかった。










材料






言葉の面白さ

2023年12月16日 07時19分47秒 | 趣味
古典や漢詩は学んだこともなく、あまり興味も無かったが、文字列としては面白いと思っていた。
先日、年賀状に自分の気持ちを表す言葉はないかと探していたら、杜牧の詩に
「霜葉(そうよう)紅於二月花」という一節があった。
それなりに知る人には有名な一節らしい
なるほど、この七文字で三年間の思いを描くことが出来そうだ
そう思ったら、漢詩を今さら学んでも身にならないと思うが、都合の良い言葉を拾い出して楽しむことはできそうな気がした。

専門的な学びとは縁遠い暮らしをしてきたから、たいがいは、こんなきっかけ作りから熱中できることを発見する手法が身に着いた、これは邪道だが仕方あるまい。
どんなに焦っても、もがいても、反省しても人生は一度きり、過去をほじくり出すことに何の意味もない
残された、これからをいかに生きるか楽しむか、それだけだ。

仕事を辞めたら、ずいぶん生き方も心境も変わってきて、俗にいう「好々爺」というのに近づいてきた気がする。
現役時代は怒るのが仕事のような情けないありさまであったが、この二年、腹を立てた日は日ごとに少なくなって、いつ怒声を上げたのか忘れてしまった。
そんな気持ちを文章にしてみると。

「世間の声がいかなるものであれ、何を言われようが、それに周囲に雷が落ちてきても、大風が渦を巻いて唸ろうと
私の中は、春秋の静かでほんのり温かい微風が心地よく漂っている。

あなたの怒りが見えていても、私は少しだけ微笑んで黙っている
それが半月、一か月続いても、私はいつもの私のままで同じように生きている
ある日、きまり悪そうに声をかけてきたら、知らん顔して「おかえり」というだけ
また平和な日々が始まる」

 

この男、暇人につき

2022年09月21日 06時46分32秒 | 趣味
先月かに絵を書いてみようと水彩鉛筆の72色セットなどを買った
最近になって書き始めたが、緑、黒、茶などがない
72色なのにどうなっているんだと思ったがないものは仕方ない
だから色を重ねて緑などを作った。
今、写真を撮っていて気づいた、数えてみた
36色しかない、あれ?
両サイドにつまみがある、もしやと持ち上げたら、下にあった
黒、金、茶、緑、黄緑あるじゃん!
ああ、アホらしい、注意力散漫、二段とは気づかなかった、確実に老化は始まっているようだ。
思いたくないけど。


和製英国紳士 白洲次郎

2022年06月16日 08時56分25秒 | 趣味

物価の急騰が一般庶民の生活をじわりじわりと圧迫してきた
冗談や笑い事のレベルを超え始めている
確かにこれはウクライナ侵略戦争の影響だ、戦場は遠く離れていてもロシア相手に既に参戦したに等しい
日本も欧米同様にロシアにたいする経済封鎖に参加、ロシアも反撃で北の海の鮭、鱒、カニ漁などの許可を拒否してきた
北海道近海ではロシア、尖閣では中国からの圧迫はますます厳しくなるだろう

「一番切り詰め安いのは食費ね」と主婦が語っていた
低所得層、家族が多い標準家庭の階層からじゅんに生活に影響が出てくる
食料問題は昭和の戦争を思い返せばわかるだろう、昭和の戦争を知っている世代も70歳を越えたが数的には、まだまだ多いから語り部には困らない。
食料不足は自給自足ができない都会で最終的に深刻になる
お金やモノは価値が無くなるからだ
輸入や流通が滞らないうちは都会ほど食べ物は豊富だが、それが止まればたいへんだ。
田舎ではサラリーマンであっても、高齢者であっても多くが畑で野菜を作っている、野菜には不自由しない、だが米作農家が大幅に減った令和は田舎といえども、昭和の戦争中より米不足ははるかに深刻になる

東亜及び太平洋戦争(ここでは昭和戦争と言う)戦前戦後に活躍した実業家で経済外交官、吉田茂のブレーン、英国を知り尽くしている国際人白洲次郎(私が一番好きな歴史上の人物)は戦争がはじまると都心から武州、相州境に移って戦争中は野菜作りに専念したのだ。
英国で青春時代を過ごし、上流階級の英国人の友人が多い彼には、英米の実力もしらずに扇動されるがままに鬼畜米英と連呼する大衆の中に身を置きたくなかったのだろう。
世界を敵に回した日本は資源と食料不足に陥るのは必至、先が見える人だった。
ここ武相荘でたっぷり充電した白洲次郎は戦後間もなく吉田茂総理に招かれて、無条件降伏した日本に隷属を強いる占領軍幹部と英国流英語で語り、紳士的な態度で互角にわたりあうのだった。
彼には戦勝国にたいする卑屈さも、忖度もなく人間同士で向かい合う逞しさがある。

昭和戦争のような国家による食料統制まではいかないと思うが、あらゆる資源の自給力が不足する日本は、常に米、中、露から圧力を
受ける
こんな時代にこそ吉田茂、白洲次
郎のような、世界と冷静互角に話し合えるリーダーが必要だ。(吉田茂は冷静とは正反対だが、白洲次郎を用いただけでも名宰相だ)

白洲次郎生誕120年特別記念展を富山県水墨美術館で7月3日まで開催している。
白洲次郎の愛車ベントレーの展示は終わって残念だが来週までには見に行くつもりだ。

吹石一恵を だらしなく想ってみた

2015年07月04日 02時38分29秒 | 趣味

ときには、だらしなく生きてみるのも悪くない

鏡を見ながら あほ面したり

大好きな吹石一恵の映画をテレビで見ながら

思い切り、声を出さずに笑ってみたり

 

いつだって恋をしている  幾つになっても恋をしている

小説の中で 映画の中で 空想の中で

これって とてもいいものさ

幾つになっても だらしない恋をして

それが生きている証だって ほくそえむ

 

吹石一恵が好きなんだ

目が大きい女が好きなんだ

だから女房殿と

今でも好きなんだ

 

だらしない生き方って とってもオレに似合ってる