中学高校時代には歴史で「三世一身法」だとか「口分田」だとか「墾田永年私財法」
なんとも難しい言葉を書き連ねて、それを見ただけで歴史が嫌いな生徒がどっさり
歴史を覚えるのでは無く、言葉を覚えるという矛盾した教え方、これじゃ国語の読み書きだ
なぜもっとわかりやすい言葉で、教科書に頼らず先生は教えてくれなかったんだろうか?と
今、この歳になってようやく思うようになった
去年暮れに奈良を一人旅して、平城京の跡地と再建施設を見てきて感動したけれど
実際のなら時代は、平和であったけれど朝廷と貴族、そして派生した一族だけが富を独占して
数多の農民を奴卑の如く働かせて搾取していた時代
平安時代もまたしかり、華やかな時代の陰に多くの貧しい暮らしがあって、枕草子も源氏物語も
その貧しき者等の上で、書かれた物語なのだ
結局、日本史とは何かと言えば田畑を主とした土地争いの歴史なのだ
民主化の進んだ今では、土地では無く有権者の票を奪い合う形に変わったけれど、数十年前までは
やはり農民の票が圧倒的に物を言う時代だった
神話時代、飛鳥時代、天平時代など古代は圧縮された日本の原風景で、まさに日本史のビッグバン前夜だった
ここでは天皇と朝廷が権力の全てであったが国の形は定まらず、地位を巡る権力が争点だった
はじめて絶対的な王者が決まって、ようやく恩賞としての土地、天皇に繋がる貴族や一族郎党の食い扶持
として田畑が与えられた
それより遥かに多い(大多数が農民)にも小さな食い扶持の土地が与えられたが、もともと大きな田畑をもつ
貴族は自ら耕すことなどしない、できない、だから農民の土地を取り上げて、あぶれた農民に貴族の土地を
安い労働で耕させるす形に持って行ったのである
やがて貴族に開墾すればしただけ土地を与えるという法律を作ったので、我も我もと貴族たちは農民の
持ち物までも奪って開墾競争に明け暮れた、しかし無法であってはならないから一応、土地の管理者を
国毎、郡毎に任命したわけだが、都から自ら下向していく貴族もあれば、その土地の有力者に管理を
任せる貴族もいた
それらは都から離れた土地で権力を振るって、私田を不当に増やしていった
時代と共にそれらは荘園と呼ばれ、
旅行みやげというとホテルの売店や、観光地で買うことが多いだろう
中には「途中で荷物が増えていくのが嫌だから最後にまとめて買う」と言う人がたまに居る
それは高速道の大型SAである
関西方面への旅行では名神の「多賀SA」、京都、大阪、奈良、神戸、滋賀の名産は大概揃っている
東京方面では関越道の三好P、ここで東京みやげが買える、三好はパーキングながらサービスエリア並の
設備と規模を持っている
それとは別に、私の場合自分用のみやげに一番力を入れる、大体は食べ物主体だ
特にご当地ラーメン、カップめん、乾麺に興味がある、今回も写真の様に地元では見られないバージョンの
品ばかり買ってきた
こういうものを買うには、地元の人が利用客の大部分をしめるコンビニが最適だ
どこにでもあるので、容易に見つけることができる、今回も奈良のホテルから100m程のところにある
コンビニで買った
韓国へ旅行に行っていた頃も、とにかくコンビニに入って最大10種類くらい袋麺を買うので、20~30袋
ラーメン専用の土産袋がいつも一つできていた、韓国ラーメン評論家気分で毎年買っていた
ラーメン以外にも「おや!」っというものを見つける事がある、真鍮の鐘と木製の飾りの付いた台でできている
風鈴、あれは今もわが家の二階の窓際に取り付けてある、風が吹くと透き通った良い音がでる
近頃なにかと騒々しくなってきた韓国製とは思えない純粋な音色だ
デパートでおみやげ・・・というのも田舎暮らしの人間にとってブランドの衣料や雑貨みやげを買うには良い場所だ
去年もブランドのゴルフファッションを買いたいという大先輩を案内して銀座三越へ行った
結局そこには無くて、近くの松屋にあったのだが、ソウルでもロッテデパートでゴマ油(チャンギルン)をみやげに
買ったり、一昨年は台北の新光三越で時間をつぶしたりと、田舎人間の憧れの場所である
おみやげはついつい買いすぎる傾向があるが、いざ配って歩くとなるとそれでも足りない事が多々ある
これもまた近所つきあいの多い田舎の人間ならではだ
どこにでも簡単にいける時代になったのに、それでも買ってしまうおみやげ、さすがに温泉饅頭は買わなくなったが
逆に何にしようかと頭が痛いおみやげ選びである。
今度の旅ではいろいろなコースを考えていた
家を出る前は、最終日は京都の大原三千院~琵琶湖~安土城跡~帰宅
白浜温泉では、最終日は雪が降りそうな三千院を諦めて、大和郡山城~京都東寺へ行こうかとか、
奈良から伊賀上野城を経て名古屋の湾岸を通って中央道へ出ようかとか、いろいろ考えた
けれども帰宅の3日目は信越地方に大雪警報が出たので、雪が多い福井、石川経由は諦めて
中央道を岡谷~松本経由で帰ることにしいた、それも雪が多い白馬、小谷は夕方4時前には通過したい
そうなると奈良を発つ最終時間は遅くとも10時半、そうなればホテルの近くしかない
それでホテルを8時半に出発して唐招提寺へ行くことにした、ホテルからは15分くらいだ
唐招提寺も10数年前に女房殿と法隆寺のあとに立ち寄った寺院だ、あのときは大修理で国宝の金堂は
見ることが出来ず、講堂で仏像を拝見するにとどまった
今回は修復された金堂を見ることが出来、外からだが盧舎那仏、千手観音、薬師如来の迫力ある三尊
そしてその前に四天王立像が巨大な国宝三仏像を守護している
これら国宝は格子越しに見るだけだがその迫力と威圧感と、その真逆の包容力が伝わってくる
どれだけ見ていても飽きることの無く、この場を離れがたい気持ちになる
話しは変わるが、毎朝夕、仏壇の前で手を合わせる、そのとき何を思っているか、初めの頃は神であれ仏であれ
「幸せにしてください」「苦しみから解放してください」「助けてください」「お金持ちにしてください」などと都合の良い
頼み事ばかりしていた、けれど神仏には願い事をしても聞き届けてはもらえません」ということを聞いた
それはそうだ、願い事の実現は自らの手で行う事でしか実現出来ない
その後、禅道場ではないが心を空にしなさい、何も考えず、何も思わず、ひたすら心を空にしなさいとか
「南無阿弥陀仏の六文字をひたすら唱えなさい」とか
そして今の私は仏壇の前では手を合わせて何も思わないように努力する、しかし努力することを思う自体がもう空では無く
「何も考えないようにしよう」と思った瞬間、空は破れる、でも時々空になる、そんな訓練が少しずつできてきたように思える
今、この巨大な三像の宇宙を目の前にして飲み込まれるような気持ちは、空の始まりのようでもある
残念なことにここは道場でも無く、立ったままの自分にはそんな時間も無い
裏手の講堂にまわった、なぜかしら女房殿と雨の日にここを訪れて相合傘で講堂前までやってきた日を思い出す
今日は一人だけでやってきた、一人でも二人でも弥勒如来像の前では思うことは同じ、それが救いでもある
講堂を出て、そこから境内の中を歩いた、かって女房殿と来たときは講堂を見ただけで車に戻った
一人旅は、自分だけの時間を存分に使えることが嬉しい
新宝蔵は時間が早くてまだ閉まっていたので、御影堂にまわったが修理中であった
それで鑑真和尚像が祀られて居るお堂にお参りしてから、もう一度金堂の三尊をお参りして外に出た
この地で道場を開き、唐招提寺のいしづえを築かれた帰化僧の鑑真和尚の歩みを井上靖が「天平の甍」で
書いている。
時間は9時半、10時半までなら急ぎ足で薬師寺参拝ができる、薬師寺はここから車で2分くらいだ
しかしとうとう駐車場がわからず、時間が過ぎていくので諦めて帰路にむかった
木津ICから京奈和道-第二京阪-京滋バイパスと往路の逆回りで名神に出た、そして草津JCTの手前で名神か
第二名神かの選択に悩んだ、第二の方が中央道に出るには距離的に近い、しかし混み具合では名神の方が
すいているだろう、決めかねてカーナビに任せたら、名神を選んだ、それで米原-関ヶ原回りにした
滋賀県に入った、なんだか物足りない気分、今日は唐招提寺しか見ていない
急に安土城が気になってきた、しかし位置関係がわからない、蒲生スマートインターの手前、ここで降りるか
それとも次の八日市ICか、でももう通り過ぎているかも
一か八かで信長が信頼していた豪将蒲生氏郷に因んで、蒲生で下りた、そして農道でカーナビで探したら
安土城跡まで30分と出た、往復一時間、見学30分で一時間半のロス、これでは白馬通過は5時過ぎになる
大雪の山道がちらつく(これは賭だ!凶か吉か、やってみなけりゃわからない、もうイケイケだ)
そして安土城跡に着いた、カメラを持った観光客が数人居た、受付でお金を払って中に入る、安土城見学と
いうより管理者は総見寺のようだ
本丸跡まで30分トイレ無しとのこと、往復すれば45分以上、見学、写真撮りまで入れれば一時間
これはちょっと痛い、帰路大雪の中を走るのか?、それも曲がりくねった夜道を
だがせっかく来たからには本丸跡まで行くのみ、あとは天に運を任せる、ここで帰ってたまるか
安土城の感想要点のみを書きます
①想像していた100倍の規模でした
②想像もしなかった険しく長い石段と石垣遺構がどこまでも続く
③麓から本丸跡まで30分、確かにかかりました
④途中に多くの重臣の居宅跡があった
⑤山城のようで、しかし実際は山を要塞化した堅固な大城郭だった、なにもかもスケールが大きい
まさに信長の城である
⑥あとで聞いたら、この石垣の大部分は江戸期から昭和にかけて復元工事がされているところが大部分とのこと
しかし無いところに新しく造ったわけでは無く、崩れる恐れや風化しそうなカ所を修復したのだから、規模そのものは
同じである
⑦天守台付近は、本能寺の変の跡、天守閣が焼け落ちたのは遺構からみても事実であったようだ
信長の次男、織田信雄がうろたえて火をかけたという説が言われているが真実はわからない
⑧二の丸に信長の慰霊廟がある、仇討ちした羽柴秀吉が本能寺の灰を埋葬して信長廟を造ったと言うことである
⑨本丸跡からは西から北、北東にかけて視界が開けている、当時は城の下まで琵琶湖の湖水が来ていたそうだ
⑩全体が山で深い森や藪が多い、しかしその中には未整備の手つかずの石垣群や郭跡が多く存在するらしい
⑪とにかく登るには息が切れる、体力脚力が弱い人には辛いだろう
⑫二の丸から総見寺跡へ下る道がある、そこには三重の塔?と巨大な楼門が残っていて文化財に指定されている
⑬登り始めこそ息が切れたが体が慣れてくると、意外にも順調に足が動き、息も切れず体力向上している実感がある
⑭とにかく時間が無いのが残念だった、ゆっくり探索すれば二時間の滞在時間が必要、あらためてもう一度来てみたい
⑮冬なのに、往復して駐車場に戻ったら一気に体中汗が噴き出した
スタート地点 コーンが気になるが
天守台
埋もれている遺構
信長公霊廟
安土城を出発してようやく位置関係がわかり、蒲生インターには戻らず、一つ先の八日市インターから高速に乗った
養老パーキングで飛騨牛カレーで腹ごしらえして再出発、天気は安曇野までずっと晴れだったが、大町あたりから小雪が
舞い始め「スワ!」と気を引き締めたが、信越県境の148号線はほとんどトンネルばかりなので案外楽に新潟県に入ることが
できた、雪もみぞれ程度で午後7時過ぎに無事帰宅出来た 「ばんざ~~~い」 おわり
法隆寺駐車場のおじさんに言われた通り行って見た、看板通りに入り口から入ると広い駐車場があった
そこに車を停めて平城京史跡に行こうと歩き出したが、建物は史跡とは全く関係が無い会社事務所のようで
まるでどこかの工場の敷地を歩いている雰囲気、100m程奥は工事現場のようでもありトラックが出入りしている
看板があったので見たら、何かあるようだが見渡しても何も見えず、二階建ての事業所らしき建物ばかり
目をこらしてみたら平城宮資料館らしきものがあったので、とりあえず行って見た
ボランティアガイド風のおじさんが玄関先に居たので聞いてみたら、そこだった
「おいくらですか?」フロントの女性に聞いた
「これは市のプロジェクトなので無料です」という、資料室へ入ろうとしたら3人ほど居たボランティアガイドの
一人が「失礼ですが、間もなく4時になりますので、ここのいくつかの関連施設は4時で入場できなくなります
そんなわけで、私はここを見るより大極殿の方を絶対的にお勧めします」
思いがけない言葉に戸惑っていると、「ぜったいあちらをご覧になった方が良いと思います」とパンフを
見せてくれて指さした
何も見えない、松のような木々が立っていて、広さだけは感じるのだがわからない
「あそこの十字路から右に入って進んで行くと大極殿が見えてきます、時間が無いので近道を教えましょう
池が左に見えますからその傍の道を進んでいってください」と親切に言ってくれた
言われるままに5分ほど歩いて行くと奈良時代風の色彩の大きな建物が見えてきた「あれだ!」なかなか立派だ
そして池もあったので、葦原の中を歩いて行くとすぐに大極殿の横に出た、道では無い土手をよじ登って
長い塀の切れ目から中に入った、なんかこそ泥気分、正式な入り口は100m以上右にある
建物の中から「入場は4時で終わりになります」と放送している、3時45分くらいだった、急いで裏の入り口から入った
勿論入場無料、中には台座がついた金色の囲いが真ん中に置かれている、ここにもガイドさんが居るので
「これは何ですか・」と聞いてみた、「それは天子様が座られる玉座です」と言う返事
「ああ、あの中国の皇帝なんかが座っているあれですね、ああそうかじゃあ下の方に家臣たちが
この建物の外にずらーっと平伏して、それですね」「そうです」
目の前で大きな工事が行われているので「あれは何を造っているんですか?」と聞いてみた
「あれは南門を建設しています2020年頃に完成予定です、今は周囲を仮の塀で囲っていますが、それも取り壊して
正式な回廊と東西楼を造ります」
「じゃあそんな工事が終わるのはいつ頃なんですか・」「そうですねえ20年くらいはかかるでしょう」
「それじゃ完成形を見ることはできそうもないな」
別の観光客とのやりとりにも聞き耳を立てていたら、未だ調査中で次々と発見があるので完全に復元するには
100年くらいはかかるとのことで、広さは130ヘクタールでディズニーランド+ディズニーシーを足してもまだ
30ヘクタール余るそうだ
県道から見ると、完成された朱雀門から大極殿まで一直線になっている、その間で南門の建設を行っている
これだけでもかなりの広さがある、すでに広場や付属設備が完成していて時間があればゆっくりと見たい場所である
遠くに見える朱雀門
4時半頃駐車場に戻りカーナビでホテルをセットした、実は宿の予約プリントを家に忘れてきて、白浜の温泉宿も
今夜の奈良のホテルも名前がわからないという失敗をしているのだ
白浜の宿はプリントアウトの不要な紙をメモ用紙にして持っていたおかげで、メモの裏に偶然ホテル名が印刷してあった
しかし今日は、「奈良**ホテル」は覚えていたが**がわからない、有名な「奈良ホテル」ではないのはたしか
持参していたタブレットで「奈良 ホテル」で検索、真っ先に奈良ロイヤルホテルが出てきた
わからないので詳細を見ると、「お子様の添い寝1名可能」という覚えがある文と、温泉があるホテルという決定的な
文字が・・・これに間違いない」と決めてとりあえず行って見た
なかなか立派なホテルだ、平城宮からわずか10分足らずのところにあった、フロントで「ネット予約のyottinです」
固唾を吞んで待っていると、「はい、一泊でお申し込みのyottinさまですね」ホッとした瞬間
奈良を放浪せずに済んだ、サービスの水2本(部屋の冷蔵庫にある)と温泉入り放題の券をもらって部屋に向かう
部屋はダブルルームをシングルユースで頼んでおいたせいか何でも二組あったのでものによっては重宝した
ミネラルウオーターも二本あるわけだ、なによりベッドが広いので寝相が悪い私にはとても助かる
朝までぐっすり寝ることができた。
花園ラグビー場での高校ラグビー出場の日本航空石川高校の選手もこのホテルに泊まっている
地元北信越のいっかく、応援せにゃなるまい、しかし相手は3強の一つ東福岡だということだ。(実は昨年の組み合わせ
だった、今年は國學院栃木に敗れた)
エレベーターの中でトンガの留学生と思われる2人と一緒に、短い言葉を交わしたが日本語で返してくれた礼儀正しい
子たちだった(多分そうじゃないかと思う、ガタイのしっかりした子だった)
さて夕食は予定していなかったのでどうしようかと思ったが、地理不案内のうえ天候も良くないのでホテル内の施設を
調べたら日本料理の店がある、早速部屋から3800円ほどの簡単コースを6時半に予約した
行って見ると早い時間ですいていた、着物姿のサービスさんが二人、いずれも40.50の味のある年頃、昨日の
ホテルとはすっかり趣が違う、やっぱりこんな店の方が落ち着く
今日も地酒冷酒のお勧めを伺って、辛口を一合注文、お料理が6品ほど出てきて、そろそろと言う頃に
「ご飯をお持ちしますか」と来たから「いえ、もう一本お酒ください、超辛口というのがありましたよね、あれを飲んでみたいな」
「わかりました、今お持ちします」「すみませんね雪国の人間は酒が好きなんですよ」
「どうぞごゆっくり召し上がってくださいませ」
一時間ほどかけて食事をとった、酒二合くらいがほろ酔いで丁度よい、昨日の白浜では生ビール一杯分が余計で
少し寝てしまったのだが、今日はこれから温泉に入れば丁度よい
温泉と言ってもシティホテルの温泉だから、きっと小さくて狭いのだろう、だから時間差で行けばすいているだろう
部屋からタオルとバスタオルを持って地下階へ下りると風呂の入り口があって、入ると受付カウンターと下駄箱がある
外からの客も受け付けているらしく、玄関は外へも出られる
若いお嬢さんと男性スタッフが受付にいてロッカーキーを渡してくれた、廊下を歩いて行くとロッカールームが二室
あって1室だけでも数十のロッカーがある
浴室に入ると意外にも広い、ジェットバス、普通の風呂、水風呂、歩くためのぬるくて深い浴槽、そして広いサウナ
30人くらい入っても大丈夫そうだ、洗い場も20位ある、そして案の定入浴者は数名だけだった
浴槽は深くて、たっぷりとお湯が入っている、白浜の温泉はきれいだが浅くて、ちょっと物足りなかったが今日は最高
入り口とは別に洗い場からの出入り口もある、充分暖まってそこから出たら水が置いてあったので飲んで
後ろを見たら、そこはマッサージルームになっていた、昨夜はうかつにも寝てしまってマッサージを受けられなかったので
旅の疲れをとろうとマッサージをしてもらうことにして部屋の中へ入ったが人の気配が無い
着替えてから受付へ行ってマッサージができるか聞いてみたら「10分後にできます」との返事で、ルームの横の
休憩コーナーでお待ちください、と言ってガウンを渡された
休憩コーナーへ行くとサウナパンツ一丁で、数人年配の人がテレビを見たり話したりしている(そうか風呂に入って
おしまいじゃ無くて、休んで入り休んで入りのヘルスセンター式の利用法もあるんだ)と知った
すぐに呼ばれてガウンを脱ぎ、下着だけになってマッサージが始まった、50歳くらいのおばちゃんだった
いろいろ話しをしながらやってもらったけど酔っていたせいか内容は少しも覚えていない
コースは60分、首から肩が痛いのでそこを中心にやってもらったが「カチカチですね」いつも言われる
結構力のあるおばちゃんで、ときどき強すぎて痛い、「痛い」と言ったら「弱くしますか」と言うので
「痛くても気持ちいいから、その強さでいいよ」
でもさすがにふくらはぎだけは我慢出来ず、セーブしてもらった
けっこう激しく整体もするのでなかなかケアとしては充実したもので、温泉場の気持ちいいだけのマッサージとは
一味もふた味も違う、終了してからもう一度、風呂に入った血行が良くなってすっきり気持ちよい
リラックスルームで休んで、また最後にもう一度入った、すると岩盤浴の文字が目に入った
岩盤浴はやったことが無いので、やってみようと思ってフロントへ行っておねえさんに「岩盤浴ってどんなことを
するんですか」と聞いて説明してもらった
すっかりやる気になって「じゃあ、お願いします」と言ったら、「すみません今日は受付終了したんですよ」だって
残念! 部屋に戻って缶ビール1本飲んで寝た
翌朝もういちど温泉に入ってなんだかこのホテルで凄くリラックスした、こっちへ来たなら毎回このホテルにしようと
思った、。 朝食バイキングもおいしかった つづく
のんびりと旅気分を味わいたいので、アウト10時のところを11時まで延長してもらったが
結局、魚屋気質の私は8時半の朝食がすむと9時半には宿を出発した
天気は小雨、今日の予定では紀ノ川SAで買い物、そこから紀ノ川を遡って写真を撮りながら
穏やかな紀州を楽しみ、柿の里や九度山、高野山や木津川の面影だけでも味わいながら
奈良斑鳩、法隆寺へと考えていたのだ
ところが天気は雨、しかも大阪へ向かう一車線の阪和道は渋滞で60kmののろのろ運転
和歌山からの無料自動車道、京奈和道も渋滞で50km、まったく土地勘、距離感がないために
思わぬ時間ロス、しかもロマンチックな紀ノ川ののどかな田舎を想像していたのに、谷間には
びっしりと住宅が建ち並び、ベッドタウンが延々と続いている
雨も降っているし、時間もどんどん過ぎていくのでそのまま自動車道を走るしか無い
事前調査もせず、感に頼るだけの行き当たりばったり走行、法隆寺には昼前につく予定が大幅に遅れている
そしてあてずっぽで下りたのは20kmも手前の御所南IC、奈良っぽい名前に近いと思ってしまったのだが
ここからは市街地の一般道路が続き、しかも渋滞も続き大幅な遅れ、法隆寺にようやくついたら2時過ぎ
幸いなことに雨は上がっていた
近くの小さな駐車場に車を入れた、おじさんが出てきて600円だという、なかなか気のよさそうな人で
「法隆寺は初めてですか?」と関西アクセントで聞いてきた
「2度目だけど、もう10年以上前だね」「それじゃ忘れてますなあ」
「そうですね」「そんならちょっと簡単に見所紹介しましょか?」
「お願いします」
おじさんは管理小屋から法隆寺の地図を持ってきて、見る順番と見所を簡単に説明してくれた
関西の人と、こんな短い時間でもお話しするのはほとんど無い、だから関西から西の人たちとはどんな人なのか
はっきり言ってわからない
20年くらいまえに我が店で結婚式をあげた女性が奈良の田原本町の人で、我が店から100m程の家に嫁いだ
その後、商工会議所に勤務した関係でボランティアの事務代行担当になって私と2年ほどコンビになった
その人の口から出てくる奈良ことばが、まことに心地良かった、唯一まともに語り聞いた関西弁はこれだけだと思う
だから私の頭の中では奈良、和歌山、滋賀の女性の言葉が日本で一番心地良いのではないかと思い込んでいる
もっともまともに聞いたのは、この奈良言葉だけだが
大阪は、自転車でいきなりやってきてお節介してくれた、おばちゃんの印象が強烈に残っている
法隆寺は10数年前に女房殿と今日と金閣寺を見たあと、道を間違えたおかげで生駒のスカイラインを通って
簡単に斑鳩の里へ来ることができた、あれ以来である
国宝の数々、唐の時代に中国で造られた仏像も重要文化財となっている
小学校の国語で習った「玉虫厨子」もあった、なかでも、ようやく住居が定まったという放浪する「百済観音」が印象に残った
飛鳥時代の木造観音だが、いつどこで誰が作成したのか、どのように法隆寺に来たのか、でどころが全く不明という
不思議な観音様なのだ
細身で背が高く、ほんとうに立派な観音様だ、もちろん国宝に指定されている
ここで約一時間たっぷりと歩き、見た、もう時間は3時をまわっていた、昼食を食べることさえ忘れてが夕食兼用にすることにして
もう一カ所、薬師寺でも行こうかと思いながら駐車場へ戻った
「おかえりなさい」管理人のおじさんがニコニコして出迎えてくれた
「これからどちらへ行かはります?、もうこんな時間やし、寺は時間的にむりやろなあ・・・お泊まりはどこです?」
「奈良駅に近いところです」
「それならいいところ紹介しましょか・」「はい」
「今、奈良市では平城京の跡を公園にして、復元して居るんですわ、資料館もあるんで、そこが時間的にもちょうど良いと
思いますから地図もってきますね」
そして道順を教えてくれた、その通りに行ったら30分足らずで到着できた、途中には大和郡山城、薬師寺、唐招提寺など
見所が幾つもあった、これは明日にまわすことにして平城京跡へ向かった つづく
今朝5時半に外に出たが幸いにも積雪ゼロ、けれど強い北風が吹いていた
今は七時半、道路が白くなった、まだ積雪とまでは行かないが大雪警報発令、少しは
積もりそうだ
この旅は急に思い立った旅だった
道後温泉から高知、広島あたりへ行こうと考えて距離や所要時間を調べたら、全く無理なことがわかった
こちらは24日25日と氷水の中を歩いているような寒さで、とにかく暖かいところへ行きたかった
四国がダメなら、紀州和歌山、ミカン繋がりで考えた結果だった
25日に急遽ネットで一人を受け入れてくれる宿を探し予約、28日の宿は未定だった
26日にコースをあれこれ考えて二日目は奈良に泊まるのが良いと考え、奈良のホテルを予約した
さて出発の27日、朝から冷たい雨が降っている六時半出発の予定が5時前に起きたので5時45分に早まった
天気はパッとしないが透明感がある、剣もくっきりと見えている
北陸道を南西へ一気に下っていく、ずっと灰色の曇り空、滋賀県あたりからようやく青空が見えてきた
瀬田から京滋バイパスに入り、第二京阪ー阪神高速ー阪和道と乗り継いで和歌山に到着、途中「岸和田P」で
昼食、ちゃんぽんを食べた。 もう外は温かで、少し散歩もした
和歌山市に下りるのは始めて、御三家の和歌山城を見たかったのでここで下りたのだった
私は城見学で一番興味があるのが石垣の形と、遺構の大きさだ。
天守閣とかは国宝級以外はほとんど戦後に再建されたものだから、それほど興味は無い
あとは城内展示のの武具刀槍を見るのが好きだ、和歌山城は石垣の遺構がかなり広範囲に残っていて規模の
大きさを伺うことができる、西の丸庭園へ下っていく途中の石垣は平たくて小さな石がたくさん積み重なっていて
こんなタイプの石垣は見たことが無い、結構興味深かった
天守閣
二の門櫓と二の門
かなりやばそうな石積み
立派な乾櫓
城の三隅に櫓がある、紀ノ川が海に
天守閣、その隣には小天守もあるが見えない
地下の調査現場
二の丸へ下る途中の石垣、苔むして年代を感じる、石積みが特異で面白い
西の丸の庭園はわりと小ぶりであるが高低差があり池もあるので、けっこう面白い
およそ2時間を和歌山城で過ごした、やはりこうした見学は一人旅に限る
城の周辺には広がりを感じる石垣がずっと続いている
それにしても持参したオーバーコートを着る必要がないほど暖かい、気温は15度近い、家を出たときは3度ほどだったのに
さあ再出発だ、和歌山インターへ戻るにはまた渋滞にはまるので、海岸線に近い道路を次のインターまで行くことに
結局、都市はどこもそうだが、道路を変えてみても信号だらけでのろのろ運転である事はかわらない
紀三井寺前を通過したが、時間が無いので拝観はできないで先を急ぐ、ようやく阪和道にのったが、やはり土地勘が無い
すぐ近くと思った白浜も、まだ80kmも先だ、一時間近くかかる
余裕を持ったつもりでも結局、予定通りの5時少し前の到着だった、カーナビに遊ばれた感もあるが、阪和道終点の
南紀田辺インターの先に紀勢道が開通していて、ナビは白浜インターまで誘導、これが行きすぎで予定外の時間が
かかってしまった
温泉は塩水温泉で塩っぱい、二階の屋根付き露天風呂は広くて、眼下には白浜海岸の白い砂浜が見える
波の音も聞こえるのどかな温泉、気温も18度に達し、「これが温暖の地というのか」思わず独り言
夕食には追加で今が旬という「クエの唐揚げ」「クエの土瓶蒸し」を追加、生ビール一杯のあと、地酒冷酒二種類を
正一合ずつ飲んだ、大阪出身という仲居さん(今はそうは言わないのだろうけど)の若いおねええちゃんと
短い会話をするくらいで、話し相手も無く酒が友だち、それも一人旅の良さかも知れない
昔の温泉場なら仲居さんがお客を退屈させなかったけど、今は逆に客が気を遣う時代になった
部屋に戻ったら、そのまま二時間ほど寝てしまい、目が覚めてもう一度風呂へ行き、マッサージを頼もうと思ったら
もう23時近かったので諦めて寝た、今日の走行距離はちょうど600kmだった。
レストランからホテル
朝食はご馳走
部屋からの景色
大阪は2年ぶりくらいだろうか、前回は会社の旅行で神戸に泊まって
その前に大阪で大坂城を見て、通天閣へ行ったんだ
別組は梅田で「吉本」を楽しんだ
そのあと、同級会旅行で、こちらは難波花月で「吉本」を見たのだった・・・あれ以来
今回は姪の結婚式で、ヒルトンホテル大阪へ
ホテル内の小さな式場で、キリスト教式の挙式、そして両家でのささやかな食事会をして
そんな結婚式でした
私が2日間、マイカーを運転して、午後7時に帰ってきたばかりなので、詳しくは明日また
素晴らしい京都の秋を見るのも目的だったけど、気が置けない仲間達との時間も大目的
この旅の時間の大部分をマイクロバスの中で共に過ごす
その時間が宝物、今回はほとんど、うたた寝もせず、バスの中で飲んでは話し、大笑いの連続
なにしろ、総勢二十数名のメンバーが毎年、入れ替わりながら15人くらいずつ参加して16年
みんなこの日を待ち遠しく思っている
今回は毎年世話を焼いてくれる名幹事の、よしこちゃんが親戚の法要で急遽欠席に、また横浜の
うるさいひげ男も張り切っていたのに、娘の出産と重なってこちらも欠席
それでも17名の参加があった、こんな友をもてる自分がとても嬉しいです
大体、毎回男女半々とバランスが良く、この中には同級生結婚が3組も居るんです
そのうちの一組が名古屋で名物うどん店を経営していたので、そこに「食べに行こうよ」と言って
始まったのがこの旅行でした、以来彼ら夫婦も数回参加、今回も参加しています
とにかく男子より女子が酒の強者揃い、ほとんど女子で盛り上がっている
今回も行きだけで缶ビール48本くらい空けて、日本酒も飲んで、それにチューハイ、サワー
それから踊りの師匠カッコちゃんは、毎回私の好物を知っていてくれて、コンニャクの甘辛串焼きを
持ってきてくれる。 今年はコンニャクの素揚げに、椎茸の素揚げも・・・・
他にも越後村上の鮭の酒浸しを持ってきてくれたチマちゃん、もうご馳走でお腹もいっぱいに
それでも昼食もビールと一緒にがっつり食べてしまう元気者仲間です
一日目の昼食
「さあさ飲んで! 飲んで!」完全に親父状態の彼女たち
さあ宴会の時間ですよ、お料理もたっぷり、お酒もたっぷり
そしてショータイム!!!!!!!
まずは、マスやんの「祭り」でスタート 師匠が幹事長の着付けを手伝っている
グループ1.2を争うナイスガイのダンス&歌の始まり妖艶なこの姿 板についたターン
たまらずファンがステージに上がって歌い、踊り出す
巨人で活躍した同級生と一緒に高校時代野球をやってたこの人も、いまやこの姿
こうして楽しい2時間は瞬く間に過ぎていったのでありました
京都紅葉の旅 完
ご観覧、まことにありがとうございました。