神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)

風吹くままに 流れるままに
(yottin blog)

自分の体力と限界と年齢

2024年04月29日 20時12分12秒 | 病気と健康
 今朝起きたのは4時半だった
もううっすら明るくて、歯を磨きながら庭を見ると、南の方向には下弦直前の二十日の月が見えた。

新年を迎えた時に(新年になったけど、気が付けば四月になっている)と思っていたけど、やはりもう4月で、それもまもなく終わろうとしている
月日の流れの速さは、2月、3月を意識する間もなく4月なのだ。
こうしているうちに夏が過ぎ、秋になり冬がやってくる、そしてまた一つ歳を重ねる。

元へ 4時半に起きたのは、また船長に手伝いを頼まれたからで5時半に家を出て港へ向かった
なんか仕事をするには早い気持ちでいたが、考えて見れば現役の時も5時半に起きて6時には魚市場へ行っていたのだから、別に早いというわけでもない。
それに歳を取ると早く目が覚めるというけれど、全くその通りで早寝も早起きも気にならなくなった。

5時に朝食を食べたのだけど、テレビをつけたらドジャース戦が7回になっていた、ドジャースが1対3で負けていて、フルベースの逆転チャンスだったが外野への大飛球で終わってしまった、早起きして見なくてよかったと思った。
大谷もノーヒットだったし。

朝は元気で家を出るのだけど、港でも張り切って仕事をしている
だけど家に帰ってくると途端に疲労感が出てくる
それでも賄いの魚を1時間くらい調理するので疲れている暇がない
同時進行で風呂を沸かしながらの作業で、仕事終了と同時に作業服を洗濯機に放り込んで、風呂に入って30分、体を洗ったり、体を温めたり、寝てみたり何か空想したりしている。
これで気分的には疲れは薄れていくのだ、このままベッドに入れば心地よい眠りにつくのだろうが、まだ夕飯を食べたり、昨日買ってきた野菜の苗や畑に水を撒く仕事が残っている。
なかなからっくりさせてもらえない、貧乏性なのだろう。

それでも間もなく74歳になるが、まだまだ元気で働けるのはありがたい
基本、病気らしい病気はしない体質なので血圧とか糖尿とかの薬も必要なくありがたいと両親に感謝
そのかわりケガはよくする、それでも縫うところまで行かないのがありがたい
でも顔面打撲だとか脛の裂傷だとか、指の骨折とかけっこうあせくらしい
というより酔っぱらってのケガが圧倒的に多かったのだ。

最近は酒も遠ざかって、家で飲むことは月に一日くらいで、それも一合がいいところ、おかげで日常的だった胃痛も最近は起らなくなった。
同級生が相次いで骨折や病気入院、手術をする中で元気にやらせてもらっている方だ
父も80歳までは医者知らずで現役だったから、私もその血を引いたようだ
親が90過ぎまで生きていたから、自分もそれくらいは行けそうだといつも思っている。

この頃、「僕は70歳まで生きればいい」「私は70歳で死にたい」といった声を聞くことがママある
「へえぇ?」だ なんでそんな気持ちになるのかわからない
そう言っていながら75歳くらいでもピンピンしているから言ってやる
「自分で死ぬ時を決めたって思い通りにはいかないよ、寿命なんて神様が決めるのだから死ぬまで生きてりゃあいいんだよ」

ともだちのつー君が撮ったメジロの写真
無断転載 ごめんね



奥村チヨ 「終着駅」 1971




思いがけない出来事 先生がびっくり!

2024年04月15日 18時54分14秒 | 病気と健康
 昨日は夜更かしをして寝たのは23時半
違和感を感じて目が覚める、時間は深夜1時だった、寝てさほど過ぎていない
奥歯が不快感、痛くはないが2日前から同様な兆候はあった
うがいをして寝たが、2時半にまた目が覚めた、それから痛みが始まって、最初は「ず~~~ん」だったが、そのうちに「ズキンズキン」に変わって、もう寝られない「こりゃ虫歯だ」何十年ぶりの虫歯の痛み
昔なら一家に一箱、富山の薬売りの配置薬が置かれてあったが、今はドラッグストア乱立で家にはおいてない。
歯が痛めば「ケロリン」粉を歯や歯茎に塗って応急痛み止めしたものだった。
ともあれ今の我が家には、そんなのが無い、まだ真夜中で朝まで寝ないで我慢か・・・「!」
口内炎の塗り薬があった、効くか効かぬかわからないが歯茎に塗って見た
そしてアイスノンをタオルで巻いて頭の下に敷いて寝た
10分も立たぬうちに寝入った。

朝起きて8時から大谷登場、ところがまたしてもロスは雨、大谷が移籍してからもう三度目の雨(二度目?)、雨ゼロに等しい球場と言うのにいったい
そして雨と言うと、山本の勝利が消え、そして今日はダルビッシュの勝利が消えた、ところがタナぼたではないがリリーフの松井が4人ぴしゃりで2勝目をゲット、ドジャースは負けた。
大谷はダルビッシュに3の0で今日は1安打という試合だったが、雨で1時間半遅れて、歯医者とダブって生中継は見られず残念だった。

レントゲン後、麻酔をかけて奥歯の患部を削って、神経を抜いて今回はお終い
花粉症中なのでくしゃみ出ないか心配したが、朝薬を飲んでいったので大丈夫だった
そのかわり眠い、先生が「麻酔きいてますか? 痛みないですか?」と聞いているが、私は別の患者に聞いていると思って返事をせず目をつぶっていた
先生が突然「起こします、きみすぐにうがいをしてもらって」と慌てた
何事かと思ったら、先生は私に「大丈夫ですか? 痛くないですか?」とまた聞き返したので
(ああ! 私に言ってたんだ)と初めて気づいて「ああ私ですか? 大丈夫ですよ、全然痛くないですよ」と答えた
「麻酔が効きにくい場所ですから」と先生
いくら呼びかけても私が目を閉じたまま返事をしないので、失神でもしたかと思ったらしい
そりゃあ失礼しました。

明日は花見なのでアルコールを飲めるかどうか、ちょっと心配。



睡眠の常識

2024年04月06日 06時50分36秒 | 病気と健康
 まだまだコタツは離せないが、さすがに日中は無理
でも夜になると5度以下になるのでコタツに入ってテレビを「聴いてる
聴いているうちにウトウトと少し寝てしまう
ほんとテレビはドラマやドキュメンタリー、野球、相撲、駅伝、マラソン、歴史もの以外は見なくなった。

睡眠の常識も変わった、どう変わったかなんて2週間前まで知らなかったが、ラジオを聞いていたら、そこで睡眠の話題が放送された
アナウンサーが言うには「高齢者は8時間以上寝るのは健康上良くない」というものだった
大谷翔平のパワーの源の一つは「たっぷり睡眠」と聞いたから、まねようと思っていた矢先これだ!

裏付けということで、ネットでも調べたら、こんな記事があった
厚生省の研究らしいので

今年2月に厚生労働省が公開した「健康づくりのための睡眠ガイド2023」。14年に定められた前回の「睡眠指針」から約10年を経て改訂された“新ガイド”の特徴の一つが、必要な睡眠時間がライフステージによって異なることを明確にした点だ。 「睡眠ガイド」によれば、各年代に応じた推奨睡眠時間は、1~2歳児が11~14時間、3~5歳児が10~13時間、小学生が9~12時間、中高生が8~10時間、成人が6時間以上。しかし、子どもや成人について「睡眠不足」の問題が強調される一方、高齢者については「8時間以上にならないこと」と睡眠のとりすぎに注意が向けられ、長時間睡眠による死亡リスクすら指摘されているのだ。

ということです、ラジオで言っていたことと一致していました
時代と共に常識は変わっていくのですね。


ベンチャーズ The Ventures/君といつまでも Kimi To Itsumademo (1966年)



医者にかかったこと

2024年03月31日 19時27分28秒 | 病気と健康
 ショルダーバッグの中を整理していて「おくすり手帳」が目に入った
普段は中身を見ることも無いのに、先日は花粉症でA医院にかかったので、ページをめくった。

普段はB医院ばかりで、A医院へ最後に行ったのは平成28年の夏だたことがわかった
「なるほど」おくすり手帳というのは病気の履歴にもなって、ある意味「病気歴手帳」ともいえる、そんな風に思っていたら、パスポートにそっくりだと思った
近年のパスポートは手のひらサイズだが、昔のは、おくすり手帳サイズだった

A医院でのことを思い出した
受付には感じの良い30歳前後のお嬢さんと、ふつうのおばさんの二人が居た
「どうされましたか?」と若い方が聞いた
「目がかゆく、くしゃみ、鼻水、寝る時は鼻づまりで」
「熱はありますか」「ありません」
「じゃあ、お熱を測って、このアンケートを書いてください」
熱は、相変わらずの35.5度、症状や履歴のアンケートと一緒に出した
それから待ち時間の間、すぐ比べたがるのは私の常
A医院、B医院を比べて時間つぶし、A医院の方が出来たのは新しくて10ねんまえくらいかな、B医院も建て替えたが、もう30年くらいたつのか
A医院は山の手の静かで小さな林の中にある平屋の医で入院病棟はない、B医院は住宅街の県道沿いにあって三階建てで入院病棟もある
かっては最終老人の福祉的面も持っていたが、代替わりしてそれはやめたらしい。

B医院の患者は80歳前後の高齢者が多い、A医院を見たら50~70代だった
先生はどちらも60歳くらい、A先生は優しい口調、B先生はべらんめえ口調で対照的、B医院は先代の先生の時から70年の付き合いがある主治医的な医者
婦長は前に住んでいた家の隣の奥さん

A先生は地域の同じ会に入っていて、一時飲み友達だった話やすさがある人、新潟市の出身なので新潟の友達に共通なのがいて、その話から親しくなった。
B医院の待合室は狭くて、廊下にも椅子を置いて対処している、遠く隣町からも老人が来るくらい老人の、お助け病院になっている
A医院の待合室はわりと広くて、すべて木でできている
吹き抜けになっていて天井が高く、広い窓が二方向にあって外の緑が見えて開放感がある、森の中に居る感じが良い。
ただ一人感じの悪い看護婦が居て、
「アレルギーは無いと書いてあるけど、以前ここでアレルギーの薬を使ってますよね」といきなり高飛車に来た
感じ悪い人って、話す前から感じるんだと改めて思った

「いや?覚えないし、アレルギーが原因で医者にかかったことはないけどね」
「今日はどうしたんですか」
「目がかゆくて、くしゃみ鼻水・・・」
「花粉症ですね 薬をもらいに来たんですね」、言ってる意味がわからん
「それは・・・先生に診てもらってからでしょ」
それに答えず、大きな体をバタバタとゆすって医務室へ戻っていった
その後は、先生とはコロナの始まりから会っていなかったど、お互いなつかしくほんの2分ほど世間話をした
これからも、またお付き合いを」と言ったが、医者とのお付き合い無しで自然に健康でいられたら幸いというもの
但し、化学薬品の市販薬を買って飲むくらいなら医者に任せた方が良い

家の中で誰も見ていないうちに亡くなると面倒なことになる
そんな家族が言っていたが、警察が来て家族一人一人が事情聴取されて、たいへんだったという。 変死扱いというやつだ。
医者の死亡診断書が無ければ安心して死ぬこともできない時代
医者嫌いだが医者とは仲良くしておくのが大事だと思った。











花粉症か!

2024年03月15日 08時19分56秒 | 病気と健康
3月14日のこと
一週間後に「春分」を控えて、今日は温かかった
新潟県は13度そこそこだが、富山市で14度、高岡伏木は14.6度と4月の陽気であった、ただ天気は晴れ、曇り、小雨と猫の目の如し。

今日は定例のドライブの日、この数日は目がかゆくてしかたない
朝、顔を洗う時に目の周りを洗うと気持ちよい
酷い時は、くしゃみ連発で、鼻水が出るし鼻の奥がむず痒く乾燥ヒリヒリしたり、逆にグズグズ熱っぽい。
これは間違いなく「花粉症」、昔はこんなことが無く、この5年ほど前から今の季節になるとこうなる。

15日の今朝も起きると同時に症状が出ていて不快極まりない
ブログを見ていても、けっこう私同様に苦しんでいる人がいる
車も窓を見ると花粉らしき点が幾つも見える、黄砂とは違う粒だ
これで黄砂がやってくれば、ますます不快な世界になる

こんなことで花粉症専用の点眼薬だ、薬だを購入するのも癪に障る
薬屋と言えば、帰宅後に本屋へ行ってクレヨンと四国のガイドブックを買った、そうしたら文房具10%offの券を店員さんが愛想よくくれた。
ついでにドラッグストアの15%off券があったので、化粧品を買ってきたら、また15%off券を2枚もらった。
スーパーは今日は高齢者5%offの日で、子供のおやつを買った
イオンでは1万円の買い物で500円の商品券をもらったし、なんでもかんでも物価が上がるこのご時世、5%でも安く買わないといよいよやりくりがたいへんになってくる

現役の時には歯牙にもかけなかったポイントカードだとか、シルバーディ、バーゲンセールが今は暮らし密着だ
限られた年金は、諸費税アップ、物価上昇のたびに実質手取りがどんどん減っていく、セコイと思っていたポイントや安売りに対してかっこつけていられない
まさか老後になって、生きる知恵をフル活用するとは思わなかった
まあボケ防止と思って、年金の有効活用方法を毎日考えるのも悪くないか。






食生活改善

2024年02月17日 09時05分18秒 | 病気と健康
 血圧は120前後、手術歴盲腸だけ、性格なのか怪我はよくするが入院するような病気にかかったことがない。
しかし同級生の身近な友が亡くなったり、先日も同期の幼馴染みが、がん手術成功の後で治療薬が合わずに亡くなった
それを思うと、自分自身も体調の微妙な変化を感じることがある

60代中盤までやったことも無かった散歩を始めたが、食事についてはあまり注意することはなく、自分で作る時は好きなもの中心になってしまう。
ごはん、ラーメン、塩分、キノコ、魚卵、海藻、豆腐、納豆、キムチ、とろろ芋、ジャガイモ、バター、ウィンナーソーセージ、牛乳、魚、肉、昆布類、卵、コーヒーが好きだが、洋風気味のパン、ヨーグルト、チーズ、それに酢は好きではない。
生野菜、野菜料理、果物、パスタは好きでも嫌いでもないが摂取することが少ない。
そんな中でもラーメンは大好物で、カップ、乾麺、生めんを一週間に5食は食べていた、ラーメンの食べすぎは塩分過多が一番よくない、それとインスタントには様々な添加物が入っているから食べすぎは悪影響がある、それに太る。

先月辺りまでは食欲が良くて、四六時中何かを食べていた、その為にいつもお腹は満腹状態、体重は68㎏前で止まっているので安心していたが、そんな時はたいがい胃や腸、口内炎などの不具合が生じる前兆だ。

そんな自覚症状があるので、この際、食事を見直すことにした
朝食は、朝食前に生姜湯を飲み、キュウイにオリゴ糖をかけて食べる、それからご飯一膳、みそ汁またはスープを二杯、今はキムチがおかずだ
卵は毎日朝食に食べていたが、週に3ケに減らした。
ご飯は、とろろ昆布や海苔のおにぎりにして梅干しやタラコ類を芯に入れる

昼食と朝食の間に、バナナセーキを作って飲む、コーヒーは一日一杯にした、これまでは毎日2~3杯飲んでいた
コーヒーを飲みたいときはミルクや紅茶、牛乳にしてみよう

昼食は麺類、またはパン、ラーメンは週1~2回に減らした、それとヨーグルトをオリゴ糖で食べる。

夕食は、野菜と魚、または肉、カレー、グラタンなど女房殿任せだが、ご飯前に、おかずではなく、おやつ的に納豆を一パック食べる
果物や甘いものは夕食後は食べない、コーヒーも飲まない
それと零時まで起きていたが、遅くても22時半までにはベッドに入るようにした。
零時に寝て8時に起きるより、22時に寝て5時に起きる方が遥かに目覚めが良い。 これで怠けている体操を再開できれば尚更良いのだが

若いころから大病はしないが、貧血、発疹、蕁麻疹など明らかに血液の汚れからくる軽症が時々起った
それで対処法を勉強してニンニクエキス(キョーレオピン)、酵素、スピルリナ、養命酒、肝臓強化(レバコール)の栄養剤などを常用してきた
銅とアルミの微量通電なんかも試して見たことがある
そのせいか貧血はなくなり、蕁麻疹も起きなくなった、もっとも発疹や蕁麻疹は若いころに3~4回あっただけだが、貧血はしばらく続いていた
貧血は栄養剤よりも酒を飲むようになったら治った気がするのだが。

韓国旅行をしていた頃は仁川空港で毎回「朝鮮人参(本サム)カプセル」をアシアナ特価で買ってきて飲んでいた、その効果はあって風邪などは数年に一回ひくくらいであった。
いろいろ試してきた貯金なのか、今も毎日元気に過ごしている
けれども最初に書いた通り、微妙な体調変化は起こっている
消化器系の不具合、口内炎、目の衰え、筋力の低下などを感じる
年相応に対処するときになったのか、まだまだ気持ちは元気なのだが・・・






予知夢?

2023年11月28日 21時27分00秒 | 病気と健康
 今日は一日中、激しい落雷と雨あられが続いて家から出る気にもならなかった

朝方、いつものことながらおかしな夢を見たが、リアルに覚えている

私が55年前に板前修業をした店に行くと、そこには同期を始め、若手の見習いなど10数名が居て親しく声をかけて来た
それから、そこを出て脈絡は無いのだけれど外を歩いている。
横には若い女性が一人一緒に歩いている、知っている人間なのだが誰だかわからない。 ただ私の店にいたかっての従業員ということはわかる、でも顔も姿も知らない人。

「ここです」と言って、一軒の料理店に入っていった
なかなか立派な、平屋か二階建ての大衆割烹で繁盛している
なんと経営者は、これもまた、目立たない大人しい人で、私の店で板前をやっていた40代の男。
それが見事な経営者になっていた(現実は大手企業の寮で調理をしている)
これには驚いたが、また女性と外に出て歩き始めた
今度は彼女の店に行くと言う、これも料理屋らしい
そして和風の大きな平屋の庭にやって来た、庭と言っても草木も池もない土の庭である、ところが建物側の土手の上から弓の矢が幾つも飛んできて、私の左右の土に突き刺さる、土手の上には兵士の姿も見える
なんと戦国時代の戦場のようだ、ところが彼女は「見てください、この矢は危なくない玩具です」
手に取って見たら、殺傷能力が無い玩具であった。

そして、いつの間にか攻撃は止み兵士もいない、安心してその建物に向かっていくと料亭ではなく寺であった
お御堂に入った、平凡なお御堂で真ん中には囲炉裏があって自在鉤で鉄瓶が下がっている。
そこにいたのは数か月前に亡くなった、2歳年下の魚屋Aくんだった。
「なんでここにいる」と聞いた(夢の中では彼は生きている)
するともともととぼけたことを言っては周りを笑わせる男だったが
相変わらずひょうきんな言い回しで
「体には気を付けましょうね、お互い」とか言うのである。
そこへ住職が来て、明らかに浄土真宗系ではない禅宗系の姿である
私はいたずら心が出て来て、この住職と問答をしようと思って話しかけた

そこで目が覚めた。

夕方、母と同じ持病が久しぶりに出て1時間ほど脂汗が出て苦しかった
しかし機転を利かせて対応したから医者に行くことも無く、なんとか自浄作業で落ち着いた。 原因はわかっている、不摂生だ。
持病ではあるが深刻な死病ではない、母もこの病と付き合いながら92歳まで生きた。

それにしてもAくんの言葉ではないが、体調を崩したので少し驚いた
今はようやく、こうして正常に戻りつつあるのでブログを書き始めた
きっと昨日の疲れもあるのだろう、それに昨日の暖かい日から、アラレが降った今日の変化に体がついて行けないのかも
確かに73歳ともなればセーフティな年齢ではない。健康には日頃からの気遣い、精進が必要だと思った。

PCの内臓photo


幻影 ?

2023年10月11日 09時27分25秒 | 病気と健康
 この数日、ずっと雨が降って時には激しい音を立てて降る
今日は予報は一日曇りで、あすからしばらく晴れ間が続くらしい
ところが朝から曇りの予報が、朝から結構な雨降りになっている

 先日の話 昼が近いと言うのに腹は減っていない
急に涼しくなって、ようやく散歩もできるようになった
それでも家を出るまでは、散歩することが億劫でたまらない
一足歩き始めると、たちまち散歩モードにスィッチは入って快適に歩き出す
歩きながらどこへ行こうか考える、表通りに出る30mのうちに行き先を決めるのが毎回のスタイル。

買い物に行こう、散歩がてらの買い物
目的があれば、その方が散歩もしやすくなる
(何を買おうか)
いろいろ考えているうちに腹が減ってきて急にカツを食べたくなった
「肉か」 父は魚屋で生計を立てたのに魚が大嫌いで肉が好きだったことを思い出した、俺も似て来た、50歳までは肉は食えなかったのに、今は好物だ。

そうだソーセージハムに、ブロックベーコンも買おう
頭の中で献立が次々と浮かんでくる
目的は散歩だから、散歩コースの最期にスーパーに寄ろう、なんといっても半生製品や肉だから1時間も持って歩くわけにいかない
スーパーからなら我が家まで15分くらいだろう、それなら問題あるまい

 途中で声をかけてきたのは、現役時代に取引があった自動車工場の整備士だったAさん
草野球でならしたスポーツマンのナイスガイ、トレードマークの角刈りは健在で確か私より少し年上だったと思い聞いたら 「80歳だよ、体の為に毎日歩いている」
顔と言い、歩く姿と言い、体形といい50代にしか見えない、やはり体を鍛えているスポーツマンは若い。

 スーパーにきて肉を買ったが、サンドイッチも旨そうなので買った
毎日、毎日、ラーメン、焼きそば、うどんと昼は麵ばかり食べているので炭水化物過多だ、たまにはパンを食べよう  ・・うん! パンも炭水化物か?
パンは正直好きではない、但し焼きたてのパンは別だ。

 家に戻ってパッケージに入ったサンドイッチを出してしげしげと眺めたら、パッケージの中で何か動いている?
改めて見たら、それは1,2ミリの野菜につく羽虫が一匹、パンの上をうろうろしている
女房殿にも見せたが、ルーペでなければ見えないので面倒なのだろう、空返事だ。

これはぜひともスーパーに持って行って交換してもらわねば
車のカギをとってきて戻り、パンをもう一度見たら、虫の姿が見えない
いくら探しても姿が見えない
パッケージをはがしてしまえば、たとえいても金銭目当のクレーマーだと言われかねない
冷蔵庫に入れたり、出したり、上にしたり、下にしたり、いろいろやってみるが姿を現さない
「しまった、最初にスマホでビデオ撮影しておけばよかった」動かぬ証拠だ
だが、既に遅し・・・もう交換はしなくていいけれど電話くらいしてこうか
と思って、連絡先を見たら、これはスーパーの直営工場ではなく、石川県のなんちゃらというパン工場で作っているらしい。

スーパーにクレームを入れれば、この会社が(規模は知らないが)最悪取引停止になるかもしれない、そう思ったらもう330円泣き寝入りを決めた
そしてパッケージをはがしてみたが、どこにも羽虫の姿はなかった
そこで思った。 (認知症になると幻影が見えることもある)

以前、そう言う人を見たことがある
「虫がいる」と顔を引きつらせて、身の回りをあせくらしく手を動かして追い払おうとする認知症初期の人だった
虫だけでなく、いろんな人が出てきたりもするようだ
それを思い出して・・・・・(あの羽虫は幻影か?)
ちょっと自分に疑問を持ったのである。

たぶんあれはパッケージの中間にいたんだろう、それが逃げて行ったんだ
そう言うことにして、自分を慰めた。


庭に現れた若いカマキリさん

 





健康 この頃のこと

2023年10月03日 09時22分42秒 | 病気と健康
 知人の女性が虫垂炎(盲腸)が破裂して面倒な状態になっている
とりあえず炎症をきれいにしてから開腹手術になるようだ
彼女は60代だから何とか元気にしているが危ないところであった

 私も25歳ころ盲腸になって手術したが、盲腸には急性と慢性があって、私は慢性だった。
慢性だと激しい痛みが無く、何となくお腹が重苦しい不快感が続くだけで、時折ちくりとした痛みがおこる

 医者へ行ったら耳タブをメスで切って血液を調べて「これは盲腸だな」
それから少し検査をして「一週間後に手術だ」と言って手術室を見せてくれた
タイル張りの小さくレトロな手術室であった

家に帰って、父に手術のことを言ったら、「それはダメだ、手術するなら医者を代えろ、命がいくつあっても足りん」と言う
私が見てもらった医師は●●という名前の後に「ヤブ」という二文字で呼ばれていた。 風邪やはしかでは何度となく世話になったが、手術となると話は別らしい。

一週間後と言われていたから、別の医者探しも慌てなかったが、2~3日後に夜も眠れぬほど痛くなってきて別のT医院へ行った
検査してから「明日手術だ」と言われた
手術が終わると先生が何かを顔の上にぶら下げて「これを見ろ」と言う
何だかわからない?「こうなるまで、どうしてほおっておいた」と言い
「盲腸だよ、先を見て見なさい黄色く化膿している、もう一日遅ければこれが破裂してたいへんなことになるところだった」
やはり最初の医師の言うことを聞いて我慢してたら、破裂するところだった
彼女もきっと慢性で、仕事が忙しくて我慢していたのだろう
なんとか無事に手術できるよう祈る。

 ボランティアの先輩も80歳を過ぎて初期のすい臓がんが見つかり、手術したがすっかり痩せこけてしまった。
高校時代の先輩は大腸がん検診でひっかかって再検査だと言うし、弟分の食堂経営者は大腸がんステージ3の手術を終えたばかり
60km先の町のボランティアの先輩も、手術で胃の大部分が無いが、最近こんどは大腸がんの手術をしたばかりだ。
どうも回りがよろしくないが、どの人も気持ちが勝っていて飲む気満々
超人ばかりで呆れてしまう。

 元気と言えば、父の従兄弟の最年長がとうとう100歳になった
わが町では統計上100歳以上は40人くらいいるようだが男性比率は10%と言うから4~5人の中の一人と言うことになる。

この人、Hさんは父より1歳年上で、25歳の時に一歳年下の父に嫁を世話して仲人をしてくれた人なのだ(おかげで私が生まれた)
齢ばかりでなく、顔も体形も似ていた。 二人で母をもらいに行ったら、母の母(私の外祖母)は「どちらが婿さんですか?」
Hさんは「こっちが婿さんで、私はもう女房が居ます」と苦笑いしたとか
(この時のお礼なのだろうか、後年Hさんの息子さんの仲人を父が務めた)

 父は戦後も戦前もずっと東京で暮らしていたが、終戦後3年で食い詰めて今の田舎町にやって来たが、最初に仲良しになったのがHさんだった
 父は戦争中は東京調布の高射砲大隊で武蔵野の中島飛行機製作所を爆撃に来るB29と戦っていた
一方、Hさんも群馬県太田市の高射砲隊に居て、中島飛行機工場の太田工場を爆撃に来るB29と戦っていたから、話が合うのは当然だった。

 父は93歳で亡くなった、Hさんは100歳の今も元気でいる、お互い長生きしたというものだ
大正生まれは割と長生きする人が多いと言うが、生前、父にそれを聞いたら「おれたち年代は、弱い奴は子供のうちに死んで、生命力がある奴だけが残ったから、当然のことだ」と言った
さらに戦争で生き残った運の強い人、生き残る術に長けた人、シベリア抑留でも生き抜いた頑健な人が残ったから、長生きして当然なのだろう。

今の時代は、きれいな衛生環境、薬や栄養剤、食糧事情、健康法、医療の発達、植物状態でも生かす先進治療などで平均寿命を延ばしている
そのかわり自宅の畳の上で大往生というのがぐっと少なくなった、施設や病院で亡くなる人が圧倒的に多い
もっとも下手に自宅で死ねば、家族の一人一人が警察に事情聴取されることになる。 人間不信の嫌な時代でもある。

健康寿命であれば、今の人間より、明治、大正生まれの方が上かもしれない。





 
 






黒にんにく騒動

2023年09月25日 08時37分30秒 | 病気と健康
最初に昨日終わった大相撲の事
貴景勝が優勝しましたが15日制になって4回目と言う11勝4敗での幕内優勝
格下の十両が13勝2敗の堂々とした優勝ですから、がっかりです。
それも真っ向勝負を挑んだ平幕下位の21歳の新人に対して逃げて勝ったのですから大関らしからぬ情けない優勝。
本気で向かって行って相手が居なかった熱海富士は悔しくて泣いていましたよ

まさか大関が横に逃げて、一番楽な省エネで勝ちを拾うとは、純粋な若者は夢にも思わなかったでしょう。
それほど今の大関陣には余裕が無いと言うことですね
霧島なんか千秋楽最後の一番で大関同士でやるはずなのに、平幕をあてられてなんとか9勝6敗
もう一人の豊昇龍も平幕相手でやっと8勝7敗の勝ち越しで来場所のカド番を免れるだけで精一杯。


 2年前までは黒にんにくを作って愛用していたから、なにかと体は好調で年齢以上の力を感じていた。
しかし生活環境が変わってしまい、今までは気にもしなかった支出が気になりだし、併せて相次ぐ物価値上げで、すっかり消費意欲をなくした。

黒にんにくづくりも例にもれず、一球300円以上する国産ニンニクを買う元気も無くなり、安く自家栽培してやろうと企てたのが畑つくりの始まり。
しかし見事にこれも大外れで、にんにくはほぼ絶滅したのだった、とはいえ小さいだけで料理には使った。

それでも心と言うのは立ち直るのも早いし、忘れるのも早い
急にやる気が出てきて、信州へ出かけて少しでも安くて立派なニンニクを探した
とうとう見つけて、さて作りましょうと思ったら・・・さあたいへん
今まで作っていた製造場は利用価値が無くなって、半年前に電気の契約を解除していた。
黒ニンニク自体は完成すれば臭いは大幅にカットされて気にならないが
製造過程の1週間は、それなりに空間に独特の臭みを発する。

しかし今さら数千円で買ったニンニクを料理のみに使うのも癪だし、第一大きなにんにくを使いきれまい。

意を決して、自宅で作ることにした。 
場所選びがたいへん、家族のそれぞれの部屋近くは駄目だし、台所、脱衣所、洗面所、玄関先、居間、隣家に近い場所、全てダメ
それで二階の私の部屋の前の物置で作ることにした、私さえ我慢すればよい

やって見て、予想外の臭いに焦った
今年は暑くて大変なのに、臭いがなるべく漏れないように窓も戸も閉め切って
コロナ対策ならぬ消臭対策で空気清浄機を二台集中
長い長い8日間が終わり、加熱保温気の電源を切った瞬間のよろこびたるや

その後も空調を3日間まわし続けて、今はすっかり家の中から臭いは消え去ったが、今後はもう作ることはない
しかし愛用している今、7月8月の「ぐったり感」は暑さと共に消え去って、いつものように晩酌をする気持ちも起きて来たし、暖簾をくぐる元気も回復しつつある。