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 神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)

神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

病気と酒のこと

2025年06月03日 17時47分51秒 | 病気と健康
 今朝は3時に目が覚めて眠れなくなったので記事を書いている。

 昨年の誕生日の翌日に入院したので、病気歴としてはひじょうに分かりやすくて、誕生日の翌日が入院記念日となった
それで5月で一年目の入院記念日を無事に迎えることができた。
 
 病気歴は74歳までほとんどない人生だった、だけど同じように大病しなかった父が80歳から不整脈、ガン、静脈血栓、不眠症、白内障、無呼吸症候群など次々と発症
だから私も80歳までは大丈夫と決めつけて、市の健康診断以外は医者とは無関係だった
ましてガンにはならないと思い込んでいたからガン検診はレントゲンだけの肺がん検診以外受けたことがなかった
ところが74歳で大腸がん(S字結腸)になってしまったから私の健康神話はもろくも消え去ってしまったのだった。
 
 こんな事態になったが外科医の先生のおかげで無事に手術も終わり、4か月の抗がん剤治療も特に副反応も起きることなく終わった
食欲旺盛でセーブするのがたいへんなくらい、体重も入院前と同じになった
72歳まで現役で働いていたが、コロナの余波で仕事を辞めていたのも幸いした
仕事の心配をすることなく全面的に闘病生活に取り組むことができた
先日は運動会にも参加したし、散歩は雨の日以外は毎日で30分~1時間歩いている。
 
 医者嫌いが一転、暇に任せて病院通い(検査)が一種気晴らしになってしまった
医師や看護師に会うのがなんとなく楽しい、また知り合いに出会うことも多いのでそれも交際範囲が狭まった高齢者にとっては楽しみである
そんなわけで、この一年の間に軽い病状もいくつか見つかって、都度診療してもらった
花粉症、白内障、逆流性食道炎などである
外科、内科、放射線科、皮膚科、歯科、内視鏡科、眼科と次々にレパートリーが広がっていく。
大腸のこともあって酒は飲まなくなったが、それでもTPOによっては・・と思っていたが荒れて炎症で真っ赤になっている食道の写真を見てからは超薄いお湯割り焼酎にした
大好きだった日本酒、生ビールはこの1年一滴も飲んでいない
飲まなければ飲まないで特に欲しいとも思わないから、根っからの呑んべいではなかったのだろう。
 
 そもそもタバコは18歳の春から吸い始めたが、酒は下戸の方だったから勧められない限り飲まなかった
30過ぎにタバコをやめてから酒を飲むようになった、50代から大酒のみの末端に加えられるようになった
大酒と言っても生ジョッキ10杯とか、日本酒1升が私の最高飲量記録だから「中酒飲み」くらいだろう、ただ週六くらいの頻度で飲み、月に5~10回は飲みに出ていた
友達と飲むときは3次会から4次会まで行くので帰宅は午前様があたりまえ、朝の4時まで閉店後のスナックのママを誘って飲み明かしたこともあった
ビールで始まり、日本酒になって、最後はウィスキーか焼酎の水割りで酔いを醒ますパターン
おかげで酩酊して転んで大けが、医者通いしたのも3~4度あり人前に2週間出ることができないほど顔にダメージを受けてことがある
頭のレントゲンを受けたこともある
5年くらい前には頭の中のGPSが壊れて、深夜歩き回ったが家に到着できなくなり、携帯でタクシーを呼ぼうとキーを押すが、思った数字を押すことさえできないで、放浪していたら会社についてそこで寝たこともあった
パトカーに出会ったら泥酔いの酩酊で留置所で寝たかもしれない
あの頃がピークだったんだな、翌日は胸焼けに、逆流していたから、あそこ辺りで食道は炎症になっていたんだな
大腸手術が無ければ重い食道炎か食道がんになっていたかもしれない
人生初の胃カメラ検査で見つかったのだった、何が幸いするかわからない。
 
 今は医師にいわれるまま検査を受けている、酒も飲まない(月一くらいで仲の良い友達とは飲むが超薄いお湯割りと決めているから酔うこともない)
ただ食道炎は完治することは無いということだ、それで悪化させないための治療
胃酸の逆流を抑える薬を飲む、もっとひどいと食道にバリアーの幕で覆う薬とかがあるらしい
私の炎症はステージ3で「かなりの重症ですよ」と言われた
胃酸逆流薬を飲んで1か月、症状が治またので弱い薬に代わった
今日は前回の検査の結果を聞きに行くが、食道炎についても処置の話がでるだろう。
 
 50代から病院を欠かせなくなった同級生がいる、心臓だとか膀胱だとかあちこちに病気をもってかなりの回数で病院に通っている
そんな友達を特別な感じで見ていたが、私もその仲間入りした
高齢者になって病院は切っても切れない存在になった。

*午前中に先月のCTと血液の検査結果を聞きに行ってきました
おかげさまで数値は健常者と同等だと言うことです、CT検査も転移などはないとのことでした、また一山超えることができました
次回の検査は8月。




CT検査の日

2025年05月27日 19時02分47秒 | 病気と健康
 ちょうど手術をした日から一年がたった
血液検査とCT検査をすることになった
この一年間でCT検査は3回目、MRIが1回、胃カメラ1回、S字結腸までの内視鏡検査1回、大腸内視鏡検査2回、血液検査はもう何回やったかわからない。

病院へ行くのは嫌ではない、むしろワクワク感がある
非日常の半日、総合病院は何百人の医師や看護師、介護士がいるのか、そんな人と出会うのも楽しい
もうこの歳になると私より若い職員、医師は一人もいない
しかし患者は私の年齢を中心にして半々か、いや高齢の方の方が多いかもしれない。

 最近、受付に自動の受付機が導入されて高齢者には評判が悪い
導入時には長蛇の列ができて、「予約時間に間に合わない」というブーイングがあちこちで起こったほどだ
今まで通り各科の受付窓口で口頭でいいんじゃないかというが、病院には病院の事情があるんだろう
今日の私は放射線科に予約してあったので、機械を通さず直接、窓口へ行ったら何も言われずにすんなり受理された
それから最初に血液検査に行った、時間は10時くらいだったら少しも待たずにすぐにしてもらった
相変わらず看護師泣かせの細い血管なので、若い看護婦さんは困って「血管見えませんね」と言う
私は「血も涙もない男なんで」と言うと笑って「そんなことないですよ、ここでもいいですか? 痛い場所だけど」と手の付け根を指さした
「なんどか、そのあたりやってるからいいよ、それほど痛くもないし」と言った
それで、そこの血管に針を刺したが、一向に血が出てこない、「別のところに刺したら」と言うと、「いいですか?」と聞いて、少し離れた場所に刺しなおしたがうまくいかない
さすがに痛い場所だから、何度もやられると私も(しまった)と思ったが
「ああ、出てきました」ようやく管の中に血が流れた
赤ワインみたいで、結構濃い血だなあと我ながら感心した。

なんとか済んだが、前回のは男性がやってくれたが苦も無く簡単に終ったから、やはり経験と腕の違いなんだろう
下手なのは三回も刺し替えて、三度目にベテランに変わってようやくうまく行ったこともある、あの時は内出血して腕が紫になった
そのあとCTでも三回目でようやく造影剤が注入で来たので、なんと6回も針を刺されたのであった
この採血所に来るたびに隣の、抗がん剤施術の部屋が見えて、その時のことを思い出す。

今日のCTの看護婦さんは見るからにしっかりした顔の人だったから安心した
やはり血管が細いと言ったが、これも右手の甲に針を刺してすんなりと行った
造影剤が入りだすと血管が熱くなり、それから上半身全体が熱くなる
飲みすぎた晩のような感じである
まあ、これも三回目だからあまり気にすることもなく終わった

会計窓口へ行って、例の受付機械の前に担当の職員がいたから「これ必要かねぇ~?」と聞いたら、「#$&・・&$#・・」聞き取れない
「もう診察は終わったんだけど」と言ったら、「じゃあ会計ですね、だったらそっちの窓口です」、ちょっとむっとした様子だったかな

順番札をもらう窓口へ行ったら、辞めた店で一緒に働いていた事務員が転職して病院に入り、この窓口で受付していて私を見てあいさつした
私は大きな声で「いよいよ後期高齢者になったよ」と言ったら、彼女も周囲の何人かも声を出さずに笑った。







がん手術から1年&ブログの移動について

2025年05月18日 05時53分34秒 | 病気と健康
 17日は大腸がん(S字結腸)で入院してちょうど1年目でした
「まさかの坂」あったんですねぇ、びっくりでした。
家系的に、がんにはならないと決めていたので73年間がん検診は一度も受けませんでした、みなさん思い込みはだめですね、毎年検診は受けるべきです
発見されたときには、こぶし大まで成長していて、腸壁にまで達していてもう少し遅ければ腸壁を破って「アウト」だったらしいです
救急で病院へ行った17日は応急で大腸カメラを入れて腸閉そくの狭い部分を広げる応急処置に6時間、深夜2時半まで内科医2人がかりで
27日の手術は予定を大幅に超える9時間の手術でした
なんとか「ギリギリセーフ」だったんです、25㎝腸を切ったらしいです。
幸いに人工肛門をつけずに済みました、これもこの場所では確率的にはかなり低いようで「ラッキー」としか言いようがありません
あとで知ったんですが、母方にがんの人が3人わかりました
母の従弟は大腸がん、私の従兄は肺がん、私の外祖父は喉頭がん
父も80過ぎて舌癌をやっています、今や二人に一人ががんの時代と言いますから検査は絶対すべきですね。
 
 ともあれ、一年なんとか無事に過ごせました、抗がん剤は4か月やりまして今は終了です、2か月に一回の割で検査(血液検査、大腸カメラ検査、胃カメラ検査、CT検査、MRI検査)などです
今月は手術からちょうど一年目の27日にCTと血液検査をします
食欲旺盛で体重も手術前と同じで友人も驚くほど元気に過ごしています。
 
 元気に楽しく明るい毎日を過ごす、そんな風にこれからも日々を過ごしていこうと思います。

なんとかhatenablogへの移動はできたようです、gooblogでお付き合いがあったみなさん何名かと再会しました、また相互登録してコメントのやり取りもしています。

Hatenablog以外からのコメントもできます。

https://yottin1192iso.hatenablog.com/

病院の日

2025年05月14日 11時08分28秒 | 病気と健康
 大腸がんの手術は、すい臓がんでは有名な外科部長と2名の外科医の3人でやってくれたと聞く
その後、手術に立ち会った外科医のY先生が担当医になった
40歳前後の先生で、坊さんのように髪はすべて剃っている強面だが、よく見るとあどけない可愛い顔でもある
この先生がお気に入りで、入院生活もなかなか楽しかった。

 退院してから2か月でY先生は富山市の病院に移動、代わりに30代後半くらいのK先生が担当医になった、このころはまだ抗がん剤治療中だった
しかし手術に立ち会っていないので、少し不安もあった、それにわりと無口で、痒い所に手が届く感じがしない、ようするに私にとっては「物足りない」先生だった。

 ところが先月また担当医が変わった、K先生はこの病院にきて一年足らずでまた移動していった、1年で担当医は3人目、嫌な感じ
そして3人目の先生に会った、なんと40才前後の女医さんだった
一気にご機嫌は直った
それにカラッとしていて、こちらから質問するとわかりやすく答えてくれるし、説明もきちんとしてくれる、ユーモアセンスもある
気取っていないしフレンドリーな先生だ、しかもK先生の時は2か月に3回くらいの面接だったが、女医さんになってからは毎月2回の面接になった
もっとも大腸がんのほかに、逆流性食道炎も見つかったからなおさらなのか
とにかく薬の説明を細かくしてくれる、今までの先生は「お薬だしておきます」しか言わなかったからね。

 昨日は出かける前に、予約票を見て時間確認しようと思ったら、予約票には27日のCT検査の予約しか書いてない「あれ?」勘違いしてたかなあ
と思ったが、とりあえず外科窓口で聞いてみようと思って家を出た
窓口で確認してもらったら、やはり今日は受診日であった
特に治療も検査もなく、薬の効き具合と体調確認のための先生のオフレコだったようで、予約票に記入がされなかったらしい
特に問題もなかったので、食道炎の薬を弱いものに変えた。

 いつもの調剤薬局へ行くと、またいつもの薬剤師が出てきて窓口係と代わって話しかけてきた
どういうわけか、この薬剤師、私の顔を見ると出てくる、にこにこ笑って出てくる、私も彼には波長が合う、要するに私同様人と話すのが好きなのだ
話し相手にもいろいろあるが、漫才コンビのように流れるように交互に隙間なく話せる相手というのは面白く楽しい
彼も同じ人種らしい
とにかく、薬の「うんちく」から、飲み方、体調管理を教えてくれるし、私の病気と体調、数値を知りたがる、「いつでも病気の相談に乗りますよ」と言ってくれた、数年間病院勤務もしたと言っていた
最低でも10分は話す、この前は20分以上話した
もっとも、若い薬剤士はわりと薬の説明をこまごまとしてくれる人が多い
たまに行く別の薬局の薬剤師も良く話した
それとも逆に私が話しているのか?

八ヶ岳の主脈 蓼科より


ララのテーマ(パーシーフェイス)

市の検診

2025年04月22日 07時06分16秒 | 病気と健康
 一昨日、市の健康診断を申し込んだ
病院で3か月1の検査をしているから良いと思っていたら、医師が「ここではガンの検査をするだけですから、他の病気のことは(高血圧、糖尿病、肥満など、心臓疾患、脳など)市の検診を受けてください」といわれたからだ
なるほどもっともだ、歳と共にいろんな不具合が出てくる
ガンでないにしろ、胃腸の不調、便秘などは関連しているから当然で、胃カメラで発見された食道炎は重症の方から2番目のレベルと言われたし
初めてかかった眼科では、ついに白内障が決定した。

 市の検診は2年連続で申し込んだが、受けることができなかった
去年は入院して受けることができなかったし、その前の年も申し込んだが熱だか咳だかで受けられなかった
今回は申し込んだら夏前はほとんど埋まっていて、7月の空きになんとか食い込んだ、申し込むのが遅かった。

 一昨日にスマホで申し込んだとき、保険は国民健康保険だったが、昨日、後期高齢者保険証が届いた、いよいよ最終ラインの「後期高齢者」の仲間入りか
少しわびしい気分だ。「後期」なんて「末期」よりはマシだが、あまり良い名称ではないな。

 検診はどちらでも無料だが、これからの医療費は2割から1割になる
多いときは3割負担だったが、それだけ収入が減ったのだから手放しで喜べない、とはいえもはや収入が増える可能性はゼロ、仙人のように自然相手に気楽に暮らしていこう。


夜霧のしのび逢いLa Playa (1964年)



病院で血液検査と胃カメラの結果発表

2025年04月08日 15時04分01秒 | 病気と健康
 トランプと言う男はたいしたものだ
日本の株価を大幅下落させ、世界経済を混乱させている。
 プーチンも敵味方何万人も殺したが、戦争は消費経済、世界経済への影響力はトランプと競う、世界80億人は今、このたった二人の人間に右往左往させられている。

 今日は病院で血液検査をして、前回の胃カメラで取った三個のポリープの検査結果を聞いた。
4月になって病院の医師の入れ替わりが何人かあった、前回までの外科医K先生は移動して、今回から新しい先生になった
ありがたいことに女性の先生だった、医師に関して言えばわりと女医さんの方がきっぱりと言うので話が早くて良い
まずは採血室で血液検査から始めたが、ここでは珍しく男性にあたった
血液採取だと男性の方がうまい、私は欠陥が細くて医者泣かせだが、今日の担当者はアッというまに採血を終えた
血管探しから採血終了まで30秒足らずだった
いつも女性看護師だと血管探すのに1分以上、下手なのにあたると3日いくらい針を刺されて青あざができることもある
今日は簡単に済ませてもらって感激した。

女医さんからまずは逆流性食道炎の話があった
4段階で言えば、ひどい方から2番目だという、それで真っ赤に腫れている食道をどうこうする前に、胃酸の逆流を抑える薬を先にやってみたいという
二週間、薬を飲んで二週間後に経過を報告してもらいたいということになった
その結果次第で次の対処法を考えるとのことだった
切り取ったポリープは良性で問題なかった、前回数値が少し気になった腎臓数値は、今回は普通に戻っていたので心配ないという
それ以外の部分も特に悪いところは認められず、カメラ、血液共に食道炎以外はOKだった。
「5月には一周年記念に造影CT検査をしましょう」と言った
若くてなかなか砕けた先生だった
薬も食道炎の薬と、便秘薬と、時には花粉症の薬も飲むので、これらを同時に飲んでよいか聞いたら
「大丈夫です、私もこれをみんな飲んでますけど、なんでもありません」と笑った、なんか親しみを感じたね。

終ってから処方箋を調剤薬局にファックスで送ってもらって、時間つぶしに友達の食堂へ行った
鍋焼きうどんに特注でエビ天ぷらを入れてもらい、ちょうど店にやってきた知人夫婦と同席してあれこれと話をした
これで30分くらい時間が潰せた、それから調剤薬局に行ったら薬はできていた

 ここの店主なのか店員なのか知らないが、3年ほど病院勤めをしていたという、前回も親切丁寧に目薬の差し方なんかを教えてくれたが
今回も「お薬手帳」を見ながら、あれこれ質問してきた
薬と病気の関連性が彼らはわからないので、薬の説明や危険性などを説明するのに関連性を知ることは必要だという
なるほど、本来は医師がこのようにやってくれるべきだが、田舎の医師は人手不足で忙しすぎてなかなか、そういう時間をとれないのだ
私は「この病気で、この薬をもらった、この病気は関係ない」などと説明したら、いちいちうなずいてメモを取る
そして薬の飲み方、副作用など丁寧に教えてくれて、もし副作用とか症状がおかしかったら、ここに直接話してもらえば、相談に乗ります、とも言った
今日も30分くらい、薬や症状に対するいろいろな相談をした
一番気にしていた、食べてよいもの、悪いもの、食べ方なども丁寧に教えてくれた
今日は、なかなか良い日であった。

 そのあと、薬局のすぐそばに合碑廟があるので歩いて墓参りに行った
今日は廟の隣の薬師堂が御開帳になっていて、薬師如来にお参りしてきた
周辺の桜など、様々な花が満開だった。







 




調剤薬局と目薬のこと

2025年03月30日 20時07分16秒 | 病気と健康
*ドジャース開幕5連勝、どこまで行くんだ?

 先日、花粉症状で内科医にかかりましたが、その時のことは書きました
薬局で初見の若い局員が親切だったことも書きましたが、具体的にいうと、目薬の使用方法を身振りを交えて丁寧に教えてくれたのです
「何滴差していますか」と聞かれたので「2~3滴」と答えたら
「それは多すぎます、溢れるでしょ」と言われて、そういえばそうだと思った
局員が言うには「一回一滴でよいです、それから刺した後に何度も瞬きされる方がいますが、あれは間違いです、瞬きで薬が流れ出てしまいます
差したらすぐに目を閉じて、涙腺を左手の中指と人差し指で抑えて20~30秒待ってください」とのこと
「刺した目薬は流れて涙腺のところにある涙袋に溜まりますから、目を閉じていれば大丈夫です」
なるほど一回一滴なら、二滴の倍長持ちする、いままで損していたんだなあと思いました
目薬も2000円近くしますからね、とはいえ医者にかかって調剤薬局で買えばはるかに安いですけどね、疲れ目だけなら直接ドラッグストアで買ってしまいますね
まさに「目からうろこ」ならぬ「目から目薬」のお話。

 大阪の姪は、こうした調剤薬局や独立する医師のお手伝いをする仕事をして、大阪、富山、新潟を飛び回っています。






今日は初めての眼科での検査

2025年03月21日 16時59分29秒 | 病気と健康
 一年くらい前から右目の視力が落ちているのに気づいた
左目に比べて視力も明るさも色合いも見える大きさも違う
ずっと気にしていたが、この町には眼科医は一軒と総合病院だけなのでいつも混んでいる
妹は去年、白内障の手術をしたが隣町まで行った、そこもやはり混んでいるがわが町ほどではない。

しかし5月には免許書き換えがあるので、ここで目の検査で落ちては困るから、それにずっと目の検査をしていないから白内障や病気も考えられる
それで意を決して予約申し込みをした
予約電話の日から3週間、ようやく順番が来て、今日行ってきた。

予約時間から30分ほどで番が来た、スタッフは6~7人いるが全員女性だ
まずは技師が機械で何やら調べた後、視力検査、右目は0.3くらいしかない
それでまた廊下で待つ
次は別の機械で別の技師が眼底検査、写真を10枚ほど撮りますと言った
半分はフラッシュでまぶしい

今度は女医さんが口頭質問してから目の検査、麻酔の目薬をしてから眼球にレンズのようなものをくっつけて見る
「水晶体は透明です」と言った、濁りがないということなのだろう
それから何かの目薬をさして廊下で30分待つように言われた
「だんだん見えにくくなってきますから、自動車の運転は最低3時間はしないでください」と言われた
30分後、女医さんは目の角度を変えて検査、それから眼底検査の写真を見ながら、「右目は白内症が進んでいます、いつ手術しても良いレベル、左目も白内障が少し見えますね」と言った
右目がかすんで見えるのは白内障だったんだ
免許書き換えは左目が1.0あるので通るでしょう、次回は半年後に予約しておきますから、その結果で考えましょう
白内障手術するなら、いつでも申し込んでください」と言った
心配していた緑内障などの他の病気は無かったので、まずは安心

他の患者さんを見ていたら、みんな次回は半年後だった
看護師さんの話では半年先までずっと混んでいるとのこと
白内障手術の人とも話していたが、片目は9月、もう一方は11月だと言っていた
私が10月に検査して、そこで手術を申し込めば、来年の春になるだろうな

しかし女医さん一人で50人以上の患者を診て、てきぱきと裁いていくのはなかなか勇ましい
しかも午後からは週二回は手術、別の日は週三回検査だ、尊敬します
医者とは偉いものだ
人のうわさで、この病院はだめだ、などと言うからガンになるまで内科にもかからなかったが、がん手術以来すっかりこの病院を信頼した
そして、この10か月で内科、内視鏡、放射線、皮膚科、歯科とかかって、今日は眼科
たまたまボランティア仲間にここで会って話したら、「それじゃyottinさん、全科制覇と行きますか」などと言われた

まだ2時間帰られないし、それでも外に出て近くの公園へ行こうと思ったら
なるほど真夏の太陽のように眩しい、なるほど、これでは運転などできるわけがないと車の中で少し休んで
それから病院内の食堂へ行って昼飯にした
板前のおじさんと、手間とりのおばさんの高齢者コンビ、お客さんは12~3人いた、みんなメニューが違うのによくやるもんだと感心
私のうどんが出来たのは25分後だった、前に7人ほど待っていたから仕方ない
どっちにしても2時間あるのだから気にならない
誰一人、文句言わずに待っていた。

昨日の散歩道 すっかり春めいて





からだ革命とコロナ、加齢、病気の関係

2025年03月19日 11時21分45秒 | 病気と健康
 心持なのか、体調なのかわからないが飲食に関する嗜好がすっかり変わった
その始まりが外食や宴席が無くなったコロナ時期からなのか、仕事をやめたからなのか、それとも年齢のせいなのか定かでない。

コロナが日本に上陸したのが2020年1月、半年後には2万人以上の感染と1000人近い死者が出て安倍総理が「不要不急の外出をしないように」で飲食業、宿泊業、観光業、遊技場、劇場、理美容業などの受難が始まった。
しかしまだ田舎では感染者の少ないときから都会並、いやそれ以上に神経質になって外出する人はいなくなり、懇親会、旅行、外出、法事もしなくなった
毎週末何百人もの料理を作ってきた店が、一日数個から数十の1000円、2000円弁当だけになって休業する日が多くなった
田舎でもただ事ではないとわかってきたのは2022年の1月だから、すでに日本上陸から2年、その間耐えに耐えていたのだが、まだ先が見えない状況だったので仕事を離れた、年齢的にも70過ぎていたし体もキツくなりだしていた
ちょうど潮時であったのだ。

当然ながらコロナ時期は、自分が参加していた飲み会もなくなり、スナックなどを飲み歩くことも無くなり家で飲んでいたのだった
だが一人で飲んでいてもむなしい、だんだん酒量も減ってきた
コロナが終わりの宣言を出されたが、その時には73歳くらい、もう同級生も同じく歳をとり病気がちの者も多くなり、自然飲みに出る回数も激減した
旅行も気分のノリが悪くなってきた、歩けない同級生が増えてきた
そうこうしているうちにわが身も大腸がんを患って、人生初の手術
以後、酒は同級生や同好の仲間との懇親会(年に数回)以外は飲まなくなった
それも薄い焼酎のお湯割り2~3杯だけ
50代、60代は午前様が当たり前、三日間続けて飲みに出ているのも珍しくなかった
とにかくよく飲んだ、65歳過ぎても調子に乗ると中ジョッキ10杯飲んだこともある、いつも酔っていた、特に日本酒が好きなのはいろんな会の後輩たちが知っていて、次々に私を酔わせようと注ぎに来たものだった
あの頃は魚市場でも現役だったから元気もあったし、魚屋仲間や、ボランティア仲間、金融機関、商売関係、同業者、ゴルフ仲間、旅行仲間、飲み友達やプライベートでも飲み歩いた
深夜の3時、4時までなんてのもあった、友達も呑み助ばかりだった
めちゃくちゃに浴びていた20年間だった。

それが2022年、72歳を一期にほぼゼロになった
最初に書いた4つが同時に来たからであろう(コロナ、離職、古希、病気)
今は少しも飲みたくなくなったのだから、あまりにも気持ちの切り替えが鮮やかすぎないか・・・
でも、私には、そういった気分転換がうまいところがあると思っている
自分を制御するというか、それは病院でのいろんな検査や手術入院でも感じる
自分自身に精神的な麻酔をかけてしまうのだ
それがまたよく効く、ある意味、頑固ともいえる

がん手術をしても、あ~こ~言って、少しも養生せず酒、たばこ、暴飲暴食を続けている人もけっこういるようだ
でも人は人、私はもうそこには戻らないだろう
けれども、手術以後、食べ物に制限があるのは少しストレス
大腸にたまるものや、揚げ物、消化が悪いもの、刺激がある香辛料は控えるようにとのこと、ただ担当医に退院の時に聞いたら「なんでも食べていいですよ」とも言われた、じゃあ自制しているだけなのだろうか、でも怖いんだよね

肉(牛肉、豚肉、モツ)、野菜(ごぼう)、魚(たこ、いか海藻(わかめ、もずく、こんぶ、のり)、キノコ香辛料、餅、ラーメン、日本そば、こんにゃく、メンマ、コーヒー、酒、生もの(さしみ、ステーキ)、柿、柑橘類(酸)、パイン、メロン、スイカ、苺、粒あん、枝豆、するめ、イカの塩辛、明太子など
漬物(たくわん、野沢菜)
太字は好物だから、ほとんど好物を食べられない、少し考えすぎだろうか
少なめなら良いと思うが、結局自分の体、自分が考えて自己責任を負うしかない
豆腐、納豆、ヨーグルト、牛乳、柔らかく蒸したウナギ、うどん、鶏肉、
大根、キャベツ、白菜、カキ、白身魚、などは食べてよい


ウイスキーが、お好きでしょ 石川さゆり  

明治座で石川さゆり公演見たけど(長崎ぶらぶら節)、本当にさゆりちゃんよかったなあ。

大腸内視鏡検査

2025年03月18日 20時40分36秒 | 病気と健康
 今日は退院以後2回目の大腸内視鏡カメラでの検査だった
朝9時に病院へ行って受付、血圧と体温を測ると、すぐに個室へ
そこで2Lの下剤薬が用意されて4回に分けて1Lを1時間で飲む
1L飲んだら、水を500㏄飲む
その後は様子を見て、500㏄下剤水を飲んで、再び水500㏄
約2時間たって11時半になった。



検査は1時半からなので高校野球を見て休憩
そして看護師さんが着替えを持ってきた、後ろが開くようになっている長いトランクスと入院ガウンに着替えて検査室に入った。

今日の担当医は30~40代の若い女医さんだった、幸先よし
いつものごとく、捨て身で力を抜く、それでも要所要所で思わず手に力が入るので、都度力を抜く
頭の中で歌を歌うのはいつものことだが、続くわけもなく
(因みにうたったのは「星に祈りを」「Fly me to the Moon」
じゃあ実況中継してみようと始めたが、聞いているのは自分だけですぐやめた
今度はなぜか突然頭に浮かんできた「Japan has a long history」の英文
これを、単語などいろいろ分解して入れ替えて遊んでみた
これをやっている間は気がまぎれるので、特に痛いとか、気持ち悪いとかなかった
感じる場所は尻の入り口とカメラが当たっている先端だけで、途中は何も感じない
自分から見て左側の部分がある程度の痛みや不快感を覚える
なにか特別丁寧に調べているのだろう
そう思った矢先に先生が「今、帰り道なんやけど、ここにポリープがあって、これ取りますか」
「取った方がいいですか」
「小さいからね、今取った方が、あとで大きくなってから取るより簡単やわね」
「取ったら今日は入院ですか?」
「いえ、小さいから終わってから2時間ほど休んでいけば、入院はせんでいいよ」
「それなら、やってください」
というわけで、一回目の時も見つかっていた3個のポリープを切除」
終ってから画像を見ながら、先生が説明
結局、大腸内にはがん細胞とかは無くて無事異常なし
そして3個の切除されたポリープも見た、1ミリ程度のほんとうに小さなやつ
それでも切り取った後は血が流れていて自然治癒に任せるとのこと

外来のベッドルームで2時間、点滴を受けて休憩、カメラが体内にいた時間は逆算すると30分だった
そして帰宅したら、もう5時だった
何はともあれ、めでたし、でも今日明日は風呂に入ってはいけない、明日からはシャワー程度、水は17時半まではだめ、食事は19時までダメ、消化の良いものを少なめに、もちろん酒とタバコは一週間くらいダメ(飲まないからよいけど)、運動はしない、散歩もできればストップなどいろいろ制約がついた。

先月は胃カメラ、今日は大腸カメラと検査漬けだったが、無事に済んでよかった、21日には今度は眼科で目の検査を受ける。

豊昇龍休場、新横綱の金星授与3個は戦後タイ記録で、栃ノ海以来61年ぶりの快挙?  
新横綱の休場も双羽黒以来40何年振りかの記録だとか
まあ8勝7敗の後二場所の好成績だけで、焦る協会が急いで造ったインスタント横綱、もうひと場所待てと僕は言ったのに・・・
悪口言われっぱなしの豊昇龍が可哀そうだ、豊昇龍に罪はない。