神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)

風吹くままに 流れるままに
(yottin blog)

この頃のこと

2018年03月27日 10時46分46秒 | 季節と自然/花

ようやく春めいてきました、今日で3日間、気温10度以上の陽気が続いています

雪国の人間が四ヶ月、我慢に我慢を重ねて、ようやく訪れたポカポカ陽気

北国の冬の凛とした空気は気持ちよいですが、ジメジメした暗黒の冬は心が沈みます

何もする気にならず、かといって嫌でも重労働の雪かきはしなければならない

雪の始末で、近所同士がののしり合う、まったくうんざりする冬

ようやく、それも終わります

これから歳を重ねていくと、ますます冬が辛くなる。 父の家の隣のお婆さんは冬になると

関東に住む息子さんの家に退避しています。 私も両親が亡くなって、近い将来は

冬は太平洋側で生活しようかと思っています、女房殿は信州や雪国が好きなようなので行かないだろうけど

温かな日を待っていたのは人間ばかりじゃないみたいですね

P子さんも、嬉しそう

今日のラーメン

地物キャベツを炒めました

地物ヒラメ、4kg級の大物の「えんがわ」を握って見ました、脂はいまいちでした


肩痛 整体に行った

2018年03月25日 19時59分27秒 | 病気と健康

一ヶ月前から右肩の内部から神経痛のような鋭い痛みで、早朝目が覚めるようになった

起きると痛みは和らぎ日中は平気なのだが、段々痛みの時間が長くなってきた

そして右肩から指先まで神経の通り範囲が広がっている

しかし痛みの度合いは鈍痛に変わって来た

肩でも腕でもtの片でも、背中でも、押すところ全てがこりの痛みが

昔から体が硬く、いつも首、肩、背中がこっているから

シティホテル、ビジネスホテル、温泉宿、どこに行っても就寝前にマッサージを頼む

たまたま先方の都合でマッサージが出張アロマオイルマッサージに変わる事もあるが・・

横浜のホテルで宿泊したときは、実に3時間も揉んでもらった事がある

50代のマッサージさんで、なんと埼玉から通っていて、今夜が最期の仕事だと行った

ほんとかどうかは知らないが、本人が自慢するとおりまことに上手で、途中寝てしまったりして

延長を重ねた

過去にも1時間の延長はあるが、あのときは2時間延長したのだから・・自分でも驚き

料金も当然3倍かかった

 

蛇足はやめて本題に

女友達が経営する整体マッサージへ行って、こうこうしかじかと話して、30代の兄さんに

治療してもらった。

第一声が「体のバランスがそうとう崩れていますね」「背中がこりで固まってふくれあがっていますよ」

「右の肩が極端に下がってますね」「こんな状態で一ヶ月もほおっておいたらだめですよ」

1時間、揉んだり、引っ張ったり、まわしたり、肘で押したり、かなりの荒療治

今回ばかりは、どこを押されても「痛気持ちいい」

簡単には治りそうもないので、来週も予約してきた。 運動不足とパソコン時の姿勢の悪さを指摘された

少しは筋肉がつく運動をしなけりゃならないな

 

 


55年前のレコードを聴く

2018年03月21日 17時06分13秒 | 音楽

中一の時、同級生から買った「ラ.ノビア」の中古レコードが始まりで、買い続けた

もっとも父は自分で手動式の「蓄音機」(レコードプレーヤーとは言わない)を作るくらい

家電には強い人で、終戦後こちらに来てから17cmのSPレコードを聴いていた

大きいけれど片面1曲、特に好きだったのはA面「シェーン(遙かな山の声」だっけ?」

B面は「アンナ」だった。

 

私は中学校、高校とブリテッシュロックやアメリカンポップス、カンツオーネなどを買い集め

社会人になって吉田拓郎や井上陽水を買った

ビートルズはオデオンレーベルで揃っているし、手入れも時々しているから今も健在

 

今朝は3時半に目が覚めて、冴えてしまったので久しぶりにイヤホーンでレコードを聴いた

1970年前後の映画音楽集「イージーライダー」とか「風と共に去りぬ」など

夜中に聴くのも良いものだ、ついでに眠くなるように甘口の白ワインをグラス1杯

5時になって、ようやく眠くなって、ベッドに潜った

それから天然色の妖しい夢を見続けて、目が覚めたら7時だった

今朝はシンプルに卵かけご飯とハム、味噌汁、それでおしまい

8時半のゆっくりご出勤でした。

 

 

 


インバウンド(田舎はつらいよ)

2018年03月21日 08時32分36秒 | 時代検証

ちょっと斜陽化してきた安倍政権だが、安倍政権の功績の一つとして、外国人観光客の誘致がある

細かい数字は覚えていないが、5年前と比べても数倍の数千万人が日本を訪れた

長野県や新潟県、北海道ではオーストラリア人のスキー客が激増している

更に中国、韓国、台湾、フィリピン、タイなどからの観光ツアーは京都、東京などのメジャー観光地から

地方観光に流れ込みだした。

日本人さえ忘れている、日本の原風景を外国人が求めている

そんなわけで観光業の端に位置する我が店にも去年は、台湾団体ツアーの食事、韓国人夫婦宿泊

個別に訪れるレストラン(和食)客なども次第に増えている

こんなわけで、いよいよ「田舎だからいいや」と目をつぶっていた何点かも、いよいよ無視できなくなってきた

その1は「外国人との会話」中国や台湾の為に中国人を10年前から雇用していることは以前にも書いた

韓国人には、最少必要事項の片言くらいなら私が話すし、問題は英語だ

これは我が町全体に言えることなので、町も10年くらい前からインバウンド対策に力を入れ初めて来た

欧州から観光アドバイザーを雇用して常駐させ、外国人誘致や、その対応の講習会などを開催している

昨日も外国人接遇講座があって、我が店からも男女1人ずつ参加させた

さらに4月から4年目と、今期入社する女子社員2人に個別指導で英会話を学ばせることにした

私も習おうと思っていたが、父母の相次ぐ死や、会社の定款変更や決算など様々な手続きだけで

5月いっぱいまでは何も出来そうもないのであきらめた

もっともジャマイカンと適当に会話が成立するのだから、その程度でもいいやとも思っている

 

昨日もレストランにふらりと30~40代の白人女性が訪れた

単語の組み合わせとメニュー表でスムーズに行ったし、トイレの案内、道案内も小学生並みの単語で

出来た。

あとは会計システムだ、田舎町ではクレジットカードを使える食堂は少ない

わが家では宿泊もやっていたので30年前に導入したのに、使っていた風がない

とうとう先日、カード会社から解約通知が来た、機械の返還も求められたがどこにもない

私が入社する以前の話しで、当時の社員の半分以上が天国にいる、聞いてみようも無い

それで新たに導入すべく、今銀行と話し合っている、やはりネックは手数料だ

献立も含めて、急いで解決すべき課題である

 


ノッテルひと  落ち込んでる人

2018年03月19日 10時14分06秒 | ゴルフ・スキー・スケートなどスポーツ

20歳の大坂ナオミが、世界テニス界の格付け準トップクラスを制覇した

世界ランキング1位の女王を2-0のストレートで破り。 元世界一無敵のシャラポアも破った

ほとんど上位ランクの選手を破っての堂々の優勝だ、世界44位から20位台に上がる模様

 

将棋界に現れたスーパー中学生藤井聡太6段、国民栄誉賞、羽生善治さんをも上回る逸材だ

7段も、もう目の前だ

 

羽生 結弦、60年ぶりとかの世界フィギュアでのオリンピック2連覇達成

まだ20歳そこそこ、2022年3連覇なるか

 

「そだね」で一躍有名になった女子カーリングチーム「LS北見」のメンバー本橋麻里、鈴木夕湖、吉田夕梨花、

吉田知那美、藤澤五月

みんな20代だけど、なぜか「めんこい」愛くるしさを感じるのは、北海道で伸び伸びと育ったせいか?

お嫁さんにしたい娘さんばかり、銅メダルでも金の価値あり

 

金メダルのチームパシュート 高木美帆、菊池彩花、佐藤綾乃、高木菜那&個人種目の小平奈緒

高木菜那は新種目の個人種目で金も、美帆は金銀銅すべてを

小平も金メダル、今や高木姉妹、小平は世界のトップだ

 

逆に落ち目、不調の選手達

ゴルフ界の天才と言われた石川遼は結婚と共に落ち込んでしまった

相撲界10年ぶりに日本人優勝した琴奨菊も次の場所で横綱と騒がれたがこちらも結婚と同時に転落

鳴り物入りで大リーグに移籍した大谷 翔平は二刀流のどちらも大苦戦。 投手としては全く勝てず

最近に試合は大量失点、1昨日は1回3分の一で7失点2ホーマー浴びる、今朝は打者として5打数

ノーヒット2三振 打率も1割行ったか?

これから奮起できるのか、それともメジャーで埋もれるのか、ちょっと早まった感はあったけど

まだ若いからつぶしはきくだろう。

高梨沙羅ちゃん、きれいになった度に反比例して成績がダウン、新記録まで一勝残して勝てない

ほんと勝てなくなった

オリンピックで力振り絞っても銅メダル、楽々連勝してたのに今は勝ち方を忘れた、再起なるか

挙げた拳を下ろすタイミングを失っているうちに、自分の頭に落ちてきた拳

愛弟子がお膝元でまさかの暴力事件、まるで仕組まれたみたい

飼い犬に手を噛まれたような貴乃花親方、本当に殴りたいのはオレだ!って気分だろう

 

最期に支持率30%台になった安倍内閣、余裕で野党議員をからかっていたのに、今や

冷や汗で防戦と言い訳に追われる余裕のなさ、盟友の麻生さんと愛妻を疑われ苦しくなった。

嘘が嘘を呼び、苦し紛れの組織ぐるみでは疑惑も・・・・部下切り捨てが見苦しい麻生さん・

猫の目内閣、毎年変わる総理と外務大臣に終止符をうった安倍内閣は安定政権で世界の中での

日本の信用を取り戻してくれたが、奢りが生じたのか野党を愚弄し、増税に突っ走った

今、アジアが危険水準で大きく動こうとしているときに、安定政権の危機、政府批判しか出来ない野党

日本国の危機だ。 こんな時に現れる命がけの坂本龍馬、西郷隆盛、大久保利通、勝海舟はいるのか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


父の庭の花

2018年03月18日 15時02分45秒 | 季節と自然/花

梅に誘われて庭に出てみたら、そろそろ春の陽気に浮かれて、少しだけ花が咲き始めていた

ゆっくりと見たことも無いし、興味もなかったが、今はずいぶん心境の変化が出てきた

もしかしたら、花に興味が出てくるかも知れない

花の名前は知らない、水仙くらいはわかるけど、それも自信があるわけではありません

教えてもらえば、ありがたいです

黄色いのは水仙ですよね、後にも紫の何かが蕾、携帯なので画像悪い

今度はカメラで撮ってみます


父の庭に梅が咲いた

2018年03月17日 20時04分28秒 | 季節と自然/花

父の家には南向きの陽当たりの良い小さな庭がある

父が元気な頃、時々庭へ出ては手入れをしていた。

私はジャコバ以外、草木花を育てるのは全く興味がない野暮天だが、見るのは好きだ

父は果実が成るものも好きで、これから何か出来るかも知れない

 

今日は快晴で気持ちが良いから、南向きの縁側の戸を開けて、仏間にも光をいっぱい入れた

何気に庭を見たら、青空を背景に白梅が開花していた

梅の実をつけるのは知っていたが、花が咲いたのを初めて見た

これからは私が、ずっとこの景色を見ていくのだと思ったら感慨深かった

  

 

  

 

  

「桜切るバカ  梅切らぬバカ」なんて父は言ってたな。  オレも勉強しなけりゃいけないな

 


めんこい弟子の成人式

2018年03月14日 21時10分19秒 | 知人・友人

2年前の2月~3月の一ヶ月半、当時高校生だった「めんこい弟子」が調理を学びに来ました

私が直接、包丁の持ち方、研ぎ方から、基本料理を教えました

雪道を毎日休まず、一日3時間勉強していきました

金沢の栄養士の大学に入るので、調理も覚えたいと言って来た積極的な女子

頑張りやさんでした

昨日、成人式の前撮りに地元に来たので、是非私と写真を撮りたいと言って、店まで訪ねて来て

くれました。

こちらは雪が深いので、成人式は5月のGWに行います

「めんこい弟子」も、もう20歳か・・・感慨深いものがありますね、私は娘が居ないから尚更

この子との当時の記事は26年2月11日、22日、3月13日と17年3月2日4回あります

お酒が好きだという彼女とは当時から「20歳になったら金沢で飲もうね」と約束しました

いよいよ、その時が来ました、金沢デート楽しみだけど、彼女のパパが「私も行きます」だって

まっ いいか!

でも、わざわざ会いに来てくれるって、ほんと嬉しいです


ともだち****失恋

2018年03月12日 08時46分44秒 | 知人・友人

高校2年生の時失恋した

失恋する理由が無いのに失恋したのだ

それは友達のM1のせいだった

M1は学校では先生がマークする札付きの学生だった

私は、その逆でシャイでナイーブで、かといってガリ勉でも無く目立たない子だった

だが、この二人なぜか友達になった、私は悩みを打ち明け、彼は自分の生き様を語った

彼は再婚した母の連れ子だった、母の再婚相手の義父が気に入らなくて、中卒と同時に家を出て

名古屋で就職した

だから、わたしの父と同じような少年時代を過ごしたのだった

それを知ったのはつきあい始めてからだから、それ以前に父と同じニオイを

私は彼からかぎ取っていたのかも知れない

就職一年で義父に懇願されて戻り、地元の高校に入学、そこで私と知り合った

出会いは一枚のレコード、スィンギング.ブルージーンズの「ヒッピーヒッピーシェイク」だった

彼はなぜか学校に、このレコード(CDじゃないよ)を持ってきて、みんなに見せていたが

誰もこのレコードを知らず、反応しなかった、だから彼は話し相手がなくがっかりしていたのだ

私はと言えば、この不良少年には極力近づかないようにしていたのだが、向こうから寄ってきた

そしてレコードを見せた(どうせ見せても、くそまじめなやつだからわかるまい)と思いながら

見せたのだと思う。

ところがどっこい、当時の私は隠れポップスファンであった、イントロクイズが当時あれば洋盤なら

数百曲は当てることがで来たと思う。 勉強もしないで毎晩ラジオにかじりついてポップス、ロック

カンツォーネを聴きまくり、自分なりの今月のベスト200ランキングを作って、上位50位までを

テープレコーダー(リール式)に自らナレーターになって吹き込んで遊んでいたのだから。

それは高校入試の前の晩にもやっていたのだからマニアックだった

 

だから、このレコードを見た途端、ブリティッシュロック、マージービート、リバプールサウンズの

講釈を始めたものだからM1はびっくりした、その日から二人のつきあいが始まった

そしてバンドを結成した。 ドラマーは不良では無いが元気の良い、けんかっ早いM2だった

このM1,M2が高校時代の数少ない友達の中の2人だった

 

修学旅行が近づいてきてM1が教室で私に言った。 

「旅行は彼女がいないと面白くない、おまえは彼女いるのか?」って

「いないよ」と私はケロッと言ったら

「じゃあ作れ、好きな女はいるのか?」

「いないよ」

「そんなことは無いだろ、だれかいるだろ?」

「いない」

すると教師の教壇から、生徒の配置表を持ってきて端から順に女子の名前を指さして

「これはどうだ」「べつに」「これは?」「べつに」のくり返し

ところがN子を指した途端に、私の心が動揺した、かすかにぴくっとして答えが遅れたのを

M1は感じたらしく「これだな、おまえN子が好きなんだろ」

好きというわけでは無かったが、スポーツマンの彼女に多少の憧れはあったと思う

 

その日からM1は私の見えるところでN子の傍へ言っては何かひそひそ話をする

私がN子を好きだと言っているんだろうかと、心は穏やかで無い

そうして私は追いつめられていった、夜が苦しくて眠れなくなった、もう告るしかなくなった

 

土曜日の放課後の教室は陽の光が斜に差し込んで、けだるい雰囲気を醸し出していた

みんな下校して誰もいない教室でN子を待った

だがN子はなかなかこない、でも彼女の机には彼女のカバンが置いてある

30分待った、そしてようやく来た。 奥手の私は緊張していて

「おれとつきあってくれ」としか言えなかった

「好き」だとも、つきあいたい理由も何も言えなかった

そして15分くらいの沈黙  あの日の、差し込む光と曇り硝子の窓の印象を50年たった今も

くっきりと覚えている

「すみません、わたしつきあっている人が他の高校に居るんです、だからつきあえません」

彼女は、ようやくそう言った

「わかった」としか言えなかった

 

「なんだ!ダメだったのか」、翌日M1は自分のことのようにがっかりした

「よし、土曜日の夜、おまえんちで残念会やろう」、と言った

土曜日の夜、M1はM2と二人でわが家にやってきた。 父は高校生離れした、大人びた

この二人をたいそう気に入っていたから「ゆっくりして居きない」と歓迎した

「おい酒あるか」「あるよな、おまえんち料理屋だもんな」

当時、わが家は自宅の二階を20畳の宴会場にして客を入れていたのだった

当然酒はある

私は酒など飲んだことも無かったし、飲みたいと思わなかったが、二人はさすがのワルだ

飲み始めた、私も茶碗で一杯くらい飲んだ、

「おいyottin、おまえはまだ旅行に行かれるだけいいぞ。 わしゃ停学になって旅行も

行っちゃならんということになった」とM2は言った

M1も「そうだな、行かれるだけ良いってもんだ」

それから「風呂へ入ろう」となって、風呂を沸かした

狭い風呂に3人で入った、二人が湯船に入って洗面器で私の頭から湯をかけては

「もう忘れろ!」と何度も言った

私も「もう忘れた」とくりかえした

何度も何度も、私は頭から湯をかけられて、目のあたりに流れているのが何かわからなくなった

 

 

 


父20歳の3月10日

2018年03月11日 10時23分15秒 | 昭和という時代

昭和20年東京。 前年からアメリカ軍の無差別都市爆撃は激化してきて、東京もただ事では無くなってきた

そのため、子供達をいち早く長野県などに集団疎開させた

一般住民の中にも、危険を感じて東京から地方へ疎開する人たちも出始めた

父は調布飛行場で兵役に就いていたが、父の父母(私の祖父母)は亀戸に住んでいた

しかし福島の三春の叔父さんから「東京も危ないようだから、こちらに疎開してこい」と言ってきた

それに甘えて、父の父母は3月5日に福島へ疎開することを決めていた

ところが、父が8日に休日をもらって家に帰ってくることになり、疎開の日を11日に伸ばしたのだった

これが生死の分かれ目になったのだから皮肉なものである

 

父は8日に亀戸を訪ね、一家団欒を楽しみ9日の朝には調布の部隊に戻った

そして10日の深夜0時、アメリカのB29が数百機の編隊で東京上空3000m以下という低空で

爆弾を落とし始めた、(通常は安全な8000m前後でやってくる)もう日本に迎え撃つ戦闘機がほとんど

無いことを知っての行動だった

低空だから確実に目標に命中する。 今回は軍需工場でも飛行場でも軍の施設でもなく

明らかに民間人が密集して住んでいる下町、上野、浅草、日本橋、亀戸、砂町といった住居地への

爆撃だった。

東京市民が寝静まった深夜0時から侵入して、まず可燃性が高い油を住宅地にまき散らし

その後に発火する焼夷弾という爆弾を大量に落とした。

これは爆発させて破片で殺傷、破壊するのでは無く、木造の日本家屋を燃やすための爆弾なのだ

日本の家屋を徹底的に研究して、いかに効率よく激しく燃やすための実験を何百回も繰り返して研究した

爆撃方法だった。

あっという間に下町で数千戸の家が燃え上がり、どんどん延焼していった、そこにまた新たな爆弾を

落としていく。

2時間の間に100万戸の家屋が燃え尽くされた。 空気は湿度0、周囲は全て発火点に達していて

走り逃げ惑う馬が一瞬で炎に包まれたという証言もあった

衣服は火をつけなくても燃え上がり、炎の空気が咽から肺を焼き尽くし、熱さに耐えられぬ人たちは

橋の上から隅田川や十間川に飛び込んだが、川面はB29が撒いた油に火がついて燃えており

潜れば3月の冷たい川水で瞬く間に凍え、上は焼熱地獄、下は氷結地獄で瞬く間に人々は死んで

流され、下流の橋桁の周りは焼け焦げた遺体で川が見えないほどだったという。

防空壕に逃げ込んだ人々は安心も束の間、入り口が爆弾で塞がれた上に、酸素不足になって

みんな金魚のようにアップアップしながら窒息していく、奥に潜んだ者は灼熱地獄の中で蒸し焼きになって

死んでいった。

オーブンの中で焼かれたに等しいから、ナチスが行ったアウシュビッツのガス室と同等の残虐行為であった

こうして10万人の市民がむごたらしい死に方をしたのだった。

 

空襲が始まる前から警報が鳴りはじめ、父の高射砲隊もB29に向けて打ち始め、数機に被害を与えたが

米軍の攻撃に、さしたる支障はなかった。

同じ部隊の兵が父に「どうもきみのご両親が住むあたりがやられているようだが、何事も無ければ良いが」

と言った。 調布は高台なので浅草方面が火の海となって南国の夕焼けのように燃えているのがわかる

(横浜が爆撃されたときも真っ赤な空が見えたという)、気が気ではないが、戦闘中に私情は禁物だ、

やきもきするがどうにもならない

朝になって、下町出身の兵隊に半日の偵察休暇が与えられた、父は直ちに上野を目指して省線に乗った

上野で下りると、一面がれきの山で、都会の景色が何もかも無くなっていた、そして普段は建物の影で

絶対見えないはずの筑波山が見えた。

一緒に上野で下車した砂町の出身という上等兵と二人で城東区を目指して歩きだした

あちらこちらがまだくすぶっていて、時々炎を上げたりしている

空襲が終わって、まだ8時間ほどしか経っていないのだから当然である、通りは黒焦げや半焼けの遺体が

半端でない程の数で転がっている、最初は目を覆いたくなる景色だったが次第に慣れて平気になった

とにかく早く、亀戸へ行って父は(父の)父母の安否を確かめたかった

ようやく亀戸に着き、自宅あたりらしきところへ行ったが、どこもかしこも焼き尽くされて家などどこにも無い

ここだ!とわが家らしき焼け跡を見つけたが、木材がぶすぶすと煙を上げている

父母の遺体らしきものも見当たらず、手がかりは無いかと探し回っていると、偶然隣に住んでいた加藤さんに出会った

慌てて両親の消息を聞いたら

「ああ、逃げ出したときは一緒だったんだ、とりあえず香取神社に逃げたんだけどさ

もう人で一杯だし、焼夷弾が火を噴いて落ちてくるし、危ないからってオレたちは福神橋から向島に逃げたんだよ

そうしたら、まったく燃えていないところに出て命拾いしたのさ。 だけどね、あんたんとこの両親は亀戸駅の

方に行くと言って、そっちに行っちゃったんだよ、あっちは錦糸町から砂町までほとんど全滅したらしいよ・・・・・

大丈夫だとは思うけどさ、そっちを探してご覧よ」

それから、駅方面に向かい、錦糸町に向かった、ときどき救護所があって、そこで聞いてみても消息は全く

わからなかった。 錦糸町公園には遺体が次々と運び込まれて積み上げられていった。

更に探しまわったが見つからず、ついに兵営に戻る時間が来た。 後ろ髪引かれる思いで亀戸を後にしたのだった。

(父の)父は50歳、母は45歳という若さだった