神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

ラジオ放送 便秘について

2024年06月20日 19時03分47秒 | 病気と健康
 わが生活圏に於いて聞こえてくるラジオ放送は富山県のKBS「北日本放送」
新潟県のBSN「新潟放送」、長野県のSBC「信越放送」である。
夜ともなると海沿いの地では日本海を超えた中国語や韓国語がラジオを占領してしまう。
長野に行けば新潟や富山の放送はあまり聞こえないが、文化放送など東京のラジオ放送が何局も鮮明に聞こえる。

どこの曲にも名物アナがいて面白い番組を聞かせてくれる
私は主に木曜と金曜の昼前しか聞かないので、その範囲であるが
「新潟放送」は「近藤丈靖の独占ごきげんアワー」、近藤丈靖、表佳世
「北日本放送」は「とれたてワイド朝生!」佐藤栄治、大沢綾子
「信越放送」は「坂ちゃんのずくだせえぶりでぃ」、坂橋克明、峯岸悦子
聞き比べていると、それぞれ県民性が見えて面白い。

「ごきげんアワー」はベテラン近藤アナが福山雅治、宮澤ミシェル、山内恵介など10数名の物まねをこなす他、新潟弁で有名曲を歌ったり、表アナと二人で外国人キャラで世相をコミカルなドラマ仕立ての番組など、多彩で退屈しない。
前回は金沢出身のおしとやかで優雅なイメージがあった表アナが、まさかの便秘トークで実体験をあからさまに披露してリスナーを驚かせた
それはともかく、公共放送では準タブーともいえる便秘トークには、思いのほかリスナーの反響が多く、実体験の投稿が相次いだ
いかに世の中に便秘の悩みを持つ人が多いかわかった。

大学から専門家も登場して医学的に解説したり、なかなかの良い番組になった
便秘を電車になぞらえて、エスカレートして新幹線まで登場したり時折脱線
それがまた想像を掻き立てて面白い
リスナーや司会者の個人体験もたくさん出て、便秘解消法が面白かったし、中には役立つものも多く、ついには便秘解消グッズが当たる応募まで登場
私も手術前まで、わりと便秘気味になることが多かったのでついつい聞き入っていた
もっとも、その慢性化に慣れたため、このたび腸閉そくの発見が遅れたことにもなったのだが。
だから私も、便秘にはガンや腸閉塞などの怖い病気が隠れていると投稿しようかと思った矢先、放送内で専門家が同じことを言ったので安心した。

日本人と欧米人は体格、体形、腸の長さが違うので90度で座る洋式便座は日本人にとって便秘になりやすいという
日本人には、お尻を足の膝より下になる和式が合っているのだという
我々年代は20代までは和式であった、いつ洋式になったのか覚えていないが、もしかしたら30代、40代前半でも和式だったかもしれない
時代と共に、正座同様、日本人も楽な姿勢が一般化されて過去のものは遺物扱いされたが、中にはこうした日本人の生活様式、体形に合ったものもあったのだと知った。
いまさら和式トイレにもできないので、和式に近づくグッズを購入して見ようと思った、たしかに別のもので代用して見たら、お尻が下がるのでまことに良い
今回の入院でいろいろと消化器や内臓器官について真面目に考えるようになった、そんな意味でもBSNラジオのこのコーナーは大ヒットと言って良い。

今朝の食事
ささみの塩こうじ焼き おなじみ、ふろふき大根 サニーレタスの味付け卵とじ 白菜とブロッコリーのお浸し 手術後初めてのごはん&シラスととろろ芋
(よく噛んで食べた) つみれ汁、大根入り 自家製の焼きナス




「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (116) 長尾家 29

2024年06月20日 08時42分56秒 | 甲越軍記
 佐平治景房は本丸を攻め落とされ、景虎と共に二の丸に引き入るところを、金津の士卒、大槻半弥が良き敵を求めて廊下を飛び回っていたが、景房を見つけると拳を握りしめ槍の柄を捻って躍り上がり、景房の腰のあたりを突くと
景房十九歳、痛手を受けてどっと倒れたところに、藤井源八が駆け寄って来て、たちまち景房の首を掻き切った。
喜平二景虎は時に十三歳なれど駆け戻り、兄の仇、藤井源八を一刀のもとに切り伏せた
大槻半弥は、これを見て景虎に突きかかるところに、二の丸の番士、戸倉興八郎、曽根半兵衛が駆け寄り大槻の槍を切り落とし、さらに大槻をも縁より下に切り落とした。
両士は景虎を守って、二の丸に入ったが敵が満ち満ちており、今は外へ逃れること叶わず、二の丸の板敷をはがして「しばらくここに身を隠し賜え、夜には必ずお迎えに参ります故」と景虎を隠し、二人は敵の囲みを切り抜けて落ちていった。

 府内の勇士たちは敗れてみな散り散りとなり、あるものは絶望して討ち死にするもの、あるいは晴景と死生をともにせんと思う者、冑を脱いで敵に降る者とさまざまであった。
照田常陸介、黒田和泉守、金津伊豆守、そのほか与力の諸将は本丸に入り、城の門を固く閉ざして大篝を焚いて逆襲に備えた。

その夜、本丸では勝どきを上げて、諸勇士をねぎらい、長尾景康、長尾景房の首を並べて見聞した。
城外では、長尾の士、戸倉興八郎と曽根半兵衛が景虎を救い出さんと、密かに城際にへばりついているところに、鬼小島弥太郎、秋山源蔵の二名もやって来た。
問えば、この二人は昼間の惨敗に腹を立て、城内に切り込んでうっぷんを晴らすつもりで来たという
戸倉はこれを「わずか二人で敵中に切り込んだところで、敵の二三人を討って返り討ちに会い、むなしく死ぬるだけのことである
我らは二の丸に隠した景虎さまを救いにやって来た、景虎さまを救って再び長尾の家を再興させるのが我らの務めである、合力せよ」と言えば
鬼小島、秋山は大いに喜び、共に手伝うことを快諾した
「某が一人で勝手知ったる二の丸に忍び込み、景虎さまを救い出すから、三人はここで待ち受けて路地の敵を防ぐべし」と言って戸倉興八郎は赤裸になり太刀を履き、水門より忍び入り、敵の虚を伺い何なく二の丸に入り、板敷の下から景虎を救い出した。

再び水門に向かって堀に身を沈めたところに、たまたま見回りの番兵がこれを見つけた
しかし、この兵は手柄を我一人のものとしようと考え、仲間にも知らせず水門出口で槍を構えて待ち構えた
戸倉は水中にて早くもこれを察して、足を蹴って素早く浮かび上がると、番兵は乗ったりと槍を戸倉めがけて下ろしたが、戸倉は槍先の柄をつかむと同時に全力で引きづりこんだ、番兵はたまらず真っ逆さまに水門の中に落ちたところを戸倉が首を掻き切り、景虎を連れて三人が待つ場所へ行くと、三人は喜び、急いで景虎をひき上げた。
番兵たちは、ようやく物音に気付いて五人の方に向かって駆けだした
五人は「もはや遠くへ逃れるは難し、近くでかくまわれるところに参ろう」というと
「なれば長尾家の菩提所、林泉寺はいかが」と誰からとなく声があがった。