神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

裁縫をしながら考えてみた

2017年07月31日 18時38分47秒 | 時代検証

ベルトに差し込む小物入れを買った、メードインチャイナ

ホームセンターは大部分がメードインチャイナ、サイズがまあまあで買ったけど、

傑作なことにベルトに差し込む部分がこのバッグの中央にあるから、差し込むと

バランスが悪くて上や下が安定しない、それでベルトの部分の下を切り取って

上にまくり上げ、糸で縫合して、重心を上部に移した

誰もやってくれないし、自分で縫った

小学校の5年生に習った裁縫が役に立った

 

まもなく終戦記念日がやってくる、日本にとっては敗戦の日、朝鮮の人には日本からの

独立の記念日、中国は戦勝記念日だと言うだろう

父から聞いた話、敗戦濃厚になった頃、巷では日本が負けたら女性はアメリカ兵に陵辱され

男は全員キン**を抜かれて奴隷になるという噂が広がったという

噂のでどころはわからないが、多分戦争継続を望む筋からでは無かっただろうか???

結局、アメリカ軍が進駐したけれど、噂ほど米兵の女性への乱暴は多くなかった様だ

だが世界でも勇猛果敢な日本男児は徹底的にキン**を抜かれた

アメリカの3S政策で、骨抜きにされてしまった

すなわちSEX産業で硬骨漢の日本人を軟弱にしてしまい、SCREEN、アメリカの甘い恋愛映画で

心を軟弱にする、そしてスポーツで戦闘本能の向き先を変えてしまう

こうして日本人は平和のありがたさを謳歌しながら、戦うことを忘れてしまった

まさに抜かれてしまったのだった

更に、私たちは小学校で家庭科なるものを教えられて、裁縫に家庭料理をさせられた

日本男子の女性化政策はエスカレートしていった

私たちが糸と針を持たされて「お針子さん」をさせられているとき、アメリカの同世代はベトナムで

血まみれの殺戮戦争を行っていた

明らかにアメリカ人と日本人の戦争観はひっくり返ったのだ

アメリカが日本から戦争意欲を削いだ失敗を痛切に感じたのは、日本人がその有り余った

エネルギーを経済発展に向けたことだ、一人当たりの所得でアメリカを抜いて世界一になってしまった

しかもアメリカの主力自動車産業でもアメリカを脅かした

もう日本の戦力どころでは無い、今度は日本の経済力を削ぐことに躍起にならざるを得なくなった

それは様々な法律改正などで今も続いている

恐れを知らぬ日本人に、戦争は恐ろしいという観念を植え込むことに成功すると、今度は

勤勉で労も自己犠牲も惜しまない日本人を、怠け者人種にする政策を始めた

様々な休暇が儲けられている、まもなく年間労働に数は200日を割るだろう

平凡な労働者は、この休暇をどう消化するのだろうか?

一方で75歳まで義務的に雇用させようとする動きもあるから、矛盾???してない?

 

我々は平和を謳歌した、今でも日本人の大部分はノーウォーの精神を持ち続けている

だが世界の情勢は変化している、周りが平和なときはそれで良かったが、いま日本を名指しで

攻撃対象にしている隣国が複数ある

日本は永世中立国スイスと全く反対の道を歩んでいる

核シェルターがほぼ皆無の無防備な日本、国民の唯一人も銃を撃てない事実

戦争なんか出来るわけが無い、それは周辺国もようやく気づいた様だ

自衛隊という薄い第一線が敗れてしまえばそれまでだ、アメリカはどこまで守ってくれる??

 

我が国は昭和20年に戦争で負けて、外国にもの申せる国家は消滅した

そのため、どれだけの多くの日本人が海外で見捨てられ、どれだけの犠牲と陵辱を

受けただろうか、国が国民を守れないと言うことは外国の意のままになるということだ

戦争はしたくない、だが戦争をしたい国が狙っている、戦国時代となんらかわらない

周辺国の戦意を削ぐこと、それを祈るしか今は無い、裁縫なんかしている場合じゃ無い。

 

 

 


高齢化の共同墓地の会

2017年07月31日 08時41分39秒 | 老人介護

今日が父の93歳の誕生日、私の家系ではこれまで87歳の実祖父が最長だったが

遥かに更新を続けている。

昨日の朝は共同墓地の草むしりと、廟の洗浄をしたことは昨日書いた

初参加の時、6時からというので6時に行ったら、もう自分が草むしりする場所が無いくらい

人がいて、恥ずかしい思いをした。

さすが農業地域だけあるとおもったものだ。

あれから5時半に行く様にしているが、昨日は4番目だった

だんだん参加者が歳をとっていく、今日も30人ほど集まったが驚くことに67歳の私が二番目に若い

若い者がいないのでは無く、若い者は年寄りの仕事だと割り切っている様だ

それにしても80歳を超えるおばあちゃんたちも多く、だけど畑仕事や米作りで鍛えられた体は

かくしゃくとしている。 中には膝が痛いので洗面器に腰掛けて作業しているひともいる

私は30年前まで、この地域で魚屋をやっていたので当時40代50代だった馴染みのおばちゃんも多く

「おや!**のあんちゃだ!久しぶりだねえ」と懐かしがってくれる

70近くなって「あんちゃん」では照れくさいが、みんな30年前に戻った気分でいるから、それも良い

この会の会長は私より2歳年上だが病気入院で欠席、創設功労者の前会長(元高校教師)も体調不良

会計さんも弱々しくか細い声で「今回限りで退任させてほしい」

たしかに高齢者ばかりの会だ、役員交代以前にメンバーの世代交代が必要だ

次期会長候補に先般の選挙で初当選した市議の名前が挙がっている、柔道5段以上の猛者

私の幼なじみ70歳、ちょっとは元気印でてくるか?

 

 


信州の四季(光が原高原)2009.8

2017年07月29日 20時00分00秒 | ドライブ

長野県飯山市と、新潟県妙高市をつなぐ高原「光が原」、かっては学校や親子連れで

夏休み賑わった高原。 ポニーに乗って一周したり家族で楽しめたが、今は見る影も無く

寂れ果ててしまった。

ほとんど人も訪れず、この山道を通る車やオートバイが景色良さに一服するくらいだ

最近ようやく地元が動き始めた、再びこの地に活気を取り戻そうとイベントなどを企画して

いるらしい。

もともとここは牧場だから広い、遊歩道も整備されれば十分活気がでるだろう

こんな良い場所を放っておく手は無いと思う

 


時間のずれが面白い「千と千尋・・・」

2017年07月29日 11時48分35秒 | 雑記

台湾旅行をして、退屈な飛行機の中で偶然見つけた「君の名は」往復の旅程で

1本見終わった。

そして、おまかせ観光でたまたま連れていってもらった9分だか10分(分に人偏)が

「千と千尋の神隠し」のモデルになった町並みだと聞いた(そうじゃないという話も聞いたが)

「君の名は」は、なんだかよくわからないうちに見終わってしまったが、するめの如く

あとから味がにじみ出てきた。

3年のズレが、同じ時間空間に存在して、たまたま同期化してしまったという不思議な話

それが一回では無く、何回か起こる、しかも男女の体が入れ替わる(魂が入れ替わる)

 

私は時々思う、自分の時間は時系列で進んで行く(老いていく)けれど

別の時代もまた、この同じ時間に平行に動いているのでは無いかと・・・

時間は左から右に(誕生から死に)動いていくけれど、そこに西暦だとか時間だとかが

存在していなければ...真空宇宙に放り出されれば、人間が考えついた時間など存在しない

そうなれば時間軸のスタートは織田信長も聖徳太子(今は厩戸皇子というんだそうだ)

も私も生から始まって死まで一緒に進んで行くことが出来る

時間という人工物が500年前だとか1500年前だとか決めているだけで、そんな年号など

無ければ、いつの時代の人間であれ、生から死に向かって同じ軸に沿って生きているだけなのだ

信長が古くて、私が新しいと考えるのはナンセンスだ、信長が49歳で亡くなって、私は信長より

435年長生きしたわけではないのだ。

 

そんな風に考えれば、三年前が今の時代に紛れ込んでくることは不可能では無い気がする

三年前の人は三年後の今、三歳歳をとって存在しているけれど、だから3年先輩だって

だけども3年前には今の私と同じ年で存在していた、そこなんだよポイントは

それが「君の名は」の種明かし

いつも私が思っていることと合致する・・・・・・・わかんないだろうなあ?!

 

 


信州の四季(池ノ平湿原)2010.7

2017年07月28日 20時00分00秒 | ドライブ

高原キャベツ日本一の嬬恋から、南に上っていくとツツジの名所「湯の丸高原」につく

そこから尾根道を東に進んでいくと、池ノ平湿原の有料駐車場に着く

歩いて少し下っていくと突然湿原が広がる

歩きたくなると、高原の湿原を思い出す、ここと美ヶ原のビーナスラインの湿原には何回か

足を運んでいる。

夏でも風涼しく、広々とした湿地、気分転換にはもってこいの空間


信州の四季(立山黒部アルペンライン)2012.8

2017年07月27日 20時00分00秒 | ドライブ

夏は2500mを超える涼しい信州の頂きが最高だ。 美ヶ原は真夏は結構暑いけれど

立山室堂まで上がると風が違う

いろいろとアルピニストからは批判もあるが、登山装備が無くても、登山経験が無くても

乗り物の乗り継ぎだけで、アルプスを見て感じることが出来るのは良いことだと思う

勿論、素人と言え山でのマナーやルールを破ることは許しがたい

自然の景色と涼しい風を楽しんで、良い思い出にしていただきたい

長野県大町市から扇沢駅までマイカーが入る

そこからトロリーバスで富山.長野の県境を抜け正確に言えばここは富山県だ

黒四ダム到着

 

黒部湖を見ながらダムの上を歩いて対岸のトンネルに入ると、ケーブルカーの駅

僅かな時間で黒部平駅に着く、そこからはロープウェーで一気に大観望駅まで登る

再びトロリーバスで立山の真下のトンネルを抜けると、そこは2500mの高原、室堂だ

周りを取り巻く立山連峰、剱岳の鋭い岩峰、北アルプスの山々、岐阜県境の山並み

そして池や沼、チトウ、更に火山を生で感じる地獄谷、火山灰と吹き出す火山性の水蒸気、温泉

そして高山植物

ホテルもあって一泊すればもっと楽しめるだろう、とにかく人が多い

 

 

 

 

 


一日遅れの土用丑

2017年07月27日 11時07分04秒 | 病気と健康

25日が丑の日で、うなぎの蒲焼きを食べる日だったが、夜の宴会は中華料理

午前は母の病棟移動のために50km離れた病院へ妹と行ったので、昼はラーメン

ようやく認知の病室に空きが出て、仮の緊急患者用の病室から移動となった

狭い病棟から、ようやく明るくて広い病棟に移って少しだけ安心。

けれど父が毎朝、母に会いたがるので何とか地元の病院へ連れてきたいけれど

もう自力で食事も出来ず、点滴だけでなんとかもっている母が入られるレベルの病院は

地元ではなかなか難しい、双方の病院のケアマネなどに相談中だが、早く連れてきたい

もうげっそりと痩せて、むくみも出てきている

なかなか思いどおりに親孝行が出来ず、もどかしい。 長生きしたければ都会に住みなさい

という言葉が身にしみてくる、明日では無いにしろ数十年後には我が身でもある。

 

そんなわけで、とてもうなぎどころでは無い25日だった

26日の夕食は絶対うなぎ、と言うことで女房殿にはご飯だけ炊いてもらって

ウナギを買って蒲焼きを自分で焼いて帰宅

 


信州の四季(美ヶ原)2011

2017年07月26日 20時00分00秒 | ドライブ

美ヶ原は2000mの広大な高原大地

夏には空が手の届くところまで迫ってくる

ここも遥か昔は海の下にあったのだという

散策するだけでも1時間ほどかかる、2000mにあると思えない

平らな大地、牛を見て歩くだけでも気持ちはさわやかになる

 

時間が来ると牛たちは移動を始める


日照り、猛暑、豪雨そして逆走台風

2017年07月26日 07時28分56秒 | 自然災害

夕べの宴会は1次会だけで済ませた。 歩いて帰ろうとおもったがなかなかの降り方で

タクシーで帰った。

今朝は4時半に起きて、先日のように歩いて店まで車を取りに行った

さわやかな朝で、まだ涼しい時間帯だ

夜半まで降った雨もやんで、あちこちに水溜り

空は灰色の重い雲と青空が半々だが、今日は晴れそうだ

富山の一部では大雨でこの時間も高速道が止まっている

豪雨地帯は帯状で限定されているようで、50km違っても天候が異なることも多い

太平洋には迷走台風がいて南下しているという

今までの常識ではフィリピンあたりで発生して日本に向かって北上するのが台風の常識だった

それが去年あたりから南下する台風とか、緯度の高いところで発生する台風がでてきた

今度も3つ同時に発生した台風だった


信州の四季(安曇野白鳥湖)2012.2

2017年07月24日 23時00分00秒 | ドライブ

この年はけっこう雪の多い年で、我が町の山間部はこんな状態

それでも除雪車の活躍で20km奥の山村まで道路面は露出している

雪国のたくましさだ

北陸新幹線の全通で見ることが出来なくなった日本最速特急、北陸線の「はくたか」の勇姿

信州松本辺りは冬でもほとんど積雪は無い

安曇野インター近くの犀川の白鳥湖、ひとりぼっちの白鳥、夏をここで過ごすのか

陸に上がってどんどん歩いて行く、白鳥が歩くなんて知らなかった

 

とうとう枯れた藪の中に姿を消した

 

帰り道「姥捨P」更埴方面から長野市を望む  善光寺平が盆地なのが一目でわかる

越後の上杉謙信と甲斐の武田信玄が信州を巡って5度にわたって戦った戦場