神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

親孝行は、お金がかかるという謎

2017年10月31日 19時17分06秒 | 老人介護

今日は介護ヘルパーの会社と、契約更新の話し合いをした

その中で、衝撃的な話しがあってちょっと混乱したし腹立たしかった

父は以前、認知状態になって深夜に徘徊しそうになった、幸いに近所の人が偶然帰宅して

父を発見してくれたので大事にならなかったが・・・・

それからは心配で、週に何回か父の家で夜泊まることがある

そのことが「同居家族がいる家庭」になるらしい、そうすると恵まれた介護老人と言うことで

介護料金が2割、3割ではなく実費負担の部分も出てきて、最悪現在の支払額の180%増しに

なるおそれもあるとか、180%って約2倍!!!、今15万払っていれば、今度は28万円くらいに

が~~~ん! 誰が払えるの

おかしいのは、年末調整でこれを逆手にとって、同居老人として申請しても住所が違えば同居とは

認められない、なのにこちらは同居だという・・・縦割り官庁の謎???

 

そして、病院に父の食事のあれこれを言い含められて、複雑になったのでただでさえ時間が無い

ヘルパーさんの手助けすれば介護時間が短縮されて安くなると思って、食事作りをしてきた

のに、それは「介護を出来る家族がいる」と言うことになるらしい

仕事の合間に無理矢理捻出して作った僅かな時間、実際のところかなりストレス溜まっているんだ

でも、そのお節介が、やはり介護料の値上げに繋がるらしい

結局、父の家に泊まらず、仕事にかまけてご飯作りもやめて仕事一筋、全てヘルパーさんに任せ

介護時間も、サービス内容も低下させれば「目出度し目出度し」というわけなんだろう

親を田舎に残して、都会で自分だけ優雅に暮らす方が正解ということなんだ・・・今の時代は

ちょっと情けなく、悔しい気持ちの私です

 


台風~政治への妄想

2017年10月30日 06時21分20秒 | ニュースネタ

5時半出勤  台風の影響の風が「ゴ~ゴ~」と激しい音をたてて吹いている

夜半の雨で道路は濡れているが、雨はいまのところたいしたことは無い

ウィンドファンの隙間から入る風がブラインドをやかましく揺らしている

6時近いというのに、外はまだ闇の世界 空一面に黒雲が覆い、紫や灰色のちぎれ雲が

ベール状になって漂っている

地球とは思えない不気味な世界 考えてみた・・・・・

もしこれが日常的な世界だったとしたら・・・・・・・・

気が沈んで生産性のない世界になるのだろうか、それとも地に潜り込んで

温かで明るい世界を創造するのだろうか

 

心は現実に戻り、はたして今の世界が幸せだろうかと問う

少なくとも未来を夢見た40代、安定期の50代より状況は悪い、まさに税金を払うための毎日

それでも良い、だが税金が訳のわからないまま無駄に消えていくのではむなしい

国民の生活に、実感として税金のありがたみが伝わってくる政治を望む

税金支払いが投資だと思える社会、そんな優れた政治家にリーダーになってもらいたい

「美味い事言いの、ごっつお食い」の政治家はNO!

(与野党問わず、日頃、上手な政治経済理論を話しているが、実行もせず国民を食い物に

して私服を肥やし、利益誘導する政治家)

 それにしても唯一声を上げること、国民の力を政治に繁栄させることが出来る権利

(中国にも、北朝鮮にも、その他社会主義や独裁国家には絶対無い国民の権利)を

投票に行かず、自ら権利を放棄する日本人が40%以上もいる国

「政治不信を主張している」では何も変わらない


びっくりぎょうてん!

2017年10月28日 17時34分32秒 | 病気と健康

毎年一緒に旅行をする、飲み友達で同級生のY子ちゃんから電話が来た

お祝いをしたいので料理を作ってほしいとのこと、快諾しましたが

なんと舅の100歳のお祝いなんだそうです

「まだまだシャキシャキしてるわよ、元気ったらありゃしない、私が先になるかもね」

姑も96歳とかで施設にはいっているとか、わが家がこの夏まで夫婦あわせて185歳

なんて自慢してたけど、こちらは196歳で記録継続中だ

こんな風に自分の事ができるなら素晴らしい100歳といえるだろう

このまま行けば夫婦共に100歳達成!も夢ではないかも

 

 


楢山節考

2017年10月28日 07時01分57秒 | 老人介護

緒形拳さん、坂本スミ子さん主演が主演した映画、もう30年以上前の映画だ

ロケ地を見てきた

昔、寒村では貧しさ故、口減らしに生まれた子供を間引き、老人を山奥に置き去りにする

村の決まりがあった、という前提の話し「姥捨て山」とも言う

人生50年の時代に老いた親、といってもせいぜい60歳くらいだろうか

今の人生90年と比べると信じられないような話しだ

今の時代も少し前までは、老人ホームなどに入れると「姥捨て山」にやったなどと言う風潮があった

私も母がそう言う施設でお世話になったので行って見たり、ボランティアで介護施設や老人ホームを

尋ねたことが何回もある

他にも知的障碍者の支援施設、もう20年以上前になる精神病院の病棟の中も入った事がある

中には首をかしげざる環境もあったが、最近のホームは環境が良い

きれいだし、職員も多く教育も行き届いているようだ、だがホーム格差も確かにある

わが家の在宅介護のヘルパーさんは10名ほどが交代でやってくるが、ひとりひとりが個性が有り

興味深い、皿洗い後の処理や、父に対する声かけ、仕事への熱意、みんな違う

父もそれを感じ取っていて、自分の中でランキングを持っているようだ

たったひとりだけ、どうしても気に入らない人がいたようで、その人には口も聞かず顔も見ない

困ってたたずんでいるヘルパーさんが気の毒で会社に頼んで担当を変えてもらった

その人は落ち度など全く無くて、性格が大人しい人、そして言葉遣いが敬語なのだが

我が儘老人はそれが気に入らない、元気が良くて、子供のように遠慮無く「どう元気、食べなきゃダメよ

さあトイレしましょうね」なんて命令口調のテンポが良い人がお気に入りなのだ

「食べられますか?」「お水どうしましょう?」のように「?」の連発を一番嫌う

丁寧なヘルパーさんにとってはたまったもんじゃないですよね

「姥捨て山」の時代から、老人環境も大きく変わった

我々が90歳頃には、少子化の絶頂期、巷にあふれ出す老人でいっぱいになり「姥捨て山」は

復活するかもしれない

未来は暗いぞ! 団塊世代よ!

こんな山奥に90歳で置き去りにされたら恐怖だね!

 

 

 

 

 

 

 


ちょっとだけ(田舎では)刺激的な朝

2017年10月27日 08時17分56秒 | どうでもいいこと

昨日は我が宿はじまって以来、二度目の韓国人が宿泊した

一度目は、もう10年くらい前の事で、宿泊客ゼロの夕方、飛び込みでふらりと

30歳前後の知的な美人さんが「今夜泊まれますか?」と入ってきた

基本的にうちの宿は一人はお断りしているのだが、断れますか?

「どうぞ」

首から一眼レフをぶら下げているので、あれこれ話してからフロント受付、そうしたら彼女

「私は韓国人です」と言った、流ちょうな日本語は私の周りの日本人より美しい

顔だって、日本人と全く区別がつかない

東京の会社で働いていて、一ヶ月の休暇を取って北海道から日本一周女ひとり旅なのだそうだ

来年には東京の会社も辞めて、上海であらたな職に就くことが決まっているんだそうだ

私が韓国語を覚えるぞ」という意欲をかき立ててくれたのは彼女がきっかけだった

私は**学校とかで習うのが大嫌い、だから何をやっても本物にならない

全て独学、ホームページも、韓国語も中国語もゴルフも

 

昨日は夜はボランティアの会議で店にはいなかったが、今朝は宿泊の韓国人夫婦に会って

久々に韓国語の実践をしたかったので6時半に店へ行った

するとちょうど日本語を話せない、ご主人がいたので近づいていったら彼は私を見て

「おはようございます」と片言で言った、私も「アニョハセヨ」と返したら、表情がパッと明るくなって

「韓国語はなせますか」みたいなことを韓国語か日本語か忘れたが言ったので

「チョグンマン(ちょっとだけ)」と言った。 昨日受付で、私が日本語が話せる奥さんに「日本語がお上手ですね」

と言ったとき、彼女が「ちょっとだけね」と言った逆バージョン

「チョヌン イフェサ テッピョンイムニダ(私はこの会社の代表です)」と彼に言うと

「あ~~」と感嘆の声 反応を見てこりゃ通じそう・・・・社交辞令もついでに

「チョヌン ハングク ノムチョワヨ(韓国大好きです)」とこの前のブログに書いたことと反対のことを言った

するとむこうも韓国語でまくし立ててきたので、まったくわからない

それで「チョンチョニマレジュセヨ(ゆっくり話してください)」と言ったら、ゆっくりになったけどわからない

話すのは自分の言いたいことだけだから、知ってる言葉だけ言えば良いが、ヒヤリングは何を言ってくるか

わからないので語数の少ない私には無理

でもパダ(海)、ナガ(出る)だけ聞き取れた、そして海を指さしておパンフを見せるので

(これは海岸に下りられるか聞いているんだなと思った)そこへ奥さんも来たので確認したらその通りだった

行き方を聞いてきたので、片言で教えるよりつれて行った方が簡単だと思って、二人を私の

車に乗せて海へ行った、石を拾いたかったようだ

今日は天気は良いが風が冷たい、海岸はまだ日陰になっていて15分ほどで切り上げて戻った

それでも朝の30分ほどで結構打ち解けて、私の韓国語でも笑いが出るようになった

仁川から小松空港で降りて、レンタカーで我が店にやってきた、わが家のHPを見て予約したのだという

これから新潟市へ向かうという、ゆっくりといくそうだ、新潟空港から仁川に帰るそうだ

日本海側もそれなりに韓国便はあるからね(1日1往復だけど)

レンタカーということは国際免許か・・・かっこいいなあ

「アンニョイケセヨ(さようなら)」「コマスミダ(ありがとう)」

別れてから思い返せば、まだまだ言いいたかった言葉が浮かんでくる「コンガンハシプショー

(お元気で)」も最後に言いたかったなあ

田舎での久々の刺激だった・・・今日も頑張るぞ!

 

 

 

 

 

 

 


最前線 台風21号の日本海 今

2017年10月23日 08時44分35秒 | 自然災害

朝8時 雨は少し強いかなと言う程度、住宅街の風は少し強い程度

それが海岸に来ると、北からの激しい風だ 波を見ればわかる

真冬の荒海に匹敵する10mの大波が国道に向かって押し寄せる

でも大丈夫、せいぜいしぶきが上がる程度の仕組みが、海中深くに設置されている

むかい風に抗いながら撮った写真、もちろんピント合わせなどの余裕はない

 


台風に強い富山県 地震も少ない

2017年10月22日 20時10分39秒 | 自然災害

台風が来る度に私たちの町でよく聞く言葉「この町は自然災害被害が無くて言い町だね」

この町に限らず、富山湾に面している市町村は災害が少ない

特に台風に関しては、だいたい西や南西から風がやってくる

富山湾の背後には3000m級の立山連峰、後立山連峰が壁になってそびえ

海上には、富山湾を取り囲むように能登半島の山並みが迫っている

これらが、台風の風を防いでくれているのだ

但し、真南、真北は風の通り道になっていて、この風は激しい、だが滅多に吹かない

富山湾は荒れる冬の日本海にあって、唯一穏やかな凪が比較的多い湾だ

能登半島の背中に当たる加賀地方側の日本海は大荒れになる、だが富山湾側の九十九湾などは

まことに穏やかで、春など見ているだけで眠くなるような日もある

これからズワイガニ、寒ブリ、アンコウが獲れる富山湾、あつあつの鍋物が楽しみだ 

 

 


孫の見舞いで父がハッスル!

2017年10月22日 10時34分26秒 | yottin日記

今日は朝から重たく雨が降っている、風は全く無く台風の影響ではないのだろう

気温も外で17度あり、比較的温かだ、明日は台風が接近して大雨になるとか

痛いの痛いの飛んでけ~~

 

昨日は、午後に妹の嫁家の1周忌法要が終わり、夕方妹の長男と長女が父の見舞いに

やってきた+妹の亭主の妹も

長男と亭主の妹は、このあと北陸新幹線で東京に帰ると言うことで、30分ほど空いた時間に

父に会いに来たのだった

父は大喜びで、力なく寝ていたのがベッドで急に起き上がり、孫たちにピースサインまでして

そして私に「お茶くらいいれんか」だって、それでコーヒーを自分の分と4つ作ってきたら

「俺にもくれ」だって、ちょっと調子に乗りすぎだ、目の前に入れてあるお茶さえ飲まなかったのに

孫が爺さんの写真を撮ると言ったら、ポーズまで決めているし、急に能弁になった

 

この妹の亭主の妹というのは、私の高校の6年後輩で、高校時代は女番長として知られた娘だった

身長も170cm近くあり、がたいもしっかりしている。 自宅は元気な番長仲間の溜まり場だったとか

しかもわが家とは因縁があって、まだこの家がわが家と親戚になる気配もない頃から

この娘、(Mちゃんとしておこう)は高校時代、わが家が市内のスーパーにテナントとして入っていたとき

アルバイトで来ていたのだ、何という偶然だろうか

その時、同級生の男の子もひとりアルバイトで来ていた、身長は180cmを超えている、そして彼は

地域ではちょっとした有名人だった。

エースとして2年連続甲子園のマウンドに立った男である(Kくんとしておこう)

大晦日、父はKくんに「店頭で新巻鮭の特売をするから、きみは大声で客を集めてくれ」と言った

すると「僕、そういうのできません」という

このエース、とてもシャイだったのだ、これで甲子園のマウンドで勝った事は無いが、優秀な防御率

だったのだからわからないものだ

話しを戻そう、Kくんがしょぼくれている傍からMちゃんが「社長、私が店頭に行きます」と元気よく言った

さすが女番長、店頭でも中村美律子ばりに通る声で鮭の販売をしていた

 

その後のことだが、このKくんは当時最強プロチームからドラフト指名されたが、自信が無いと断り

ノンプロに行った、2年後には再び別のセ球団から指名されて入団

数年のプロ生活で1軍登板もあったが通算は0勝1敗とか記憶している(負け数は定かでない)

たいしたことなく退団となったが、彼は美男のラッキーボーイ、球団の冠企業の取締役に惚れられて娘婿に

そしてその会社の地方の支社長として活躍することになる

何が幸いするかわからない

 

一方、わが家の親戚となったMちゃんは、女プロレスなどとも呼ばれていたが、根性もなかなかのもの

相撲界の大関北天佑に憧れ「嫁になる」と宣言(という伝説がある)

頻繁に大相撲観戦に出かけ、大望は果たせなかったが十両力士と結婚するに至った

十両と言えば立派な関取だ

その関取も運の良い人で、伸びしろが無くなって引退して(ちゃんこ鍋?)かというとき

親方から「協会の役が一つ空いたから、見込みがないのだからこの際引退して協会に入ってしまえ」

といわれ素直に従った

それが幸いして今でも協会で働いている、千秋楽にはLIVEのテレビ放送で時々、その姿がアップで写る

これまたMちゃん「あげまん」ではないだろうか

 

こうして元気なMちゃんと、孫二人の訪問で父もすっかり元気が蘇ったようだ

翌日反動が来なければ良いがと心配もするのだが・・・・

 

 

 


煩悩

2017年10月21日 14時25分14秒 | 宗教

在る機関に勤める人が、実は寺の息子でした

いつも私に説教されている彼が本山で得度して、晴れて住職の資格を得ました

けれど私は彼の説教を門徒として受け入れるのか疑問です

むしろ彼に伝授したい理屈は多々あります

思うに近年の坊さんは、葬儀などで御文さんを読み、阿弥陀さんがいかなる悪人であっても

南無阿弥陀仏の6文字を唱えれば、極楽に導いてくれると説きます

だけど、私はもっと人間くさい根本を説いてもらいたいのです

 

今日は妹の嫁ぎ先の一周忌でした、住職が今日は煩悩について説きました

これは良かったです、人間の本質ですから共感できます

私自身60数年の人生を生きてきても、未だ煩悩の固まりです

先日書いたもう一花咲かせたいなどは、まさに煩悩以外の何者でもありません

煩悩は未練でもあります、未練を残したくないから欲望の全てを経験したい、それが煩悩

「たった一度の人生だから」この言葉は戒律を破るのにまことに都合の良い言葉です

だけど戒律というのは誰のためにあるのか、疑えば切りがありません

結局、犯罪を犯さない限り、個人はその思いをこの世にあるうちに遂げるべきだと思います

わたしもまだまだやってみたい煩悩にまみれていますから