神様がくれた休日

風吹くままに 流れるままに
(yottin blog)

計画的な生活

2017年03月31日 20時24分54秒 | こんな事があった

生活なんて書いたけど、一日の大部分を職場で過ごしているから

「計画的な一日の仕事」と書き換えよう

正月にタイムスケジュールの手帳を買って、4月間近になってようやく使い出した

正確に言うと、昨日から書き始めて、今日のスケジュールは昨日書いた

そして今日になって、スケジュールどおりにやろうと思ったが、朝の仕入

会社での準備仕事、そこまでがスケジュールどおりでそこから先はめちゃくちゃ

午前中に隣町で会社で使う家具の下見に行く計画だったのに途中で気が変わった

月末故に、市内での支払いを優先させた方がいいという気が起きた

それで銀行へ行ったが、ATMは長蛇の列で大幅に時間がずれてしまい

おまけに、支払先へ行ったら「昨日事務員さんが支払って行かれましたよ」

とんだ無駄足、その足で犬猫医院へPネコの避妊手術の支払いに出向いたら

昼休み中、じゃあ電気屋の支払いを先にと思って向かったが、お金が足りない

そんなバカなことばかりやっていていっこうに前に進まず、結局午後になったら

あちらこちらの老人から夕食おかずを頼まれて結局、隣町へ行くのは中止に

とにかく社員の計画を立てて仕事配分するのは特異だが、自分の事となるとまったく

この通りで、計画通りにならない

やはり一日が終わった後に、順次今日の出来事を記していく方が良い様だ

 


Pねこ 癒やし

2017年03月30日 18時52分47秒 | フーテンの寅ねこ わんにゃん

毎日仕事が終わって家に帰ると、Pネコが玄関まで出迎えてくれる

「にゃーにゃー」と甘え声を出して、先頭に立って二階の部屋まで先走る

とりあえずエサを与えてテレビをつける

階下に降りて夕飯を食べる間もテーブルの上でじっと見ていたり

足下にうずくまったり、テレビを見たりして離れない

食事が終わって2階の部屋に行ってテレビをつけると、ずっと足下でじゃれたり

座ったり、時には寝たりしてずっと一緒に過ごす

まあ「命の恩人だからな」なんて恩に着せて言ってみたりするが「にゃー」と簡単に聞き流す

ネコは犬と違って体が骨が無いように、くにゃくにゃだ、ほんの隙間でも入り込む

「穴があったら入りたい」とはネコの為の言葉の様だ

ネコを見ていると飽きない、仕事を忘れてホッとできる僅かな時間だ

 

     

 

    


那須スキー場高校生遭難

2017年03月29日 16時37分26秒 | ニュースネタ

高校生と教師8人が遭難死した「雪崩事故」

注目点があった 通常では誰もが普段着でいけるレジャー施設の「スキー場」が遭難場所

だったこと

名前に「ファミリー」まで付いているから、我々外野はかなり家族連れが楽しめるスキー場の印象をもつ

遭難場所はスキー場のサイドにある雪深い急傾斜の林の斜面だという

それでもスキー場のゲレンデが見える位置だったと思う

問題は視界が悪い雪降りの悪天候だったということだ、だからゲレンデは見えなかったんだろう

深い雪をこざいて進むラッセル訓練だったから半身は雪に埋もれていただろう、そこに雪崩では逃げることも

できず、あっというまに高速の雪崩が覆い被さり、下の方まで雪に巻き込まれながら落下したのだろう

まさかのレジャー施設での大悲劇、山岳遭難としても8名の犠牲者というのは大事故だ。

スキー場とはいえ、既に休業に入っていたからゲレンデも雪の降るに任せて積もりっぱなしになっていただろう

返す返すも残念なのは常識で考えれば、8人も遭難死する様な場所には思えない場所だったことだ

北アルプスの深い山の中とか、そういったところでおこる様な大遭難が、こんな身近な場所で起きた。

もっとも自然現象だから希にゲレンデが雪崩に襲われてスキーヤーが飲み込まれたことは過去にもあったようだ

しかし今回の原因は企画指導者の状況判断ミスとしか考えられない

 

「撤退する勇気」という

私も高校山岳部で登山をしていたが、根性無しなので「冬山登山」と「岩登り」は絶対しないと言う条件で入部した

GWのはじまりの4月末に高校山岳部パーティ5名で、近くの1200m級の山に入った

通常の登山コースでは無く、大きな雪渓が谷から山頂まで伸びている北斜面を登って山頂を目指した

北国故、4月末とはいえまだ積雪は多かった、ただ日本海から吹き付ける強い風のおかげで斜面は比較的固くて

登山靴がすっぽりと埋まる様なことはなかった、そのかわり滑りやすい

アイゼンをつけて、20度から40度ほどの傾斜を斜めにジグザグに登っていく

出発して一時間も経たないうちにリーダーが転倒した、滑り落ちた

ピッケルで落下制動しようとしたが、そのピッケルがポ~ンと手から離れて飛んだ

悪いことにキスリングを背負った背中が下になっていて、足が浮いた形になっている

斜面はまっすぐ谷に向かって見事な一枚傾斜になっていた

「やばい!」とは当時の言葉では無いが、そんな気持ちになった

ところが運の良いことに30mほど落ちたところでリーダーの体が停まった、多分雪の深いテラス状の場所に

突っ込んだのだろう。

2人がグリセードをしてリーダーのところへ行った、私はゆっくり歩いて下った

リーダーはケガも無く元気だった「さあ道に戻ろう」と彼は言った

するとメンバーの一人が「下った方がいい、登って元の道へ行くより、下った方が楽だ」と言った

しかしリーダーは「下るのは危険だ、たいへんでも登って元のところまで行こう」と言い切った

それで彼もそれ以上言わずにみんなで黙々と登っていったのだ

天候は今にも雪が降りそうなどんよりした空だった

登り初めて三時間以上が過ぎたが山頂が見えてこない、大雪渓の所々に浮島の様に背の高い木が生えた

高台があった、そんな一つに上がって休憩した

一年生で一番身軽でひょうきんで登山技術もあるYくんが「偵察してきます」と言って上の方に登っていった

彼は3人兄妹の末っ子で、長男は地元で有名な山岳会のメンバーで新道を切り開いたり登山道整備を

したりしている本格的登山家、次男は我々の山岳部の先輩だった。

Yくんが戻ってきて「道を間違ったようです、この上は岩場になっていてとても登れるような場所ではないです」

と報告した。

もう薄暗くなってきている、普段なら明るい5時なのにどんよりした天候のせいで夜が近い

「今日はここで泊まる、テントの用意だ、それと食事の用意」

それなりの広さがある浮島、木も守ってくれる様に生えていて安心感がある

一晩ここで過ごしたが、夜なのか朝方なのか「ご~」という雪が滑り落ちていく音が2回ほど聞こえた

翌朝、われわれは登頂をあきらめて下山したのだった。

 

 

 

 

 

 


もう 未来で生きている

2017年03月28日 17時34分00秒 | 時代検証

もう2017年だよ、2000年が遠い未来だった高校時代から

ほんの僅かな時間でここまでやってきた

2000年でさえ超未来で、人々は一人乗りの円盤で空中を飛んで通勤しているはずだった

月くらいなら普通に観光旅行をしているはずだった

そのくらいしか西暦2000年を想像できなかった、タイムマシンが完成していると思ったかもしれない

現実は1970年と比べても、それほど変わっていない

1970年にあった生活機械が大進歩をとげただけで、まったく新しいものは何もできていない

田舎町は相変わらず田舎町で、そうそう未来になったなあと実感できるのは10数メートルの橋脚の上を

流線的に走って行く新幹線を見るときかな、それだけが科学が進歩したなあと感じるときだ

2001年宇宙の旅も的外れ、ターミネーターでは1997年に核戦争で人類の大部分が滅ぶ

そんなのも今日から見たら過去なんだなあ、随分遠い時代に来てしまった

2000年では50歳で老人になっていると高校時代に思っていた、50歳の自分が想像できなかった

なのに今は66歳、18歳の時と気持ちはあまり変わっていない、進化してない

ただ経験したことだけが積み重なって生き方が少しは上手になった

勿論、運動能力、体力、皮膚肌は衰えた、でもそれだけのこと、向上心も好奇心も衰えていない

未来なんてこんなものだったんだ

まもなく21世紀生まれの子供たちが高校を卒業して世の中に現れる、20世紀生まれと21世紀生まれが

数の上で逆転するのはいつ頃になるのだろうか、2050年か?

19世紀生まれは最年少で118歳、世界を探せばいるのだろうか?


選挙は面白い

2017年03月28日 10時54分40秒 | ニュースネタ

我が国では、明らかなところ凡そ2000年の歴史があるけれど

既にそこにはリーダーが存在していた

日本は当時、小国家が点在していたと「魏志倭人伝」に書かれている

卑弥呼は多分その中の一つの首長であって、統一国家の長では無かったと思われる

日本には建国以来のリーダー「天皇」と、天皇の下で施政実務を行う長、すなわち摂政関白

あるいは大臣がいた、だが平氏以来、武家の台頭により宮中の大臣は飾り物となり

天皇の政務代行を行ったのは武家になった、すなわち征夷大将軍、名分は天皇より軍事の全権を

授けられ夷敵を討伐するという名目

鎌倉、室町、江戸と国政を牛耳ってきたのは数少ない例を除き武家であった

明治維新が起こるまでは、日本の政治を司ったのは武力でもっとも強い者であった

明治維新から国政を行ったのは、明治天皇を頂いた者たちだった、そのリーダーは革命家たちの

互選で選ばれ、取り巻く議員たちはごく少数の金持ちの男子によって選ばれた。

日本のリーダー選出方法に大きな変化がおこったのは太平洋戦争で負けた後である

勝利者のアメリカによって憲法は作り替えられ、大多数を占めていた平民に選挙権が与えられた

まったく問題にされていなかった女性にも参政権が与えられた。

これより市町村、県、国会議員の選出は国民の直接選挙で決められる様になった

ただ国のトップは、最大政党の中から政党員の選挙で選ばれる間接選挙になっている

総理大臣は国民が選ぶのでは無く、国民が選んだ第一党の中で選ばれるのだ

 

国政はともかく、われわれ平凡な市民がもっとも身近で興味があるのは市町村議員の選挙だ

もうすぐ選挙とあって、町の中も少しずつ動きが出始めている

昔は封建的で地域の権力者(たいていは土木建設業者だった)が従業員や関連業者を配下にして

露骨な選挙運動を展開したものだったが、市民レベルが上がった現代では通用しなくなった。

 凡そ20名を選ぶことになるが、議員の選挙運動はそれぞれ特徴があって面白い

地域住民を頼りに地域内をこまめに挨拶して歩く人  野外パフォーマンスで注意をひく人

地元が小さくて他地域を切り取ろうと歩く人  大企業をバックに出ている人

党人  同級生頼み

だけど余裕を持って臨んでいる人というのは、議員活動の中で定期的に活動報告を出したり

日頃から政策をかかげ真剣に取り組んでいる人だ

そうした人は市内全域に顔も名前も売れている 選挙ポスターを見ても「あれは誰だ?」なんて

言われるようじゃちょっと危ない

最も当選20落選2くらいじゃ落選する方が難しいのだから、落選の危機感を持っているのは

よほど、日頃から何もやっていないんでしょうね 自信が無い

田舎議会で名誉欲でやっているようじゃ話にならないね

 

だけど様々な選挙に、投票を通じて国民が僅かながらも国政や市制に参加できると言うことは

とても幸せなことなんだ、世界には国民を奴隷化している独裁国家が存在しているし、選挙どころか

国内が内戦状態で国民の安全すら脅かされている国も多い。

経済力があり安定した国家であっても、国民に選挙権が与えられていない国もある

我が国の国民はいろいろ政治に対してもの申すが、物言えること自体が幸せだ

政府批判をしたとたんに拘束されて最悪殺されてしまう国だってあるのだから

 

国政選挙が平和裏にできるのは、その国が安定しているからだ

政府と国民の間に信頼があるからできることなのだ、以前、民主党が政権を担当したことがあるが

それによって国民の暮らしや、様々な法律などのルールが一転したわけでは無い

それは国民も知っているから安心して選挙に臨むし、自民党にしたって民主党政権になって粛正されるわけで

ないから敗れても「次の選挙では・・・・」と頑張れるのだ

日本は敗れた国家指導者が犯罪者に転落してしまう様な国ではない、それは民度が成熟している国家だからだ

選挙方法は時代と共に変化していくけれど、能ある議員と能なし議員が混じっての定数なら

能なし議員を排除した定数で十分なはずだ、2度にわたる市町村合併で、例えば合併前には3自治体で90人

の議員がいたものが、合併で一つの市になって35人の議員になっても充分市政は行われている。

経費の削減にはなっている様だ

道州制の導入案も時々出てくるけれど、こういうことなのだろうか?

 

 

 

 


カラオケは偉大な発明だ

2017年03月27日 12時31分58秒 | ライフスタイル

先日の夜はスナックで初めてダイアナロス&シュープリームスの「I hear a symphony」を

歌ってみた、1965年の大ヒットで全米チャート1位になった曲

こんな歌を演奏付きで歌えるのも「カラオケ」のおかげだ

私が今の業界に入ったのは30年前だが、当時のカラオケは4曲ほど入った「8トラ」が全盛で

それからコンパクトになって10数曲入ったカセットに変わったが、まだ歌詞カードを見ながら歌う

カラオケだった、その後は映像が出てくる画期的発明「レーザーディスク」の登場だ

これで歌詞カードがいらなくなった、ところが18cmLDなので保管がたいへんなのだ、我が店も

数百枚もたまり、納める機械がいっぱいになって新たに買い足さなければならなかった

この頃からJASRACが地方にまでやってきて著作権使用料の徴収が始まった

やがてレーザーディスクはカラオケCDになってコンパクトになり機械も小型化したのだ

そしてマイクロチップ、通信カラオケとどんどん進化してきた。

 

高校生の時、私はどうしても生オケでは無くて楽団の演奏で歌ってみたかった

そこにエレキバンド結成の話しが来て、一も二も無く仲間に入ったのだが、レパートリーが

少なすぎる、結局一番歌いたいBeatlesの曲にはメンバーは関心を示さなかった

それでコンポを買ってエコライザー機能を使ってレコードの音声部分を極力消して、演奏部分だけ

残す様にして、それをバックにして歌って悦に入っていたものだった

言わば、私なりのカラオケを作っていたのだった

 

カラオケも一般的になって簡単に歌える様になったけれど、当時は演歌など日本の歌ばかりだった

しかし今は英語は勿論、中国だろうが韓国だろうがフランス、イタリアなんでも歌いたい曲を歌える

様になった、何よりもBeatlesのほぼ全曲をカバーしているのが凄い

趣味が同じ友達と一緒に歌うとき本当に良い時代になったなあと思うのだ。

 

 

 

  


男だね稀勢の里! まさかここまでやるとは驚きだ

2017年03月27日 08時19分23秒 | 大相撲

14日目で優勝はほぼ照ノ富士で決まったかと思えた、千秋楽には直接対決で

稀勢の里は照ノ富士相手に2番続けて勝つしか優勝はない、だが昨日の鶴竜戦ではケガを庇って

自ら土俵を割らざるを得ない痛々しい相撲で負けた

それを見る限り、もしかしたら15日目は休場かという憶測さえ流れて当然だった

しかし、とうとう休まずに出場した、それだけでも見上げた根性だ

さんざん褒めておいて、日馬富士に負けた日からぼろくそに書いた私だが、一転してまた褒めている

結局、2番とも粘り腰で足が完全復調していない様な照ノ富士を土俵に這わせての「奇跡の逆転優勝」をとげた

まったくあっぱれとしか言いようが無い

しかし照ノ富士は2度目の優勝が目の前にぶら下がって半端ない緊張をしていたな

昨日までの朝青龍並みの怖い顔がどこかに消えて、泣きそうな少年の顔みたいだった

対戦前に照ノ富士が花道に登場したとき、後には久しぶりに「伊勢ヶ濱一門」の若者頭の姿が見えた

昨年の初場所、琴奨菊が優勝するまでは、白鵬、日馬富士、照ノ富士などの伊勢ヶ濱一門が優勝を独占

していたが、その後ぱったりと途絶えていたのだ、1年ぶりの伊勢ヶ濱一門からの優勝力士誕生かと誰もが

思っていただろう、残念としかいいようがない。

それにしても稀勢の里「あっぱれ!」、大横綱の第一歩を踏み出した。

琴奨菊は終盤、負けなくても良い「勢」「宝富士」に相次いで敗れたのが再昇進失敗の原因になった

千秋楽の相撲は見事だったのに残念だった、これで大関は遠ざかった、せっかく2横綱を倒したのに

なんにもならなかった、年齢的にも無理だろうな。

 

 


恐るべしモンゴル魂

2017年03月24日 21時17分34秒 | 大相撲

まだ今日の相撲は見ていないんだがPC見てたら

日馬富士が、稀勢の里を壊したみたい

モンゴル人の負けず根性か、それとも地力なのか、ちょっとなめてたかも

照の富士も一敗を守って、気がつけばモンゴルペースに戻っていた

今、ビデオを見たけれど完敗だ! いつもどおりゆっくりと横綱相撲をとろうと思ったのか

しかし相手も横綱だった、体重差は50kg近いが日馬富士は年上の意地もあるし

先輩横綱の意地もある「なめんなよ~」って燃えたんだろうな

根性の勝負だったな、稀勢の里は完全に後手に回って、立ち上がりも一気に潜り込まれて

体をあっという間に起こされて棒立ちになったところでもろ差し、これじゃ力も入らず

日馬富士相手じゃ勝てるわけも無くあっという間に土俵下へ転がされて、そのまま病院送りか!

ちぇ! 情けない 好事魔多し、ここで一本気を引き締めるべきだったなあ、オレたち日本人客も

今場所は稀勢の里の楽々優勝だと思って、「今場所は決まっているから面白くないなあ」なんて言ってたのに

これで照の富士の2度目の優勝の芽も出てきた、高安も3連敗となったし日本人の優勝の芽は消えてと言って

良いだろう。

ぜんぜん力が入っていなかった者なあ稀勢の里は、全身を岩にして思い切り体当たりするべきだった

完全に当たり負け、それより勝負の執念負けだった。

日馬富士に脱帽!

 


高齢化社会

2017年03月24日 08時58分05秒 | 老人介護

「忘れ去られた町」という実感は朝の市場に行ってみるとよくわかる

この一週間は天候も悪いこともあるが市場への魚の入荷はほとんどゼロ

「やる気があるのか」と問いたくもなるし、過去に何回も問うたことがあるが同じだ

発注した魚だけが届く市場、セリを期待して行く魚屋が多いのでこの一週間は

まったくの空振りだ

地元では遠いところでは20km位先から毎朝やってくるし、40km」先の長野県から

仕入に来る業者もいる

もっとも市場だけが悪いわけでは無い、購買力が無くなった小売業者にも責任はある

市場だってたくさん仕入れて残ったり、セリで利益が上がる値が出なければ大損だ

 

今日も魚がゼロで、買参人の控え室だけが賑やかだった、人数はそれでも10数人しかいない

セリがあっても20人くらいが参加するだけの小さな市場になってしまった

控え室のメンバーの顔を見ながら、同い年の魚屋と話した

「オレたちも上から何番目の歳になってしまったなあ」と彼は言う

昔はスーパーの食品部門長で、活発に億単位の販売をしていた男だ、独立して30年になる

私は買参人の一覧を見ながら数えてみる、約40名の登録だ

「14番目だな、あんたは15番目、まだまだ上があるから安心していいよ」

66歳にしてまだ上位から40%の位置だからいかに高齢化しているかわかる

66歳なんて一般社会ではもうリタイヤしている、だがオレたちのこの社会ではまだ成熟期なのだ

今この控え室のメンバーを見ても、一番若いのは30代前半だが、その上は46歳、48歳、あとは

60前がいない、一番若いのが還暦の60歳になったばかりで、今入ってきた一番の元気者は

70歳、「何の話しをしてるんだね」と聞いてきた女性は組合最長老84歳、隣の女性も75歳

目の前でタバコをぷかぷか吸いながらインスタントコーヒーを飲んでいる男性はこの中では男子最長老の

75歳、あとは全て65歳前後だ、みんな現役の魚屋や居酒屋、飲食店

平均年齢もこのまま行けば数年後には70歳到達だ

60歳でも「わかいもん」と呼ばれる田舎の高齢化社会

偶然、富山県の射水市のHPを見たら、人口ピラミッドが我が町とは随分違う

「高足駒型」60~70歳が異常に膨らんでいる我が町に比べて、射水市は50代付近が中心で若い世代に向かっても

緩やかに膨らんでいる

考えてみたらこの町は富山市のベッドタウンなのだ、大学病院があり、付近には国立をはじめ大学もいくつかある

学生やそれに対応する産業も多いからだ、外国人率も2%の約2000人住んでいる

この近くには富山空港がある、中国大連への直行便がある数少ない空港だ、だから富山県は全国でも中国人在住率が

高い県だ。

こんな射水市を見たら、我が町はどうなんだろう、そういえばシニアが住みたい町のランキングで上位にランクされていた

たしかに老人には住みやすい町かもしれない、もっとも病院設備では問題にならないほど病院と医師不足の町だから

「健康な老人には住みやすい町」と付け加えなければならない。

 

 

 

 

 

 


若大将の青春(加山雄三)

2017年03月23日 08時08分25秒 | 映画/ドラマ

中学生の時から文通していた日暮里のA子さんも今年で67歳か

もう50年経ったんだなあ・・・・・・・とても信じられない

A子さんは当時、加山雄三さんの大ファンだった、「若大将シリーズ」の映画がヒットしていたとき

海にスキーに何をやってもトップの若大将、赤銅色の日焼けした体に、胸毛が男っぽい

大学生ながら大人の女性にモテモテ、同級生にもモテモテ

だけどいつも若大将が好きなのは「すみちゃん」だけ、星由里子さんが演じている、可愛い女性

そこに青大将が横恋慕して二人の恋にヒビを入れようと画策する、すみちゃんは誤解してわざと

若大将から遠ざかるが、青大将の悪巧みは露見して二人は元の鞘に収まってめでたしめでたし

毎回手を替え品を替えだが、ストーリーは同じ、毎回、若大将は老舗のすき焼きやの若旦那

青大将は大会社の御曹司は同じ配役だが、すみちゃんはいつも「すみちゃん」だけど職業が毎回

かわる。

プレスリーの青春シリーズとよく似ている、二枚目は最後に勝つ展開、青大将が気の毒だ

この頃はエレキブームで、加山雄三さんもランチャーズというバックバンドを率いてヒット連発

特に挿入歌の「きみといつまでも」はビッグヒットで社会現象になった、結婚式でも必ず歌われた曲だ

「蒼い星屑」「夜空の星」「走れドンキー」など軽快なエレキの曲もあれば、「恋は赤いバラ」「まだ見ぬ恋人」など

ロマンチックなラブソングもあった。

私もこんな加山さんの曲が大好きでカラオケでよく歌う、加山さんは歌い方がぶっきらぼうで全然上手では無い

だが、そんな歌い方が男らしくて女性に人気があるのだ。

だけど青大将、かっこわるいお坊ちゃまを演じた三枚目役の田中邦衛さんは、1980年代から撮ったシリーズ

「北の国から」では、冴えないけれど、男手一つで一生懸命子供を育てるたくましい父親を演じた

連続テレビドラマを経て、そのあと特別編が数年おきくらいに続編として撮られて続いた

その間15年以上続き、配役は子供から青年まで成長しながら、まるで実録の成長日記みたいな映画になった

これは感動もので、寂しげで愛くるしい「蛍」は成長してあんな女性になるのかと、あとからまとめて見た私は

その成長に驚いたのだった、だけど少女時代の中島朋子ちゃんのじっと悲しみをこらえて秘めている空虚な気持ちを

演じる姿は名演技だ、泣けてくるね、特にキタキツネが罠にかかったシーンは、ここまで泣かせるかって・・・。

この長編も2度見たが、また近いうちに3度目を見ようと先日放送されたのを録画しておいた。

子供の悩みと苦悩、まったく財産を持たず全てを手作業で作り上げていく父親の葛藤、この映画は数々の映画の中でも

最高峰だ、いつも見終わると「さわやか感」や「ハッピー」な気持ちには決してなれない映画、切なさとやるせなさだけが

残る映画だ、そんな中で岩城滉一だけが、明るくかっこいいけどお馬鹿キャラで出ている、だけど彼も劇中で死んでしまう

そんなとっても暗い映画なのだ、楢山節考のような重苦しい映画だ。

人間が動物として生きていく、与えられた過酷な自然だけを相手に生きていく、華やかな都会とは無縁な原始的な生活環境

子供を育てるには決して良いとは言えない環境、そんな中でラベンダー畑の美しさが悲しい。

竹下景子が、唯一の子供たちの希望として登場するが、後半では重く悲しい役柄に変わっていく、やはりハッピーエンド

にはさせてくれない。

最終作「遺言」のあとがまだ見たい、「北の国から~2018」なんてのを見たいなあ

どんな映画ができあがるんだろうか?

純役の吉岡秀隆46歳、“蛍”役の中嶋朋子45歳、田中邦衛さんは84歳、田中さんはもう無理か?いろいろ噂話もあるし

でも老人ホームに入っている黒板五郎・・・・・・???おもしろくないか?

中島朋子と吉岡秀隆は20年近く兄妹役を演じてきたから本当の兄妹みたいな気分だろうな、面白いのは「遺言」で

最後に結ばれる吉岡と内田有紀が、この映画の後、本当に結婚してしまったこと、ほんとこの映画は映像と現実が

ごっちゃになっているおかしな映画だ、その後二人は離婚しちゃったんだけど・・・・・・