まずはご心配いただいたブロ友の皆様に感謝申し上げます。
本来なら昨日は「新年おめでとうございます」でブログがはじまるはずでしたが
昼にかけて「実業団駅伝」を見て、それから長野県近くまでドライブをして、帰宅して間もなく家で地震に遭遇しました。
一回目は震度3で10秒ほどの短い地震、いつも通りの慣れた地震なので変な意味(物足りない)くらいでした。
しかし(たぶん)2~3分後に地震アラートが鳴り、すぐに揺れが始まりましたが
こいつは私が経験した地震、三陸沖、中越、中越沖、今までの能登沖などの大地震を超える酷い揺れで約2分以上続いたと思います。
目の前で玄関に飾ったばかりの花瓶が二つとも落下して割れ、身動きもままならず女房殿は廊下で手すりにしがみついたまま動けず
すぐにテレビをつけたら5分後くらいに「大津波警報」発令、これが怖かった
外に出たら近所の人たちも何人か顔色を変えて出ていたので「すぐ逃げましょう」と言って、すぐに二階へ上がって長男、次男に車で逃げるよう指示
長男と女房殿、私と次男の2台で避難場所へ向かった。
我が家から幹線道路までは30mの私道で、南は行き止まりで北にしか出られない、幹線道路が渋滞すれば袋のネズミになる。
ところが私道最後の家が空き家で、その家の屋根瓦が道路に落ちてくだけていて、先頭の車がでられず、運転手が下りて足で道端に瓦を移動
ここで手間取った、ラジオからは「すぐ逃げなさい! 三陸津波を思い出してください!」と女子アナがヒステリックの命令口調で、が鳴りまくる
幹線道路に出て間もなく渋滞が始まった、わが町は細い枝道、クランクが多くてより大きな道に出るたびに一時停止
それでも避難場所の体育館は近いので10分くらいで到着した
避難者の中では早い方で駐車場はまだ2~3割くらいしか埋まっていなかった
ここは海から2kmくらい、海抜25mくらいで更に海抜50mくらいの公園を背にしているからいざとなればそこまで逃げられる場所。
市街地と海が一望できるので、そちらを見たが海はいつも通りだった
ラジオではわが町は最大3m以上という、そして2度目の地震は能登が震度7、わが町を含む広範囲が震度5強であった。
避難所に着いたのが16時30分くらい、地震発生から25分くらいで避難所に着いた。 その後も30分おきくらいに地震が起きて、車でも揺れを感じる。
ようやく我に返って、いろんな考えが浮かんできたので、最初は教訓であった
隣の一人暮らしの80台の奥さんに声をかけることを忘れたことに気づいた、これは私も多少パニックに陥っていたのかもしれず、もしこの次あった時の教訓となった。
それからラインでボランティアグループ、同級生グループ、家族に安否確認の現状を問い合わせるメールを送った。
すぐに各地からラインメールが届き始めて、東京や名古屋の仲間からも心配メールが入り始めた。
これは良いことだったと思う、仲間の状況がわかれば少しは共同意識が起きて安心につながる。
家族関係では、地元の妹宅は海から200m、新潟市の弟宅も500mくらい、黒部の女房殿の姉宅も1km以内で全員が高台に避難していた。
その後、避難所には続々と車や徒歩の人がやってきて1時間ほどで満車になり、その頃には体育館も解放されて暖房が入った、本来はだめだが緊急につき土足でOKと職員が言った。
ここだけで1000名くらいは収容できる、他にも車の中に居る人も多くいた。
ここでつーくん家族にも会えた。
ボランティア仲間の一人は九州から娘の家族が飛行機で小松空港に来たので、息子と二人で飛行場に車で迎えに行き、そこで地震に遭ってしまった。
夜8時過ぎても地震、津波が解除されるまで荷物の運び出しがストップで飛行場から出られないとのメールが来た。
北陸道も全面的に交通止めになり、その後、20時から通信障害が起こり、ようやく先ほど(午前5時)開通したので急ぎブログを書いている。
私たちはまだ津波解除にならない19時半に帰宅した。
家に戻って被害を確認、玄関の花瓶が2つ割れ、仏壇の仏具が畳に落ちていたし、風呂場の様々な物も落下、台所では食器棚が開いて皿が5~6枚割れていた
一階はそんな程度だったが、二階の私の部屋が一番被害が大きかった
7段のタンスは全て半分飛び出し、PCラックの最上段のプリンターは落下して下のパソコンに落ちたが、たまたまあったセロテープの器具に当たって直撃を免れていた。
本棚からは切手帳や本が落下していたし、小物を入れた何段かのラック類は全て倒れて中身が飛び出していた。
ベッドの上にもラックが二つ倒れていた。 とにかく原状復帰に1時間かかった。
幸いに家族も周囲の人も無事でよかったが、市内では数名のケガ人が出たし、近隣の市町村ではショック死の人も何人か出た。
またこんな中で火災が発生して「やばい!」と思ったら、それはまもなく誤報であったことがわかった。
津波もわが町は大したことが無かったようだが、富山市で80cmだったそうで能登輪島では120cm以上とのことだった。
7時過ぎたらまた仲間たちの状況を把握したいと思う。
皆様方には多大なご心配をおかけしました、たいした被害もなく無事でいます
ありがとうございました。