神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)

風吹くままに 流れるままに
(yottin blog)

各地で交通止め 大渋滞

2024年01月24日 20時41分04秒 | 自然災害
 大雪警報が出ていたが、今日一日は曇り空で雪はほとんど降らなかった
風があるので、雪雲は山間部へと行ったのだろう、山間部はどこも雪模様で新潟県、富山県、石川県、福井県も山間部のいたるところで交通止めになっている。
それ以外にも東名高速道が関ケ原から滋賀県、三重県にかけて  積雪で車が動けなくなっていると言う。
滋賀県から福井県への賤ケ岳の県境付近でも交通止めらしい。
昔は、あまりこういったことが無かった気がするが、車の性能が向上して過信してしまう傾向があるのかもしれない
それと雪に慣れているかいないかでも違ってくるが、いくら対策が万全でも前方に雪慣れしない車が動けなくなってしまえば、それまでだ。
ノーマルタイヤは論外だが、スノータイヤであっても4WDは必要だ、車高の低い車もアウト、雪が激しいとワイパーがやられる、ワイパーがやられれば前が見えなくなるから、それ以外がOKでもアウトだ。
燃料も出かける前には満タンにしていかないと一晩をすごすときにはピンチになる、それとトイレ対策もしていく必要がある。
車中泊覚悟なら毛布は必要だ、廃ガス中毒対策の為、1時間に一度は排気管の周りの除雪は欠かせない、複数でいれば交代で睡眠がとれる。
関ケ原付近では50cm前後の大雪と言うから雪国の我々の地域より遥かに多い
雪に慣れていなければ、これはたいへんな状況だ、毎年同じことが繰り返されている、大雪警報が出たらとにかく出ないのが一番だ。
仕事の為と言っても、このような事態になれば余計に仕事が遅れる結果になる
送り出した会社側も、のんびり寝てはいられなくなるだろう。
私も明日はドライブの日だが、当然ながら家で巣ごもりをして過ごす
雪はまだ金曜いっぱいまで降る予想だ、じっとしているのが一番。

昨日の当地、散歩してきた 大寒の雪国とは信じられない







今年3回目の出漁 成果は?

2024年01月22日 05時30分38秒 | 自然災害
 一昨日、船長から「月曜日に船がでます」と連絡が来た
昨夜は「光る君へ」を見るのをあきらめて録画にまわして20時に寝た

今朝は2時50分に目が覚めて、起きるには早く、さりとて寝るには目が冴えていて(どうしよう)と考えているうちに、夢に落ちた。
夢の中では家族を巻き込んで「2時に目が覚めたが、どうしたらいい?」と大騒ぎだった、そして再び目が覚めたら3時半だった。 今度はタイミングばっちり。 起きるとすぐに作業着に着替えて、いつでも出られるようにしておく

顔を洗って、昨日作っておいた簡単な「スンドゥブチゲ(豆腐鍋)」を汁代わりに、残ったわかめの味噌汁に溶き玉を落して熱々の「オジヤ」
冬の夜中の食事には韓国風はバッチリ、チゲにはワラビ、豆腐、白菜、ひき肉、唐辛子、えのきなどを入れた。

食事が終わって4時ちょっとすぎ、ブログチェックしながらコーヒーを飲んでいたら船長からメールが
「入港は7時半になります」なんと2時間遅くなって大いに暇が空いた
寝ようかとも思ったが、それでは寝すぎになるし、ブログを書くことにして、今やっている。

メールを開いたら、昨日も船長から来ていたのに完全に見落としていた
「明日は天候不順なんで何時に出られるかわかりません、また連絡します」とあった。

今年の漁業は散々だ、1月4日は「べたなぎ」だったのに、地震の影響で漁業者は申し合わせて出漁を見送った。
初競りは近年滅多にない1月9日だった、しかし漁場に行ってみれば地震で網はどこへやら・・・探し回っても見つからず空手で全船帰港、網の被害だけでも100万円単位だった。

次に出たのは14日だったが商品になったの20匹程度、大赤字
そして今日、ようやく3回目、しかし遅い出航だから量によっては一網で終わる可能性もある。

わが漁港の被害は網の流失、漁場の変化以外では堤防の先にあった誘導灯が破壊されて反対側の堤防に流れ着き、そこで光っているので見間違った船に被害が出るのではと言う程度。(すぐに管轄の役所に届けた)

元旦以来、こちらの漁業も散々な目に遭っているが、漁師同士の会話はいつも「能登の漁師と比べたら我慢しなけりゃいけないな」
輪島の沖合40kmほどの所に舳倉島(へぐらじま)があり、気象観測所となっている舳倉島灯台は漁業者が出航判断のデーターとして利用しているが、今もなお全てのデーターが「不明」のまま続いている。

そういえば地震との関連は知らないが、去年は北海道や新潟県で大量のイワシが海岸に(魚が自主的に)打ち上げられるというニュースが何度かあった。
地震の前日の大晦日には九州宮崎でも海岸に押し寄せた魚の動画が公開されていた。
水温がイワシが住めないマイナスになったから。 酸欠になった。 捕食者に追われた。 などという説が言われたが・・・去年から海の中では何かが起きていたのはたしかなようだ。

写真 記事とは関係ありません





能登半島地震 新湊周辺を歩いた

2024年01月19日 19時01分31秒 | 自然災害
 北陸三県の面積がほとんど一緒なのが面白い
全国33位が富山県、34位福井県、35位石川県と面積がほぼ同じ三県が並んでいるのも面白い、江戸時代は石川県は前田家加賀100万石の本貫地、富山県は加賀100万石の内で前田家支藩(分家)だった。
この石川、富山と面積が似ているのは徳島県、長崎県である。
同じ北信越でも長野県は4位、新潟県が5位と広い、長野は新潟より一回りくらい広い(約1000㎢)、北陸三県を合わせると、ほぼ新潟県と同じ面積になる。 この5県をまとめると北信越という単位になることは何度も書いている。

能登半島地震では震源の石川県は元より、北信越5県すべてが大きく揺れて、石川、富山、新潟の物的、人的被害が大きかった。
富山県は東部、西部に分けるが東部は富山市から石川県境の小矢部までで、能登半島の付け根ともいえる位置にある、特に氷見市と小矢部市は石川県に接して高岡市と共に能登半島の一部になっている
そんなわけで今度の地震ではこの三市の被害が大きかった。
さすがに野次馬的に困っている土地へ興味本位で行くことはできない、毎月2回行っている海王丸パークがある新湊地区から高岡の万葉線あたりの様子を見て帰ってくることにした。

このブログでも紹介して写真もアップした電車+散歩記事
万葉線の海王丸駅から中伏木まで電車に乗り、中伏木から庄川口駅まで散歩した道がどんな状況か行ってみた。
今日は生憎の雨降りで歩いてと言うわけにはいかなかったが、予想以上に道路の陥没などがあって驚いた。
港周辺ではコンクリートミキサー車が忙しく動いていた

海王丸パークでも駐車場の道路の一部にひび割れがあった
なにより新湊大橋の東の取り付け道路に陥没とひび割れがあったのには驚いた、この港をまたぐ大きな橋が交通止めではと心配したが、まだ新しい橋にはそれはなかった。
富山新港の橋のあたりにも段差が出来ていたし、パークの西にある観光施設「きっときと市場」周辺から新湊漁港は被害が顕著である、一部の道路は交通止めになって警備員が立っていた。

新湊大橋東詰め

「きっときと」手前の道路

新湊漁港周辺






がれき置き場




庄川土手 












カニ漁ピンチ

2024年01月14日 18時06分06秒 | 自然災害
 今日、新年二回目のカニ漁に出た。 先日は地震で全ての網が無くなり、カニはとれず網は大損害。
今日は様子見で3回網上げのところを1回にしたが、市場に出せるカニは僅か5箱程度
赤カレイを加えても10箱くらい、去年は150箱を超える日もあったのに、これでは死活問題だ。
他の漁師も同じで元気がない。
多分地震は海底を激しく揺らして泥を巻き上げ、泳げないカニは泥に埋もれて全滅したのではないか?
あんこう漁も、たった1匹しか獲れなかったという。
この先、何を獲れば良いのか船長は悩んでいる。
カニ漁を辞めれば、私も、お役御免だ。
せっかくなれてきたのに、私もまた暇つぶしを考えなければならない。

今朝は昨日降った雪が凍り、車を出すに苦労した、道路も凍ってスリップしないよう気をつけて走った。

朝6時、カリカリに凍った港



津波への備え 次第に判明した被害

2024年01月11日 08時39分36秒 | 自然災害
 北陸、新潟に高波はあっても津波は来ない、富山県は地震被害ない、これが覆った今度の地震。

今度の地震の人的被害は9日現在死者は石川202人、富山、新潟は0
負傷者は石川565人、富山41人、新潟48人、避難者、石川26158人、富山82人、新潟21人、
津波の死者は居ないようだが、港の船の損失は津波が原因だろう、報道より大きな津波が来たのは確かだろう、観測所は僅かで小規模な市町村には観測機器がない。

県のまとめでは一部損壊が多いが富山県は800軒以上、新潟県は2000軒以上の家屋被害が発生した。 わが町も300軒以上が被害に遭った。

新潟県には小規模な津波被害があった(床下浸水14軒)、特に海辺の上越市直江津地区は海水浴場と関川の下流域の津波が川を45m進んで、4.5mの堤防を越えて民家に被害を与えている。
直江津海岸の津波は最大2mと発表された、海岸の高台の公園には津波が6.6mまで押し寄せた、海岸線から最大100m上陸した。

富山市には1mほどの津波が来た、
そして石川県の志賀原発には3mの津波が襲寄せたと北陸電力が発表した。 敷地は海面から11mで4mの防潮堤がその上にあるので海水の侵入は無かったそうだ。
しかし11日の報道では変圧器の絶縁油が海上に流失したそうだ。

能登の珠洲、輪島、志賀町にかけての海岸線90kmに渡って海岸が隆起した、輪島市では4.4㎢が陸地になったそうだ、最大で4m隆起したところもある。
逆に穴水町では沈下したところがあるようだ。

どんどんわかって来た自身の様子、わが町でも予想以上の津波や揺れがあったのだろう、我が家も住んでいない旧宅の土間が5cmくらい隆起して、逆に土間の縁が数cm陥没してドアが外れた。

昨日は震度3強(長岡市で震度5)の余震、今日の夜も震度1程度(能登で4)
津波が怖くて、「津波はありません」と言うたびに胸をなでおろす。
緊急セットと衣類などを詰めたバッグと防寒具は玄関付近置いておく習慣がついた。
逃げ道の確認も家族で話した、息子が仕事中なら我々はかってに逃げるから息子はこっちを気にせず職場から直接にげること。
私が車で出かけた時、女房殿は徒歩で近くの市役所(7階建て)に逃げること。
私も家にいたら、今度は隣の奥さんを誘って逃げること。
逃げ道も渋滞しないルートを確認した。
ガソリンは半分以上入れておくこと、スマホは80%以上、充電器は忘れず持っていく。 水は車に積んでおく1L×6本 缶詰など保存食を3日分くらい確保。

こんな日が来ないことを祈るばかりだ。







新たな地震被害

2024年01月09日 07時22分36秒 | 自然災害
 地震の影響で遅れていた漁協の初セリがようやく今日行われる
豊洲では初競り、大間のマグロに1億数千万円の値が付いた、いよいよコロナの影が薄れて飲食業界も復活を果たした。
こちらのカニも初競り、いくら値が付くか楽しみにして、5時に港へ行った
5時半、船が港に戻って来た。 
ところがカニの姿が無い、いつもは3連12、36把くらいの網をあげるのに、船にあったのはたった1把、それも切れた僅かな残りだけで10mもない、残りは全て地震の海底の揺れでズタズタに切られて行方不明だそうだ。
後から刺した網も含めて50把、ほとんどが新年用の新品網で最低でも100万円の損害、さらに本当は水揚げされるはずのカニの売り上げがゼロ、大損害だ。
僚船も同じ程度の損害を被ている。
僚船の40歳の船長もやってきて、さんざん歎いて行った。
「嫁さんを売るしかない!」
定置網漁もとうぶん休業で乗組員も「パート仕事をさがさなければならん」と嘆いている。

空籠ばかり ぼーぜん!


今が子持ちの産卵前の甘えびも、たぶん全滅したのではないかとも言った
それでも、ここは船も港も無事だから我慢できる
輪島漁協では港が隆起して、船が転覆、さらに数十艘沖に流されたと言う
そのうちの8艘が新潟県の西部の海岸に流れ着いた、流れ着いて岸壁にぶつかって沈んだ船もあると言う。
輪島では災害の人命救助が優先で、漁業者も港や船の始末どころではないらしい。
流れ着いた輪島の漁船は20トン級の大船で、こちらの近海漁業の5トンと比べても比較にならないほど大きい。
その船の被害金額だけ考えてもたいへんなものだ。

今日の船長の水揚げはカニ10匹くらい、中型が1匹、それ以外は小さいから市場に出せるのは二箱くらいか・・・
まだ1か月くらい地震の恐れがあると発表があった、船長はまた網の被害が起ることを恐れて、新たな網を刺すことをためらっている。
「1月は休業か」という弱音も出て来た。 だがカニ漁は1月が最盛期、ここで稼がないと苦しい。

網の損害の補償はのぞめないのではないかと言う、それは自己申告だからだ
ズルい者がいれば過大に損害を申告するかもしれないからだ。
だから船長のように真面目な漁業者はバカを見る。
政府は広域激甚災害を適用すると発表した、個別保証が無理なら日頃の実績に合わせた保証をしてくれればよいのではないかと思う
第三者だから無責任に言っているが、漁業者の口は重い。



ラジオを聞いていたら、今度はインドネシアでM7の地震が発生
田中直紀、真紀子の元大臣夫婦宅が火事で焼けた、田中角栄元総理の目白御殿だ、線香の火が原因だとか
今年は元日早々、騒がしい。









能登半島のこと

2024年01月08日 07時11分43秒 | 自然災害
 昨夜7日から今日8日朝にかけて平地で40cmの大雪が降るとの情報であったが、8日7時の時点で、うっすらまだらに白くなった程度である。
40cmの雪など昔は大雪と言わなかったが、この20年以上1mの積雪があった年は数回だけで、年齢のせいもあるが、40cmの積雪が大雪と言うのは間違っていない気がしてきた。
たしかに地球は温かくなっている、熊が冬眠しないのもそのせいもあるらしい
(冬眠はー4度が必要らしいが、ー1度程度だと、どこかの観光クマセンターの情報をテレビで見た、10数頭のうち4頭がまだ冬眠しないと言っていた)
昨夜から今朝は雪の代わりに強風が一晩中吹いている。


 私の居るところから能登半島は日帰りドライブするにちょうどよい
七尾から和倉温泉、そこから能登島に橋で渡る、そして水族館に行ったり、ガラス工房を見たり、ぐるりと一周して帰る。

あるいは、氷見から七尾へ行き、そこから横断してUFOで有名な羽咋に出て、南下、渚ドライブの千里浜を走って、焼き蛤を食べたら金沢に出る
少し足を延ばせば、能登金剛、巌門にも行ける、そんな日帰りコースだ。

今、書いたコースは能登半島の半分でしかない、更に北へ向かうと今度の地震で最も被害を受けている「奥能登」地方だ。
内陸には石川県で二つ目の飛行場「のと里山空港」がある
奥能登で最大の町が輪島市で温泉、朝市、棚田、キリコ祭り、朝市と祭りの中心となる河井町付近が今度の200戸以上が焼けた火災現場だという。
中心部が壊滅的な打撃を受けてしまった。

私は輪島の温泉が好きで過去に3回、高州園で泊ったことがある
塩水の温泉で、目の前には日本海が広がる大浴場、気持ちよい
しかし輪島や能登の先端、珠洲市は日帰りと言うわけにはいかない
一度、輪島から棚田「千枚田」を見てから、珠洲のラベンダーの丘だったかを見た後、海岸沿いに穏やかな九十九湾沿岸を走り、5月でもありうららかな日差しの中に輝く海は美しく、モーターボートに乗って海面を走っている錯覚になったほどだ。

氷見を目指して初めて湾岸沿いに走ったのだが、行けども行けども七尾市にすらつかず、あとで能登の大きさを舐めていたと知った。
皆さんは、能登の海岸線を半周、七尾市から輪島市、羽咋市、金沢市というルート、何キロあると思いますか?
上記のルートは国道249号線が走っている、七尾から金沢までの海岸ルート
国道ナンバーとほぼ同じ約250kmあります。
これは新潟県の富山県境から山形県境までの距離と同じくらい
東海道だと東京から浜松くらいの距離(245km)になります。

能登半島は大部分が山間部であるが、ほとんどが200~500m程度の低い山だ
冬でも積雪は金沢や富山に比べて比較的少ない、おそらく日本海に突き出ているため風が強く、山が低いので雪雲も通過するからではないだろうか。
その代わり白山や立山連峰に雪雲が当たって、富山平野から加賀平野に大雪を降らせる。

新潟の佐渡島も同様で本州に比べると積雪は少ない、但し佐渡には金北山という標高1172mの山があり、これを中心にほぼ東西に山脈となっている。
この山脈が壁になっているおかげなのか、新潟市は県内の他の沿岸市町村に比べて積雪が少ない。

能登は本当に海がきれいな半島である、入り江も多く漁場も多い
だから富山県からつながる能登では日本海、富山湾のひきしまった新鮮な魚が豊富だ、温泉も和倉、輪島に日本有数の温泉旅館があり大勢の観光客が訪れる
しかし、この地震で当分の間、休業を余儀なくされている。
和倉温泉も2年前に同級生で行って来たばかりだったのに、どうなっているんだろうか。

復旧工事が完了するまでの間、能登半島を訪れることはできないだろう
まずいことにこれから本格的な冬がやってくる、普段でも雪国は冬の活動が制約されている、それがそうもしていられない現実が起った。
雪が降る前に復旧を急がないとならない、しかし厳しい現実がある。
雪国は何重にも苦しい冬の中で暮らしている。

今は交通止めであろう「能越自動車道」からの景色






少し落ち着いたけど後始末が

2024年01月06日 05時58分51秒 | 自然災害
 たった今、6日午前5時26分また強い揺れが起きて目が覚めた
当地は震度3程度、数秒の揺れで津波は心配ない
震源地は能登の穴水町で震度5強だから、最大の地震時のわが町の恐怖の揺れと同じだ、富山県では能登の根元の氷見市で震度4だった。
発生以来、もう6日目に入ったが、相変わらず強い余震が続いている。
津波が無いのが少しは救いだが、奥能登地方では救助活動がようやく開始されたばかり、しかも道路は各地で通行不能箇所が多い。
行方不明者も、どれだけいるのかわかっていない、揺れるたびに地盤や家屋が弱体化していく

震源地の穴水町は輪島市と接しているが、輪島市や珠洲市が外海の日本海に面しているのに対して、穴水町は穏やかな内海の能登北湾に面している、能登島を挟んで七尾市は能登南湾に面している
加賀屋などがある和倉温泉は中間の能登島の付け根に位置する、今は全面的に休業中、いつ再開するかは不明だ、大きな経済打撃も受けている。
いったいいつ、この恐怖心が能登の人々から無くなるのだろうか

 3日になってようやく精神的疲労は遠のき始めた、反動で寝坊するほどぐっすり寝るようになったので、ようやく外出する余裕もできた。

4日は、まだ様子を見ていなかった旧宅を見に行って来た
途中、一の神社に初詣した、ここでも3mほどの大きな石塔が崩れていた
近所の家の屋根瓦がかなりの範囲で剥げていた、他にも寺のブロック塀が5mほど3段で倒壊していた、わが町の被害も相当なものだ

旧宅でも唖然とした、一階の調理場横の玄関戸が2枚とも内側に倒れて壁に寄りかかっていた
反対側だと隣家の外壁に当たるところだったから危なかった。

持ち上げてレールにはめようとしたが、下に合わせると上に隙間が出来て戸が収まらない。
仕方なく、そのままにして調理場の中を見ようと扉を押したがびくともしない
それで別の戸口から入ったらコンクリートの床が隆起している、ひびが入っている、北側の土台が3cm✖3mほど隙間が空いていて外が見えた。
陥没した部分と隆起した部分があって、液状化現象なのか、それで玄関戸も浮いてしまったのだ。
たまたま畳が2枚あったので、それを玄関に立てかけて、外れた重いドアを2枚とも抑えにして一応入り口は閉じた。

5日は、友達の工務店社長を訪ねて相談した
雑談の中では通信障害の話が出て、社長も私同様2日間スマホやPCが全く使えなかったそうだが彼はKDDIだそうだ。
製材会社の社長の地域は問題なかったそうだ、この町でも一部の範囲でだけ通信不能地域があって、その中に私と社長の地域が含まれていたのだ。
因みに工務店社長宅と我が家は直線で3km程度、製材会社とは川を挟んで6kmくらいだ。





ちょうど製材工場の社長も新年のあいさつに来ていたので、3人で地震のあれこれと復旧工事の現状、市の対応などを聞かせてもらった。
一応、市からは建築業者や配管業者などに対応の話はあったらしい、応急処置の補助金も出るようだが、その前に罹災証明書の必要があると言うが、その受付体制が市では整っていないらしくて10日過ぎからの受付になるらしい。
すでに200件から300件の被害が明らかになっていて、保険などで復旧できる人は工事を独自で始めている。

補助金は原状復帰の費用ではなく、あくまでも雨漏りなどに対する応急処置にのみ出されるものなのだそうだ。
その意味は早急に水漏れ対策をすることらしいが「10日過ぎまで受け付けも始まらなくて、早急とは矛盾しているのでは」と社長は言った。

その話を聞いて、私も気長にしていられないし、社長に「ベニヤ板を打ち付けておこうと思う、出入りには必要ない玄関だから」と言ったら
「その方が良いと思うよ、ベニヤはうちにコンパネがあるからあげますよ」
そして、旧宅までトラックで持ってきてくれると言う
ありがたく頂戴することにした。

旧宅は、もう住むこともなく、管理義務もない家なのだが、さすがに誰でも入られる状態にはしておけない
不審者が入り込むのも嫌だから応急処置をしておくのだ、相談して良かった。

今日は天気が良かったので、工務店まで片道30分かけて往復したら1万歩を越えた、これで三日続けて歩いているが、ぐっすり眠れるのもこれのおかげだと思う。



地震と津波で思ったこと 被害状況その後

2024年01月04日 10時12分05秒 | 自然災害
 もう三が日も終わり地震の記事も書きたくないのだが、正月早々の地震、航空機事故と続いていて、なかなか楽しい記事を書く気にはなれない。
昨年末には、真っ先に駅伝記事三連発を考えていたが、落ち着いてテレビを見ているどころではなくなった。

気分的には昨日から楽になったが、電波障害でたまっていた連絡網の対応に追われたり、年賀状書き第二弾と忙しかった。
旧宅と旧会社も被害状況を見に行ってこなければならなかったし、家の周囲すらチェックしてなかったのだ。

我が家の被害は私の部屋の中で倒れてまき散らされた様々な小物や本の片づけが出来ず、そのまま散らかっているので、それはこれから開始する。
庭や家ぐるりを見てきたら、45cm角のコンクリートブロックが一個落下、桑イチゴの木が一本根元から折れて倒れていたので、息子が切って始末した。
店へ行ってみたら、もう使っていない看板の4mほどの支柱が根元から折れて倒れていた。
旧宅は外から見た限り大丈夫だったが、今日中へ入って見てみる
おそらく30日に飾った神棚の様々が落下していると思われる。

震度5~7の石川県、富山県、新潟県の被害状況もしだいにわかって来た
震源地の能登地方は死者が70数名となり、いまだ行方不明数などもはっきりと分かっていないからまだまだ被害状況は拡大しそうだ。
こういう時、人口の少ない地方の国会議員定数を減らせと言う「一票の格差」がネックになってくる。
能登地方は東京都と変わらぬ面積なのに国会議員が一人だ、これで山間地が多い交通不便な広大な地域を一人でカバーできるだろうか。
市町村単位の行政任せが現実だ、その官民さえ被災者なのだから復興が進まないのは当然だ。
数の倫理で地方(田舎)の安心安全が切り捨てられている様がここでわかる
議員数なんかどうでもよい、それよりインフラ整備と被災者救済の公的人員をより多く、より早く奥能登に集結させるのが中央政府の責任だ。
野党だって、こんな時こそ政府の尻を叩きながら背広を脱いで先頭に立って復旧に加わるべきではないか。
それでこそ口先だけではない頼りになる野党として党勢を伸ばせるのでは?

また愚痴になってしまったが、わが町も被害が集計されてきてケガ人が数名、しかし一部損壊以上の家屋被害が200件以上だという。
また信濃川や関川(上越市)では地震の30分後くらいで40cmほど水位が増して上流に上って行ったことがわかった。
規模は小さかったが津波がたちまちやって来たことがわかった、能登の先端の震源地から富山湾沖を時速240km新幹線並みの速度で津波がやって来たという学者の話だった。

直江津海水浴場では小屋などの施設がほとんど全部流されてしまったそうだ。
富山市では1m近い津波が確認され、私が30日に行って来た海王丸パークのあたりも増水して観光に訪れていた人たちが建物の二階に避難したとか、ちらっと聞いた。
黒部の海岸部に住む義姉家族は南方の宮野山公園に避難した。
新潟県の中越、上越、富山県全域はどこも2~3km以内が丘陵地帯になっているので津波から逃げる場所は多い
速い情報さえもらえば何とか助かる可能性は高い、それに都会と違ってほとんどの家にも複数のマイカーがある
今回の地震で思ったのは、日本海でも津波が起ると言うこと、私も高波はあっても津波はないとずっと信じていた
それと日頃から非難の為の水や保存食、防寒衣類などを車にすぐ積み込んで逃げられるような準備を玄関近くに置いておく(または車に積んでおく)ことが大事だと思った















教訓 まさかの元旦大地震

2024年01月02日 05時53分30秒 | 自然災害
 まずはご心配いただいたブロ友の皆様に感謝申し上げます。
本来なら昨日は「新年おめでとうございます」でブログがはじまるはずでしたが
昼にかけて「実業団駅伝」を見て、それから長野県近くまでドライブをして、帰宅して間もなく家で地震に遭遇しました。

一回目は震度3で10秒ほどの短い地震、いつも通りの慣れた地震なので変な意味(物足りない)くらいでした。
しかし(たぶん)2~3分後に地震アラートが鳴り、すぐに揺れが始まりましたが
こいつは私が経験した地震、三陸沖、中越、中越沖、今までの能登沖などの大地震を超える酷い揺れで約2分以上続いたと思います。
目の前で玄関に飾ったばかりの花瓶が二つとも落下して割れ、身動きもままならず女房殿は廊下で手すりにしがみついたまま動けず
すぐにテレビをつけたら5分後くらいに「大津波警報」発令、これが怖かった
外に出たら近所の人たちも何人か顔色を変えて出ていたので「すぐ逃げましょう」と言って、すぐに二階へ上がって長男、次男に車で逃げるよう指示
長男と女房殿、私と次男の2台で避難場所へ向かった。
我が家から幹線道路までは30mの私道で、南は行き止まりで北にしか出られない、幹線道路が渋滞すれば袋のネズミになる。
ところが私道最後の家が空き家で、その家の屋根瓦が道路に落ちてくだけていて、先頭の車がでられず、運転手が下りて足で道端に瓦を移動
ここで手間取った、ラジオからは「すぐ逃げなさい! 三陸津波を思い出してください!」と女子アナがヒステリックの命令口調で、が鳴りまくる
幹線道路に出て間もなく渋滞が始まった、わが町は細い枝道、クランクが多くてより大きな道に出るたびに一時停止
それでも避難場所の体育館は近いので10分くらいで到着した
避難者の中では早い方で駐車場はまだ2~3割くらいしか埋まっていなかった
ここは海から2kmくらい、海抜25mくらいで更に海抜50mくらいの公園を背にしているからいざとなればそこまで逃げられる場所。
市街地と海が一望できるので、そちらを見たが海はいつも通りだった
ラジオではわが町は最大3m以上という、そして2度目の地震は能登が震度7、わが町を含む広範囲が震度5強であった。

避難所に着いたのが16時30分くらい、地震発生から25分くらいで避難所に着いた。 その後も30分おきくらいに地震が起きて、車でも揺れを感じる。
ようやく我に返って、いろんな考えが浮かんできたので、最初は教訓であった
隣の一人暮らしの80台の奥さんに声をかけることを忘れたことに気づいた、これは私も多少パニックに陥っていたのかもしれず、もしこの次あった時の教訓となった。

それからラインでボランティアグループ、同級生グループ、家族に安否確認の現状を問い合わせるメールを送った。
すぐに各地からラインメールが届き始めて、東京や名古屋の仲間からも心配メールが入り始めた。
これは良いことだったと思う、仲間の状況がわかれば少しは共同意識が起きて安心につながる。
家族関係では、地元の妹宅は海から200m、新潟市の弟宅も500mくらい、黒部の女房殿の姉宅も1km以内で全員が高台に避難していた。
その後、避難所には続々と車や徒歩の人がやってきて1時間ほどで満車になり、その頃には体育館も解放されて暖房が入った、本来はだめだが緊急につき土足でOKと職員が言った。
ここだけで1000名くらいは収容できる、他にも車の中に居る人も多くいた。
ここでつーくん家族にも会えた。

ボランティア仲間の一人は九州から娘の家族が飛行機で小松空港に来たので、息子と二人で飛行場に車で迎えに行き、そこで地震に遭ってしまった。
夜8時過ぎても地震、津波が解除されるまで荷物の運び出しがストップで飛行場から出られないとのメールが来た。
北陸道も全面的に交通止めになり、その後、20時から通信障害が起こり、ようやく先ほど(午前5時)開通したので急ぎブログを書いている。

私たちはまだ津波解除にならない19時半に帰宅した。
家に戻って被害を確認、玄関の花瓶が2つ割れ、仏壇の仏具が畳に落ちていたし、風呂場の様々な物も落下、台所では食器棚が開いて皿が5~6枚割れていた
一階はそんな程度だったが、二階の私の部屋が一番被害が大きかった
7段のタンスは全て半分飛び出し、PCラックの最上段のプリンターは落下して下のパソコンに落ちたが、たまたまあったセロテープの器具に当たって直撃を免れていた。
本棚からは切手帳や本が落下していたし、小物を入れた何段かのラック類は全て倒れて中身が飛び出していた。
ベッドの上にもラックが二つ倒れていた。 とにかく原状復帰に1時間かかった。

幸いに家族も周囲の人も無事でよかったが、市内では数名のケガ人が出たし、近隣の市町村ではショック死の人も何人か出た。
またこんな中で火災が発生して「やばい!」と思ったら、それはまもなく誤報であったことがわかった。
津波もわが町は大したことが無かったようだが、富山市で80cmだったそうで能登輪島では120cm以上とのことだった。
7時過ぎたらまた仲間たちの状況を把握したいと思う。

皆様方には多大なご心配をおかけしました、たいした被害もなく無事でいます
ありがとうございました。