神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

35度の炎天下ドライブ

2022年06月29日 08時32分18秒 | ドライブ
京都や東京の観光名所は日本人観光客が、かなり戻って来たようだ。
また地方も含め都市部の居酒屋、焼肉店など数人単位で利用する飲食店も賑わいを取り戻しつつある。
田舎はどうなんだろう、客の大部分が地元客の店は相変わらず苦戦している
夜の人出は少ない、満席でも一回転で終わる
田舎は一緒に住まないにしても親子が近くにいる家族も多いし
介護や幼稚園、学校、病院など子供や老人が集団感染危険ある職場に勤務する割合が高い
そんな関係で手放しで飲み歩く人が少ないのだ。

観光地を見ようと宇奈月温泉へ行ってみた

平日の午後、何の参考にもならないが観光客らしい姿はトロッコ列車駅で一人見ただけ
コロナ前にトロッコ列車に乗ったがトロッコ列車も駅内も超満員だった




多分、営業しているだろうがどのくらいの乗車率なのか
私的な気分だが静かな雰囲気を感じた。

帰りに大谷ダムの案内看板を見た、「大谷」か!興味を引いた
私のドライブはいつもインスピレーションで行き先がかわる
わりと近くて10分くらいで到着
小さなダム、農業貯水池でこれより大きなのはいくらでもある
だが、ここは小さな公園にもなっている

だが気温35度の平日午後、誰一人いない
少し歩いてみた、暑いけれど風が気持ち良い、だが5分くらいで普通でないことに気づいた
屋根のあるベンチに入った、涼しい、ここで20分ほどいろいろな小鳥の声を楽しんだ
鳥は数十の言葉を操るのがわかったという
「へんなオヤジがいるぞ、気をつけろ」なんて言ったか

無 無心4 最終回

2022年06月26日 10時21分55秒 | 宗教
日常生活の中で生きる意味、生きている意味がわからなくなって、禅寺に答えを求めて来た人たちを書いた。
彼らの悩み苦しみは、日常生活に疑問を持たないわれわれには計り知れない。
同じように出家して修行に励む禅僧の暮らしも想像できない。

仏教を少し勉強してみた
仏教は様々な宗派があるが、全て原典は世界四大聖人の一人、インドの釈尊の教えである。

釈尊は大凡2500年前のインドの貴族階級に生まれたが出家して座禅修行で悟りを開いた。
45年間に釈尊に学んだ弟子は多く、釈尊の死後、高弟が中心になって釈尊の教えを経典としてまとめた。
釈尊は弟子に書物ではなく日々の修行生活の中で言葉や、振る舞い、座禅、を通じて教えたから、一人一人が、それぞれに口伝された言葉、見たことを持ち寄り経典に編纂した
それは膨大な量で釈尊の悟りの伝道は45年間にもわたるから、同じ教えでも釈尊や弟子の年齢や熟練度で微妙な表現の違いが出てくる、それは味わいと置き換えても良い
後に中国や日本で多くの宗派が出来たが、それぞれに本尊と経典を宗旨の教えの中心に据えた。

多くの宗派では読経や経典の教えで僧徒が学ぶが、禅(宗)即ち、曹洞宗、臨済宗、黄檗宗の3宗派は自給自足の暮らしの中で自然界と命を学び、托鉢で米一粒のありがたみ、人の縁を知り
ひたすら座禅の為だけの座禅を繰り返す
座禅は答えを探すためではなく、無の境地を求めるのでもない、ただ無心に座禅をするだけなのだそうだ。
難しいが、座禅をする事に目的がある事自体、間違いだという。
だから彼らが苦しみから解放されたくて寺に来たこと自体、間違いということになるし、住持が言葉で答えなかった事も理にかなう。
禅の教えは見て、感じて、座禅を続けて無空の中に満ち満ちた仏心を見たとき完成するらしい
が  そこまでたどり着くのは余程の禅僧に限られるだろう。
ならば、そこにたどり着けぬ修行者は救われないのか?

私は思う
俗世に暮らす我々俗人は、それぞれに欲を持って生きている
遊ぶ金が欲しいがバイトで稼ぐ金額は知れている
世の中は欲しいもので満ちあふれているのに自分の手に入らない
それを、いともたやすく日常的に手にしているセレブたち
世の中の不平等に腹を立て嘆く者、死ぬ者、犯罪に走る者
全ては欲に心が支配されているから起こること
体と生理が求める欲
心が求める欲
これらの欲を静められたら悩みは消える、これが我慢だ。
だが我慢は常に不満を抱えている
欲を捨て去るのが一番、自分の力の範囲で手に入る欲だけ捨てないで、手の届かない欲は何かに代替えするか、忘れてしまえば良い
さっぱりと
さっぱりと忘れる努力をしてもできるものではない
最初から無かった境地になればいい、これが我ら俗人にもっとも近い禅修行ではないだろうか

「唯物の無 心の有」
私は人生の晩年にきて70年の人生で築き、貯めてきたものの大部分を失った、不安もあった
これは唯物の無だ、ところがなにもかも無くしてみたら「立って半畳、寝て1畳」の言葉が今までは貧乏不自由と捉えていたのに、今は1畳の空間が大宇宙に繋がる果てしない空間に思える
失ってこそ得るものは、失ったものより多くなることもある
無くしてみるのも一つの生き方だ、異次元の人生が始まる
「貧乏も一生に一度は、してみるもんだ」




無 無心3 自分に気づく

2022年06月24日 09時59分36秒 | 宗教
彼らが、この寺に駆け込んだのは、「答えを教えてもらえる、答えを発見できる」という期待をもったからに違いない。
だが日常には無い修行、我慢、何も見えて来ない座禅。
何も得ぬまま山を下りる若者も少なくない。
下りた者は、禅修行や住持から答えをもらえぬことに絶望したのだ。
それは彼らが初歩の「気づき」まで達することができなかったからだ。 まして凡夫が1年間で悟りにたどり着くはずがない。「悟り」は禅の高僧でさえ生涯をかけ、命がけの修行でようやく得るほどに難しく、更に奥深いものなのだ。
得度を得てさえ自利で終わる僧が多い世界で、世俗に染まって生きてきた凡夫が、「他力本願」に答えがないことに気づいただけでも素晴らしい躍進なのだ。
ここから、ようやく本当の禅修行が始まる。
最初は俗世への未練を断ち切る事から始まる、いわゆる出家だ。
あらゆる欲は人を立ち止まらせ、手招きして誘い込む。
甘美、快美の誘惑が俗世にはびこり、凡夫の心根まで腐らせる。
最も醜いのは独占欲、金銭欲、それらは自利誘導のため徒党を組み、他を襲い、傷つけ奪う。
心優しき者は絶望し、この世界に生まれた意味、生きる意味を見失ない彷徨う。
彼らに必要なのは、ただ一つ「安心とやすらぎ」なのだ。
そして彼は、その入口にようやく立ち上がった。

       続く




無 無心2 最初の悟り

2022年06月23日 09時20分51秒 | 宗教
すさんだ心の男が一念発起して禅寺へやってきたのは彼の中に仏が住んでいたのにほかならない。
その彼が得度をえる(出家して仏に仕える=仏門一筋に生きる)ことを住職に相談した。
住職は彼の決意を喜んだが、為に他の本格的な曹洞宗寺院で5年の修行に入り、その間子供とも会えない事実を知りなかなか決められないでいる。
これもまた乗り越える為の試練なのだ、小説「杜子春」と同じく家族を人質にして仏が彼の決意を試しているのだろうか。

ここに答えを求めてやってきた若者にも試練の時がやってきた
既に1年たつが禅修行しても一向に答えは見えない、彼らの心に疑念が芽生えて住職に問うた。
住職はまだ若さが残る女性である
(庵住 尼僧)
住職は俗世では介護士として働いていたが、自分の人生に疑問が生じて、この寺にきたのだ、そして得度してここに住み着いた。

悩む若者の問いに、自分も未だ迷いがあると伝える
答えを得る為の禅修行なのか?
禅の中に答えはあるのか?
疑念が湧き、自分にそれを問いはじめたこと
そこに1年間の修行の成果が見えたのではないだろうか。
すなわち、他力本願の中から自力本願の気持ちが芽生えたのだ
答えは他に求めるのではなく、己の中に求める
唯物に求めるのではなく、無の中に求めるのだと
毎日、障子に向かい合ううちに彼は確かに成長していた。
外国人青年の心が定まった。
ある日、彼は突然、自ら長い髪を電気バリカンで刈り丸坊主になった、彼の決断だった。
「過ぎた日を悔やむこと無かれ、まだ来ない明日に期待や不安を持ってもせんないこと、今この瞬間が幸せであれば、自分は幸せに生きているのだ」
働いた成果を得た喜び、同じ心の仲間といる喜び、ただ無心で自然を見つめている時間、今日もここで生きている幸せ
彼なりの最初の悟りだった。
     続く






無 無心

2022年06月22日 09時00分31秒 | 宗教
兵庫県の禅寺で修行する日本人、外国人の青年たちの生活と葛藤のドキュメントを見た。

離婚したが、元妻と暮らす10歳前後の子供が二人いる元ワルの男、自らを変えるため飛び込んだ。
日本人青年も、何不自由ない家庭で育った外国人青年も生きる意味がわからず答えを求めて飛び込んで来た。

日々の生活は障子に向かって座禅
自給自足の野菜つくり
寺の保全作業、食事つくり
たまに町へ出て買い物、修行の一端の托鉢
毎日、同じことの繰り返し生活、座禅の中にも答えが見いだせない。
苛立ちと、疑問が湧き出してきて寺を去る若者も出てくる

ワルから、心静かな暮らしへの転換を図った男は、厳しい修行を経ても得度を決心する
しかし、その為には5年間俗世から完全に隔離された修行になる
この5年は子供にも当然会えない、少年から青年に変わる大事な時期、二度と帰らない人生の5年
父親がもっとも必要な5年
男の決意が揺らぐ  続く


若大将加山雄三さん、引退宣言

2022年06月20日 07時32分33秒 | 映画/ドラマ/アニメ
おかしいぞ?
大谷くんのパワーが落ちている
去年より10mは飛距離が落ちている、疲労と言うよりパンチングポイントがずれている
すなわち一球の集中力が落ちているのでは
つまり疲労か?

加山雄三さんが今年いっぱいでと引退を宣言した
軽い脳出血を起こしたことが引き金らしい
父は上原謙、母は小桜葉子という美男美女の俳優、生まれつきの芸能人といえる、徳川家光かぁ?

80歳過ぎても元気にコンサートを続けていると健康サプリメントのコマーシャルにも出ていたが、今や85歳

加山雄三と言えば「若大将シリーズ」が、私が中学生の頃から20代後半まで大ブームだった
日に焼けた肌、男らしい胸毛がシンボルマークのカッコいいクールな湘南ボーイ
映画では、東京の代々続く老舗すき焼き店の坊っちゃん
ばあちゃん子だから人情があって優しくて人懐っこい
曲がったことが大嫌いなスポーツ万能の大学生、毎回違うスポーツで大活躍、優勝する
マドンナ星由里子の、すみちゃんと恋に落ちて甘い求愛のオリジナルの歌ですみちゃんのハートを射とめる
代表的な曲が大ヒットした「きみといつまでも」私もともだちの結婚式で歌ったことがある
ここに横恋慕して入ってくるのが田中邦衛の青大将
大企業の御曹司だが、我が儘、軽薄、悪知恵で二人の仲を裂いてすみちゃんを手に入れようとするが
最後は青大将が大恥かいて誤解が解けてハッピーエンド。

毎回、母校の代表でスポーツ優勝に貢献するが、スキーは代役不要の腕前で国体に出たこともあるという。
もっともインタビューで「出たというだけで実際は映画のようにはいかず、30位だとか下から数えた方が早いくらいでね」と話している。
映画も人気あったが、挿入歌で使われる曲は次々とヒット
自ら、弾厚作の名で作曲家としても活躍した。
私も大好きでカラオケでは必ず2曲くらいは歌ってしまう。
先日もエレキ音軽快な「白い砂の少女」を歌った。
「渚にて」「まだ見ぬ恋人」みたいな、少しマイナーなムード系が好きだ

私が中学生の時、文通していた西日暮里のA子さんは加山雄三の大ファンで毎回切り抜きなんかを同封してきて文字が踊っていた。
加山雄三さんと正反対のやせっぽちの写真を送ったら間もなく文通は終わった。



和製英国紳士 白洲次郎

2022年06月16日 08時56分25秒 | 趣味

物価の急騰が一般庶民の生活をじわりじわりと圧迫してきた
冗談や笑い事のレベルを超え始めている
確かにこれはウクライナ侵略戦争の影響だ、戦場は遠く離れていてもロシア相手に既に参戦したに等しい
日本も欧米同様にロシアにたいする経済封鎖に参加、ロシアも反撃で北の海の鮭、鱒、カニ漁などの許可を拒否してきた
北海道近海ではロシア、尖閣では中国からの圧迫はますます厳しくなるだろう

「一番切り詰め安いのは食費ね」と主婦が語っていた
低所得層、家族が多い標準家庭の階層からじゅんに生活に影響が出てくる
食料問題は昭和の戦争を思い返せばわかるだろう、昭和の戦争を知っている世代も70歳を越えたが数的には、まだまだ多いから語り部には困らない。
食料不足は自給自足ができない都会で最終的に深刻になる
お金やモノは価値が無くなるからだ
輸入や流通が滞らないうちは都会ほど食べ物は豊富だが、それが止まればたいへんだ。
田舎ではサラリーマンであっても、高齢者であっても多くが畑で野菜を作っている、野菜には不自由しない、だが米作農家が大幅に減った令和は田舎といえども、昭和の戦争中より米不足ははるかに深刻になる

東亜及び太平洋戦争(ここでは昭和戦争と言う)戦前戦後に活躍した実業家で経済外交官、吉田茂のブレーン、英国を知り尽くしている国際人白洲次郎(私が一番好きな歴史上の人物)は戦争がはじまると都心から武州、相州境に移って戦争中は野菜作りに専念したのだ。
英国で青春時代を過ごし、上流階級の英国人の友人が多い彼には、英米の実力もしらずに扇動されるがままに鬼畜米英と連呼する大衆の中に身を置きたくなかったのだろう。
世界を敵に回した日本は資源と食料不足に陥るのは必至、先が見える人だった。
ここ武相荘でたっぷり充電した白洲次郎は戦後間もなく吉田茂総理に招かれて、無条件降伏した日本に隷属を強いる占領軍幹部と英国流英語で語り、紳士的な態度で互角にわたりあうのだった。
彼には戦勝国にたいする卑屈さも、忖度もなく人間同士で向かい合う逞しさがある。

昭和戦争のような国家による食料統制まではいかないと思うが、あらゆる資源の自給力が不足する日本は、常に米、中、露から圧力を
受ける
こんな時代にこそ吉田茂、白洲次
郎のような、世界と冷静互角に話し合えるリーダーが必要だ。(吉田茂は冷静とは正反対だが、白洲次郎を用いただけでも名宰相だ)

白洲次郎生誕120年特別記念展を富山県水墨美術館で7月3日まで開催している。
白洲次郎の愛車ベントレーの展示は終わって残念だが来週までには見に行くつもりだ。

麻績 読めますか?

2022年06月12日 20時44分47秒 | ドライブ
毎週、海では飽きてしまうね
海とドライブを交互にすればいいかな
今日は長野県に来ている。 姨捨SA(おばすて)では風が少しひんやりしている、標高616mですから無理もない


ここは長野道、麻績(おみ)インターからすぐのところにあります
麻績インターへは上信道、坂城(さかき)インターから青木村経由で修那羅峠(しゅならとうげ)を越えて来ました。
私は峠が好きで、今は登山道の峠は無理ですが、車で通る峠は結構行きます。
今日も、もう一つ長野市から真田町へ抜ける新地蔵峠も通って来ました。
日本で一番、峠が多いのは広い北海道かと思ったら、周りが全て山の長野県だそうです。
ネットで見たら187あるそうです
(nikkei) 
今更ですが、峠とは山脈の鞍部(一番低い)で、その鞍部を最高点として山脈鞍部を横切る道路の交差点が峠
だから峠は割と狭くて展望は望めないことが多い

修那羅峠


新地蔵峠



そんな峠の面白さは、全く異なる土地が突然現れる「どこでもドア」であることだ。
そして徒歩が大部分だった時代にはショートカットの近道だった。
だから戦国時代には峠を越えて敵地に攻め込む
勿論敵も攻め込まれてはたまらないから峠で迎え撃つ
ゆえに塩尻峠の戦い、米山峠の戦い、三増峠の戦いなど峠の戦は数多ある
戦だけではない、女工哀史
明治から昭和前期、うら若い少女たちは貧しい家計を助けるため峠を歩いて越えて信州や上州の製糸工場へ働きに出た。
有名なのは「ああ 野麦峠」、私も車で通った、ただし当時の街道とは違うだろう
女工が本当に悲惨だったのか私にはわからない。職場環境は会社によってずいぶん違ったと思う
官営富岡製糸場の労働環境はさすがに先進的だったようだ。
私の外祖母も母も小学校卒業して間もなく上州の製糸工場へ働きに出たが楽しかった方が多いような感じだった。
信州に峠が多いということは、登り下りが多いという事だ
というか、平坦な道はあまりないと言ったほうが良い
高速や国道でさえ日本海から100km信州に入れば700mほど高くなっている
平らに見える場所でも、なだらかに、ゆっくり上っている
信州は北陸に比べると燃費が悪いと思う、上り下りの連続だから
それなのにガソリン価格は新潟県、富山県より平均10円以上高い

麻績

青木村





6月の浜辺の花

2022年06月05日 19時15分01秒 | 花鳥と昆虫・爬虫類・魚
先週はドライブしたので今日は1週間ぶりの浜辺
砂浜をのんびり3km散歩しながら野の花を撮って楽しんだ。
それから車の中で読書、司馬遼太郎の短編集から、大村益次郎の章を読んだ。
何年か前に読んだが内容は忘れているから面白かった。
窓を半開きにしていた、風が強く半袖では寒かった。

浜辺に咲く花 6月



バラかハマナスの仲間
キクの仲間
ハマヒルガオ
オオキンケイギク

ハマヒルガオ

ホソバウンラン
ミヤコグサ
コウボウシバ


ハマボウフウ


ススキ


モッコクモドキ
ハマナス