神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

同級会(同期会)盛大に

2018年09月30日 15時26分54秒 | 知人・友人

人数は60人だったけど、その何倍もいるかのような賑やかな会でした

卒業から50年、五黄の寅は健在、凄いエネルギーで突っ走った半日

大型台風が迫っているにもかかわらず、名古屋、埼玉、東京、横浜などからも10数名参加

16時から開宴して、19時から二次会、21時から23時まで三次会

三次会も参加数の半分30名が参加、歌って踊って大騒ぎ

私も風邪引きで、声がかすれていたけど結局スナックで3曲ほどカラオケを歌った

帰宅してバタンキューだったが、今朝も5時に目が覚めてカートに朝ご飯

幸い、薄日が差していたので店まで歩いて車を取りに行った

2年後の2020年にはもっと大々的に100名以上で70歳を祝う約束をして別れた

まずは民謡同級生の生オケ民謡で、踊りの師匠等の踊りで余興スタート

続いてシャベルを肩から下げて、流しのギター姉さんが二人登場、マスヤンの「まつり」に合わせて

やかましい伴奏だが、バカ受け! みんな唖然として見ていた


ときどき現れる不思議なおんな

その正体はエンターティナー湊町のDon

いよいよクライマックス「ダンシングヒーロー」では、幹事以外の仲間も飛び入り参加で大いに賑わった

最後、大詰めだ「校歌斉唱」スクラムを組んで

幹事も壇上で歌う

最後の最後「応援団のエール」

 

ちょっと個性が強すぎて、最後はばらばらだ~


さあ!いざ!二次会へまいろう

 

 

 

 


いよいよ同級会だ(同期会)

2018年09月29日 08時38分49秒 | ライフスタイル

待ちに待った同級会の日になった

27日には幹事の最終打合会があり、最後にダンス「ダンシングヒーロー」の練習

かなり女性陣はレベルが上がっていた、これで安心して一般参加者に披露出来る

参加者62名、ドタキャン4名で減ってしまった

ところがこれを書いている今、京都からの電話で「台風が心配で家族に止められた」と当日キャンセルが

これで61名、バカ台風のために・・・!

まだ名古屋、横浜、東京からも参加者がいる、これ以上減らないことを祈るばかり

一次会、二次会は我が店で、そしてスナックでの三次会もすでに設定したが、どうなるか

天気が悪いと、予想外のことが起きてしまう

楽しい時間を過ごしたい

 


風邪ひき(後編)

2018年09月28日 08時39分49秒 | 病気と健康

午前中に医者へ行ってきました、わが家のかかりつけです、昭和24年から3代のおつきあい

今の先生は私より10歳くらい若いのかな

どこも悪くないような老人ばかりの中に、私が混じって待っていました、みんな顔なじみらしく

話しが弾んでいます、病院、医院が社交場というのは本当です

しかし今時、珍しい医者です、未だに風邪と言えば注射です、夏に猫に噛まれて静脈注射を

うったので、2回目

もっとも私にも注射神話があって、注射をするのが快方の近道と思っています

でもこうして、風邪の度に肺に負担がかかるのを思うと、父も肺炎で亡くなっているので

肺炎の予防注射をうっておかなければと思いました

65歳、70歳と節目に市の補助で無料で一回きりうつことが出来ますが、ここの看護婦さんに

よると、その注射は何度も打たないとダメだけど、一万円するけど1回うてば一生効果があるのも

あるので、そちらをお勧めします、とのこと

そろそろ本気で考える年齢になりました。 同級会幹事会で330名の卒業生で30名が確実に

亡くなっていました、10%です  健康管理がこれからは大事になります

 

高ポッチ山は国道20号の塩尻峠から入り、車で山道を20分ほど登っていくと牧場に到着する

牧場、ススキの散策道、恋人の絶景パノラマ台、高ポッチ山頂、散策コース

山頂からは諏訪湖、その背後に富士山も見える、また駐車場からは北アルプスの連峰、後立山連山

妙高連峰も見える

駐車場から1600m余の山頂まで15分、霧の晴れ間に撮った写真

 

諏訪湖

諏訪湖周辺、岡谷市、下諏訪町

富士山のような蓼科山山頂が雲の上に

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


やばい! 風邪をひいてしまった

2018年09月27日 08時20分14秒 | 病気と健康

一昨日の夜から喉が痛くなった、もう夏も終わったというのに相変わらずパジャマを着ずに

寝ていて、寒さでやられたらしい

それなのに昨日は信州塩尻の高ポッチ高原まで日帰り400km、地元は晴れ間だったのに

高ポッチは霧で何も見えない、霧だから寒い、そんなところに一時間半いて歩いた

一面のススキ野原で、写真は明日掲載しますが

国道を走っていったんだけど、工事工事の連続で松本までで3時間もかかり、高速では

北塩尻から塩尻まで2キロの渋滞

帰りは仕方なく全線高速道で、それでも19時の帰宅だった、体は疲れるし、昨晩も咳にくしゃみで

寝たのか寝ないのか夢うつつ

それでも昨夜は毛布を出し、フリースのパジャマも着て暖かかった

相変わらず喉が痛く、体中痛い、明後日は同級会、幹事と料理を承っているので急いで治さなきゃ

10時頃になったら医者に行ってきます、午後からは幹事の最終確認もあるので

 


一泊一人旅を趣味にしようかな

2018年09月26日 08時38分47秒 | ライフスタイル

「出張ついでに温泉にでも寄ってこようと思うが、きみも一緒にどうかね」

「どうぞ、お一人でご自由に温泉でも、どこへでも行ってらっしゃいませ、、私は銀座でお買い物をして**さんと、

お食事なぞしてきますから気になさらず」とは映画、釣りバカ日誌のすーさん社長の奥方のセリフ。

わが家も近年は、女房殿との会話がこれに近くなってきた、もっとも女房殿は銀座でお買い物などより

山友だちと山歩きの方が良いのだが。

そんなことで、女房殿とは数年、旅行もドライブも行っていない、年取るほどべったり夫婦もあれば

わが家のように、お互い自由行動の方が良いという夫婦もある。

 

私は毎月1~2回、日帰りドライブをしているが、範囲は広く、福井芦原~金沢、能登半島~飛騨高山~高遠伊那

~信州軽井沢~群馬高崎~白根万座~湯沢~会津若松~新潟市

このくらいの範囲が日帰りゾーンで最大500km、それも国道や県道、山越えが70%だから、ほぼ一日

走っているだけだ、でもさすがにこの歳になったら、車から降りた瞬間、頭がふらふらする

 

また様々な仲間たちや、銀行の親睦旅行など1年に10回程度はグループ旅行があるけれど

これからは1日200km程度走って、温泉に泊まり、マッサージをしてもらって、酒を飲んでテレビでも見て

「のんびり温泉一泊ひとり旅」ってのも良いかな

夏に初めて能登和倉への一人旅をしたけど、これは思い立ったら吉日で素早く動けるのが良かった

一人旅も満更じゃないなと思った。 

友だちに一人旅が大好きで、見知らぬ町で居酒屋やスナックに入って

地元の人とすぐに意気投合して、「それが楽しいのだ」というが、私はその逆、旅に行ったときくらい一人でいたい

グループ旅行なら別だけど

 

毎日毎日、夫と子供の食事作り、洗濯、掃除、夫は仕事だといって飲んで歩き、つきあいだと言って旅行に行く

いい加減、60にもなったら(私も自由にさせていただきます)という世の御婦人も多いだろう

定年して、家でごろごろしてるだけ「おいお茶」「風呂」「飯はまだか」

「私は奴隷じゃありません、仕事をしていないのですから半分くらい家のことをしてください、せめて自分の事

くらいは自分でやってよね」

これから10年くらいは、お互い好きに生きるのも良いね、「老いたらお願いしますね」なんて虫の良い言葉かな?

女性の方が一般的には夫より若くて、寿命も8年ほど長いから、夫の方が15年くらい先に逝く計算なり

「あなたが病に倒れたら私がどう扱うかは、あなたの日頃の心がけ次第なのよ」、あな恐ろしや


世代間ギャップ

2018年09月25日 07時34分02秒 | yottin日記

猛夏の今年は蚊の出番が全く無くて、蚊に対する防御は考える必要がなかった

ところが9月も下旬にきて、25度前後の蒸した日が続くようになったら、途端に「かゆいかゆい」

今日も蚊に悩まされて「フマキラを持ってきて」と叫んだが、47歳女子、きょとんとしてる

「フマキラだよ、わからないの?」と言うが、「はい、わかりません何ですか?」相変わらずの表情

「あれ!知らないの、おかしいんじゃない?」といえば、今度は18歳女子も「私もわかりません」

すると50歳男子が「社長、この人たちにフマキラなんてわかりませんよ、キンチョールと言わなきゃ」

「ああそうか、今はフマキラじゃ無いものなあ、フマキラ知らないのか」「はい」

いつの間にか我々年代は殺虫剤をフマキラと言うクセがついている、ほかに「シュッコロ」とも言う

「絆創膏」も、もはや死語か・・・「ビデオ」「カセット」「バンド」「ブレザー」「テレカ」

テレビリモコンも「チャンネルをくれ」と言ってしまう

いよいよ来年からは新元号が始まる、もはや昭和中期の我々は平成もおわり、3つの元号を経験

することになる。

私が子供の頃に生きていた、明治生まれのおじいさんと同じになってしまった

我々が語るアジア太平洋戦争は、明治のおじいさんが語る、日清日露戦争の響きで、今の子供に

伝わるんだろうな、遠い昔の話し、教科書の歴史みたいに

 

 

 

 


大相撲9月場所を見て

2018年09月24日 13時07分25秒 | 大相撲

4横綱時代と言いつつ、4人が揃ったことが無く、ついには横綱ゼロ場所まで出現

それでも貴景勝、御嶽海、高安、栃ノ心、遠藤らの活躍が横綱不在を穴埋めしてくれた

そして引退候補の筆頭だった鶴竜が一人横綱になると急に力を盛り返して白鵬の

代わりを果たして複数の優勝をした

 

さて9月場所 久々に出てきた白鵬、今年は優勝ゼロ、毎年優勝の記録にも暗雲が・・・・・

と思ったら圧倒的な強さで全勝優勝、ついに幕内1000勝という前人未踏の大台に乗った

双葉山-大鵬という大横綱をこえるものは無いと思っていたが、異国の出身と言え大鵬超えが

成されたのだ。

まだ立ち合いやダメ押しで、とやかく言われることもあったが、他を寄せ付けない横綱中の横綱復活

兵隊の位で言えば元帥かな

白鵬、稀勢の里が出てくると鶴竜はまたしても横綱最下位に、両横綱に負けてしまった、萎縮するのかなあ

ヒヤヒヤしたのは栃ノ心だった、高安と並んで横綱候補の筆頭で先場所もあわや連続優勝かという

前半だったのにケガ休場でで負け越しに、今場所もなかなか勝ち越せないまま後半戦に突入

ようやく勝っても9勝止まり、角番脱出したが来場所も心配

稀勢の里は鶴竜と同じ10勝止まりで、横綱としては不甲斐ないが病み上がりの同情票で救われた

御嶽海も勝ち越したが9勝、先場所の13勝優勝が貯金になっているから、来場所12勝以上で大関に

なれるだろう

いつもがっかりするのは正代と逸ノ城だ、どちらも大きな体で力も秘めているが、棒立ちで相手にさされて

不利な体勢のママ負ける。 正代など白鵬並みの豪快な相撲が取れそうなのに動きが鈍くてだめだ

白鵬と違いを比べれば、正代がなぜ弱いかよくわかる、まったく闘志が見られない

 

今場所の相撲を見て感じたことは、「相撲は格闘技だ」に尽きる

今までの場所と違って、3横綱そろった今場所は、下位の力士にも緊張感と活気をもたらせた

土俵下まで相手を吹っ飛ばす全力相撲が幾つもあった、力を抜いている力士はケガをする程の激しさだ

稀勢の里が日馬富士に壊された、あの一番に似たことが今後もおこるかもしれない

闘志を持って土俵に立たないと、とんでもないことになる、迫力ある今場所だった。

 

昨年中盤までは白鵬、日馬富士、照の富士が交代で優勝していたため、伊勢ヶ浜一門で優勝独占だった

それが白鵬休場、日馬富士、照の富士の引退で稀勢の里、鶴竜、栃ノ心、御嶽海らに取って代わられて

伊勢ヶ浜一門は優勝ゼロが一年半近く続いた、しかし白鵬の優勝で復活、白鵬から優勝杯を受け取る若頭の

白岩さん(浅香山)の背広姿も久しぶりに見た、また白鳳時代が復活するのだろうか。

 

 


今夜の西郷どん

2018年09月23日 21時11分34秒 | 映画/ドラマ/アニメ

「西郷どん」もいよいよクライマックスの江戸攻めのシーンになって参りました

江戸城無血開城は、西郷隆盛と勝海舟の腹芸合戦だけと思っていたら、その前に前段として

幕臣山岡鉄舟の官軍陣営に単身乗り込み、西郷に勝海舟との面談交渉

今夜の大河では、切腹を楯にして西郷を説得した

これは西郷が当時敵対していた長州藩を説得する為に単身、長州軍営に飛び込んだ逆バージョン

(第一次長州征伐)

 

その山岡が勝に出会う伏線として、西郷の命令で江戸各所で放火をして暴れて、庄内藩に

捕らえられた益満休の助の活躍がある

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幕臣山岡鉄太郎(鉄舟)、大男である.

体格、年齢、今で言えば、ダルビッシュ有だと思えばいい

幕臣のダルビッシュ有が、敵方の本陣へ「総大将西郷隆盛閣下にお目通り願いたい!、拙者は

朝敵の徳川家臣山岡鉄太郎である!」と大声を張り上げると、西郷の家来、薩摩武士が

「賊め、殺されに来たか」と色めき立つ、当時としては大男、しかも北辰一刀流の免許皆伝

肝っ玉も据わっている。 ぎょろりと見回せば、さすがの薩摩武士もたじろぎ

その時、ダルビッシュの横にいたサムライが「儂じゃ儂じゃ、西郷どんに取り次いでたもせ」

「なに!、おっ、おぬしはますきゅうではないか、生きておったのか・・・」

以下、薩摩弁、江戸弁ともに標準語に訳す

「総督、たいへんでごわす、ますきゅうが幕臣の山岡とやらをつれてきもした、総督に面会

したいといいとりますが」

「なに、ますきゅうだと、あやつは死んでおらんかったのか、生きておったのか、よし会おう」

西郷が出て行くと、そこに益満休之助、にこにこと笑っていた

「生きておりもした、もうしわけなか」「何を言うか、さすがはますきゅう、よくぞ帰った」

「あっもし・・・」大男が西郷に声をかけた、ダルビッシュ並みの山岡と西郷初対面

「おはんが山岡さんか、なるほど山の如く大きな人じゃ、それで幕臣がなんのようかな」

「まずはこれを、ご覧くだされ」手紙を一通

「おっ、これは勝先生の・・・・・」手紙を食い入るように見入って、一息

「山岡どの、ますきゅう、まずは中で茶など」

誰も中に入れず、3人で密室に入った

 

「勝先生の文では山岡殿の紹介しか書いてありません、子細は本人から聞くようにとのこと、

山岡殿は勝先生の信頼が篤いようですな、ところで、ますきゅう何故生きて居る?」

「西郷どん、そりゃあなか!ははははは!、こうして生きて居るのも、勝先生と山岡くんのおかげじゃ

実は山岡くんとは古くからの友でござるよ、彼は幕臣なれど勤王の志士でござって、早くから、かの

清河八郎くんと共に、我らも攘夷運動に奔走しておった、ところが幕府の中で勤王運動をやるなど無謀なことで、

それが元で清川くんは殺害されてしまうし、山岡くんは蟄居じゃった」

「なるほど、珍奇な御仁ではあるようだ」と西郷は納得する、益満もうなずいて「わしが庄内藩に捕らえられて、

(これでこの世とも、おさらばじゃ)と覚悟を決めたのだが、存外、庄内武士というのが話がわかる連中での、

『武士は相身互いでござる、まして薩摩武士とあれば、我らが処断すべきものではない、とりあえず幕府に

お引き渡しいたす』と言ってすぐに首を切ると言うことはされなんだ、しかも丁寧に扱ってくれての、わしも

ちょっとホロリとしたのじゃった」一息つき

「そして、たまたまこの山岡くんが儂が捕らえられたことを聞きつけて、牢を訪れ『陸軍総裁、勝阿波守の

使者である速やかに罪人、益満某の身柄、お引き渡し願おう』と大声で言うものだから牢番も役人も驚いて

すぐに身柄を引き渡した

外に出てから『陸軍総裁とは大ボラ吹いたものよのう山岡』と言ったら、『何を言うか、それは本当の話じゃ、

今日からおぬしは勝先生宅で居候となるんじゃ』というではないか、これには驚いたが、それは本当であった

勝先生とお会いして、先生の見事な姿に感銘した、また勝先生が西郷どんをひどく信頼していて褒めよるから、

それにも驚いたのじゃ」

「そうして居候をしているうちに、今度の事じゃった、勝先生が『益満殿、いよいよお国のために役に立つときが

きたようだ、おまえさんに案内してもらい、この山岡さんを西郷さんに引き合わせて頂きたい』そう言われて、

訪ねて来たのです」

益満休之助の話しを聞き終えて、西郷が口を開いた

「なるほど事情はよおくわかりもした、では山岡さん、あんたの話しをききもそ、じゃっとん慶喜の助命だけは

勝先生の願いであっても、これだけは聞き入れることは出来もさん、それだけは言っておきますよ」

すると山岡は落胆もせず

「勝先生は、慶喜公一個の助命など考えてもおられません、勝先生は西郷先生に日本国の助命をお願いせよ

と申された」

「日本国の助命?」

「さよう、日本国の助命でござる、そしてそれを出来るのは、西郷先生唯一人だと申された」

「ふ~m・・・・・・」

「江戸を戦場にすることは、即ち日本国の滅亡である、なぜなら落ちぶれたと言え幕臣数万は健在である、

官軍が攻め込めばたとえ慶喜公が停めようとしても、彰義隊を中心に江戸に火をかけ、官軍を大混乱に

陥れようとする輩は必ずいるはずまた大江戸100万の市民も未だ、慶喜公びいきでござる、それに、いろは48組の

江戸火消しの団結は固く、頭の新門辰五郎以下みな勝先生をお慕いしております、勝先生も官軍乱入の折には

、『日本国の滅亡なり!新門、火消しに放火を頼むは筋ではないがその時は是非たのむ、江戸も、徳川も、薩長も

あるものか皆灰燼と帰す、きれいさっぱりとな、日本国滅亡の門出じゃ』と新門におっしゃられたそうです。」

「さすが勝先生じゃ、じゃどん我らも、それくらいは決心してここまでやってきた、江戸が火の海になろうと恐れる

ものではごわはん」

山岡の脅しも西郷には通じそうも無かったが

「西郷先生、勝先生がそれほど浅い考えだとお思いか?」

「なに・・・・?」

「先生、よおくお考えなされよ、勝先生の願いは滅亡にあるのではございませぬよ、今や慶喜公が頼りにされているのは

高橋泥舟殿と勝先生のお二人だけでござる、勝先生は幕府陸軍の総帥を任じられております、いまや形は無いとは言え

フランス国が勝先生に『我らが幕府を支援いたします、武器でも船でもいくらでもお貸ししましょう、まだまだ幕府の力は

朝廷方にひけはとっていません、我が国と力を合わせれば、勝つことも可能です』と言ってきました、だが勝先生は

『ありがたき申し出でありますが日本国のことはいかになろうと日本人同士で処理する所存故、お気になさらず』

と断り申した」

「・・・・・・」

「西郷先生、先生だとて同じでありましょう、エゲレス国からの甘い話しを先生は蹴られたでありましょう」

「うぅ・・・・・・それをどうして知っておる!」

「勝先生が、風の便りに聞いたようでございますよ、『西郷、さすがに希代の愛国者じゃ』と申してもおりました、

西郷先生!国を思うのに幕府も朝廷もありましょうや!、われら日本人が住む国は、この国の他にござらんのでは?、

江戸が火の海になり幕軍の全てが死に絶え、江戸100万市民が流浪の民となる、勝利した官軍は慶喜公の首ひとつとって

有頂天になっても我が国の民と富の多くは失われ、兵力もまた幕軍の減った分だけ日本国としては弱まる。 かって越後の

上杉謙信公の二人の息子が越後一国をかけて国を二分して景勝公が勝ったけれど、謙信公以来の最強軍団も力を失い、

あわや信長公のたかだか一軍団にも押される始末となった、今は信長公どころかメリケン、エゲレス、フランス、オロシア

などが日本国の富を分割して分捕ろうと隙が出来るのを、舌なめずりして見ております、官軍が勝ったとて国は間違いなく

弱まる、官軍勝って国滅ぶのは火を見るより明らかでござる、ずばり申しましょう

勝先生の願いはただ一つであります、江戸城総攻撃をやめてもらいたい、そうすれば勝先生が命をかけて江戸城を

開城させます

幕臣にも抵抗させません、勝先生はそうもうしております、どうかご一考願いたい、この通りでござる」

山岡は大きな体を小さくかがめ、深々とお辞儀をした。

「よーおくわかりもした、この西郷、勝先生のおこころ頂戴いたす、江戸総攻撃は中止いたしましょう、じゃっとん

無条件というわけにはいきもはん、条件を書いてきますからしばし、お待ち願おう」

ついに勝と山岡の熱い心は西郷に響いた、西郷が示した幕府の降伏条件は慶喜公の処遇について修正が必要

であったが、それ以外は問題なく進み、勝と西郷が江戸において確認の為の会談を行い、江戸城は無血開城された

とき1868年4月の事であった、徳川慶喜は寛永寺を出て、故郷の水戸城に戻り蟄居した。     

 

 

 


ファンビンビンが行方不明

2018年09月22日 08時31分25秒 | 韓国.北朝鮮.台湾.中国

中国青島出身の美人女優「ファンビンビン」が4ヶ月行方不明のニュース

日本なら警察の大捜索が始まるが。中国では全く気配無し

中国のテレビや新聞ではまったく報道されず無視、日本のテレビの方がよほど報道している

数億円の脱税容疑で当局に拘束されているというのがネット上の噂、彼女に関する情報や写真が

ネットからどんどん削除されているという、いくら脱税でも、日本では考えられないことだ

日本やアメリカでも出演してそうとう稼いだらしい、日本のウーロン茶か何かのCMにもでている

知らない人が多いと思うので、無理矢理説明すれば、綾瀬はるか+北川景子+(若いときの)松坂慶子÷3

みたいな感じ。  目が大きくて鋭く、小顔、冷徹な表情と妖艶な美しさを演ずると最高の女優

中国歴史上唯一の女帝「武則天」を若い娘時代から演じ、他にも世界三大美女と言われる「楊貴妃」も演じた

 

20年くらい前から、例に漏れず私も女房殿も韓流にはまり、テレビドラマに夢中になっていた

それだけで足りず、韓国旅行を始め、どうせならとハングル文字を覚え、韓国語にも興味を持ち

漢字をハングル読みすることで単語が増え、韓国の町中の看板や注意書き、案内板も読めて便利になった

相変わらずヒヤリングは苦手で、もっともっと勉強が必要と思った矢先に、従軍慰安婦やら竹島やらで

イミョンバク、パクウネと親日大統領と思われていた大統領が2代、相次いで日本により攻撃的な政策を

行った、これですっかり熱は冷め、韓国旅行も韓国ドラマも勉強もやめてしまった

 

そんなある日、東京銀座のビジネスホテルで、早朝目が覚め寝付けなくなってテレビをつけた

中国歴史ドラマをやっていた、台湾ドラマと思ったが中国ドラマだった

素晴らしい中国美女が2人、一瞬で目を奪われた、それがファンビンビンだったのだ、中国大河ドラマ「武則天」

家に戻ってから、毎日録画して最後まで見た

こんな影響もあって、今度は中国語の勉強を始めた、中国は広いので地域毎では全くの外国語と同じで

上海と北京ではまったく言葉が通じない、それで標準語を中国全土の学校で教育をはじめたのだ

広東語では16ある発音も、標準語は4つになった、だがその4つさえ満足に発音出来ず、話すのはあいさつ程度

でやめた、それでも台湾で少し言ってみたら、「この人、北京語を話せる」と言われて逆に恥ずかしい思いをした

でもそこまでだね、すぐにボロが出る

それで書く方と読む方で行くことにして富山の中国人留学生に頼んで、一年に2~3回中国語で手紙を送ってもらい

それを読み解いたりしていたら、次第に読解力がついてきて、返事もネットを利用しながら文章を書くことが少し

出来るようになった

中国の漢字はどんどん画数を減らして簡素化してきている、それに比べて台湾漢字は日本の漢字と比べても

画数が多くて書くのと覚えるのがたいへんだ

中国へは行ったことが無い、台湾はこれからも行きたいところだが、中国本土の漢字ではダメなのが多いので

せっかく覚えた文字も台湾では役に立たない

これからはスマホの翻訳ソフト利用が良いのか?でもまだるいし、誤訳も起こる、そして相変わらずヒヤリングが

ダメではなかなか難しい、もう少し気合いを入れて取り組むか!

どうせなら英語も一緒にやれば能率が上がるのでは無いだろうかと思う。

 

9月の雨で露草がいっぱい咲いた

  

 

 

 


みょうがをいただきました

2018年09月21日 08時24分39秒 | 料理を作る・食べる

友だちのつーくんから、とても大きくて立派な「みょうが」をいただきました

今年は猛暑2ヶ月、9月は長雨と異常気象で、ほとんどでなかったそうですが

最近、少し出来たので持ってきてくれたそうです

一般的には、スライスして素麺や味噌汁の具、刺身の妻などで食べますが

酢漬けや、味噌漬けにもしますね

私は子供の頃から今まで酢が苦手で、湯豆腐のポン酢くらいしか食べることが出来ません

でも酢はとても体に良い成分(アミノ酸でしたか??)が含まれているので挑戦します

大部、嫌いなものも食べられるようになってきたので、みょうがを甘酢に漬け込んで食べようかと

思っています

どうすれば出来るかやったことが無いのでわかりませんが、縦半分に切って、さっと湯通しして

沸騰させた熱々の甘酢の中に放り込んで、冷めるまで置いておこうかなと思っています

週明けには、つーくんの影響を受けて黒ニンニク作りにも挑戦します