神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

やっぱり飲んでしまった

2016年04月30日 23時58分51秒 | ライフスタイル

同期会が行われて、約80人が集まった

50年前に机を並べた仲間たちと飲むのを、とても楽しみにしていたのだが

ばかばかしい小事件があって、飲むのを控えざるを得なくなった

実は1年ほど前に、奥歯の虫歯の「かぶせもの」の金具がとれて

下の歯だったので、またかぶせてはおそるおそる使っていたのだが

だんだん歯が痩せてきたのか、外れやすくなっていた

同級会の1日前の昼

ラーメンを作って食べた、食べ終わってから違和感が、「金具」が無くなっていた

ラーメンと一緒に腹に治まってしまったのだ

実は初めてでは無い、二度目なのだった

これでは、料理も食べることが出来ないし、酒も良くないのでは無いだろうか

何よりもこの軒で同級会の翌日に歯医者に行くことになったので

口を大きく開く歯医者、酒臭いのでは医者も迷惑だろうから、尚更大酒は飲めない

かといって、飲まないのも面白くないから、日本酒はあきらめて焼酎の薄いので我慢しようと思った

一次会はかなり我慢してビールを1本くらいと焼酎2杯くらいで終わらせた

 二次会では、一次会での幹事役の荷がおりたこともあって少し調子が出てきた

その勢いで三次会は先頭に立って町に繰り出した、ここは焼酎2杯とビール1本くらいで済ませた

これで帰れば良かったのに友人と2人でスナックに飛び込み一時間ほど焼酎を飲んでカラオケ三昧

ここを出てラーメンで〆

結局、帰宅したのは午前一時頃

翌日、歯医者に行く頃には少しめまいがしていた

担当が、昨日一緒に呑んだ同級生の娘だったので、少しホッとした

早く治しておけば、こんな切羽詰まった事情にはならなかったのにと反省しているが

後悔先に立たず

何事も起こったときが「今でしょ」で早急に解決しなくてはならないね

 

 

 


良寛の里 出雲崎の海岸線

2016年04月25日 21時17分28秒 | ドライブ

芭蕉が「・・・佐渡によこたう天の川」を詠んだ出雲崎の海岸

国道402号線

ここ出雲崎は良寛の里として有名だ、今日は良寛の資料館を訪ね

横にある小高い展望の小山に登った

北東を望めば、日本海の海岸線が新潟方面に延びて

海岸にひときわ高い山が弥彦山だ、高さはスカイツリーと同じ634m

北に目を向ければ、うっすらともやの中に佐渡島が見える

この付近から新潟市にかけて佐渡はもっとも大きく見える

良寛が何をした人かと問われれば・・・よくわからない

ただ、良寛というと、いつも周りに子供達が遊んでいる風景が目に浮かぶ

「子供好きな、痩せた初老のお坊さん」そんな印象

小さな庵に一人で住み、付近を托鉢してあるく文化人

書に優れ、句を書く人・・・?

無欲で優しく慈愛に満ち溢れ、もっとも人らしく生きている人

ここからほど近い隣村で生まれた、偉大なる政治家「田中角栄」と正反対の生き方をした良寛

私も、あなたもこの両極端の偉人の、どちらの方に傾いているのだろうか

どの程度傾いているのだろうか

 

良寛と北信濃の「小林一茶」は同じイメージと思っているがどうだろう?

 

 

 

 


あきらめない! 有森裕子さんの講演

2016年04月24日 21時31分42秒 | マラソン/駅伝

過去に数十人の講演を聴いたが、今回の有森裕子さんの講演は一番感銘した

オリンピックで二度もメダルを取った(銀、銅)実績からマラソンのエリートと思われがちだが

高校、大学ではさほどの実績も残していない、社会人になって名監督、小出義雄氏の指導を受けて

花開いたという

テーマは「あきらめない!」

*困難にぶち当たっても、あきらめずに挑戦し続ければ願いは天に通じる

*夢をいつまでも追い続けてあきらめなければ、夢は叶う

*自分のマイナス面を、他人には無いプラスと捉えて考える癖をつける

*努力すれば、自分をプラス思考にしてくれる人に出会うチャンスが大きくなる

彼女はスペシャルオリンピックス(知的障碍者のオリンピック)日本の理事長も勤めている

「知的障碍者が持っている素晴らしい能力を、健常者たちが無視することで

彼らの能力は影を潜めてしまう、もっと積極的に関わることで、彼らの無限の能力を

引き出す事が出来る」とも語った。

感動的な講演でした。

 

 

 

 

 

 


天才

2016年04月23日 10時57分10秒 | 時代検証

石原慎太郎が「田中角栄」を書いた「天才」

たしかに田中角栄は天才に違いない

天才とは何だ?

私が考える「天才」とは「伝記」になるような生き方をした人のことだ

50年、60年の人生を華々しく、多角的に、速く忙しくどんどん実績を上げながら突き進んだ人

死ぬとき-生まれた時=世界の人々により多く記憶を残した人

私を初め凡人には絶対出来ないことをやってしまう人間

例えば ビルゲイツ、スピルバーグ、イチロー、王貞治、金田正一、ジョコビッチ、メッシ

昔なら、松下幸之助、坂本龍馬、東郷平八郎、リンカーン、ヒットラー、ナポレオン、チンギスハーン

ベートーベン、徳川家康、豊臣秀吉、織田信長

大企業を興した人々は全て

 

天才は「天才の動く歩道」を見つける才能があり、それに乗る力を持っている

俺たちは「天才の動く歩道」を見つける能力も無く、努力もしていない

そんな天才の一人に後藤新平がいる

何で天才かと言えば、明治維新を成功させた薩長土肥の本流とはほど遠い奥州の出身

明治政府で生きるにはハンディが大きいにもかかわらず、どんどん中枢に入り込む能力

地元奥州市の資料によれば

前半は医師として衛生、検疫方面で活躍、阿片にも関わる

脂ののった40代は台湾、満州の経営を任される

ロシア皇帝、清国皇帝などと面会

50代は政治家として外務大臣など大臣職を歴任、官位ももらい、貴族として遇される

60代で大学学長、東京市長に

関東大震災後の東京復興に尽力

その後、張作霖やスターリンとも会談しているんです

73年の人生を休むこと無く日本国の中心で働いた後藤新平  彼もまた「天才」の一人である

政治家と外交官と医学者、世界政治の表裏を知り尽くした時代の寵児

明治政治家の骨太を年表だけで思った

女の尻を追いかけるだけのぐーたら凡人国会議員・・・スケールが違いすぎる

 

伝 「後藤新平、名古屋の茶室の瓦」

 

 


団塊世代の体と脳の構造

2016年04月21日 11時10分20秒 | 心 思い

この一週間、アルコールを口にしていない

やはり体が可愛い  体調を見ながらの飲酒というのはずっとポリシーになっている

ようやく今、今日2本目の500ml缶「黒ラベル」を飲んでいる

体調は戻ったようだ

中国産の茎ワカメをつまみにやっているが

どうなのか? という疑念が湧いてきた

後味の苦みが嫌だ 全部はやめまい

 

この頃は、またやることが多くなって悩みが絶えない

年齢を考えるとうんざりする だが本物はこんなことでくじけない

60代は若造だと、80代に叱咤される

たしかに我々は高度成長とバブルの時代を駆け抜けた戦士だった

今でも、そのパワーを維持している

頭は働き、くじけず可能性にチャレンジを続ける

体力もそこそこ持っているし、精神力が体力の衰えをカバーする

 

俺たちは、あまりにも良い時代を経験してきた

その記憶は脳にも体にも染みついている

だから頑張れるのだ!!!

いつでも心地よい軽快なリズムが体を駆け巡っている

青春はとうぶん続きそうだ

 

 

 


熊本城崩壊の危機!!!

2016年04月18日 21時15分12秒 | 自然災害

今夜も安心して眠ることが出来ない九州の皆様方にお見舞い申し上げます

私たちが住む地域も北信濃、能登沖、新潟、中越などの大地震を経験しているので

大地震の恐ろしさはわかります。

まだまだ震度5の揺れが続いているので、たいへんですが最大の注意を払って下さい

 

九州は新婚旅行で1週間滞在した事があるだけです

コースは大阪から飛行機で長崎へここで一泊、翌日は天草から熊本に渡り一泊

それから阿蘇を越えて別府で一泊、そこから特急で宮崎へ行き二泊

宮崎から飛行機で大阪にというコースでした

今回の大地震の被災地を巡ったことになります

残念だったのは、熊本に泊ながら熊本城と水前寺公園を見なかったことです

いつか見に行こうと思っているうちに、今回の地震で熊本城が崩落

日本の貴重な歴史遺産が失われそうです。 加藤清正が縄張りした難攻不落の名城

明治初期の西郷隆盛との西南戦争でも、二〇三高地で有名になった乃木将軍らが守った城

たいへんな戦争を経験した城です

こういった事態になって本当に残念です、おそらく私の足腰が聞かなくなるまでは元通りに修復する

のはどうなんでしょうか?

城は近代的に改築されたもの以外は、こうした災害で破壊される恐れがあります

見ることが出来るうちに見ておきたいと思います。

 


どしゃ降り姫路城

2016年04月17日 11時25分29秒 | 旅行 関西・近畿

日本の戦国時代(1550年頃~1620年頃)において主役である「城」

歴史上、華々しい働きをした城、何事も無く明治維新まで続いた城、様々

そんな中で「姫路城」はかなり「目立つ奴」だった

戦場としての働きはほとんど無かったが、この城に関わった人々は有名人が多い

豊臣秀吉(当時は羽柴)の軍師として有名な黒田官兵衛が城主になり

その後、羽柴秀吉が城主になり、ここ姫路城を毛利攻めの拠点とした

信長が家臣の明智光秀に討たれたとき、秀吉軍が「中国大返し」の芸当を見せたとき

一息ついたのも姫路城、ここで家来に全財産を分け与えて「勝とうと負けようと二度と

この城には戻らぬ」決心をしたという

秀吉亡き後、関ヶ原合戦がおこり、家康が豊臣方の石田勢を破って大いに威を張ったとき

家康に味方した勇将「池田輝政」が52万石の大きな領土を得て入城した

15年後、家康が秀吉の一人息子「豊臣秀頼」と「淀君」を滅ぼした

秀頼の幼妻「千姫」は家康の孫だった、燃え落ちる「大阪城」から救い出された

その後、再婚して「姫路城」に入ったが・・・どんな気持ちであったろうか

千姫が住んでいた?「西の丸」から庭園の桜

本丸天守を見て、何を思ったろうか

存在感ある~

  

美しい城

外国人半分、日本人半分

残念だったのは、天守閣から出たとたんにどしゃ降りになったこと

時間はたっぷりあったので、ゆっくり見たかったが残念じゃ

 


神戸ハーバーランド

2016年04月16日 11時35分06秒 | 旅行 関西・近畿

神戸の街を、田舎者がマイクロバスで目的地を探しながら走り回るのは結構ハードだ

ところが開き直って走ると、バスは突然高架の下で90度に曲がったりして

思いがけぬ場所で、道を見つけてしまう

だが複雑で一瞬にして判断を求められる入り口は、時に失敗してしまい

大阪方面が岡山方面になっていたりするのは、たびたびだった

ともあれ都会を走るのは嫌いではない、そこそこの緊張感は田舎では味わえないからだ

まあ順当にハーバーランドには時間通り到着した

予約してあった駐車場には30分早く入庫したが、係員はその分をとらずに予約通りの料金だった

 

ハーバーランドには3年前にもメンバーの半分が来ている

私はその時、有志を募って神戸から淡路経由でマイクロを飛ばして四国は土佐まで走ったのだった

知らないと言うことは良いことで、せいぜい300kmのドライブとタカをくくっていたが

実際は300kmは片道でしか無かったのだ、走りに走って2泊目の宝塚に着いたら19時なっていた

それは3年前の話

ハーバーランドに戻そう

ウェストがくびれた赤いタワーは何だったっけ?「マリンタワー?」??

私が高校生の時に訪れたときにも既にあった

ハーバーランドで思ったこと

*若い人たちの働く場所があっていいね

*とんでもない美人がいるもんだ!

*一日いたって見きれない、精通するには半年通わなきゃ

*港で遊べるってとても良いね

*ウッドデッキでお茶できるのは素敵

*金持ちになりたいなあ

*あんなビルを建てる(金銭面で)人間が存在しているんだものなあ

*レストランの建築、インテリアのセンス、建築設計士のセンス

長崎 神戸 横浜 明るい都会

神戸はそれでも2年ごとには訪れている

 

 

 

 

 


有馬温泉

2016年04月15日 21時25分08秒 | 旅行 関西・近畿

思いを戦国の北陸路になぞらえながらの旅は、想像以上に遠かった

真田信繁が人質になっている上杉景勝の領土越後を抜け

織田領に入る、最初は佐々成政の越中、ここを超えると柴田勝家の甥、佐久間盛政の

能登、加賀、そして織田のナンバーワン柴田勝家の越前に入る、その先は前田利家らが

守る越前府中、そして敦賀より新しく開通した若狭道に入る

織田家ナンバー2、丹羽長秀の領地、細川、京極の領地

 

そこを過ぎて山に向かえば、いよいよ織田家ナンバー3、明智光秀の領土に入る

長い丹波の山中を抜けると、ようやく荒木村重の領土にたどり着き、最後は羽柴秀吉の

姫路城にたどり着いた

実に織田信長の領土は広いのである、その距離は延々500km以上に及ぶ

 

有馬温泉は川沿いに細い道を上って行く、けっこうな高い場所にあるのは驚きだった

同じ山中でも上州や信州の温泉とは趣が異なっている、ゴミゴミしながらも

垢抜けた風情がある、さっぱりすっきりしているのだ

不思議なのは関西弁がほとんど聞こえてこない、あのアクセントに憧れているのに・・・

むしろ中国語など東洋の言葉の方がはるかに多い

旅の疲れを有馬の湯で癒やし、マッサージも受けようと予約に行ったら既にいっぱいで

終了間際の20分だけが空いていた、もう部分マッサージしか出来ず「どこにしますか」と

愛想の良い若いマッサージ嬢に聞かれて「ヘッド」を選んだ

有馬温泉はずっと来たいと思っていたが65歳にしてようやく念願叶ったのだった

この辺りに来ると宝塚の温泉が手軽で、そこで落ち着いてしまうか、神戸のシティホテルの

どちらかだった。

有馬で驚いたのはぬるめの湯(42度くらい)にもかかわらず、上がった後ずっと体が熱くなること

本当にここまで暖まる温泉は初めてだ、山の中なのに湯は「塩泉」で塩っぱい

茶色の泥湯風もあり面白い、以前コ-ルタールのような木更津の温泉や牛乳色の

白骨温泉(あのバスクリン事件の本元で露呈の一週間前)に入った事があるが

それ以来の色つきの湯だ

 

あいにくの雨降りだったが翌朝は晴れの兆候、で雲海の上に丹波の山並みが姿を現した

とても良い景色だった

 

 


夜桜の思い出

2016年04月12日 13時24分52秒 | 知人・友人

昨日、今日と体に染み入る寒さが続いています

もうストーブはいらないと思って居たのに、この2日は背に背負っています

4月というのは「花冷え」の季節でもあるのでまだまだ本格的な春とは言えないのでしょう

若い頃、高田城の夜桜観桜会に魚屋と八百屋の連中10数名で行ったことがありますが

あまりに寒くて、どこからか炭火が入った一斗缶を持ってきた奴が居て

自転車に乗って(これもどこから持ってきたのか?)一斗缶を振り回してグルグル走っていた

すると小型の消防車がやってきて、消防団員に取り囲まれてきついお叱りをうけたのです

女の子が一緒だと調子づく奴がいるもんです

酔っ払うとこんなバカなことをしてしまうんですねえ

怪我でもしたら警察沙汰ですから:::アウェイではおとなしくしているのがベストですね。

あれも4月だったので寒さ繋がりで思い出しました