神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)

風吹くままに 流れるままに
(yottin blog)

「社会福祉」なんて段階は過ぎた、現実を見よ

2014年04月22日 22時41分53秒 | うつ病.障碍

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日曜日に障碍入所施設の職員と保護者の会合に参加してきた
会合の後、新しいコミュニケーション手段として食事会を開催
その後、自己紹介ということで一人一人が発言したが、単なる
名前だけの紹介では無く、個々が持つ悩みや障碍者との関係
様々な履歴も交えて話すように仕向けたので、より深い場面になった

障害にも「精神障害」「身体障害」「知的障害」があるが、これに
「老人介護」も加えれば我が国のかなりの人が何らかの介護に
関わっていることになるのでは無いだろうか。

先日、保護者の一人が高齢でお亡くなりになり葬式に参列してきたが
彼女の人生を推して考えれば、まさに苦労と自己批判の連続だった
のでは無いかと思う、それは意見交換でも誰もが語りうなずいた事
なのだった、そして立ちはだかる介護者の高齢化と後継者不足
それだからこそ施設に依存して、どうやら一縷の希望を見いだしたのだが
そこにたどり着けず自宅待機する人は、どの症状でも甚だしく多い
これから数十年続く超高齢者社会、われわれ団塊世代が最もリアルに
体験してゆくこの厳しい残された人生
このまま80歳、90歳になって動けなくなったとき、どんな状況が待っているのか
入所する介護施設もなく、僅かな年金でお金も続かず、介護してくれる子供も無く、
やがて死んで入った墓を守る身内も無い
政治家には、いきおい前向きばかりで無く、治療的な国家100年の計も練って
いただかなければならない、「今しか無い」後手に回れば国家の沈没が待っている。


一日(ひとひ)

2014年04月16日 22時40分01秒 | 地理

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一日の終わりは(ペク.チョン)を聞きながら何日も溜まった日記を書いたり、ちょっとだけ上級の純米酒で軽く酔いながら、(ビリーホリディ)に耳を傾ける
一日の終わりはこんな風に静かに安らかに過ごしたい

「素敵な一日」という韓国映画を見た
ある女性が、だらしない(ボーイフレンド?)にあいそを尽かして、
貸していたお金を取りに行くが、そこからこの天然の甲斐性無しの男との長い一日が始まる、一緒に男の金の工面につきあう内に、男の人間関係や今まで知らなかった男の一面を知ることになり...

平凡な一日にも、時間単位で切り取ってみれば、様々な表情が見える
今日は私の今月初めての自由な一日、さっそく信州の山間地へ走った、信州には懐かしい本物の日本がいっぱいある、全てが日本それが信州

不愉快なほどひび割れ曲がりくねる狭い林道、少しだけ車と時間を止めて、耳を傾ければ、鳥たちの様々な声が林の中を駆け巡る
すぐ目の前の枝に大きな鳥が留まっていた、カメラを出すと同時に悠然と羽ばたき森の奥に消えた...いつまでも悔いた

県道のナンバーはついていても、今にも崩れそうな山肌の小さなカーブをいくつも曲がりながら上ったり下ったり、30%は来なければよかったと、そう思う道、10数年使い古した道路地図にはいくつも「二度と通りたくない道」と書いてある

いつも、そんな道では(対向車が来ないように)と祈りながら走っている
だけど心配無用、こんな道を走るのは私みたいな物好きしかいない
今日も数十キロのこんな道ですれ違ったのは1台きり
だけど感動するのは、こんな山奥にも家が有り、生活がある
私が感動するのは、ここにある家がみんな立派で大きい家だと言うこと、日本の素晴らしさに感動する、とうぜん電化製品だって完備だし
いや!都会の暮らしより近代的かもしれないし、豊かな生活をしている。
周辺の外国の田舎の暮らしを聞けばいっそう日本のすごさを思う

しょっちゅう信州に出かけているから、ところどころに思い出がある
そんな場所を通る度に胸がきゅんとする、高速道の乗り口にさえ
そんな思いがある、それは何か...一日ごとに老いていく心が今より
若かった日に嫉妬しているのだ

町の中で、横断歩道で、停まった、にっこり笑顔で礼をして行った20代の女性、なんだかさわやかで気持ちがいい、思わず私の心もほころんで後ろ姿を見送り、走り出す....10秒間の初恋ドラマ

今日も、こんな風に終わり 時計も22時30分 純米酒は二杯
CDも最後の曲を歌っている
今日のひと日を振り返りながら...素敵な一日だったね

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火星と満月の接近

2014年04月15日 13時31分03秒 | 宇宙.神秘

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久しぶりに夜の街で酔って、スナックから外に出るとこうこうと輝く満月、そのすぐそばには明るく光る火星も...
ずいぶん接近しているのでガラケーで一枚とったが、処理してみると月の強烈な光にレンズが反応、火星の赤のスペクトルが見事に映った
まるでかに星雲みたいにドーナツ型、もちろん光のいたずらであるが面白い

 火星は太陽系では第4惑星、地球の外側に位置する赤い惑星だ、アメリカの観測機器がいくつか着陸して繊細な映像を送ってくれているが、石ばかりの惑星、直径は地球の半分以下?、昔は月を2つ持っているといったが地球の月とは違って、小さな小惑星が火星に捕まった姿らしい。
今、火星は今年、地球に最も近い位置にあるということだが、数十年のスパーンでいえば地球火星間の距離としては遠いほうだということで約9200万キロほど、秒速30万キロの光だと307秒で到達する距離、ちなみに月までは約1秒、ペテルギュース&アンタレスまでは600年~800年くらい、
火星の赤い色は宇宙では夏のさそり座のアンタレス、冬のオリオン座のペテルギュースと競っている。
火星の赤は星の地表の成分によるもの、アンタレスとペテルギュースは自ら核分裂で燃える恒星の温度に(低温)よるもので内容が違う、赤い恒星(太陽)は温度が低く巨大だが寿命は長い、わ
れわれの太陽は中型、中温度で黄色い星、われわれの太陽は直径が地球の108倍と言われているが、ペテルギュース&アンタレスは太陽の600~1000倍も大きい、上には上があるものだ。
子供のころ、火星人はタコのような姿で長い数本の足ですっくと立ち上がっているという絵がよく掲載されていた、火星人は存在するかもしれないと考える人も多少はいたのだろう、今はどうだろうか?...でも果てしない夢と空想は楽しい

 

 


読書考(4)

2014年04月11日 13時51分19秒 | 読書

江戸風情と料理と人情を描いた最高傑作は池波正太郎さんのシリーズである、20代以後「剣客商売」「鬼平犯科帳」のシリーズはすべて読んだ、一度にとどまらず何度も読んだ、私も料理で生計を立てているので、小説に出てくる江戸時代の料理は興味深い。
 登場人物の強さと情の深さも読んでいて胸がすく、同人の「男の作法」も立ち読みですぐに買った、それと江戸の下町や押上げや新宿など当時の田舎が地図を見るように出てきて面白い、我が家の祖父(血縁のない戸籍上の祖父)は明治時代の日本橋区三代町(現兜町)の生まれ育ちで関東大震災あたりまで住んでいた、その後は上野.御徒町や亀戸を転々としていた生粋の江戸っ子、その弟は兄同様、千住など足立区周辺を転々としていた、昔あったことがあるがまったくの江戸っ子べらんめえ口調で、小柄で歩くのがとても速かった、奥さんは鶴首の目の鋭い勝気で小粋な芸者風の人、祖父の妹は浅草象潟(現浅草4丁目付近)に大空襲まで住んでいた、それだけに小説に出てくる地名や登場人物にも親しみが感じられて小説と重なり、ますますのめりこんだ、そして近くに行くことがあれば思い出しながら時代を遡って風景を重ね合わせて見る癖がついた。
同じころ読んだのは「藤原審爾」の「新宿警察シリーズ」などの小説、女優、藤真莉子の父親、都会風な冷めた裏社会の社会ドラマが多く、池波正太郎と対をなし同床異夢の感があって面白かった。
ほかには有吉佐和子が面白く、特に「助左衛門四代記」の印象が強い、こうしてみると洋書はあまり読んでいないのに気付いた、そんな数少ない洋物ではケン.グリムウッドの「リプレイ」が最高、今も手元において何度も読み返しているが飽きない、あとはカフカの「変身」、読むたびに印象が変わるのは自分が歳と共に変わっていくからだろか。
最後に今も心にのこているのは深沢七郎の「笛吹川」、戦国大名武田家の滅亡に従った忠臣兄弟家族が主人公だが、かっこいい華やかな武将からほど遠い、兵農分離しない土着武将の実態を農民階層から見た異色の戦記物、これが戦国武士の本当の姿だと実感する。

 

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読書考(3)

2014年04月10日 22時26分25秒 | 読書

宗教観が出てきたのはいつごろからであろうか?
無神論、無宗教の親父を持ちながら不肖の息子というのだろうか、だがそれは違う、わが祖先は臨済宗八溝山雲厳寺には700年前頃、信州善光寺には90年前頃に
深い縁があり、母の従兄弟も浄土真宗の住職だった、そんな因縁の家系の没落した枝が我が家である。
血縁ある(戸籍上は他人の)祖父の一家はキリスト教プロテスタントの家族で、特に祖父のつれあいは熱心な教徒であった、祖父は形だけで、宗教を信じているような敬虔な人物ではない。
よくよく考えれば自分もまた宗教に傾倒しているわけでもなく無条件に信じているわけでもない、寺に行ったこともない。
宗教と倫理や道徳の違いはよくわからない、いずれも正しい行いをすることで幸せになれると教えている、ただ宗教だけはあの世があって、その宗教を熱心に信じることで天国に導かれ、そうでない罪人は地獄に落ちると説く、その部分はあえて語らず、道徳倫理をだけを学んでいけばかなりおもしろいしためにはなる。
高校時代を卒業する時、親友が贈ってくれた本が「出家とその弟子」だった、暴れん坊だった彼がなぜこの本を私に贈ってくれたのか謎だが、裏表紙にその理由が書いてあった。
また宗教観があるような感じがする私の青春のバイブルは亀井勝一郎さんの「愛の無常について」だった。
悩み多き青春時代に、悩みから逃げるのではなく、悩みを受け入れることによって解決していく様々な言葉が書かれてあってずいぶんと勇気づけられたものである、そして同じような感覚で読んだ詩集は「リルケ」である、はっきり言ってリルケの詩はわからない、だが自分の内面にすんなりと溶け込んで入り込む感触を感じて心地よかった。
父は青年期の私に「お前は学校の先生か坊主が似合っている」と度々言っていた、だが結局は私を板前修業に出したのだから人生とはわからないものだ。
私が坊主になる理由はある、殺生ができない人間なのだ、それも異常なほどに、昔ネズミを退治するのにネズミ落としの籠があった、中に餌を入れてネズミが中に入って餌を食べると入口が落ちて閉まるという奴だ、泣きわめいているやつを籠ごとせき止めた下水に「どぶん」と漬けて水死させる、その時ネズミは必死に上に上って少しでも空気を吸おうと無駄な努力をする、その苦しむピンクの小さな鼻を見ていて可哀そうになって引き上げ、3kmほど離れた河川敷に逃がしたことがある、また初めて畑のまねごとをして大根を育てたが、大根の葉につく小さな虫を殺すことができず、一つ一つとっては逃がしでとても野菜作りはできないと思った。
良寛さんだったろうか、腕に停まって血を吸う蚊をつぶさないという話があったが、私もその口だ、もっとも姿を見なければ「バシッ」と叩いてしまうが、だが憐みだけで坊さんになれるわけがない、禅宗の厳しい修行などはとても無理だ。

忘れられないのは「親鸞」の漫画を読んで、寝たきりの孫祖母にその話を聞かせてあげたとき両手を合わせて拝まれた、あのことは40年たった今も鮮明な思い出として残っている。

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大正は遠くなりにけり

2014年04月08日 08時56分49秒 | 時代検証

 昭和は64年、明治は45年ところが、その中間の大正時代は14年しかなかった、その大正時代に生まれたわずかな人たちは、明治以後の日本でもっとも激動の時代を生きた人たちである。
私たちが少年のころに明治100年を迎え「明治は遠くなりにけり」と言われた、そして今は大正100年を超えてしまった。
大正生まれの人たちの時代は、大正デモクラシー、関東大震災、満州事変、日中戦争、大東亜.太平洋戦争、アメリカによる占領、統制時代、高度成長時代、バブル時代、バブル崩壊、三陸大津波地震とあわただしく過ぎた100年だった。
大正生まれの人たちの悲惨は、日中、日米、大東亜の戦争時代が青春時代と重なったことである、長い人は5年も6年も兵隊として戦地を往復することになり、当然戦死者もたくさんいたわけである。
戦後の日本を復興させた主力も大正生まれだったし、高度成長を成し遂げたのも大正生まれの主導であった、たしかに不屈の大正世代のおかげで今なお世界の一流国として日本は存在している。
 大正末期に生まれた方のお葬式に参列してまいりました、大正の人たちの表情は一様に穏やかであり、自分の人生に対し誇り高く、頑固であります、生き抜いた時代によって造られた表情でありましょう。
彼らの時代を平和な時代に育ったわれわれは、あれこれ批評家になっていますが見習うべきところだけはしっかりと見習いたいと思います。

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カラス被害の季節

2014年04月02日 16時23分31秒 | 花鳥と昆虫・爬虫類・魚

電力会社泣かせの次期がやってきました
カラスの巣作りの季節、近年都市部のカラスは電柱に巣を作る
木の枝や藁くず位なら良いが針金やベランダのハンガーまで盗んで
高圧線の避雷器などの設備近くに作るので、それらが接触すると
停電が起こって住宅や工場などに迷惑をかけることになる
特に3月4月がその季節、特に見回りが必要で巣を見つけると
高い電柱に登り取り払う、たとえ夕方、夜でもやる
カラスは短期間で巣を作ってしまうからだ
巣を落としてからカラスが嫌うにおいのスプレーを撒く、それでも
同じ場所にもう一度作ることもある
5月にはヒナがかえる、そうなるとカラスの勝ち
なぜなら鳥獣保護法が適用されるからだ、許可無く巣の除去ができなくなる
時間がかかると云うことだ
今年もまた人間と利口なカラスのいたちごっこが始まる


夢の不思議 不思議

2014年04月01日 11時37分37秒 | びっくり!

 

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どちらかといえば夢をよく見るほうだ

 

一晩中夢を見ているような時もある

 

夢は短編映画 シナリオは誰が 俳優は誰

 

夢の中の登場人物は実在と見知らぬ人と半々

 

見知らぬ人は夢の中では顔もあるし確かに見覚えがある

 

ところが目が覚めるとその顔は一人も覚えていない

 

気持ちは家族か恋人のようにつながっていたのに

 

 

 

見知らぬ同じ人と夢の中で再会することもままある

 

「また会いましたね」みたいな親しさもある

 

夢の中の人に激しい感情移入することもある

 

泣きじゃくることもある

 

 

 

何かの奇怪小説と同じ体験をしたこともある

 

たとえば8人部屋の中にいるのに

 

心は9人分感じる 何度数えてみても9人いるのに

 

姿は8人しかいない

 

誰がいないのか 1人多いのは誰なのか

 

矛盾しているけど8人全員がいて9人全員居る

 

そんな不思議

 

 

 

それから夢の中のセリフも不思議

 

相手が話す言葉は誰の創作

 

思いもかけない気の利いたセリフが飛び出す

 

とうてい私の創作物ではないようなセリフ

 

その行動だって思いがけないことがある

 

だから結末がわからない短編映画

 

 

 

最高に楽しいのは空を飛ぶ夢、貨幣を拾う夢怖いのはゴジラの夢と、子供時代の体験「高波」に襲われる夢
夢には心理要素も多いのだろう だから夢占いというのがある
だが夢はDNAが呼び起され血脈の記憶がよみがえるのではないかと思うことがある、夢の中にあらわれるリアルな見知らぬ人々は、先祖と何らかの関係があった人の記憶ではないかと。

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