宗教観が出てきたのはいつごろからであろうか?
無神論、無宗教の親父を持ちながら不肖の息子というのだろうか、だがそれは違う、わが祖先は臨済宗八溝山雲厳寺には700年前頃、信州善光寺には90年前頃に深い縁があり、母の従兄弟も浄土真宗の住職だった、そんな因縁の家系の没落した枝が我が家である。
血縁ある(戸籍上は他人の)祖父の一家はキリスト教プロテスタントの家族で、特に祖父のつれあいは熱心な教徒であった、祖父は形だけで、宗教を信じているような敬虔な人物ではない。
よくよく考えれば自分もまた宗教に傾倒しているわけでもなく無条件に信じているわけでもない、寺に行ったこともない。
宗教と倫理や道徳の違いはよくわからない、いずれも正しい行いをすることで幸せになれると教えている、ただ宗教だけはあの世があって、その宗教を熱心に信じることで天国に導かれ、そうでない罪人は地獄に落ちると説く、その部分はあえて語らず、道徳倫理をだけを学んでいけばかなりおもしろいしためにはなる。
高校時代を卒業する時、親友が贈ってくれた本が「出家とその弟子」だった、暴れん坊だった彼がなぜこの本を私に贈ってくれたのか謎だが、裏表紙にその理由が書いてあった。
また宗教観があるような感じがする私の青春のバイブルは亀井勝一郎さんの「愛の無常について」だった。
悩み多き青春時代に、悩みから逃げるのではなく、悩みを受け入れることによって解決していく様々な言葉が書かれてあってずいぶんと勇気づけられたものである、そして同じような感覚で読んだ詩集は「リルケ」である、はっきり言ってリルケの詩はわからない、だが自分の内面にすんなりと溶け込んで入り込む感触を感じて心地よかった。
父は青年期の私に「お前は学校の先生か坊主が似合っている」と度々言っていた、だが結局は私を板前修業に出したのだから人生とはわからないものだ。
私が坊主になる理由はある、殺生ができない人間なのだ、それも異常なほどに、昔ネズミを退治するのにネズミ落としの籠があった、中に餌を入れてネズミが中に入って餌を食べると入口が落ちて閉まるという奴だ、泣きわめいているやつを籠ごとせき止めた下水に「どぶん」と漬けて水死させる、その時ネズミは必死に上に上って少しでも空気を吸おうと無駄な努力をする、その苦しむピンクの小さな鼻を見ていて可哀そうになって引き上げ、3kmほど離れた河川敷に逃がしたことがある、また初めて畑のまねごとをして大根を育てたが、大根の葉につく小さな虫を殺すことができず、一つ一つとっては逃がしでとても野菜作りはできないと思った。
良寛さんだったろうか、腕に停まって血を吸う蚊をつぶさないという話があったが、私もその口だ、もっとも姿を見なければ「バシッ」と叩いてしまうが、だが憐みだけで坊さんになれるわけがない、禅宗の厳しい修行などはとても無理だ。
忘れられないのは「親鸞」の漫画を読んで、寝たきりの孫祖母にその話を聞かせてあげたとき両手を合わせて拝まれた、あのことは40年たった今も鮮明な思い出として残っている。