神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

火星と地球の謎

2021年08月31日 08時02分28秒 | 宇宙.神秘
真夜中の3時半に目が覚めた
昨日は小さなストレスと、その反対とを同時に感じた日だった
17時に帰宅して缶ビール2本飲んで食事をしてテレビを見ていたら寝てしまった、そして久し振りに風呂にも入らぬまま不覚にも寝てしまったのだ
忙しい調理場で板前たちが働いていて、それを指示する自分の夢を見ていた
たっぷり8時間寝て3時半に目が覚めたのだ
6時過ぎたら朝風呂に入って市場に行こう

今は一日一日が人生の岐路と感じる激動の日々で
政府の動きと、コロナ感染者の推移に翻弄されている
ワクチン期待と反対にワクチン欝が若い人の間で静かに広がっている
それを目の当たりにしてコロナウィルスの怖さを改めて知った

ともあれ夜中に目覚め上記まで書いたが、今は市場から戻ってこれを書きだした、5時の朝風呂と言うのはあまり記憶がない
まだ暑くも寒くもないちょうどいい時間でさっぱりとした

ゴミ拾いのことを書いて、地球環境破壊についても触れたが、やはり地球はわれら人類の生きる場所故だいじにしなくてはならない
核開発、核実験などもってのほかだ

「プラネット」某・・・?という番組を時々見る、ほとんど再放送だが興味深い、そんな中で「火星と地球 兄弟惑星」について放映された
地球と金星は大きさがほぼ同じでこちらこそ兄弟惑星だと思っていたが、金星は太陽に近すぎて地球とは似ても似つかぬ環境だ
火星は直径が地球の半分と小さいが月に似た環境に見える、けれども地形はもっと複雑で地球に近い

45億年前、できたばかりの地球は灼熱の地獄で猛毒の大気と酸性の海、二酸化炭素が充満する活発な活動が繰り返される惑星だった
一方、火星は今の地球のように海がある惑星だった、表面の20%が海だったという、温度も25度ほど、大気もあったが人類が住める空気ではなかったという

そのころはまだ太陽系の各惑星の軌道は安定したものでなく、互いの重力の相互作用で太陽に近づいたり離れたりふらふらしていたようだ
38~39億年前遠くにある海王星が小惑星や、さらに小さい岩石があるカイパーベルトという地域に入り込んだため、一部が太陽に向かって飛び出した
そして地球や火星、月に数千万年の間に1平方mあたり50トンもの岩石が落ちた、しかし耐えた
月のクレーターの大部分はその時できたものだという、火星の表面は3分の一が削り取られた
地球もダメージを受けたけれど活発な活動を繰り返し、毒ガス充満の大地や厚い大気などのおかげで火星のようにクレーターの跡を残さなかった
しかも38億年前、宇宙からの岩石との中和作用なのか毒ガス的な環境から、生命(ミクロの)の発生
それで次第に今の地球の基礎ができ始めていった、5億年前にはカンブリア紀が始まり爆発的に海の中に生物が誕生し、大型の肉食魚も現れた
それでも恐竜の時代まではまだ3億年以上またなければならない

40億年~45億年前
火星も地球も自転によって地球内部運動で南極と北極を基点にして磁力線を発生させた、それは惑星を守るバリアーだった
大気が充満して温度を保つことができる、
太陽系の盟主太陽は地球を中に詰め込めば100万個入る大きさだ
表面温度は6000度だが宇宙に放出するコロナは百万度の高温プラズマ
地球の磁場と大気は秒速数百kmで押し寄せる太陽風を遮って表面に近づけない、その攻防の姿がオーロラなのだ

だが小さい火星は内部活動が次第に衰えて磁力線の力が弱まった、すると大気が宇宙に放出されて一気に火星は冷えていったと想像されている
35~40億年前、氷の世界になり、その後火山活動が活溌におこると氷山の氷は溶け出した
火星最大のイーチャス谷は長さ100km幅10km、その谷に溶け出した水が集まり4000mの谷底へ滝となって落ちた、数週間続いて終わった

一方地球は温室効果で海を中心に大地には樹木、草花が咲き乱れ、酸素が作り出されて6億年前には地球の隅々に行き渡った
5億年前のカンブリア紀から始まった生物誕生、進化して今日まで続いている

太陽系探査がこの数十年間で大いに行われて、私たちが小学生の頃とは全く異なった太陽系に変貌した
それでわかったのは惑星では火星、あとは木星や土星の衛星の中に生命の種がある可能性が疑われるらしい
しかし生物が大量に泳ぎ回り、大地に文明が発達した惑星、衛星は地球ただ一つだということが明らかになった
まさにすべてのタイミングがそろった奇跡の星だということだ、ただ火星に生物が存在したかしなかったかははっきりと断定はできないということだった

*この番組では科学的観測の事実以外の多くは推測であると言っている
 科学的に解明された事実についても、なぜそうなったかはわからないとも言っている(海王星がカイパーベルトに影響を与えて小惑星が地球や火星に到達した(推測) なぜ海王星がカイパーベルトへ移動したのか(理由)



志賀白根山 2015年






火星と地球

2021年08月29日 19時51分36秒 | 宇宙.神秘
プラネットという番組を見ている
太陽系の8つの惑星と数百の衛星の中で唯一塩水の巨大な海を持つ地球
これは40数億年の太陽系の歴史の中での奇跡だとわかってきた、推測の域を出ないけれどある天文学者の説である
かって火星にも地球のような海水の海があったらしい、今も残る火星の深い渓谷は川が流れ滝となって落ちていた名残だという
その滝はナイアガラの滝など比較にならないほど高く幅広い滝だったという
その頃の地球は紅蓮の炎が渦巻く火炎地獄の様相をしていたのだそうだ
火星の方は生物が芽生える条件が整っていたのだという


火星の大気は破壊され海水は太陽熱が直接当たったことで蒸発していった、そして乾いた大地と渓谷がむき出しの惑星になった
巨大な木星が太陽に向かって進んだ、そして弾き飛ばされた大小の岩石が火星に降り注いだ、それは数千万年続いた、表面の岩石は砕けて宇宙に飛び散っていった
固い地殻だけが残り、表面の岩石は薄くなった、太陽系でもっとも地殻の直径比が多いのが火星だという
大気ができた地球は隕石の襲来をかなりの確率で防ぐことができた
こうして現在の地球が完成した、そして数十億年にわたって海は生物を育み進化を助けた、そのおかげで人類はここにいる
地球上の大部分が平均気温が10度~40度ほどの間に収まっている
それは大気が外からの熱を防ぎ、地球の地熱の宇宙への放出を防いでいるからで、さらにそれには海が大いに貢献している
海は雲を産み、雲は雨を降らせ、雨は大地を湿らせて草花を育て森を作る
森は空気を作り生物の命を支える、生物は植物の繁殖を助ける
そして程よい暖かさと太陽の光がすべての生物が生きる手助けをしてくれる
熱は風を作り、風は海流を作る、海流は海の生物に酸素を贈る

しかし人類は愚かだった、恵まれた大気と海を自ら破壊し始めた、原子爆弾を落としてからさらにエスカレートした
世界平和のためだと水爆、核爆弾、人類を数十回全滅させるほどの核爆弾を競って製造し、保有国は数千回も地球上で核実験を行い、大気を汚染させた
そして陸上実験がまずいことに気づくと地下実験を始めて地球の核を破壊し始めた、ものすごい熱量が放出されて空気を燃やし汚染させている
様々な排気ガスが地球温暖化を招き、温度の上昇は年ごとにその数値を高めている
南極、北極の氷山や氷の大陸がどんどん崩れ落ちて海に溶けていく、海水濃度は薄まり、氷山をすみかのオットセイやペンギン、白熊たちの危険が迫っている
薄まった海水で魚たちも安心できなくなった、海洋生物はマイクロプラの被害に加えて住処や海水濃度でも被害を受け始めている

大気汚染は大気圏の破壊にもつながる、極点の穴が広がれば太陽からの様々な宇宙線が地球に降り注ぎ、海水を蒸発させて火星同様の死の星になる
大気が消え、空気が無くなれば生物は絶滅する、そして隕石は次々と地球に大きな穴をあけていく

捨てていく人、片づける人

2021年08月29日 19時51分20秒 | yottin日記
5時半に起きて テレビ体操をしてから
朝6時半、仲間たち20名で海岸のゴミ拾いを1時間ほどやった
もう間もなく9月だがオートキャンプ場にはキャンカーやワゴン車がまだまだ7割ほどあって、朝の支度を始めていた

海岸砂浜は川と川の間の長さ2kmほどあって、ランニング用のラバーをひいた道がありランナーが時折走ってくる
私は幅50mほどの砂浜の中間を一人で歩いていたが、たちまち袋が一杯になった
全体の成果は30Lのゴミ袋で10袋ほどになった
夏休みの間、入れ替わりで県外から釣りやバーべQを楽しんでいった人たちのありがたくない置き土産
一番多いのはペットボトル、そして空き缶、スプレー缶、化粧品のチューブ、弁当容器、プラに発砲スチロール
一番大きなごみはいくつもに破れたカラフルな漁網、漁業用の浮き球、これは某国の難破船から流れ出したものでは??
バーベキューの木片の焼け跡近くに米が1升ほど入ったコンビニ袋も捨ててあった、そして使用済みマスクも

捨てる人の心にはごみに対する意識はないのだろう
持ち帰るより捨てていく方が簡単だと思って捨てるのだろう
そんな人間に何を言っても無駄だ、気持ちよく後始末をしてやろう
また来年も楽しく遊んでもらえるように
ここに来た人たちがきれいな海や夕陽に感動するようにきれいにします
私たちの町なのだから

プラがマイクロプラに砕けて魚が飲み込み体内に蓄積、それを人間が獲って食べると人間の体内にマイクロプラが蓄積するという
海岸に放置された発砲やプラはやがて大波に引き込まれて海へと流れ出す、大きな塊は海鳥や大型の魚が食べて死ぬ例も多くなったようだ
海が汚染され、海洋生物が汚染され、巡って人間が汚染される

そんなことを考えながらペットボトルやプラ製品を探し歩いていた








団体旅行でトラブルの思いで 淡路島

2021年08月28日 08時31分13秒 | 旅行 関西・近畿
今、魚市場から帰ってパソコンを開いたらネットニュースで真っ先に飛び込んできたのは「世界平和大観音像」国費8億円以上かけて解体のニュース
淡路島にある個人が建ててた展望台付き100mの観音様だ
管理者が不在で倒壊の危険性が日々高まっていたという

私は40代の時、10年ほど鮮魚商の協同組合で福利厚生の担当をしていて組合員の親睦旅行の担当部長であった
ある年に淡路島の旅行を企画実行した、そして濃霧の淡路島でこの観音様の近くの道路を通過した,
遅い時間なので観光はしなかったが当時は最大1日2000人ほど訪れたという
濃霧の中にそびえる姿は顔が見えないので、さながら大魔神のように感じて畏怖を覚えるほどだった

私たちの旅行は、本州と淡路はまだカーフェリーしか通っていないときで大阪か神戸の港から観光バスで渡ったのだった
大きな温泉観光ホテルだったがエレベーターがまことに不便で部屋から遠いうえに台数が少なくて風呂に行くのに待ち時間が長くて閉口した
それが一番印象に残っている

一泊して翌日は帰路およそ700km前後の行程で、観光後港へ行くと濃霧で出港見合わせと言うトラブル発生
当時は魚屋さんも好景気で参加者は観光バス2台で60名あまり、台湾旅行をしたこともある
1時間たっても運行の目途は立たず、添乗員が私に相談に来た「どうしますか?霧が晴れるまで待ちますか」「ほかに方法は?」
「大鳴門橋を通って四国にわたり、瀬戸大橋で岡山に出て高速で帰る方法がありますが6時間余計にかかります」
さすがに私も考えた「もう少しだけ様子をみますか」「はい」
しかしまた一時間ほどたったが状況は変わらないもう11時近くになっていた、昼食は大阪が予定されていたがもう間に合わない、キャンセルした
とうとう四国経由で帰る決断をした、私は若かったから6時間余計に旅行できることに内心ワクワクしていた

しかしいざ走りっぱなしとなると楽ではない、12時前に着く予定だった大阪に着いたのは夕方6時であった
法律でバスガイドは6時以降の乗車が禁じられている、彼女らはわが町の人たちなので大阪のホテルで一泊することになった
降車する時、「楽しい旅行だったのでここでお別れするのは悲しい」と涙を流していた
そこからは男の乗務員が乗り込んできた、交代要員の運転手かもしれない、当時は一人400kmとか500kmとかの規制はなかった

そして9時近くになって本来5時頃の夕食場所石川県のレストランに到着して夕食、食べる終わるととすぐ出発
待ってくれていたレストランの人たちに感謝
北陸路に入ってからは雪景色だったが幸い大雪にはなっていない、たまにちらちら降るくらいだった
深夜11時、ようやく地元に帰ってきた、当時の高速道の事情はよく覚えていない、未完成の部分もあったかもしれない
さすがの私もヘロヘロだった、まして60歳以上の人も大勢いたからなおさらだったろう、後にも先にもこんな旅行はこれだけだ。

観音像完成1982年  大鳴門橋完成1985年  瀬戸大橋完成1988年 
明石海峡大橋完成1998年


 

日本海とさかなたち、そして家庭料理

2021年08月27日 08時27分38秒 | 料理を作る・食べる
毎日いやでも海の景色が目に入ってくる
太平洋に比べるとなんで日本海は狭いのだろう、地図的な意味ではなく視的にも狭く感じる
時々夕陽の写真を撮ってみるが、夕日は年賀状には使えない、朝日の上る姿こそ年賀状にふさわしく、夕日は鮮やかな割には物寂しさが付いてまわる
日本海が存在感を表すのは冬の荒れた海、10mに迫る濃い灰色の波はたくましい、どれだけ見ていても飽きない
荒れた海にはなぜかカモメが群れる、ベテランサーファーのように波の間をかいくぐり上昇する風に乗って一気に上に舞い上がる
わが海は千里浜などのような遠浅ではなく100mごとに100m深くなる海だ、それは富山湾のお椀状の数百mの深海へと落ちていく
富山県と能登半島に囲まれた半円は深い穴になっていて、それから東のフォッサマグナへと続いていく
富山と新潟の県境にあるフォッサマグナはプレートがぶつかり沈み込む場所で太平洋の静岡から日本列島を長野県に沿って縦断している
その谷は日本海に達しても渓谷となって200kmも300kmも大陸に向かって伸びている
そしてさらに東へ進むと佐渡島から奥羽に至るなだらかな海底台地の様相を見せてくる、フォッサマグナを境に海の中の地形図は二つの顔を見せる

私が魚屋を営んでいた40年くらい前と今では魚の分布は大きく変わり、しかも水揚げ量も大きく減った
だがそれは小舟での沿岸漁の船と漁師が大幅に減ったこととが関係している、実際は大きな船が定置網漁でどっさりと獲っているから漁獲量は想像以上に多いかもしれない
我々のような零細小売の市場に出てこないだけで、定置網の大量の魚は地方の大きな市場で捌かれた全国に散っていくのだろう
それにしても我々の産地市場から姿が見えなくなった魚は多い
極端に減ったものを並べてみれば、スケトウダラ、スルメイカ、太刀魚、車エビ、キス、ホッケなどである
この夏はなぜかアカムツ(のどぐろ)が例年の何倍も獲れて、私の店でも提供できる価格になった、のどぐろ炙り丼、塩焼きなどで提供したが、煮てもおいしいらしい
魚が好きな人は頭も一緒に煮て目玉をしゃぶる、目の周りのとろとろのゼラチン質の食感が好きなのだ
代表的なのはタラの目玉だ、タラの頭こそ本当にいくつもの味が楽しめる
ほお骨あたりのわずかな身はしこしこして美味しいし、首周りは発達した筋肉で量も多くて背の身よりもおいしい
とにかく骨以外はすべて食べつくして最後に皿の煮汁を白米にかけてさらさらと食べる、このあじがまた絶品だ
だが地物のタラにお目にかかれることは少ない、昔はタラだけで一時間もセリが続いたほどだったのに
200匹ほど仕入れてきて腹を開いて白子とタラコを取り出す、それだけですでに利益が出て、さらに身は塩水につけてから寒風で干して「棒鱈」にする
棒鱈は2匹ひとくくりの「一かけ」単位で売る
一かけ250円位が相場だった、今は1匹で数百円一かけにしたら1000円は楽に超えるから誰も作らない、そんな時代は終わってしまったのだ






テレビドラマ「北の国から」考 (4)田舎を離れるわけ 住み続けるわけ

2021年08月26日 21時02分38秒 | 映画/ドラマ/アニメ
このドラマを見ていて気付いた
牧場経営の北村清吉は麓郷開拓時代の数少ない生き残りだ
その息子は5人いるが上から3人はこの地を離れて都会で生活している
お人好しの4男の草太をなんとか引き留めて家の跡継ぎとしているが、草太の心は揺れ動く
良い具合に開拓者仲間の娘、つららと草太は恋人同士で結婚する様子がある、結婚すれば草太の迷いも消えてこの地に根を張るだろう
ところが五郎の家に東京から雪子がやってきて住みついた、草太は都会の女そのものの雪子に一目ぼれして、田舎臭い、つららは眼中から消えてしまった
毎日毎日五郎の家に通いつめ、挙句に独断で雪子を牧場へ連れてきて雇った
これには清吉が怒った、つららの家への面目がない、東京育ちで大学での雪子が草太の嫁になって牧場に来るなど100%ない
もし一緒になるなら東京へ駆け落ちするかもしれない、北村家の危機である
清吉が草太を説教すると草太は「おれはここにいてやってるんだぞ」と言って
それっきり口も聞かない

そんな矢先、笠松の爺さんが橋から自転車ごと落ちて死んだ
その日の朝、18年共に苦労した愛馬を生活苦の為に売った、馬は自分の死をさとったのか顔を何度も笠松の首に擦り付けた
顔を見たら大粒の涙を流していたという、それから自分の意思のようにして騒ぐことなく踏み台を上って自動車の荷台に乗ったという
それから笠松は朝からずっと一升瓶を持って飲み続けている、ぐでんぐでんに酔って学校の参観日にやってきてひと騒動興し、正吉が連れて帰った
その夜、五郎の家にやってきた、そして馬を手放した時の話を延々と語った
「俺と苦労を共にした唯一の奴だった、今頃はもう肉になってら、おれの女房と言ってもいい奴だった」
そういうと大雨の中を自転車に乗って出て行った、そして死んだ

葬式には家を出て行って都会に住む笠松の息子たちが来ていた、そして親父が他人の僅かな土地をごまかして自分のものにしたと親父の悪口を話している
それを聞いた清吉は「おまえらに何がわかる!、わずか一坪の土地を得るためにどれだけの苦労をしたと思う」
と開拓者の苦労話を大声で言った、だが年寄りのたわごととまともに取り合わない
「おまえたちはこの村を出て行った、ここに住む人間の事をとやかく言う権利はおまえらにはない!」
「そうはいうけど、ここにいたら食っていけないべ仕方ないべさ」

*ここまで見て思ったこと、最初はこの村を逃げていく敗者の村人を清吉視点で見ていて軽蔑していた自分
だが、度重なる清吉の村を出て行った者たちへの軽蔑が、実は貧しい苦しいと言いながら出て行くことが出来ない人の叫びに見えてきた
逆に言うとあっさりと苦しみだけの生活に見切りをつけて出て行く人たちへのうらやましさの裏返しでなかったのかと
清吉の言葉には逃げることが出来ない自分への言い訳が見える、何のために苦しみの生活を続けるのか?女房も子供も同じ苦しみの中にいる
責任ある戸主ならばさっさと見切りをつけてもっと便利な町で暮らした方が良いはずだ、だが苦労して開拓した村を捨てることはこれまでの人生を否定することだ

長い苦しみの経験が、簡単に村を捨てる人たちへの軽蔑で自分を慰める
それが唯一のプライド、本当の自分の気持を慰めるための言い訳なのだ
逃げるタイミングを逃してしまった自分への腹立ち

笠松の爺さんも、そんな開拓の犠牲者だった
土地から逃げる事が出来なかった人間の悲哀、年老いてしまった





第六感 感がいいというか わりと出会い運が 

2021年08月25日 19時26分17秒 | yottin日記
昨日、鱒ずしを食べたくなって北陸道のSAに買いに行こうと出かけたんだけど
途中ずっと農道を走って写真撮ったり海岸を見に行ったりと、一人走りは気まま
それで途中から高速に乗ってSAによる予定だったんだけど、写真とって車に戻ったら座席シートが一面に茶色になっている「まさか!」とうとうボケてしまった?
ズボンを恐る恐る見たら、太ももの辺りが同じ色で汚れている「ほんとにまさか?」匂いを恐る恐る嗅いでみた
なんと「チョコレート」だ、ドライブのおともにアーモンドチョコを買って食べながら来たのだけど、箱の中にバラになっていて
よそ見しながら片手でつまんでいるうちに何個かシートに落ちてそれをお尻で踏んで温まって溶けてこうなった
一安心したけど、このズボンでSAに寄って買い物する勇気はない、目的も果たせず家路についたのでした

新川の平野は育っていますよ



さて、なぜか外に出て走ると新幹線との交差でよく新幹線が走ってくるのに出会う、30分に一本目の前を通過するのは10数秒だから一回会えばいい方なのに数回会う
そんなに何十回も出ているわけでもないけど会う確率は20%くらいだ
会うたびに「おはよう」とか「いってらっしゃい」とか言う
そのくせ、もっとも新幹線を見たい高架橋の上で出会ったのはたった一回きりだ、確率的にそれが当たり前なんだけど

それはともあれ、今日は午後から時間をつくって20km先の町で法的な事務所を構えるA氏に会いに行こうと考えていた
そこへ行くのは初めてで、電話でいるかどうか確認しようと考えていた、だけど忙しくて電話をする暇がない
銀行で記帳しなければわからない通帳が一冊あって、それは急ぐのでいつも通り事務員に頼もうと思った、でもなぜか自分で行く気になった、珍しい
そしてすぐに車に乗って、いつもは支店へ行くのになぜか本店へ行ってしまった、駐車場で下りたら隣に黒い軽が止まった
下りてきたのはまさか!Aさん? 疑心暗鬼で声をかけず後ろをついて行った
行内へ入っていった、私は玄関先のATMで用が済む、人違いかな?
車に乗ったら、出てきて隣の車に乗った、直接車を叩くのも嫌だし向こうはずっと知らん顔だし
そうだ電話すればいいんだ、電話帳にあるのは確認済み、かけたあ女性が出た
「@@事務所ですか」「はいそうです」
「社長さんいますか?」「今A町へ行きました」「えー? B銀行も行きましたか?」「ええ、行くと思います」
「じゃあホンダの黒の軽ですか?」、もうスタートして駐車場の出口で割り込もうと止まっている、焦った
「いいえグレーですよ」(あれやっぱり違ったか、そんなにタイミングがいいわけないさ)諦めたら
「ああそうだ、今度の車は黒です、そうそう前の車がグレーでした」
あわてて車から出て、まだ公道に出られないでいる車の窓を叩いたら、やっぱりA氏だった
「まさかここで会えるとは、夕方事務所へ伺うつもりでした」
「今、戻ります」と言って駐車場に戻って立ち話になった、聞きたいことがすべて聞けた、手間が省けた
だけどこんな偶然があるものなんだなあ、時間や行き先や、事務員に頼んだらここで会うことはなかった

だけど私はわりとこういう出会い方が多い、以前も書いたが新潟市にいた時、月3日しかない休みに、たまたま会津方面の家に帰る仲間に乗せてもらって
亀田と言う小さな町でおろしてもらってあてもなく駅裏の農道を歩いていたら
川崎市に住んでいる中学高校時代の親友が反対側からこっちに歩いてきたのだ
これって奇跡じゃありませんか? 別に用事もないのにたまたま初めて通る知らない町の細い裏道で新潟市と川崎市に住んでいる親友同士が会うなんて
そいつはこの町に住んでいるWくんに会いに来たのだそうだ、Wくんは東京の大学に行っていて帰省中でこの近くに家があるそうだ
実はそのW君は中学生の時、父親が警官で転勤族、我が家の真裏の官舎に引っ越してきて3年間だけ友達付き合いをした同級生なのだ

ふたたび転勤して以来一度も会っていなかった、まさかこの日此処で三人で再開できるとは、神様の思し召しだったのかな




テレビドラマ「北の国から」考 (3)都会で生きるか田舎で生きるか 

2021年08月25日 06時35分22秒 | 映画/ドラマ/アニメ
北海道に移住して半年、ようやく春になった
紆余曲折があって五郎は純に対する態度を改めてようやく正しい親子関係が戻った、純も明るくなり北海道で暮らす覚悟ができたらしい
東京では令子が体調を崩して入院した、純は五郎の許可を得て5日間母の見舞いに雪子と東京に行った

舞台 北海道の真ん中、富良野から山に入った麓郷(ろくごう)という寒村

黒板五郎= 妻玲子の浮気を許せず北海道に息子の純、娘の蛍を連れて廃屋を直して住み着いた(東京ではGS店員)
純=(主人公) 蛍= 五郎と令子の子供 小学生
令子= 五郎の妻、生まれ育ちは東京、同級生という吉野と不倫する 東京で美容院経営
宮前雪子=令子の妹 東京で妻子ある男にふられて傷心で北海道に来て五郎の家に住む
北村草太=牧場経営の北村清吉の4男 説得されて嫌嫌、牧場を継ぐ つららと結婚しそうだったが雪子に一目惚れしてしまう ボクシングをやっている
つらら=農家の娘で農協店員 草太を見限って札幌で風俗の仕事に入る、田舎娘が風俗界で垢抜けして明るい大人の女になり、会った雪子や純を驚かす
吉野=東京の会社員、令子の同級生?で不倫相手、今は独り身 渋くて男っぽい都会の男、純は反発しながらも吉野に傾倒していく

五郎と令子は法的にはまだ夫婦であり、令子は復活を願い五郎は拒み続けていた、令子の友人の女弁護士(宮本信子)が説得に来たが、子供たちの反発で挫折した
そのうち令子と不倫相手の吉野との関係が復活した、病院は吉野が世話をした、吉野の先輩の親戚の病院だという
雪子は様々な症状や友人の医者などと相談して、この病院が適切な治療をせず病状を軽く見ていると判断して令子に転院を進めた
しかし令子は吉野の立場を考えて転院を拒み続けて怒りだす始末だ

純は東京に半年ぶりにやってきた、仲良しのけいこちゃんに会いに行くと、英語塾へ行ったという
覗きに行くと中ではかっての同級生たちがみんな勉強していて、純よりできなかった友達も英語をペラペラ話していた
純はショックを受けた、北海道の自然の中で過ごす半年の間に完全に学力の差がついてしまった
分校での勉強は涼子先生の自然観察や平等主義で純のようなできる子より、できない子を分からせるほうに重点が置かれた、内容も緩い

翌日、純はけいこちゃんや友達と遊んだ、だがテレビや映画、流行りものの話に全くついていけない、テレビも新聞もない生活では当然だった
唯一、北海道の動物について聞かれた時だけが独壇場でホラも交えてうっぷんを晴らしたがむなしさが残るだけだった
そんなとき、母を奪った吉野が一日純を遊びに連れて行ってくれるという、映画を見ると聞いた時、純は無条件に喜んだ
遊園地にも行き、おいしいものを食べた、純は嫌いなはずの吉野にかっこよさと強さと男らしさを発見してなぜか好きになった
父と比べてみてもあきらかに吉野の方が魅力があった

食事をしながら吉野が純に言った
「おまえは母さんが可哀そうだと思わないか? 二人とも父さんの方に行って不公平だと思わないか、お前は男だろ母さんと一緒にいてやるべきだ」
「でも母さんにはおじさんがいるじゃないですか」
純の反撃に吉野は一瞬唖然とした、そして「それじゃおじさんが母さんをもらっていいんだな」
「もう一緒にいるじゃないですか」
「違う、正式にもらっていいんだなと言っているんだ」
「僕がかあさんと東京で暮らせば、おじさんは来ませんか」
「それはわからん」
「それって卑怯じゃないですか」
「そんなことはない、わからんからわからんと言った」
「卑怯です」
「そんなことはない、分からんのに約束する方がよっぽど卑怯だろ」

純の頭の中はパニックになった、何が正しいのかわからなくなった、母か父か吉野と母はこれからどうなるのか、そして自分は母か父か
純は母との五日間が終わり変えることになったが、母に問われ結局東京に残ることに決めた、だが夜中に心が変わった、翌日の母との約束を破って黙って北海道に帰った

*純の女友達のけいこちゃんは知的で理性的で品の良いお嬢さんだ
パパは外国で仕事をしていて、ママと二人で東京で暮らしている
けいこちゃんは純に東京で母さんと暮らすことを勧める、純の母さんが可哀そうだという、吉野にも同じことを言われた
けいこちゃんのママも同じ考えで純には自分たちの家に来てもらえばいいという、なんなら純の母さんも一緒に住めばいいという
きっとママ友なんだろう、令子は上品だし清潔だし学歴もあるから中流の上らしい生活のけいこちゃんの家庭に溶け込める
純の心はだんだん東京で母と暮らす方に傾いてきて、雪子に相談するが「勝手にすれば」と雪子はつれない、雪子は北海道で生活するつもりは変わらない

純にとって勉強環境と生活環境、情報量においてかっての同級生に置いて行かれたのは大ショックだった、いまならまだ取り返せる

両親が問題なく東京で一緒にいた頃、家族はアパートで暮らしていた
友達の間で自転車ブームが起こり、純以外のだいたいが流行の自転車を持っていた、純も自転車が欲しいと言った
令子がすぐに「買ってあげる」と言った、ところが五郎は黙って出ていき、大型ごみの集積場に放置されていた自転車を持ってきて改装して乗れるようにした
それを純にわたして「新車なんかなくてもこれで充分乗れる」と言った
仕方なく中古の自転車でみんなに交じったが肩身が狭い、みんな最新式の変速機付きだ
そのうち警察がやってきて「盗難の訴えが出ていて、お宅の自転車の元の持ち主が返せと言ってきている」と返還を求めた
これは人の物をかってに持ってきたのだから窃盗の疑いもあるが、先方も知っている間柄だから穏便にしたいと言っているから返してもらえば大事にしない
令子は警官に「あらためてお詫びに行きます」と言った、警官も「それがいいでしょう」と収めた、なのに五郎が出てきて
「一か月もゴミ置き場に放置してあったゴミを拾ってきて改装したのが悪いのか、捨てておいて今さら返せとは理不尽だ」と警官にくってかかった
令子が止めても五郎は自分の正義を警官に言い続けた、警官も心証を害されて逮捕する勢いになってきた、なんとか令子が抑えて終わった
すぐに令子は最新式の5段変速機を純に買い与えた、純は大威張りで先頭を走った

父との約束を破って北海道に帰るのを伸ばすと決めた純は「東京で母と暮らす、けいこちゃんの家で暮らす」という夢に浸った
ところがなぜか自転車の事を思い出した、簡単に新車を買ってくれた母と、拾ってきた自転車をまだ使えるとなおした父を見比べた
お金さえあれば何でも手に入る東京、ボロボロで人が住めそうもない廃屋、水道も電気もなくすべて父が労働でそれらの問題を解決した麓郷の生活
純の思考は次第に父を理解し始めていた、どうしてよいかわからなくなった、けれど純は翌日母に会うことなく北海道へと帰っていった
だけど純は母の恋人である吉野をなぜか好きになっていた





この頃の飲酒と食生活

2021年08月24日 08時22分52秒 | 料理を作る・食べる
酒の量が減った。 だいたい晩酌に缶ビール一本で終わってしまう
この一週間だけはおまけつきだ、それは医院の奥さんから毎度のことながらいただいた「久保田千寿」があったので、寝酒に1~2合飲む
こういう蒸留酒は冷やして飲むのが最高だが一升瓶なので常温で飲んでいる
それはそれでトロっとした味わいで悪くはない、わたしはビールさえ常温で平気で飲む人間なのだ

そういえば調味料も使わなくなった、最近女房殿に「醤油かけて、ソースかけて食べなさい」とよく言われるのだが
野菜の炒め物、お浸しなんかでもたいがい、そのまま食べる、なんか素材そのものの甘みと言うか薄味が好きになったんだろうか
ただ千切りキャベツはウスターソース、レタスはマヨネーズをつける、これだけは生のままではたくさん食べることができない

ずっと朝食は食べなくなった、そのうち悪いことを覚えて朝食にカップラーメンを食べるようになった、依存症に近い
さすがに大人だから「これはまずい」と思った内臓脂肪やコレステロール、塩分過多になるのは目に見えている
それで1週間前から朝食パターンを変えた、今は毎朝プレーンヨーグルトを200gとジェルのビタミン(眉唾ものだが)が朝食だ
人は「そのまま良く食べれるね」とか言うが砂糖なんかいっさい使わず、そのまま食べている、ビフィズス菌というのが好きだ
たまに腸がおかしくなることがあるので、プレーンヨーグルトは解消に最高の食べ物だ、調子がいい
昨日から塩こうじを仕込み始めた。黒ニンニクも久しぶりに仕込んで間もなくできる


テレビドラマ「北の国から」考 (2)悪いのは獣か人間か

2021年08月23日 13時39分00秒 | 映画/ドラマ/アニメ
何年かぶりにまた見始めた、今回で3度目、見るほどに内容の深さがわかってきて面白い

キャスト

黒板五郎(田中邦衛) 純(吉岡秀隆) 蛍(中嶋朋子)
令子(いしだあゆみ) 宮前雪子(竹下景子)
北村草太(岩城滉一) 北村清吉(大滝秀治) つらら(松田美由紀)
涼子先生(原田美枝子)笠松(大友柳太郎) 笠松正吉(中澤佳仁)
中畑和夫(地井武男) 吉野(伊丹十三) 

純と蛍は冬を前に分校に行くことになった、生徒は3人しかいなかったが増えて5人になった
分校までは家から大人の足で40分だという、そこを毎日二人は歩いて通う、スクールバスなんかない
教師ははぐれ教師の涼子先生、個性的な若い女教師で企画にはまらず島流しにされたような立場らしい
頭がよさそうな純を見て本校を進めるが五郎はここに通わせてほしいと頼み込む、純にとっては大迷惑なのだが五郎はかたくなだ
涼子先生と五郎どっちも頑固な似た者同士だ
この生徒に笠松正吉がいる、祖父と二人で暮らしているが祖父は笠松の爺さんと呼ばれて村内では変わり者の嫌われ者だ
だがこの村の開拓者の一人であり、五郎の父と汗水流して沃野を切り開いた友であったという
奥さんが亡くなってから今の性格になったらしくて、それまでは優しい穏やかな男だったという

蛍は友達がいない、それで家の裏に来たキタキツネを餌付けし始めた、それは成功して「るる」と名前を付けた
ところが「るる」は近くの森の中で虎ばさみの罠に足を挟まれてどこかに消えてしまった、悲痛な鳴き声を挙げながら、蛍のショックは大きかった
その虎ばさみを仕掛けたのは笠松の爺さんだった、特別な事情がない限り今は禁止されている

学校で涼子先生が生徒たちに蛍のキタキツネの餌付けについて話し合いをさせた
正吉だけが狐の餌付けはダメだという、
ほかはみんなキツネをかわいがるのは良いことだというが涼子先生は
「キツネに餌をやれば自然の中で自分で餌をとることをしなくなっていずれこまるのではないか、だから自然の動物にエサをやるのは賛成できない」
と正吉を擁護する、純たちは二人に徹底的に反対して騒がしくなる
キツネは村人の飼っている鶏を襲ったり悪いこともする、だから殺すのも仕方ない、だがもともと動物たちしかいなかったこの地に人がやってきて
森を切り開き、動物の生活圏をどんどん減らしていった、動物は住む場所も食べ物も少なくなっていった犠牲者だ
動物擁護派はそういう

村人がキツネやウサギやリスなどを捕獲するのは生活の為だと正吉は言う
爺ちゃんが獲った動物の毛皮で寒さしのぎのチョッキを正吉のためにいくつも作ってくれた
だが蛍が可愛がっていたキタキツネが爺ちゃんの虎ばさみで足を切断したことを知って、爺ちゃんに言う
「じいちゃん、もうチョッキはいらんから罠で動物を獲るのはやめてくれ」

正吉から話を聞いた笠松の爺さんは五郎を訪ねて開拓当時の苦労話を淡々と話す、そして昔は作業に使う農耕馬を冬前に売って冬の暮らしに充てる
売られた馬は町で肉馬となって殺される、だがそうしないと生活ができない
雪深い半年続く冬の間にキツネなどの動物を捕まえて毛皮を売り、春に新しい馬を買うお金つくりにする、その繰り返しだったと
だが自分が仕掛けた罠で、蛍の心が傷ついたことに素直に謝った
そして毎年馬を売っていた笠松がなぜか20年連れ添ってしまった今の馬を売りたい、五郎買ってくれないかと頼みに来た
それは愛馬が肉となることを避けたいという笠松の願いであった、だが五郎は貧しい、買う金など無い、笠松は落胆した

実はこの前、雪子と純が車で峠に出かけてそこで猛吹雪にあって身動きできず何時間も閉じ込められて凍死寸前まで追い込まれた
気が付いた五郎は必死で捜索したが救助の車も動けない、おおよそ峠あたりの見当は付いたが猛吹雪でいる場所がわからない、打つ手が無くなった
そのとき「笠松んとこの馬なら見つけられるかも」と五郎が働いている中畑木材の従業員が言った
五郎は笠松の爺さんに頭を下げて馬そりを出してもらった、そして馬は二人が雪に埋もれている場所でぴたりと止まった
路肩を掘ると車が出てきて二人はぎりぎりで命が救われた、笠松の爺さんはこのことで五郎が買ってくれるかと淡い期待できたのだったが
五郎は貧しすぎた        続く