「いくさんのお部屋」つぶやきNo.3

日頃の何気ない日常をつぶやいています。

Macの調子が…

2005-10-14 22:56:20 | 野菜作り2022
困ったものだ。7月の始めに、起動をしなくなって初期化してOSを入れ替えたのだが、やっぱり調子がここ一週間おかしい。起動に時間が掛かって、あげくに途中で爆弾マークが出たりする。
このマックの爆弾マークは最初に買った、パフォーマでは良く出ていたが、今のG4では今まで5年近く見かけていなかった。久しぶりに見る爆弾は、恐い。一度はマウスのポインターが、何だか変な形をしてると思って、よ~く見ると矢印ではなくて爆弾だった。私は信じられなくて、あわてて再起動をしてしまった。
うちのマックは、どうなってるのだろう。起動するのに5分ぐらい掛かったり。途中でフリーズかなと思ったら急に動いたり、なんだか変。挙動不審である。
かと思ったら今は正常に動いているので、思い過ごしだったんだろうかとまた期待してしまう。
今週は、Macに翻弄されっぱなしだった。来週は、上手くバックアップを取って修理に持っていこうと思ってる。
そして、最近の新しいMacも見てこようと思ってる。
長い間調子が良かっただけに、以前買っていた雑誌も本も全く買っていないので新製品がよくわからない。
Mac OS X tigarという厳めしい名前のシステムも、いったいどういう物なのかも想像も出来ない。気になる機種はiMacG5とMacmini。
パソコンって、みんな頻繁に買い換えてるんだろうか?
最近はまた、Macが気になって仕方がない。

ピアノの調律

2005-10-12 10:10:42 | 音楽
たまに娘が帰ってきて、ピアノを弾いているとピアノの音っていいなぁ~、と思う。娘が三歳頃から親子3人で習っていた。ピアノの音は私には思い出と一緒に、心地よく響いてくる。
この間も娘がピアノを弾いていて、「音狂ってるよ、気持ち悪い」という。悲しいことに私には分からない。娘たちは小さい頃からの教育の成果で、絶対音感が身についている。私はといえば、全く絶対音感が無い。ピアノの先生が、子どもと同じように聴音をしてくれようとしたが、すぐに私への教育は諦められた。
原因は、小さい頃の音楽教育にあると私は思っている。小学生の頃音楽が好きでハーモニカとか縦笛に夢中になっていた。学校の帰り道も、縦笛を吹きながら、歩いていたのを今でも思い出す。学校の音楽の教科書は、最初にすべて移動ドでドレミをふって、ハ長調の音階に直して縦笛を吹いていた。その癖が、未だに抜けきれず。聴音をしてもらっても、まずはドを探してそこから音を拾ってしまう。だから調によってドが移動して、私の頭の中では曲よって違うドができあがってしまう。ヘ長調だとファがドで、ト長調だとソがドである。これは、間違いではなく昔はそうして教育されていたのだが、これでは絶対音感が付くわけはない。
絶対音感とは、ドの音は絶対に一つである。ピアノの鍵盤の音は一つずつに一つしか音名はないので、それを記憶したらキーを押すと音名が出てくる。それが絶対音感だ。
それともう一つは、狂った楽器の音で教育されても絶対音感は付かない。自分で絶対音感が無いことを、ピアノを習いながら悲しいことだと思っていたので、ピアノの調律だけはちゃんとやってきている。
昨日は、定期調律の日だった。調律師のNさんとは前の古いピアノから20年以上のおつき合いだ。とても時間を掛けて丁寧に音を合わせてくださる。そして終わると近況に話が及び、私の習っていた先生の近況も聞ける。
帰られた後は、日頃あまり見向きもしていないピアノだが弾いてみたくなる。やっぱり絶対音感はなくても、音が綺麗に響いているのはわかる。最近は弾ける曲も少なくなっている。ひとしきり、ソナチネという教則本で遊ぶ。最近マンションである我が家の階下から、良く聞こえてくる曲でもある。
やっぱり、音楽や山の美は私にとって共通していると感じる。最近よくいわれている「癒し系」なのだと納得した。

写真は45年ほど前の私のピアノである。今のピアノを買うときに下取りされても壊されるだけという運命を悲しく思い、知り合いの人にもらってもらった。もしも今もあるのだったら、会ってみたい…。(17年前の写真)

教訓「三つ子の魂百まで」「鉄は赤いうちに打て」教育は大事だと、つくづく思った。



高校のクラス会

2005-10-11 11:15:03 | クライミング
毎年高校2年の時のクラス会が行われている。
私は、数回しか行っていない。
今年も連休の真ん中の日なので欠席のはがきを出していたのだが、天気が悪そうで、クライミングの遠征が中止になったため、クラス会に久しぶりに行ってみた。
今回の幹事の実家である「善峯寺」(よしみねでら)をお借りして行われた。このお寺は、ずっと昔に行ったことがあるが、すっかり忘れてしまっていた。西国第二十番札所でもあり由緒のあるお寺である。
本坊でクラス会が終了後、ぐるりと周遊コースをみんなで歩いてみた。
この日は天気が良くて、京都が端から端まで一望できた。この日の善峯寺は観光客で賑わっていた。
もう少し上の山が、ハイキングコースとしてわりと知られてるポンポン山だ。

久しぶりのクラスメートは、古いアルバムと見比べてやっと誰かが分かってきた。かなり変貌している人もいれば、昔のままの人もいる。
このクラスの時に夏休みに四国へ旅行をした。そのときのメンバーの一人が東京から来た。約40年振りに会って、その時の話に花が咲いた。私が海で綺麗なフォームで泳いでいたという。
これは、あとで彼女が作り上げた幻影。私は昔からカナヅチなので、それはあり得ない。なぜか私はスポーツ万能に記憶されてる。これも全く違ってる。
こんなごちゃ混ぜの記憶を辿っていくことも、こんな機会にしかないだろう。

楽しいひとときだった。

   

 

 

雨の日のクライミングで思った

2005-10-09 09:18:45 | クライミング
朝から雨模様だったが、昨日は星田に向かった。キャンセルがあり、私たちだけだった。2本登った後、また凄い雨。とうとう水が溜まり始めたために、小屋に避難して昼食をとる。
もう、星田での登攀意欲は喪失してしまい、パンプに転進。やっぱり、とても混んでいた。ここでテン台8本登る。この日は計10本頑張った。
パンプはあまり来ることがないので、難しいのを登って登れないよりは簡単目のところを本数稼ぐ方がトレーニングとしてはいいと思い、いつも頑張って本数を登るようにしている。
それでも、自分の実力の確認にはなる。オンサイトの能力は5.10bまで。5.10cはムーブは出来るがテンションがはいる。それ以上は、困難でかなり練習が必要。これが今の私の、実力かなと思う。岩とだいたい符合する。
イレブンは、かなり気合が入っていないと岩でも登ろうという意欲が湧いてこない。テン台で遊んでいると、クライミングも楽しいなぁ~、と気楽でいられる。しかしこれが続けば飽きても来る。だからといっていつもいつも上を目指してる精神力が私には欠けている。
しょせん、遊び。私の場合はこんなものでしょう。

素敵な出会いの山旅

2005-10-03 16:09:49 | 登山
4-5年ほど前に「岳人」に載った池の平から見た平の池とチンネの紅葉の写真が胸に焼き付き、行きたい行きたいと思いながらもいろんな事情でなかなか行けなかった。
今年こそは必ず、と密かに計画を練っていた。最初の計画では室堂から北方稜線を越えて池の平にたどり着くという計画だった。これも数年前から出来上がっていた。
意を決して、相棒を会で募ったが誰も来てくれなくて、単独となった。天気予報は悪いが、これを逃すとまた一年モンモンと過ごすことになりかねない。一日早めて運を天に任せて出発した。
結果は初日だけ晴れ。とはいっても雲の多い日だった。次の日の朝はどんよりとして、厚い雲が劔の上部を覆っていた。稜線を隠した北方稜線を目で追いながら、まだ未練はあったが断念して劔沢を下った。真砂沢ロッジに着いた頃には雨がポツポツ。それからは3日目(10/2)の下山まで雨が降り続けた。自称晴れ女の私としては、これからは自惚れはよした方がよさそうだと反省した。
雨で台無しとなった裏劔の紅葉だったが、時期的に色付きも今年は遅いということもあり、天気は待っても今ひとつ良くならないという予報なので、晴れ待ち停滞組の人を尻目にさっさと下ってしまった。これが、ガスの下に素晴らしい紅葉が隠れているというのなら、もう少し待ったかも知れない。
私は今回のような、単独小屋泊まりという山行形態は今まで全くしていなかったので、とても楽しかった。初日に時間があったために室堂平をうろうろしたり、ぼ~っと時間を忘れて風景を眺めてたり出来たのは、単独のお陰でだった。
そしていろんなところでいろんな人と出会えたのもいい思い出となった。剣山荘ではやはり単独の64歳の女性と同室で楽しく山の話で盛り上がり。池の平では写真目的で何日もの停滞の人とも出会え、同世代の女性3人のにぎやかなパーティーともいろいろ話せ、中年女性はほんとうに元気だなぁ~、と感心した。
もっとすごい出会いは、劔御前小屋にもう少しという登りの登山道で、軽やかな足取りで上から下ってきたかなり年輩の女性が目が留まった。見覚えがある。すぐに「Kさんですか?」と聞いてみた。「そうですけど、何で知ってはるのん?」と反対に質問された。「70歳で屏風を登らはったKさんは、有名ではありませんか? 今お幾つですか? 山も歩いたはるんですか?」と私の矢継ぎ早の質問にも、いやがらずに答えてくれる気さくな人だった。
kさんには、以前2回ほど会っている。1回目は大阪パンプで遠目に見ただけだった。私が星田に通い初めてなかなか登れなかったときに愚痴ると、常連のおっちゃんから「大阪に70歳を過ぎてクライミングしている女性がいて、屏風も登ったらしいで…。入れ歯をカタカタ言わして登っているさかいに、カタカタちゃんと呼ばれてるらしい! いくさんもまだまだ若いんやし、負けてたらあかんでぇ~」といわれ、そんな凄い人がいるんだったら会ってみたいと思っていた。パンプの時は「あぁ~この人なんやなぁ~」と気がついたが声は掛けられなかった。
それからだいぶ経って数年前だが、神戸三宮にICI石井スポーツが関西に初めてオープンした。その日バーゲン商品を目指して行ってみた。目的のクライミングシューズを見ていたら、登山靴を履いたお婆さんが私の手にしている靴を見て、「それ底が堅すぎでよ~ないよ!」と話しかけてきた。その時に初めて私も噂のKさんであることを本人に尋ねて確認した。その時も、店員がKさんが手にしてるクライミングシューズを見て「それ、誰が履かはるんですか?」と訪ね。「私やがな!」と答えていたのを内心、面白がって聞いていたことを思い出す。その時のことを、今回話したが「悪いけど覚えてへんわ」とおっしゃっていた。
二人並んで登山道の脇に座りこみ、一時間近く話し込んでいた。みんなKさんをじろじろ見ていく。中には話しかけてくる人もいる。私が自慢してもしょうがないのだが、つい「この人大阪で有名な人なんですよ」といってしまう。
ロッククライミングはガイドクライミングでだが、山は単独で年中歩いているということだ。ますます感心してしまう。「次の抱負は明星山のフリースピリッツや」と軽くおっしゃっていた。まだまだやる気十分。私は強い刺激を貰い、別れを惜しみながら劔御前に向かった。
今はもう80歳をいくつか過ぎたという。ほんとうに凄い人だと思った。とうてい私には真似は出来そうにもないが、近づけるようにもう少し頑張ろうと気力を貰った。
紅葉と天気は外れだったが、思い出に残る山旅となった。