「いくさんのお部屋」つぶやきNo.3

日頃の何気ない日常をつぶやいています。

劔岳・点の記

2005-03-19 21:39:31 | 登山
古本屋で見つけた「劔岳・点の記」新田次郎著(文藝春秋)を興味深く読んだ。
明治40年測量隊が立山周辺の山の測量に入り、剱岳に苦労して長次郎谷から初登を果たす。しかし、頂上では古い錫杖の頭と剱が見つかり、人の入った形跡が洞窟の中にも残されていた。
この時代の立山信仰のことや、歩いたルート、そして当時の山の装備など歴史的事実を踏まえて書かれた小説だけに納得できおもしろかった。また日頃何気なく見ている国土地理院の地図が、こんなにも苦労して作られていたことも改めて知った。
立山や剱はいろいろ思い出深い山だけに、感慨深いものがあった。1997年には、初めての剱の頂上に登り一旦雷鳥沢に戻り、雄山からザラ峠・五色ヶ原まで、縦走。そして越中中沢をピストンして黒部に降りた。
この時は剱沢では、かなりきつい台風を体験して、本来の予定は薬師岳までの縦走だったが、大幅に変更せざる終えなかった。(この時のことは、「山への想い」に書いている)剱という山の厳しさの、初体験だった。
この本を読みながら、それからも何度か行った剱のことが思い出されて来た。
そして、何よりも剱や立山にはまだまだ私の知らないところや面白い話がいっぱいあった。特にザラ峠から常願寺川の方にくだって行くと小説に出ていた立山温泉の廃墟に出会えるという。ここは、かなり好奇心が湧いてきた。ネットで調べたら、かなりの情報があった。
そしてもう一冊、夫が古本屋でずっと前に買って家の本棚に見捨てられていた古くて汚い本が、この「劔岳・点の記」を読み進むにつれて、日の目を見た。
この本は、昭和14年発行された。著者は「小笠原勇八」で、東京都岳連の初代理事長だったという。本の最後の綴じ込みの立山の概念図を見ると、アルペンルートがなかった時代ということもあり、より私の興味をそそった。
明治40年から昭和14年の間に、かなりの登山道や小屋が出来たことになる。それは、「劔岳・点の記」に出てくる、小島鳥水の日本山岳会と剱岳の初登を競い合っているように日本山岳会の貢献が大きい。このころから宗教的な登山から近代登山の幕開けとなっている。これも私には興味深かった。
この二冊の本からは、まだまだ好奇心が湧いてくる。
今年の夏は、「これだ!!」と思った。
  

歯科のはしご

2005-03-19 06:56:12 | 健康
整骨院に行った帰りは、気持がよくなる。
そして歯の痛みも和らぐ、なのに夜になったら痛くて目が覚めるという夜が2日続いた。
とうとう耐えきれず昨日重い腰を上げて、京都の某国立大学の病院に昨日行ってきた。やっと、精神的なものやストレス以外の病巣が見つかった。
これで、治療が安心して始められる。
そして、そこで手紙とレントゲンを預かって、結局家の近くの掛かり付けの歯科医院の院長先生の予約がとれて診察してもらえることになった。
やれやれ、振り出しに戻ってしまった。
早く痛みが取れないと、本当に意欲が無くなる。
特に、クライミングは…。