一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

大山の名局・12

2023-07-26 23:46:04 | 名局
きょう7月26日は、大山康晴十五世名人の命日である。1992年(平成4年)のことだから、もう31年も経ってしまった。
当時私は、新卒で入った会社をリストラされ、つかの間のモラトリアムを北海道旅行に充てていた。7月26日、旭川の地からオヤジに定時電話をかけると、オヤジが話の最後に「あと、大山が死んだ」と、散文的に言った。いまだったらスマホで一発だが、当時はこんな感じで最新ニュースを入手したのだ。
私は、とうとうこの日が来てしまった、と思った。6月に棋聖戦60期のパーティーがあり、棋聖16期の大山十五世名人も参加したが、げっそりと頬がこけていた。その後しばらくして、大山十五世名人入院。もう、何があってもおかしくないと、覚悟を決めていたのだ。

さて、命日恒例の「大山の名局」だが、昨今はほとんどの棋戦が、記譜の全譜掲載をNGにしている。そこで、終了した棋戦から選んでみた。
これでクレームがつくようなら、来年からは「大山の名手」に改題するしかない。いや、それまでこのブログが続いているかどうか……。

1978年(昭和53年)8月18日
第5期名将戦 本戦2回戦
▲八段 米長邦雄
△十五世名人 大山康晴

▲7六歩△3四歩▲2六歩△4四歩▲4八銀△3二銀▲6八玉△4二飛▲7八玉△6二玉▲5六歩△7二玉▲9六歩△9四歩▲5八金右△8二玉▲7七角△4三銀▲8八玉△7二銀▲5七銀△5二金左▲2五歩△3三角▲9八香△6四歩▲9九玉△7四歩▲6六銀△6三金▲6八角△2二飛▲8八銀△8四歩▲3六歩△5四歩▲7九金△7三桂▲4六角△4五歩▲3七角△4四銀▲7五歩△8三銀▲6八金寄△7二金▲7四歩△同銀▲7七金△5五歩▲7六金△8三銀▲5五歩△4六歩▲同歩△6五歩▲同銀△5五銀▲4五歩△4六歩▲5四歩△4七歩成▲2六角△5二歩▲7四歩△6五桂▲同金△6四銀打▲7五桂△6五銀▲6三桂成△同金▲7三金△同金▲7一角成△同玉▲7三歩成△8二金▲7八飛△7六桂▲6三金△7四金▲7六飛△同銀▲8三と△同金▲8六桂△7三飛(図)▲6二銀△8二玉▲7三金△同金引▲6一飛△7二金打▲7三銀成△同金寄▲7四歩△6三金寄▲9五歩△6二銀▲9四歩△9二歩▲7五金△6七銀成▲6八歩△5七角▲6五金△5六銀▲6七歩△6五銀▲6六銀△同銀▲同歩△同角上▲7八金△8五歩▲9三銀△同歩▲同歩成△同角▲同香成△同角成▲5五角△6四歩▲9四歩△9五香▲9七桂△7五馬▲2二角成△7一金打▲2一飛成△8六歩▲1一馬△6六桂▲8五香△同馬▲6六馬△7五銀▲7七桂△7四馬▲7五馬△同馬▲8五飛△8四角▲9三銀△同香▲同歩成△同玉▲9五飛△同角▲9六香△9四香▲8五桂右△8三玉▲6七桂△6六馬▲7七香△6九飛▲7九歩△8七歩成
まで、160手で大山十五世名人の勝ち。

「名将戦」は週刊文春主催で、1973年から1987年まで開催された。記譜は当然「週刊文春」に載り、見開き2ページで1局が完結していた。
当時大山十五世名人は55歳。この年の2月に虎の子の棋聖を失い再度の無冠になったが、まだまだトップグループに君臨していた。
対する米長八段はA級8期目の35歳。途中名人挑戦もあり、中原誠名人をあと一歩まで追い詰めたが、ここまで棋聖1期のみに甘んじていた。
将棋は米長八段の居飛車に、大山十五世名人の四間飛車。と、米長八段は穴熊に潜る。
5~7筋からごちゃごちゃした戦いになり、米長八段の攻め、大山十五世名人の受け、という展開になった。
米長八段は飛車を切り飛ばし、返す刀で▲8六桂。この金取りが厳しく、米長八段は優勢を意識した。
ところが大山十五世名人は涼しい顔で△7三飛!(図)

このあたりの状況を、米長八段の著書「米長の将棋2 居飛車対振飛車・下」(MYCOM 将棋文庫DX)182ページから引用しよう。
「私の攻めが決まったかに見える局面である。
ところが、平然と△7三飛と打たれた。
これは夢想だにしなかった。▲6二銀が見えているだけに気がつかない筋である。しかも飛車を受けだけに手放すのだからなおさらだ。
大山十五世名人に受けの妙手は数多いが、△7三飛も歴史に残る手であろう。」
以下も難しい将棋は続くのだが、160手まで大山十五世名人が勝った。両雄らしいごちゃごちゃした戦いで、これぞ将棋と思う。
令和の現在、こうした将棋が見られなくなったのは寂しい。
コメント
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