一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

北村昌男九段、逝去

2023-07-15 23:45:35 | 男性棋士
北村昌男九段が7月9日に亡くなった。享年88歳。
北村九段は1953年、19歳で四段デビュー。以後順位戦で順調に昇級し、24歳でB級1組・七段に昇進した。もうA級八段は時間の問題といわれていたが、そこから足踏みが続き、ついぞA級に昇ることはなかった。A級に匹敵する実力を持ちながら昇級できなかった棋士に西村一義九段、中村修九段、福崎文吾九段らがいるが、北村九段はその先駆けだった。
北村九段は猛烈な攻め将棋で、「攻めさせたら十五段」の異名を持った。詰将棋創作が得意で、将棋世界の別冊付録で発表したこともある。盤面に「と金」を使わず、極力「金」を使っていたのが印象的だった。
語り口はソフトで、NHK杯の解説もたびたび務めた。その際、「こちら側(たとえば先手側)がこれですね」と、両手でマルを作るのがおなじみのゼスチャーだった。「先手がいいですね」と言っても対局者には聞こえないのだが、妙な配慮が可笑しかった。
北村九段は若手棋士との対局で、相矢倉から△6四銀と出た。が、すかさず▲6五歩と突かれて困ってしまった。これを△同銀は▲5五歩で銀バサミ。といっていま出た銀を△5三銀とは引けず、北村九段はいきおい△6五同銀。しかしやはり▲5五歩からの銀バサミが厳しく、以下玉砕した。
しかし私は、「負けても指せない手がある」という北村美学を見たのだった。
棋戦の優勝はあまりなく、1980年、第7回名棋戦で福崎六段に勝って優勝したくらいか。これは棋王戦の予選も兼ねており、出場棋士はB級2組以下に限られていた。
とはいえ、優勝は優勝である。当時の「近代将棋」に、その雄姿がモノクロ写真で1ページまるまる掲載されている。
北村九段は1994年9月8日、突然現役を引退した。この中途半端な日にちはなぜか。私の記憶が確かならば、ある棋戦で北村九段は女流棋士との対戦が組まれた。その対局が迫ってきた中での急な引退だったので、私は北村九段が女流棋士との対局を忌避せんがための引退、と取った。むろん、真相は分からない。
将棋も生き方も一本気だった、「攻め十五段」に合掌。
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