一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

名投手ふたり、逝く

2023-06-16 23:40:22 | プライベート
きょう、2人の名投手の訃報が知らされた。
ひとりは杉下茂。もうひとりは北別府学である。(以下、敬称略)
杉下茂は1925年生まれ。1949年、中日ドラゴンズに入団。すぐさまローテーションに入った。
杉下が最も輝いたのは、1954年。シーズン32勝を挙げ、球団初優勝に大きく貢献した。日本シリーズでも3勝を挙げ、MVPを獲得した。
杉下の武器はフォークボールである。その落差は大きく、ワンバウンドするほどだったという。フォークボールといえば「落ちる」ものだが、杉下曰く、「私のはボールが上がることもあった」。フォークボールというより、ナックルに近い握りだったかもしれない。
1976年からは巨人の投手コーチを務めた。しかし、ピッチャーが打たれるとひょこひょこ登場するので(当たり前だ)、杉下が登場すると、私とオヤジは「こりゃダメだ(=きょうは負けだ)」と苦笑いしたものだった。
通算215勝は名球会入会資格を満たしているが、大正生まれなので入れなかった。これは、名球会創設者のひとりである金田正一が、2351安打を記録している川上哲治を入会させないための措置だった。
杉下は残念だったが、こんなものに入っていなくたって、杉下の記録と記憶は色あせない。
享年97歳は大往生だったといえるだろう。フォークボールの神様に、合掌。

そして北別府である。別府という地名に北が付き、かなり珍しい苗字である。
北別府は1976年、広島東洋カープに入団。1977年からローテーションに入り、1978年から11年連続2ケタ勝利を達成した。このあと2年間1ケタ勝利だったが、そのあと再び、2ケタ勝利を記録した。
北別府の持ち味は針の穴を通すともいわれるコントロールで、ゆったりとした投球フォームから糸を引いたようにキャッチャーミットに球が吸い込まれる様は、敵?ながら見とれるほどだった。
実働19年間で、213勝。こちらは堂々と名球会に入会できた。
そんな北別府は、数年前から白血病を患っていた。厳しい闘病生活と認識していたが、かくのごとくになってしまった。享年65歳。広島の精密機械に、合掌。
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