一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

羽生善治会長誕生

2023-06-12 15:59:05 | 将棋雑記
このたび、羽生善治九段が日本将棋連盟会長に就任した。
まず、歴代会長を記しておこう。

1947年~1948年 木村義雄十四世名人
1948年~1953年 渡辺東一名誉九段
1953年~1955年 坂口允彦九段
1955年~1957年 萩原淳九段
1957年~1961年 加藤治郎名誉九段
1961年~1967年 原田康夫九段
1967年~1969年 坂口允彦九段
1969年~1973年 丸田祐三九段
1973年~1974年 加藤治郎名誉九段
1974年~1976年 塚田正夫名誉十段
1976年~1989年 大山康晴十五世名人
1989年~2003年 二上達也九段
2003年~2005年 中原誠十六世名人
2005年~2012年 米長邦雄永世棋聖
2012年~2017年 谷川浩司十七世名人
2017年~2023年 佐藤康光九段
2023年~20XX年 羽生善治九段

羽生九段で17代目、15人目。名人経験者としては8人目。
初代会長は木村十四世名人。当時の名人は塚田正夫。名人と会長を併せ持つと権限が強すぎると考えられたため、木村前名人の就任のタイミングは絶好だった。
1976年に大山十五世名人が就任したときは、棋聖のタイトルを持ち「十五世名人」を名乗っていたが、現役名人でないからよかったのだろう。
それより大山会長には関西将棋会館建設という重責があり、連盟も大山十五世名人のネームバリューが必要だった。
大山会長の凄まじいところは、会長職の激務にありながら、名人戦を含む数々のタイトル戦に登場し、王将を奪取、防衛したことである。名人戦七番勝負は中原名人に敗れたが、名人就位式で、「今年の挑戦者は誰かと思ったら、私でした」と鉄板のジョークで周りを笑わせた。
大山会長時代は14年間続いた。だが長く続くと周りもイエスマンばかりになり、弊害も出ていたようである。本人は不本意だったと思うが、1989年に会長を勇退した。
そのあとを継いだのが二上九段である。二上会長時代も14年続き、歴代最長となった。これは二上九段が大山十五世名人の実績を上回るものとして、自慢のひとつだったという。
2005年に中原会長のあとを継いで就任した米長永世棋聖は、会長として大車輪の活躍をしたと思う。
2012年、将棋ソフト・ボンクラーズとの対局は、会長としての最後の大仕事だったと思う。
米長会長はつねづね「70歳からの生き方」を説いていたが、それが叶わぬまま69歳で亡くなった。米長永世棋聖の魂は、いまも将棋会館にあるのではなかろうか。
さて、ついに羽生九段の就任である。羽生九段の師匠は二上九段、二上九段の師匠は渡辺名誉九段で、会長の系譜が繋がれたわけだ。
羽生会長への期待は大きく、今後大きな活躍をしてくれるだろう。
しかし私はプレイヤー・羽生九段に関心があるので、大山十五世名人以来の、タイトルホルダー兼会長を期待している。会長は激務で対局に支障がないはずがないが、前任の佐藤九段は、それでも順位戦A級を張り続けた。羽生九段なら「タイトルホルダー兼会長」が実現できると信じている。そしてそうなったら、タイトル100期の大台達成である。
コメント (4)
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