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サンフランシスコ→オハイオ→水戸

2011-09-24 | 志し高く(特派員便り)
アトランタ特派員だったTaro先生は、エモリー大学のMPHコースを無事終了し、その後臨床での勉強を続けるべく、サンフランシスコに渡っていました。このあとオハイオにいき、10月1日にはまた水戸の闘魂外来での屋根瓦のために帰国されます。

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サンフランシスコで思う、日本の若手医師の未来

アメリカに戻っています。今回はアトランタではなく、UCSF(カリフォルニア大学サンフランシスコ校)の友人グープリート・ダリワル先生(以下グープ)のお招きでSF-VAMC(サンフランシスコ退役軍人病院、以下VA)に来ています。

VAで出会う患者さんは退役軍人病院という施設の性格上中高年の男性が多いのですが、患者さんはもちろん一人一人医学的バックグラウンドも異なり、どんなに小さい問題点でも全て勉強のきっかけになります。興味は尽きず”midnight oil”学習が多くなり、やや寝不足で朝病院に向かっています。まぁいつものことです。やはり学習のきっかけは患者さんとの交流から始まることを感じます。

VAではグープと行動を共にさせていただくことが多いです。グープは卓越した教師だと実感します。日本でも彼の授業に参加しましたが、非常に整理された板書、ポイントを端的に伝える授業運びがとても印象的でした。ここ本拠地でも日本で行なっていることと全く同じことを実践されていて、その指導法はとても勉強になります。(茅ヶ崎徳洲会での授業の風景: コチラ)

今回の訪問の間、グープの上司のティアニ先生は中国遠征のため不在です。

ただ今回、VAにティアニ先生が居なくて良かったと思います。今年70歳を迎えられるティアニ先生の次代を担う世代がトップを張る現場を見ることができたからです。卒後14年目のグープは今でも素晴らしい教師ですが、ティアニ先生のキャリアに達する頃にはきっとさらに米国が誇る内科医になられる雰囲気を感じます。

サンフランシスコVAの教育カンファレンスについて書いておきます。

VAはUCSF研修システムの中でもっとも業務に余裕のあるローテート先で、それを逆手にとって毎日昼までに症例検討のカンファが3つも組まれ、診断学のディスカッションが絨毯爆撃のようにエンドレスで毎日繰り返されています。症例は内科周辺領域も含む内科全般です(私がいるのはDepartment of Medicine)。議論のレベルはUCSFだけあって立派ですが、それより感銘をうけたのが施設側の教育姿勢で、昼食は全参加者に足りるくらいの量が毎日用意され、ポケベルはテキストメッセージ付・完全バイブなどカンファを成功・継続させるための施設側の努力も見えます。私が見たのはわずか一部でしょうが、米西海岸随一の教育の伝統が脈々と受け継がれている印象でした。

振り返って日本はどうでしょうか。

自分の経験しか言えませんが、私は師匠の青木先生、徳田先生(現水戸共同病院)や藤本卓司先生(市立堺病院)ら熱心な内科医に臨床の初期より学びました。医学部卒後はあっという間の稲妻のような数年でしたが、今こうして米国の現場に来てみて、UCSFのアテンディングらと議論しても特に不自由ない臨床バックグラウンドを感じます。逆に鑑別のコメントを求められることもしばしばです。それは日本の研修システムがそれだけ欧米化した結果なのかもしれません。つまり、医学教育における世界のフラット化が進んでいることの表現であり、さらに言うなら欧米を頂点とした従来の医療文化が崩れBRICSやVISTA、日本など第三世界への医学教育のコモディティ化が浸透しつつある兆しともいえるかもしれません。

日本は世界経済において落日ですが、我々のフィールド・医学界こそは気を吐いて奮闘したいと思います。私も日本代表医師の気概で頑張ります。米国大リーガー医という言葉はもはや過去のものであり、今度は我々が諸国に乗り込む番と思います。日本のサムライチームが「逆大リーガー」となり、海外に莫大な優れた人材とコンセプトを輸出するのです。そのような気概で頑張れば、それだけ日本の若いリーダー達が世界を牽引する日は近くなる。そう思うとワクワクしませんか?最近の医学生たちとの交流からいつも感じます。大志を抱き、それをどこまでも貫いていきたいものです。みんなで一緒にやりましょう。その一連の作業は、きっとすごく楽しいと思います。

現在、私は日本で水戸の徳田先生の闘魂外来で副医長を務めています。自分にとって理想的な上司と共に行動する中、私は来年度の米国レジデンシーの応募を開始しました。現在の日本の恵まれた環境を離れどうして米国に、しかもなぜわざわざ最前線のレジデンシーにアプライをするのでしょうか?日本では得られないものでも何かあるのでしょうか。

そう、理由があります。何を優先に考えるかで人の航路は変わります。最も人の集まりがオープンな場所の最前線で、教育も文化も違う連中と火花を散らして現場で鍛えあう。そこで自分の力を冷静に見つめ、自分を試したい。そのために慣れ親しんだ日本を一度離れてみるのが良い選択と思ったのです。またそうすることが自分にとって現時点で一番伸びる環境で、何より一番楽しそうだと感じたからです。おもしろい、嬉しい、楽しそうという本能的な直感がモチベーション爆発の最強の引き金だと思います。

プロフェッショナルの基礎の部分をある程度鍛えたら、あとは様々な環境で戦いまくれば良いと思います。全く新しい環境では今までの現場でのロジックや融通が通用しない。工夫して努力して、不安定なセッティングでも最も効果的で全体最適な力を発揮できるように自己改革を推し進める。そうしたリーダーシップの訓練は国でも変えないとラディカルに動かないかもしれません。一度自分の中で出来上がったパラダイムを破壊して、それでも残って磨かれたものが本質に近づくと思います。俎上に上げるべき自分のイデオロギーを一つつくる意味で、日本で前もって5-6年臨床を行なったことは自分にとってベストだったと思います。
 
海外の具体的な行き先はどこでも良いと思います。米国は他国に比べ比較的海外医師の参入が容易な国と思いますが、米国にこだわる必要はありません。私の場合は米国という舞台がたまたま自分の航路に近かったから「そこに山があるから」的プリミティブな判断基準で米国を選びました。人によっては英国でもロシアでもUAEでもよいのかもしれません。来年米国での具体的な行き先はまだ決めていませんが、いずれ最良の行くべき道が開けるでしょう。そして行ったら、いつもどおりやるだけです。そこでまた次の素晴らしい道が開けるでしょう。

今日はUCSFのFaculty Development meetingに参加してきました。特に目新しい発見はなかったのですが参加者たちと話していて思ったことは、プレイヤー/マネージャーとして共通して大事なコンピテンシーは倫理観、想像力、感性、行動スピードのレンジの広さ(タイムマネジメント含む)、危機察知能力などだということを再確認したことです。これらの強みが新しい環境でどのように伸びていくか、これから楽しみです。そしてその過程の経験を皆の共有財産にできたら、それはとても素晴らしいことだと思います。

長くなりました。今回はこの辺にしておきます。まだまだ旅は続きますが、この一年は日米(+MBAでオーストラリア)の往復が増えます。また何か紹介したい話があれば順に書いていきますね。

日本での全国医学部・研修病院での教育活動(TdP: Teaching delivery Project)は帰国時に行なっています。お問い合わせは「夜空の星」ブログまたは aquaflowers7(at)gmail.comにどうぞ。
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