北京・胡同窯変

北京。胡同歩きが楽しい。このブログは胡同のあんな事こんな事を拙文と写真で気ままに綴る胡同お散歩日記です。本日も歩きます。

第45回 北京胡同・夏の日の思い出/かしましい魔女たち

2015-08-28 13:15:46 | 北京・胡同散策
世間では、「女、三人集まればかしましい」とか申します。中には、三人の女から『マクベス』の
三人の魔女を思い浮かべる方もいらっしゃるかもしれません。


7月の暑い中、北京の「国興胡同」を歩いていた時のこと。






木陰で休憩中の輪タクやその運転手さん、




暑い中、仕事に励む運転手さんや車上で胡同めぐりを満喫している旅行者の方たちのお姿を
お見かけしました。







中には、こんな縁起の良い文字が書かれた門もありました。




そして、出遭ってしまったのです、かしましい女性たちに、いや、魔女たちに。
しかも、この縁起の良い「五福臨門」の下で・・・。




写真を撮ろうとすると、何を思ったか、魔女の一人が私のそばにつかつかと近づいて来るではあり
ませんか。そうして、その魔女、なんと、手にしていた芭蕉の葉で作られた団扇で、暑さで額に汗
を浮かべた私の顔を「加油!!」のひとことと共にあおぎ始めたではありませんか。


その時、

「美女、アリガトオォォォー!!」
って、心の中で絶叫してましたね、私は。


ちなみに、それは、次の写真の左端の方。




かしましかろうが、魔女だろうが、はたまた、かしましい魔女だろうが、そんなことはどうでも、いい。
私にとって胡同の女性たちは、気さくで好奇心旺盛で、実に心優しい淑女たちなのだ。

その日、胡同に吹いていたのは、高原の風のように涼やかで、爽やかな美女なそよ風でした。


あらためて、

「ふーとん美女、素敵な夏の思い出をアリガトオォォォー!!」


・・・今回の記事を感謝の気持ちを込めて、当日出遭った美魔女たちに捧ぐ


 
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第44回 紫竹庵胡同9・開かれた窓の家/三軒のお店

2015-08-24 13:36:50 | 通州・胡同散歩
通州・紫竹庵胡同には、こんな窓の家がある。
その窓はその前を通るたびにガバァーッと開かれています。



この窓をはじめて見た時、その位置の低さから次のように思った。
ここはお店に違いない。しかも、胡同でたまに見かける「小売部」と書かれた看板がかかる店の
ように、タバコ、酒、茶、砂糖、塩、食用油、酢、醤油などの嗜好品や日用品を扱ってはいない。
置いてあるのは、せいぜい子供相手の菓子類、ジュース類。ひょっとしてビールぐらいは置いて
いるか・・・。



ある日、やはりそんな勝手なことを思いつつ、恐るおそる中をそうーと覗いてみると、中は薄暗く、
人影もありません。しかも、私が予想していた肝心の菓子やジュースなど、売り物らしきものも
まったく見当たりません。はずれでした。
そこで調子よくも軌道修正、ここはかつてお店だったにちがいない、と・・・。
でも、なぜこんなに窓が開かれてんだ、怪しい。

その数日後のことでした。やはりこの窓の前を通ると、なんと、窓が閉まっているではありま
せんか。そしてその後も、その前を通るたびに閉まっています。初めは「今日は、閉まってるん
だ、珍しいな」ぐらいに思ったものですが、通るたびに同じ状態がつづくと心配になってきます。
「どうしたんだろう?」

そんな状態が二ヶ月ほど続いた、ある日。
窓が前のようにガバァーッと開いているではありませんか。



しかも、私の当初の予想に応えるかのように、窓のところには子供向けの菓子やオモチャ(?)が、
ちゃんと置かれているのです。



うれしかったのは言うまでもありません。しかし、この「うれしさ」は私の予想が当たったこと
に対してという以上に、意外にも窓が前と同じように開いていることに対してだったようです。
この開かれた窓を見た初めの頃は、前にも書いたように「かつてはお店だったにちがいない」と
思いつつも、そこには、なんだろう、ちょっと怪しい、などという気持ちも含まれていました。
しかし、この窓を繰り返し見ているうちに、たぶん、いつしか私はこの開かれた窓に親しみを抱く
ようになっていたのでしょう。次回この窓の前を通る時には、お菓子を買おうと思います。


ところで、今回は、ついでと言ってはなんですが、さらに二軒のお店をご紹介。
一軒は、紫竹庵胡同のすぐ近く、かつてのメインストリート「南大街」という商店街にあるお店、
もう一つは、北京外城の胡同で見かけたお店です。

まずは、南大街のものですが、このお店の前を通るたびに男か女か分らないのですが、
「いい顔、してるなぁー」と思ってしまいます。



造られたのは、新中国成立後まもなくのこと、少なくとも、おそらく60年以上は経っているので
はないかと思われます。往年の銀幕のスター、いや、現役の、その場面を引き締めるのに欠かす
ことのできない、渋~い脇役と言ったところでしょうか。

次の写真のうしろ姿が、この店のご主人。お店ともども現役のバリバリです。




次は、北京外城の「西砖(石偏に專)胡同」のお店。 



造られたのは、やはり新中国成立まもなくだったのではないでしょうか。当時は大活躍していたに
違いありません。このお店、上にご紹介した店と同じく、ある時代を考える場合に欠かすことの
出来ない時代の証言者なのです。この建物にはかつて胡同で暮らしていた多くの人たちの喜怒哀楽
が沁みこんでいることは言うまでもありません。
なお、このもとお店、早晩、この界隈の胡同と同じく取り壊されてしまう運命にあるようです。
撮影は2014年11月。「私は忘れませんよ」。そんな気持ちを込めてシャッターを切りました。

長い間、お疲れさまでした。



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第43回 紫竹庵胡同8・門枕石について

2015-08-22 04:19:08 | 通州・胡同散歩
次の写真は、中街以東の紫竹庵胡同に足を踏み入れ、東方向を撮ったもの。




足を踏み入れ、目に飛び込んで来たのは、左側の年季の入った木製の扉でした。




次は、正面。




でも、今回の主役はこの扉ではなく、次の写真の下に見える四角い石。



この石、玄関の向こう側にも顔を出していて長方形。写真のものには何の彫り飾りもありませんが、
中には飾りのあるものもあります。
中間には敷居をはめ込む溝があり、門の内側になる部分には門扉の軸を受ける穴があけられています。



門墩(mendun)研究家・岩本公夫さんのご本によると、この石、すでにお分かりのように「門枕石」
というそうです。材質が木の場合は「門枕木」。

ただし、岩本さんのご本によると、門墩(mendun)は、抱鼓石・門鼓・門枕等とも呼ばれていて、
一定した呼び名がないそうです。詳しくお知りになりたい方は、岩本さんの『北京門墩』(正確には
「門」は簡体字、「墩」は土偏ではなく石偏。北京語言文化大学出版社)をご覧ください。

「門枕石」。すでにご存知の方もいらっしゃったかもしれませんが、今回の記事をご覧くださった
みなさんとこの言葉を共有できたら光栄です。
でも、ちょっとマニアック過ぎた...かな?



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第42回 紫竹庵胡同7・その地名について。

2015-08-18 15:07:05 | 通州・胡同散歩
その名に惹きつけられるようにして歩きはじめた「紫竹庵胡同」。その名の由来について
分らないことの多いなか、今回は、現在の私に分っている範囲内のことを書きとどめて
おこうと思います。

この胡同は明代(嘉靖七年・1528年以後)にはすでにあったようですが、その当時は、名称
が二つに分かれていて、中街以西を「四眼井胡同」、以東を「蔡家后胡同」と呼んでいた
そうです。



「四眼井胡同」が「井戸」があったことに、「蔡家后胡同」が蔡さんという人名に由来して
いることはいうまでもありません。(上の写真は中街以東、下は以西を撮ったもの)




ところで、肝心の「紫竹庵胡同」という地名、これは清の乾隆初め「蔡家后胡同」内にあった
「紫竹庵」という尼寺に由来していて、民国三年(1913年)以後に現在の名に改められたようです。
なお、中街以西の「四眼井胡同」ですが、これは1981年の地名調査時に「紫竹庵胡同」に編入・
改名されています。

「紫竹庵」という乾隆時代にあったという尼寺には、どんな方が庵主として住んでいらっしゃった
のか、なぜ地名改名時に「蔡家」でも「四眼井」でもなく「紫竹庵」という名を選んだのか、その
辺りのことについて興味津々たるものがあるのですが、これらのことは今後の宿題にしたいと思い
ます。


蛇足になりますが、地名関係の話題を一つ。

次の写真は「紫竹庵胡同」の住所表示板。




次の写真も同じく「紫竹庵胡同」で撮ったもの。



一瞬、目が点に。
「どっちがホントなんだぁぁ!?」
そんな野暮なことは申しません。
こういう「謎」も胡同歩きの楽しさの一つなんですから。

ふーとん様、いつも私を楽しませてくれて、アリガト。


   
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第41回 紫竹庵胡同6・「こんにちは。」

2015-08-14 09:12:07 | 通州・胡同散歩
通州の胡同を歩きはじめた頃、顔見知りは一人もいませんでした。
歩く時、興味を持ちつつも、柄にもなく不安だらけ。



道行く人も足早に通り過ぎていきます。



「こんにちは」。
「お元気ですか」。
つたない中国語で声をかける。
そんなささやかな言葉でも積み重ねると、いつしかかけがえのない大切な場所になるようです。



紫竹庵と中街との交わる四つ辻。久しぶりの再会でした。
そこで、「好久不見了」。



返ってきたのは、素敵な笑顔でした。



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