北京・胡同窯変

北京。胡同歩きが楽しい。このブログは胡同のあんな事こんな事を拙文と写真で気ままに綴る胡同お散歩日記です。本日も歩きます。

第216回 北京・蘇州胡同(4) 日本占領下、日系おみやげ店や日本旅館があった。

2018-12-30 16:08:58 | 北京・胡同散策
1965年の地名整頓時に蘇州胡同に編入された延寿庵胡同の南出入口を出て、ふたたび
東方向に歩き始めると、アパートに沿って健康増進のための運動用具が置かれていました。











運動用具にまじってゲーム。



身体の健康だけではなく、頭脳も健やかでなくてはね、といったところでしょうか。

置かれていたのは、象棋(xiangqi/シアンチー)。
中国将棋。




上にご覧いただいた運動用具の置かれている向かい側は立派な門構えのお宅です。





可愛らしい提灯(灯籠)がさがっています。



門牌の字体が素敵でした。



この蘇州胡同106号は、一般住宅ではなく、看板は出ていませんが超市(スーパーマーケット)。



この超市の外壁に沿って少し歩いてみました。





歩いてみて、4年ほど前の蘇州胡同にはたくさんの商店が所狭しと並んでいたことを思い出しました。


たとえば、2014年10月に撮った次の写真。
写真向かって左手に見えるのが106号の玄関。
この写真を見ると、106号の西側沿いに商店が並んでいたことがわかります。



しかも、よく見るとその写り方は小さいながら、106号東側の外壁沿いにも
店舗が並んでいたことがわかります。



そして、次の写真。



右手にお店が写っていますが、ここは冒頭の写真から14番目に掲げた次の写真と同じ場所なのです。



現在は外壁に窓という外貌を呈していますが、今から4年前はお店の出入口だったんですね。


さて、上に今から4年ほど前の蘇州胡同の様子をご覧いただきましたが、次にさらに時代を
さかのぼった蘇州胡同をご紹介させていただきます。

まずは、1936年に作られた地図(複製)の一部。

名前は『The Map Of Old Beijing Folklore 1936』(中国名、老北京風俗地図)というもの、
作られたのは1936年2月、作者はFRANK DORNさんで、アメリカ人のようです。



緑色矢印の部分に“(SHOPPING)”と書かれています。

一体どのようなお店が並んでいたのかはわかりません。
しかし、地図上にわざわざ“(SHOPPING)”と書き込んであるのを見ますと、憶測の域を出ないものの、
今から80年ほど前の蘇州胡同が、ひょっとして人の往来でけっこう賑わう観光地的要素を持った商店街
ではなかったかと思われて仕方がありません。

お次は、日本占領下の1941年に「永住者乃至半永住者」や「官用、調査、留学、商用、視察、慰問」
などの目的で北京に来往する日本人のために北京で発行された『北京案内記』(昭和16年11月20日、
新民印書館発行)という本の記事。

上掲書を見ますと、当時北京にあった有名旅館として24軒の日本旅館が紹介されていて、
その内の2軒が蘇州胡同にあったことがわかります。その名称などは次の通りです。

〇鶴屋ホテル
部屋数:16
宿泊料:7円-8円
摘要:日本間

〇南洲屋
部屋数:11
宿泊料:7円均一
摘要:日本間

この本には日本旅館のほかに蘇州胡同にあった日系の土産物店も載っていて、当時の蘇州胡同にも
一軒あったことがわかります。

その名前もズバリ『北京みやげ屋』。
主に扱っていたものとして「七宝帯止」「ヒスイ宝石刺繍」「文具」が挙げられ、しかも住所まで
書かれています。「蘇州胡同68」(ただし、この住所は現在のものと異なっている可能性あり。)

いったいどんな方たちが蘇州胡同に買い物にいらっしゃったんでしょうねぇ。


ひょっとして、日傘を差したこんな方たちですかね。




上の二枚の写真は『秦風老照片館系列・北洋歳月』(広西師範大学出版)より
お借りしました。


さてさて、1936年や1937年以降の日本占領下の蘇州胡同を後に、さらに現在の胡同を歩きます。



106号院沿いの外壁を過ぎると公共トイレ。上の写真の右手手前の灰色の建物がそれ。
その横に路地があるではありませんか。



見逃すわけにはいきません。









階段を上がるべきか、それともその脇の通路を進むべきか、ちょっと迷ったのですが、階段脇の
通路に決めました。







左手に蘇州胡同98号院。





98号院の向かい側にも路地。



行けるところまで行ってみたいと思います。







これ以上は進めそうもありませんので、元のところに戻り、階段脇の通路をさらに進みます。



こちらは蘇州胡同100号院。









やはりこれ以上は進めそうもありませんので、元に戻りました。
次の写真は階段脇の通路の最端。




それでは先ほどの階段を上がってみたいと思います。



踊り場から南方向。



東南方向。



北東方向。



そして、東方向。



「胡同の空はいつ見ても広くて大きい。」
だから気持ちが良いのです。
でも、中には雨漏り防止のために厚手のビニールシートを置いている住民の方も
いらっしゃる。わたしのように暢気なことばかりは言っていられない。


当記事が今年最後の記事となります。
今年一年お付き合いくださいまして、ありがとうございました。


階段脇の通路で見かけた好物の北京の冬の風物詩、白菜。

新しい年もまた胡同でお会いいたします。
では、良いお年を。




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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
迎春 (koh)
2019-01-01 16:20:40
日本では明けましておめでとうございます。です。
元旦はいいお天気で穏やかな日でした。
去年は災害の多い年でしたが、今年はどうなのかと、
多少心配です。

今回の蘇州胡同は日本の占領下にあったとか。
憎まれ者なのでしょうね、日本は…

珍しい改築の様子に、目が止まります。
中国の将棋盤が、雨風に当たる所に存在するのですね。
吹っ飛んでしまわないのかな?
重たい駒なのかな?
超市はスーパーマーケット。 納得。
かつての日本旅館の名前が鶴屋、南洲屋。
南洲屋さんは鹿児島県の方の経営かなと思ったりします♪
わずか4年の間に、これだけ変わるのですね~
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Re.迎春 (胡同窯変)
2019-01-02 04:46:00
明けましておめでとうございます。

北京の元旦も平穏無事といったところなのですが、
気温が上が1℃で下がマイナス11℃。屋外でカラダを
動かせないのが、ちょっと寂しいです。若ければ何の
問題もないのでしょうが・・・(笑い)

もう八十年以上も経っているわけで、当時の日本観と
現在のそれとは大きく変わっているのでは、と感じます。
変わっていなかったら、危なっかしくて胡同はもちろん
観光地などへも出かけられません。昔でなくて良かった!!

初め見たときには気付かなかったのですが、将棋の駒は
将棋盤から離れないように、しかも盤上を自由に移動
できるように工夫されていました。

南洲屋。
そうなんですよ、西郷さんを思い浮かべ、鹿児島出身
の方が経営していたんじゃないかと思い、西郷さんと

「南洲」をからめて書こうとしたのですが、結局今回は
省略させていただきました。
kohさんがコメントくださったので大変助かりました。

たしかに日本の昨年は災害が多かったですね。
今年はどうなることやら・・・です。

本年も何卒よろしくお願い致します。
kohさんにとりまして、新しい年が良き年でありますように。
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