北京・胡同窯変

北京。胡同歩きが楽しい。このブログは胡同のあんな事こんな事を拙文と写真で気ままに綴る胡同お散歩日記です。本日も歩きます。

第180回 北京の胡同・栄光胡同 蓮花河の闇夜に咲く美しき花

2018-01-30 14:47:03 | 北京・胡同散策
栄光胡同。



当日は、前にご紹介した趙錐子胡同沿いにある北出入口から歩き始めました。



一見すると、ごくごく普通の胡同ですが、新中国が成立する1949年以前、ここは
後述するように三等妓院がひときわ多い場所でした。



胡同関係の本によりますと、清の時に“蓮花玉河”、民国以降“蓮花河”となりました。

なぜ“蓮花玉河”あるいは“蓮花河”という名前であったのか、その美しい名前の由来が
知りたくてわたしなりに調べてみたのですが、残念ながら胡同関係の本には書かれていま
せんでした。清の朱一新『京師坊巷志稿』にも“蓮花玉河”という地名は載っていますが、
その由来までは書かれていません。

この美しい名前の河をめぐってはわたしなりにいろいろ考えているのですが、未だ納得の
出来る答えが出せず、只今思案中といったところです。

なお、現在の栄光胡同になったのは、1965年のことでした。





気になる地名の書かれた郵便番号を示す札がありました。



栄光胡同ではなく、小光栄胡同と書かれています。
後ほどご覧いただきますが、もう少し歩いたところでも小光栄胡同と書かれた札に遭遇。
推測に過ぎませんが、昔、現在の栄光胡同の一部分に「小光栄胡同」という地名があったのかも
しれません。

ただし、実際の門牌(住所表示板)を確認すると、どれも次の写真のようにちゃんと「栄光胡同」
となっていました。



木製の門扉。
胡同を歩いていると、どうしても目が行ってしまいます。
たとえ古くなって傷んでいても、大切にしていただきたいなぁ、と思っております。



干した布団を取り込んでいる女性。



嬉しいじゃぁありませんか、写真を撮っているわたしを見かけたこの女性、
「こちらにいらっしゃいよ、よく見えるから」
幸いにも、そんな言葉をかけてくださった。



お言葉に甘えて、さっそく階段を上がり、撮ってみました。



北西方向。
二階を増築したお宅が目立ちます。



西方向。



西南方向。



写真を撮ったのは、このアパート。



アパートの名前なのかどうか確認はしませんでしたが、
栄光二柚(ロングアンアルヨウ)と書かれていました。

「柚」とは、ザボンのこと。



アパートの横の通路。









ほんの少し行くと左手に路地。





元に戻って、大きな福の字。







他の住宅とは、ちょっと造りの違うお宅がありました。



玄関まわりは、ほかのお宅とそう変わってはいないのですが、塀の高さが低い。
出来るだけ長い時間、部屋に陽の光を採り入れるための工夫なのかもしれません。
ちなみに、塀の向こう側の部屋は東向き。


こじんまりとしてはいますが、門扉といい、丈の低い塀越しに見える窓枠といい、実にいい
雰囲気。いつまでも大切にしていただきたいなぁ。





二階には、鳥籠がいっぱい。



再び小光栄胡同と書かれた札。小栄光胡同なら分かるのですが、なぜに小光栄なの?





一見何気ない場所であるにもかかわらず、ほんの少し調べてみると芋づる式にいろいろな
ことが見えてきます。今回の栄光胡同はそのひとつ。

今回の記事のはじめにこの胡同には三等妓院の多かったことを書きました。
以前にも挙げたのですが、ここで再び民国18年(1929年)の北京における妓院と妓女の調査
を三等妓院までご覧いただきます。

 一等妓院(清吟小班) 妓院数45軒、妓女数328人。
     最多は「韓家潭」(現在名、韓家胡同)、次は「百順胡同」と「陕西巷」。
 二等妓院(茶室) 妓院数60軒、妓女数528人。
     最多は「石頭胡同」、次は「朱茅胡同」。
 三等妓院(下処) 妓院数190軒、妓女数1895人。
     最多は「河里」(現在名、栄光胡同)、次は「四聖廟(現在名、四勝胡同)。

三等妓院(下処)のところをご覧になるとお分かりの通り、最も多かった場所として「河里」、
すなわち現在の栄光胡同の名が挙っています。「河里」とは、当時の地名であった蓮花河の
俗称でした。

ちなみに、1929年とはどういう時代であったのか。
世界大恐慌の始まった年ですが、中国国内に目を向けてみますと蒋介石などによる「北伐」
は前年の1928年には終わったといわれるものの、実際にはまだまだ軍閥間の戦争はつづいて
いたようで、しかも、悲しいかな、1928年から数年間、西北・華北地方では大飢饉があった
そうです。



当時、蓮花河と呼ばれた胡同に三等妓院が具体的にどのくらいの数あったのか残念ながら
分かりませんが、現在の栄光胡同の長さがおよそ120メートルほどしかないことを考えると、
蓮花河とは、三等妓院の怖ろしいほどの密集地帯ではなかったかと想像されます。









中国でも人気者のキティちゃん。



余談になりますが、キティちゃんで思い出したことを書いておきますと、熊本地震(2016年)
以降、くまモンの縫いぐるみをスーパーマーケットや喫茶店などでよく見かけるようになった
と感じるのはわたしの気のせいか。

ちなみに熊本の友好姉妹都市は、中国の場合、風光明媚な桂林市です。



あとわずかで栄光胡同の南端。
ここからそれぞれ魅力に富んだ三本の胡同(儲子営胡同、大喇叭胡同、霊佑胡同)に
わかれています。





最後になりますが、ご参考に新中国成立以前、三、四等妓院の多かったといわれる場所の中から三
箇所ほど有名どころを次に挙げておきました。

楽培園
現在、楽培園胡同。場所は、広安門内大街沿い北側にある「報国寺」の東側。

黄花苑
現在、新生巷。場所は、磁器口大街沿い東側。

忠恕里
現在も同じ。場所は、天壇公園西側にある自然博物館の北側。

今回は、今からけっして遠くはない90年ほど前に三等妓院の多かったといわれる栄光胡同、かつ
て蓮花河と呼ばれた胡同を歩いてみました。

思えば、貧しさゆえに苦界に身を沈めた妓女たちですが、その妓女たちと蓮花河という美しい地名
の取り合わせが、あまりに悲しい。せめて、彼女たちを蓮花河の闇夜に咲いた美しき蓮の花と思い
たい。




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第179回 北京の胡同・(補)九湾胡同 麗しき九湾胡同の思い出

2018-01-18 10:26:28 | 北京・胡同散策
底光りするオーラを放つレンガの外壁、今では学校の教室以外ではあまり目にする
ことのなくなった木製の黒板、チョークで書かれた味わい深い文字。
これら魅力に富んだ光景も、いつしか胡同から失われ、やがて昔に撮られた写真の
中でしか見ることができない風物になってしまうかもしれません。

鋪陳市胡同沿いにある東口。


胡同会の皆さんと九湾胡同を歩いたのは、今からおよそ4年前の4月中旬。今回は、その時に
見たいつまでも目に焼きついて離れない光景、それに現在の様子とわたしの寸感をからめな
がら当時の九湾胡同をご紹介させていただきます。



現在の東口。


次の写真は、前々回ご紹介した1号院から少し西方向に歩いたところから、東方向を
4年前に撮ったもの。

上の写真左手に見えるアールヌーボー風の窓枠と1号院の玄関上のデザインの取り合わせが
おもしろく、思わずシャッターをきりました。残念ながら、現在はもうこのような光景は見
られません。

4年前の17号院。

年季の入った木製門扉、ソファ。

17号院の外壁沿いの植木。

上の写真の向かって左にお手製の物干し設備があるのが興味深い。

現在。

植木まわりは整備され、椅子がソファから木製の可愛らしい小さな椅子へ。



椅子と言えば、4年前、4号院と6号院の間の外壁沿いには次のような五脚の椅子とテーブル
が置かれていました。


現在。

改修後も椅子が置かれ、その数が当時と同じく五脚。
椅子は、胡同の必須アイテムのひとつなのです。

ちなみに、カラフルなテープが巻かれた木製の角材は蔓巻き用棚の支柱です。



次の写真は4号院と6号院の間の外壁沿いに置かれていた椅子の前辺りから東方向を撮った
もの。これを見ると、4年前の4号院と6号院の間の外壁対面には物置があったことがわか
ります。


21号院の現在。




4年前の21号院。

いぶし銀のような渋い輝きを放つ年季の入った木製の門扉、これなくしては絶対に胡同にあ
らずといわんばかりに玄関前にさげられた竹製の鳥籠、玄関脇に何気なく置かれた、よく使
い込まれた自転車、そして、春の終わりから夏にかけて胡同に爽やかな彩りをそえる蔓性植
物。これらは、胡同という言葉を見たり聞いたりするとただちに連想するものばかり。

この日、胡同歩きにご一緒してくださった、『本の雑誌』でおなじみのイラストレーター
でエッセイストの沢野ひとしさん。その沢野さんの、自転車や三輪車にそそぐ眼差しがおも
しろい。引用は『北京食堂の夕暮れ』より。

“この街はとろけるような話が多い。文革時代に活躍したなんともレトロな三輪車が現役で
走っており、その使い込まれた生々しい姿に出会うたび思わずカメラを向け見惚れてしまう。
車体はあちこち曲がり、何度も溶接をした跡が残っている。”
“西単の大型書店で買った自転車の写真集が壮観で、どれだけ見ても飽きることがない。ひ
と昔前のある写真では道路いっぱいの自転車が黒々とした川のように流れている。オリンピッ
クを境に地下鉄が急速に発達したが、それ以前は中国当局すら「自転車ほど安くて便利なも
のはない。中国では電車が自転車に代わることなど考えられない」と相手にしなかった。”
“街を走る自転車にも無数の種類がある。がっちりした荷台の商業車、ママチャリ、ブラン
ドもののマウンテンバイク、そしてよく見かける三輪車。古いものはゴムのペダルが取れて
しまい、真ん中の棒だけでこいでいる。風格と時代を感じる。”
“とりわけ目を惹いた写真は、湖畔に自転車を停めて遠くを見つめる人民服の老人で、後ろ
姿に悠久の時を感じる。さらにすごいのは、自転車にまたがりハンドルに頭をのせて昼寝を
している男だ。よく倒れないで寝ていられると感心する。”
これはもう、自転車や三輪車、そして乗り手たちへの愛の告白以外の何ものでもありません。

なお、次の写真は21号院の前辺りから、6号院のある北方向を撮ったものですが、
当時も物置があったことが分かります。この物置、(とりあえず)現在も健在です。


次の写真は、二番目の曲り角を曲がったところから写したもの。
胡同会の方たちが立ち止まってなにやら眺めているの図。


現在。


次は、前回ご紹介した洗濯物が干してあった場所。


4年前。

「雨が降ってきたよー」。カメラマンの張全さんが言った。

現在の泰山石敢当。


4年前。
石敢当の位置が、現在と4年前では位置が移動していることがわかります。


4年前。
上の石敢当を過ぎると、次の写真に見られる「門聯」のある門扉がありましたが、
現在は失われてしまいました。


改修するとはどういうことか。そんなことを改めて考えさせられてしまいます。



次の2枚の写真の場所が、現在でいえばいったいどこなのか不覚にも不明なのが残念。




4年前。
わたしの前を歩いていた胡同会のSさんが、不意に両腕を伸ばして道幅を測りだしました。

胡同を体感することの大切さを考えさせてくれた一場面でした。

Sさんが立っているのはもう少し奥になりますが、現在の様子。


4年前。器用に自転車で通り抜けるの図。


前回もご紹介した現在の31号院。


年季の入った郵便受け。


4年前。


ローラースケートの少年が颯爽とやって来ました。

大人になって、たとえどこで暮らそうともいつまでも心の奥に残る九湾胡同で遊んだ
思い出。この少年にとって、それはかけがえのない大切な宝物であってほしい。

アイスクリーム、美味しいよね。

おねえちゃんも何か食べています。
ほんとうに美味しいとはどういうことかをつくづく考えさせてくれました。

結びの言葉に代えて、校尉営胡同にある北出入口をご覧ください。
現在。


4年前。




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第178回 北京の胡同・九湾胡同(後) 猫踊る曲り角の多き路地

2018-01-11 16:06:10 | 北京・胡同散策
九湾胡同が、曲り角の多いことは前回書いた通りなのですが、わたしは今まで
この胡同の曲り角の数を数えたことがありませんでした。
そこで今回は、しっかり数えてみることにしました。

前回ご紹介した小鳥のカレンのいた曲り角を一つ目として、以下数えていきます。
次の写真の所で二つ目。







この辺りから猫の絵が登場です。



訪れた時期が時期でしたので、クリスマスツリーも。







窓の位置が高いため、絵柄は分からなかったのですが、窓に「剪紙(切り絵)」が
貼られていました。




中国に住んでいらっしゃる日本人の諸兄諸姉はよくご存知でいらっしゃるように、
中国では年末になりますと、上の写真に見られるような“剪紙”や門に貼ってあっ
た“門神”や“春聯”などを貼りかえ、新たな年を迎える準備が始まります。

ちなみに、本年2018年の“春節(旧正月)”は、2月16日からですが、春節休みは
“除夕(大晦日)”の15日から始まり、21日までつづきます。
正月休みは大晦日を含めて一週間という長きにわたるわけですが、その代わり、11日
の日曜日と24日の土曜日は振替え仕事日となっております。

なお、上に剪紙(切り絵)について触れましたが、このおめでたい中国の切り絵ファン
には日本人も少なくありません。たとえば、北京留学中に民間芸術である剪紙を学び、
帰国後、剪紙アーティストとして活躍し、『かわいい中国の吉祥切り紙』『福をよぶ
中国の切り紙「剪紙」』『仏像の切り絵』『シルクロードの文様切り絵』などの著者
でもある上河内美和さん。(余談になりますが、この上河内さん、なんと胡同会の一員
だったそうです。)

上河内さんは、現在記事の更新をされていらっしゃらないようですが、ブログもお書き
ですのでご興味をお持ちの方はご覧ください。

上河内美和的剪紙
http://mhjianzhi.jugem.jp/


次の写真の所で、三つ目の曲り角。






洗濯物が干してあります。



この洗濯物が干してある場所は、数年前に胡同会の皆さんと訪れた時にも洗濯物が干して
あった思い出深い場所。
この場所にさしかかる頃でしたでしょうか。小さな水滴が薄曇りの空からポツリポツリと
落ちてきました。
その時、当ブログのブックマークにリンクさせていただいているカメラマンの張全さんが
「雨が降ってきたよー」
と声を出したのには、さすが胡同っ子とひどく感心させられたことを昨日のことのように
覚えています。



このお日さまの温もりをたっぷり吸い込んだ洗濯物をくぐると、四つ目の曲り角。













下の写真の左手。
建て増しした建物が撤去された雰囲気濃厚です。


その向かいの壁沿いに置かれた電動バイクと壁に描かれた絵。
バイクの置かれた位置が、なんとも小憎らしい。







バイクの置かれた壁沿いを行くと、今までと違って位置の低いところに玄関のあるお宅が
ありました。





ここで曲り角は、五つ目。



正面の外壁に“泰山石敢当”と刻まれた石が嵌めこまれています。
ただし、数年前におじゃましたときより、その位置が高いところに移動しています。




石敢当は、魔除けの石、といわれています。
泰山は、山東省泰安県の北にある、聖なる山。
五岳の一つで、古来、天子が即位すると、ここで天地の神を祭る封禅(ほうぜん)の儀式を
行った場所でした。
東岳とも呼ばれ、北京の朝陽門外にあります東岳廟のご本尊「東岳大帝」とは、この泰山
神のこと。
この聖なる山で採掘された石を材料とした石敢当は、魔除けとしてとびきりの効果を発揮
するにちがいありません。

なお、当ブログでよく引用させていただいている窪徳忠さんの『道教の神々』によりますと、
「いま知られている最古の石敢当は福建省甫田(ほでん)県の知事が県内の除災招福、人びと
の幸福、県の発展などを願って770年に県庁附近にたてたもの」なのだそうです。











また石敢当がありました。



この石敢当のところで、曲り角は六つ目。



子供たちの楽しい絵をしばしご覧ください。

















この猫のところで、曲り角は七つ目。

曲がってすぐのところに、八つ目。







ここで後ろを振り返り、ちょっと一息。


寒いとは言え、北京の突き抜けるような青空のなんと気持ちのいいことか。
外壁の電線の影がおもしろい。











黒板がありました。



この黒板の前方には緩やかなカーブ。
このカーブを曲り角の一つと捉えると、これで九つ目です。



ここまで来た時、反対方向から一人の男性がやって来ました。





この緩やかな曲り角のすぐ先に、また曲り角。





右手に写っているのは29号院のお宅ですが、ここで曲り角が十個目。







踊る猫に突き当たると、また曲り角。道幅が実に狭い。この曲り角で、十一個目。


前方にまたまた曲り角。ここで十二個目。



前方に出入口が見えます。
横切っているのは、北側の校尉営胡同。この胡同はいつも人出で賑わう商店街留学路の
すぐ近く。





右手のお宅の玄関の造りは、この胡同の中ではちょっと違っているような気がするのですが、
気のせいか?









いよいよ出口が迫ってきました。













次の写真は校尉営胡同から写したもの。


こちら側の出入口では、ご覧のように花をくわえた猫がお出迎え。
当日、こちら側からお入りになった女性数人に遭遇しました。
皆さん猫の絵を写真にとってお帰りになるようです。

ここで、まずは前回書いたことの追記。
前回の初めに登場した1号院には、新中国成立後に九道湾小学という学校が置かれていたことを書き
ましたが、この学校はその後に“板章路小学”と合併し、さらにその後、“培智中心学校”になった
そうです。

さて、この胡同の曲り角の数ですが、胡同関係の本を調べてみると曲り角は13個なのだそうです。
しかし、参考に中国の方のブログを拝見すると、その数9個、10個などまちまちです。私の場合は、
12個でした。
おそらく、緩やかなカーブを見落としていることに主な原因を求めることができるのではないかと
思われます。

道端の花壇やプランターに色とりどりの花が咲き、蔓巻き用の棚にはヘチマなどの葉が巻きつく
季節になりましたら、ふたたびこの九湾胡同におじゃまして、曲り角の個数数えにチャレンジし
たいと思っております。




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第177回 北京の胡同・九湾胡同(前) 猫踊る曲り角の多き路地

2018-01-04 16:00:03 | 北京・胡同散策
「九(jiu)」は、数や量が多いこと。
中国では「聖数」で物事の極限を意味しています。
「湾(wan)」は、曲がっていることや曲がっているところ。
九湾胡同で多くの曲り角のある胡同。

この胡同は、北京の胡同の中でも曲り角の多い胡同として有名ですので、一度は歩いてみたい
路地になっています。場所は、地下鉄7号線「珠市口駅」の近くです。



当日は昨年の12月下旬の胡同日和。
胡同の屋根の上には青空が広がっていました。



出入口は二ヶ所あり、一つは商店街「留学路」沿いにある“校尉営胡同”の西端、
もう一つは“鋪陳市胡同”の北寄り。当日は“鋪陳市胡同”の北寄りの胡同口から入りました。

数年前の様子をご存知の方はお分かりのように、この胡同も外壁その他の部分がだいぶ改修
されています。改修されましてから、まだ一年は経っていないのでは、と思われます。



写真左手に写っている電信柱は、木製です。
昔の面影を残す電信柱。思わず触れてみました。





ここで、不明な点もあったのですが、この胡同の沿革などについて簡単に触れさせていただきます。

明の時代に“般若寺”。
この胡同の東口の北側に般若寺という寺廟があったことに因んでいるそうです。
清の時代には“般若寺胡同”となり、民国期には“九道湾”。
現在の九湾胡同になったのは1965年からでした。

なお、上に清の時代に般若寺胡同となったと書きましたが、清の時代に般若寺胡同と九曲湾という
二つの地名があり、民国期にこの二つの地名が合併して“九道湾”になったという説のあることを
ここに記しておきます。



右手前方におもしろいデザインの玄関。



こちらはこの胡同の1号院。



この1号院が先に書きました“般若寺”があった場所。
そして、この般若寺のあった場所には、新中国成立後に“九道湾小学”という小学校が
置かれたそうです。




実見してみますとお分かりのように、出入口の上にはうっすらと「学校」という文字が
見えます。

現在どのような様子なのかお邪魔してみました。



南北に走る通路が一本。その通路に沿って東側と西側に住居が整然と並んでいました。





上は東側、下は西側のものですが、同じ敷地内でも建物の材料や道幅などに違いがあり、時代の
移り変わりの反映を見ることができます。














大きな「福」の字。太い幹。
この木は、ひょっとして小学校のあった時代の名残りかもしれません。


白菜。

門神。


貼られていますのは、秦瓊(しんけい)と尉遅敬徳(うつちけいとく)の二神。
実在したこの二人の武人が門神になったのは、唐代以後のことで、こんな経緯があったそうです。
お話は唐の太宗(在位期間626年~649年)にまつわるもの。

“太宗が夜、鬼魅に悩まされて安眠できないので、此二臣を門に立たしめたところ、効験があった。
そこで遂に画工に命じて彼等の像を描かしめ、これを宮門に懸けた。それを後世沿襲して居るの
だと云ふのである。”

門神や桃符などについて、『第111回 通州の胡同・頭条胡同(その一) 春聯と門神、桃符など。』
で不備な点もありますが触れておりますので、ご興味をお持ちの方はご覧ください。


小鳥がいました。



写真奥は共同トイレになっていました。









下の写真は一番北の西側。



写真を撮っていて、なにやら気配を感じたので気を付けてあたりを見回すと、
なんと、一匹の猫がジィーッとこちらを見つめているではありませんか。


この猫、なにやら食べていたようで、わたしに盗られるのではないかといささか警戒気味。
「だいじょうぶ、盗らないから」とつぶやいて、そそくさとその場から退散。

(話しは横道にそれますが、この猫の写真を見ると、やはり昨年の12月下旬に観た、夢枕獏さん
と陳凱歌さんの映画『妖猫』(日本名『空海』)に登場していた可愛らしいカラス猫を思い出して
しまいます。次回になってしまいますが、当ブログの記事には多くの猫が登場します。)











椅子が仲良く並んでいました。





その椅子の斜め前辺りの外壁には大きな「福」の字。



布団が干してありました。



胡同を訪れますと、数年前からその道沿いに物干し用の設備を見かけるようになりました。
名前は下の写真でもお分かりのように「便民晾衣杆」。


「便民晾衣杆(ビエンミンリャンイーガン)」は、住民のどなたでもが使える物干し竿、といった
ことなのでしょうが、わたしは「みんなの物干し竿」と呼んでいます。


よじ登っていけないことはよーく分かりますが、子供たちにとっては絶好の遊び道具。



物干し設備の斜め前辺り。



椅子が並んでいました。



昼下がりの胡同。ゆったりとした時が流れています。

















道に戻ると、前のお宅から生きものの気配。





この玄関沿いにも鳥籠が下がっていました。





可憐で可愛らしいつぶらな目。



そこで、この小鳥を「カレン円(まどか)」と名づけました。


カレンが餌をついばんでいます。





カレンに「再見」。



カレンのいた所から、曲り角が急に増えはじめ、九湾胡同、面目躍如といったところです。




九湾胡同。
門扉も門環も、そして外壁なども新しくなりました。しかし、多くの曲り角と細い路地は健在です。



再び鳥籠。









いよいよ始まります。




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