北京・胡同窯変

北京。胡同歩きが楽しい。このブログは胡同のあんな事こんな事を拙文と写真で気ままに綴る胡同お散歩日記です。本日も歩きます。

第228回 北京・洋溢胡同 開国大典、天安門楼上の大灯籠

2019-05-23 12:04:32 | 北京・胡同散策
前回ご紹介させていただいた“于謙祠”。ここには正門である南門のほかに西側に
も出入口があるのですが、その西門から北方向へほんの少し行ったところには、
一枚のプレートが貼られていました。


上の写真は西門ですが、普段は閉ざされているようです。

住所は、西裱褙胡同甲23号。


この西門沿いには、次のプレート。



今は消え失せてしまった胡同名が書かれていました。
「街巷名称、洋溢胡同」。

名前だけでも、よくぞこうして残ってくれたものだと思わず洋溢胡同という文字を
指先で触れてしまいました。
名前だけでも残ったのは、ひょっとして于謙パワーの効能か?
そんなことも心によぎったのも確かなのですが、しかし、同時に心のどこかに次の
ような思いもあったことは間違いありませんでした。

ワガママな物言いで恐縮ですが、この界隈に、昔、洋溢胡同や西裱褙胡同などの胡同
があったことをこれこれしかじかとそれなりに記した(決して材質の豪華なものでなく
ともよいので)説明板を貼って欲しい。


洋溢胡同(YangyiHutong/ヤンイーフートン)。
前回ご覧いただいた西裱褙胡同の一本北側にあった、崇文門内大街から北京站街
まで走っていた胡同。

明の時代は、揚州胡同。

地図は、『北京胡同志』(主編段柄仁、北京出版社)所収のものを使用。以下同じ。

次の清の時代に、羊肉胡同と改名されています。


民国期に、洋溢胡同。


1990年、同じく洋溢胡同。


そうして、2003年には、消えてしまいました。


ここで、今は消え失せてしまった洋溢胡同に関係するエピソード一つをば。

今から70年前の1949年10月1日、天安門楼上で毛沢東さんによって中華人
民共和国の成立が宣言されました(開国大典)。

その時、楼上の柱と柱の間には、巨きな提灯(大灯籠)がさげられていたのですが、この
装飾を依頼され、考案したのは、華北軍区文工団に所属する劇団、抗敵劇社で舞台装置
を担当していた二人の日本人であったそうです。(注)

しかも、このお二人、住んでいたのは、なんと洋溢胡同。

ちなみに、大灯籠を制作したのは、昔、紫禁城で宮灯つくりに携わっていた、老人とその
お弟子さんだったそうです。(竹内実『北京 世界の都市の物語』文藝春秋などを参照。)

けっして一筋縄でいかないのが歴史理解てすが、上のエピソードはわたしにとって、歴史
のもつ奇奇怪怪さや重層性をつくづく思い知らせてくれる大切な一コマになっています。
そして、たとえ今は地上から消失してしまった胡同であったとしても、調べてみると驚き
で目をみはるような物語が秘められているのだということを再認識させてくれるきっかけ
を与えてくれたのがはじめにあげた洋溢胡同と書かれたブレートでした。于謙祠にお出か
けの際、プレートもご覧いただければ、嬉しいです。

(注)さげられていたのは、春節などで見かける丸い灯籠をさらに大きくしたもの。
この灯籠の形状は、伝統的なものではなく、この時の2人の日本人の影響によ
るもの、という説があり、中国の灯籠の歴史について調べてみるのも面白いの
ではないでしょうか。書きもらしにより、5月24日追記。胡同窯変。


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