北京・胡同窯変

北京。胡同歩きが楽しい。このブログは胡同のあんな事こんな事を拙文と写真で気ままに綴る胡同お散歩日記です。本日も歩きます。

第230回 北京・船板胡同(前) 「 故きを温ねて」とは言うけれど。

2019-06-04 12:26:22 | 北京・胡同散策
船板胡同(ChuanbanHutong/チュアンバンフートン)。

当日は、崇文門内大街沿いの西口から入ったのですが、なんと、舗装工事中。



明の時代から現在まで名前は変わらず「船板胡同」。
しかし、今は東側の一部(北京駅西街以東)がありません。

明の時代の地図

上の地図を見ると、今の崇文門内大街から崇文門東順城街沿いまであったのがわかります。
地図は『北京胡同志』(主編段柄仁、北京出版社所収「明北京城街巷胡同図 万暦ー崇禎年間
公元1573ー1644年」)を使用。

2003年の地図

赤色部分、現在北京駅附属の荷物受取所(「中鉄快運北京駅到達提取処」)。
地図は同上書所収「2003年」。

西口の北側の立体駐車場。出来たてホヤホヤ。





食堂。
家常菜(家庭料理)。



その隣は「天隣旅館」。



昨年5月下旬には上の食堂や旅館の前辺りに「焼き芋屋さん」がいたのですが、
本年は出合いませんでした。残念。





大きな双喜文字がどーんと貼られています。



傾いた新しい門牌の背後から古い門牌が顔を出しています。


新しい門牌も悪くないのですが、古い門牌の字体が良いのです。

上の前辺りの風景。





昨年はクルマ止めの所にも造花。





こちらの門扉上には門牌が二枚。



スーパーがありました。





「便民生活超市」。
でも、何かが違うんですよね。

帰宅後、調べてみたら昨年5月下旬の時には「您恵万家」の看板でしたよ。



調べついでに、さらに時間をさかのぼってみました。
次の写真は2014年10月に東から西方向を撮ったもの。
今からすると信じられない風景が当時はひろがっていました。


写真向かって左に写っているのは、信じられないかもしれませんが、先ほどご覧い
ただいた超市とその東隣。写真に電信柱が写っていますが、その電信柱とその後ろ
の屋根の形に注目です。するとそこが前にご覧いただいた造花の飾られていた家辺
りであることがわかります。はっきり見えませんが、写真奥に写っているのは胡同
西口を入ってすぐのところにある掲示板。


時計の針を戻して、
いい雰囲気のお宅がありました。





その隣は公共トイレなのですが、只今改装工事中。





中華風装飾で凝ったトイレに仕上がっているようです。



トイレの隣は「東交民巷小学」。


こちらは南門。正門は北側の小報房胡同。

小学校の前には、面白い建物が。





意味は不明なんですが、牛の飾り。



船板胡同で欠かせないのが、こちら(↓)。



東側から撮ってみました。


建物前面は洋風ですが、その背後は中華風であることがわかります。

そして、注目していただきたいのは、左から二番目の窓の下方。


この建物には以前出入り口があったんですね。
そのことを示す出入口を塞いだ痕跡と今も残る石段。

ここで昨年5月に撮った写真をご覧いただきます。


昨年には、ここが出入口であったことがはっきりわかります。
しかも、窓のサイズが現在より小さく、外壁にはお洒落な外灯も。

時計の針を今に戻し、上の楽しい洋風からほんの少し東方向には「欣燕都酒店」というホテル。



このホテルの前辺りに来た時、「何か変だなぁ」という気持ちになったので、しばらく
立ち尽くしていると、前方から毛を短く刈ったワンちゃんがやってきました。

舗装工事中の道に慣れていないためか、おどおどびくびくと散歩です。



飼い主さんの指示でやっとこちらに顔を向けてくれました。



2014年10月に撮った写真を確認するとありました。


写真向かって左に出入口の一部が写っていますが、ここは上にご覧いただいたホテル。
ただし、当時、現在のホテルであったかは不明。それはそうと、ホテルの隣に当時は
お店が並んでいたなんて、その凄まじい変貌ぶりが怖い。

さらに前へ。



年輪を感じさせる大きな木。









ブタさんの前を通り過ぎると、国営仁分旅店。



2014年の写真を調べてみると、ありました。
次の写真は、上の「国営仁分旅店」の前を通り越した東側から西方向を撮ったもの。


やや傾いた電信柱が当時と変わらずそのまんま。

現在の国営仁分旅店からさらに東方向に歩くと、便民超市。


このスーパーの前の電信柱を右折すると以前ご覧いただいた「北京基督教会崇文門堂(亜斯立堂)」
のある「後溝胡同」。

次の写真は、上のスーパーの斜め西寄りのところにある「永楽賓館」。



お次は、やはり以前にご覧いただいた「南八宝胡同」南口とその東にある
楽しい建物。



昔は商店だったようです。



外壁上部をご覧ください。

建物向かって右から「文興」。



次は、初めの一字がはっきりしません。
二字目は「油」、三字目は「紙」。



次は、残念ながら判読不可。


いずれにしても、かなり古くからの建物だと思われますので、一見の価値ありでは
ないでしょうか。

さて、ここで時間をさかのぼって2014年の写真をご覧いただきます。

次の場所は、後溝胡同の北口前から船板胡同の西方向を写したもの。
写真向かって左手に「超市」という看板のある辺りが現在の「便民超市」のある位置
だと思われます。


写真右側に小さくて見えづらいかもしれませんが、交通標識と「船板胡同」のプレートが
見えます。そのプレートの手前が「「南八宝胡同」。ついでに書きますと、プレートの
向こう側には「旅館」と書かれた看板。これは先にご覧いただいた「永楽賓館」。

次の写真は昨年5月に「南八宝胡同」の南口を撮ったもの。
当時は南口の西側に木製の電柱があり、そこに交通標識と「船板胡同」のプレートが
掛けられていました。


今回訪れた時にはこの木製の電柱は取り払われていました。結構味わいのある
電柱だったのですが。

そうして、次の写真は2014年10月に撮った「後溝胡同」の北口正面。
この北口から西方向を写したのが先きにご覧いただいた写真です。
現在の写真は省略しますが、今からは信じられない光景にわが目は点。
ちなみに、写真左手のお店の住所は船板胡同51号。


現在、数年前に飲食店があったことを示す痕跡などまったくありません。

昔の賢者曰く「故きを温ねて新しきを知る」と。賢人ではないわたしは情けなくも
「古きを訪ねて驚きで言葉を失う」といった感じです。



にほんブログ村


にほんブログ村


1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
判読不明字は「煤」でしょう (Yozakura)
2022-08-14 15:44:58
初めまして:残暑お見舞い申し上げます

 古びた商店の外壁に残された「判読不明の一字」ですが、取扱い商品を列記した趣旨から推測するに、恐らく「煤」mei2でしょう。日本語では「石炭」のことでは?

 以前、貴ブログの胡同訪問記を読み進んでいたところ、
 思いがけずも、民国末期の時代に、日本の占領政策ないし傀儡政権の樹立操縦工作に関与し掛けた人名が幾つか登場し、
 「果て、あの人達が登場したのは一体、何処の胡同であったろうか?」と、頼りない記憶を辿りつつ、貴ブログの投稿記事を過去へと遡及しながら読み進めている裡に、見覚えの有る写真に遭遇。
 清国末期若しくは民国初期と思しき時代に創業開店したであろう商店の取扱い品目を羅列した文字は右から「煤、油、紙」でしょう。
 お元気で。

コメントを投稿