北京・胡同窯変

北京。胡同歩きが楽しい。このブログは胡同のあんな事こんな事を拙文と写真で気ままに綴る胡同お散歩日記です。本日も歩きます。

第169回 北京の胡同・小喇叭胡同 猫眠る幽かなる細き小径

2017-11-30 10:32:35 | 北京・胡同散策
人やクルマの往来のはげしい永安路から、一歩この胡同に足を踏み入れると、
幽寂にして幽艶たる境に遊ぶ心地がするから不思議だ。










大喇叭胡同と同じく、こちらも一部改築中。



唐突ですが、猫の話。
猫はその行動の仕方によって二つの種類に分けられる。

一つは、飼い主以外の人を見て、すぐに逃げる猫。
誕生以来、人にいじめられた覚えがあり、警戒心が強く、
人を見たらいじめっ子だと思え、というのがこのタイプの
猫の生活信条だ。

もう一つは、飼い主以外の人を見ても、逃げない猫。
誕生以来、皆に可愛がられ、愛されて育った猫。
警戒心がまったくない。人間を信頼しきっているわけだ。
どちらにも一長一短あり、どちらも可愛らしい。

ところで、この胡同には、後者に属する一匹の猫がいる。
猫の名前はもちろんのこと、飼い主が、どこの誰だか、
わたしは知らない。謎の猫。

この日は残念ながら、睡眠中だった。



せっかく気持ちよく寝ているものをシャッターを切る音で起こす訳にもいかず、望遠で
撮った。



ちょっと失礼。
心の中でそうつぶやきながら、猫の前を静かに通り過ぎる。









道幅の狭い胡同として名を馳せているのは、大柵欄にある“銭市胡同”。
最も狭いところで40センチほど。
小喇叭胡同も北京の胡同の中で道幅の狭い路地の一本に数えられ、最も狭いところで
60センチほど。
両者の違いをあえて書けば、銭市胡同は狭いながら、それでもけっこう人が集まる。
そもそも大柵欄という人の集まる場所にあり、この胡同自体が有名でもあるのでカメラ
を持った人たちが集まるからだ。
それに比べてこの胡同には観光客が訪れるわけでもなく、カメラを持った人の姿も
まことに少ない。しかし、幽寂にして幽艶たる境に遊ぶことが出来る細道は、
なんといっても小喇叭胡同だろう。しかも、ここには先ほどの猫がいるので、この小径に
流れる空気は実にたおやかそのものなのだ。





北端を西に曲がる。











護門鉄。



単なる鉄板ではなく、瓢箪の形だ。この一点を見ただけでも、住居が人を入れる
単なる“器”でないことが分かる。



このお宅が1号院。










写真奥を横切るのは大喇叭胡同。見える門扉は1号院のそれだ。



西出入口にたどり着いたら、先ほどの猫のことが気になった。
戻ってみると、やっぱり眠っていた。



永安路沿いにある他の胡同に行くため、猫と外壁の間を
そっと通り抜ける。




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第168回 北京の胡同・大喇叭胡同(後) ソウルフルな音の響きは静かに流れる

2017-11-27 10:28:32 | 北京・胡同散策
この胡同が、いつ、北京の外城に出現したのか、わたしにはわからない。
清の朱一新(1846年ー1894年)撰『京師坊巷志稿』には、この胡同も東隣の“小喇叭胡同”
も載っている。『京師坊巷志稿』は1880年代の中ごろには出来上がっているから、どんな
に短く見積もっても130年ほどが経つわけだ。





強い陽射しや激しい雨風、そして過剰な乾燥で傷めつけられたこの門扉、傷んではいるが、
冬でも触れると温かさを指先に伝えたこの門扉も今回が見納めとなるかもしれない。








南側出入口から北方向に進むと道幅が次第に狭くなる。その形状からラッパと名づけられた。








左手に置かれている袋の中身は改修のための材料の一部だ。

この胡同には、その距離が短いにもかかわらず、胡同名の書かれたプレートが
三枚貼られている。





ここが1号院。


北側出入口。




出入口を出ると、街角アートが目に飛び込んできた。
一つはスーパーマーケットの看板。


もう一つは、36歳の若さで謎の死を遂げたマリリン・モンロー。



中国語で「玛丽莲·梦露(瑪麗蓮・夢露)」と書く。


“she is always our best love/forever ever ever ever ever”

マリリン・モンローが生まれたのは、1926年の6月1日。
1926年といえば、中国は民国15年だ。
この胡同は民国期に“大腊八胡同”と書かれていたこともあった。

「喇叭」は「ラーバ」、「腊八」は「ラーバー」と読む。音が似ているので、そうなった。
「腊八」とは、陰暦の12月8日のこと。中国では釈迦の成道の日だ。



わたしは、胡同を歩くとジュルジュ・サンドの言葉を思い出す。
“道ほど美しいものがあろうか、これは活発な多様な生の象徴であり、映像である”
そして、わたしは思う。“多様な生”の鼓動の響きが静かに流れるところ、それが
胡同なのだと。

次に会う時は変わっているだろう。しかし、大喇叭胡同の新たな門出前に再び会うこと
はできた。デジカメの電池の残量を確認して東隣の“小喇叭胡同”へと向かう。




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第167回 北京の胡同・大喇叭胡同(前) ソウルフルな音の響きは静かに流れる

2017-11-24 10:27:44 | 北京・胡同散策
大喇叭胡同は、ご紹介済みの鷂児胡同、趙錐子胡同、四勝胡同の南側を東西に走る永安路沿いにある。
昔、皇帝が渡った“天橋”のすぐ近くだ。

「間に合った」
趙錐子胡同沿いの栄光胡同を歩いていたら、住民の方が、いよいよ一部取り壊し、一部改修が本格的
に始まると声をかけてくれたので慌ててやって来た。



大きなラッパ胡同。
ラッパと言っても、ラッパの音は聴こえない。


右手に見える「祖国江山美」と書かれているのは、目隠し壁だ。永安路沿い
にある小胡同出入口以外の部分は現在このような壁で覆われている。







これらの変形しきった門墩(mendun)も、おそらく、今回が見納めになるだろう。

















手書きの門牌が好きだったな。





地面に根をはってしまったような手作り感たっぷりの腰掛け。
後ろの外壁にチョークで“勿動!”、つまり「動かすなかれ!」と書かれているのには、
毎度のことながら拍手を送りたい。



次はラッキーセブンの7号院。



思い出に入ってみた。









この日は周りの壁に触れてみた。言葉はかけなかった。
乾いた空が妙にまぶしい日だ。



 
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第165回 通州の胡同 秋日回憶ー半截胡同と太平庄の間道にてー

2017-11-18 11:41:50 | 通州・胡同散歩
夏が終わると秋になる。百も承知していることであっても、油断がならない。



北京の秋は足早に過ぎていき、気が付くと冬、という結果にもなりかねない。





そのことに気付いて、思わずわたしも足早になって、胡同へ。



ひと口に秋といってもいろいろあって、
街の中のなにげない児童公園の秋、人の多く集まる華やかな観光地の秋、ベランダに置か
れたプランターの中のつつましい秋、スーパーマーケットの果物や野菜売り場の見映えよ
くコーディネートされた秋、秋刀魚の美味い秋、街路の木立が金色に輝く秋、定家の“
見わたせば花ももみぢもなかりけり浦のとま屋の秋の夕暮れ”の秋、静かな森の中でリス
が木の実を齧る秋。

もちろん、胡同の秋にもいろいろあるけれど、ここ、地元通州の半截胡同と太平庄とをつ
なぐ間道の秋はわたしにとっては格別で、年季の入った煉瓦塀や煉瓦の外壁、そして蔦の
葉が共犯関係を築いているから怖ろしい。



急いだお蔭で今年の秋に十分間に合った。















今はもう、道端の水溜りの水もすっかり凍りつき、髪の毛の薄くなった頭が毛糸の帽子を
恋しがる季節になりました。



立ちのぼる白い湯気で眼鏡のレンズを曇らせながら涮羊肉(シュアンヤンロウ)に舌鼓をうつ季
節になる前に、今年も一所懸命な秋に再会できたのは嬉しい。この間道の秋は、いつまでも記
憶に残る秋の風物詩のひとつになっています。




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