北京・胡同窯変

北京。胡同歩きが楽しい。このブログは胡同のあんな事こんな事を拙文と写真で気ままに綴る胡同お散歩日記です。本日も歩きます。

第82回 通州 紫竹庵胡同29・雪の日のメモランダム(その四) 石臼と昔話 

2016-01-31 16:25:03 | 通州・胡同散歩
雪のうっすらと積もった石臼。
眺めていると、儒教や仏教や道教が一定の形を整えるより以前の昔に生きていた人々が
石臼で穀物をゴリゴリと挽く音が聞こえてきそうでした。



今回は石臼にゆかりのある「昔話」をご紹介させていただきます。
それは皆さんも幼い頃に絵本でお読みになったり、身の回りの大人からお聞きになったかも
しれない「塩吹き臼」。地方によってお話の内容や登場人物などに微妙な違いがあるものの、
石臼が富や食べ物を人に授けるという点、石臼が海に関係しているという点ではほぼ一致して
いるようです。石臼と海との結びつきが実に不思議ですね。

今回当ブログでは、『まんが日本昔ばなし』より「あらすじ」を拝借し、少し手を加えて
みました。ご興味のおありの方はお読みください。


『塩吹き臼』

むかしむかし、あるところに百姓の兄さまと弟さまがいたと。兄は欲張りででーっかい家に住
み、弟は正直者だったが、とーっても貧乏だったと。

年の暮れ、弟さまは米と味噌を借りに兄さまの家に行ったのですが、欲張りな兄さまは貸して
くれませんでした。仕方なく弟さまがとぼとぼと歩いていますと、なんと、老人が声をかけて
きたではありませんか。その老人は弟に「この先の洞穴に行って、石でできた動く物を持って
おいで」と言いました。

弟さまは言われるままに、祠のそばの暗い穴蔵に入ると石臼があったのでそれを持って出てき
ました。すると老人が「それはなんでも欲しいものが出てくる石臼じゃ。右に回すと欲しいも
のが出て、左に回すと止まるんじゃよ。」と言って、姿を消してしまいました。

弟さまは夢を見ているような、からかわれているような気がしたのですが、石臼を家に持って
帰り、さっそく「米、出ろ。米、出ろ。」と言って石臼を回すと、驚いたことに、米がどんどん
出てきたではありませんか。こうして弟は裕福な長者になり、ほかの貧しい人たちにも石臼から
出てきたものを分け与えていました。

弟さまが急に長者になったことを不思議に思った兄さま、その秘密をかぎつけて石臼を盗み出し、
船に乗って海を越えて向こうの国で大金持ちになろうと思いました。弟さまの家から持ってきた
饅頭を食べたあと、塩が欲しくなり、さっそく石臼を回して塩を出したが、止め方を知らなかっ
たので、臼から塩がどんどんと出てきて、ついに船は塩の重さで沈んでしまいました。

今でも石臼は海の底で塩を出し続けていると。


以上、『まんが日本昔ばなし』「塩ふきうす」より
nihon.syoukoukai.com > ... > お話データベース > 東北地方 > 岩手県

さて、この「塩吹き臼」のお話、先ほども書きましたように似たお話が他にもあるのですが、当ブログ
ではもう一話、新潟県の「山北町」に伝わる「塩吹く臼」をご紹介させていただきます。
方言で語られる昔話。肉声を聞いてみたくなってしまいます。
また、このお話への「コメント」も興味深く思われますので、ご興味のおありの方は、次の『妖怪通信』
のURLにアクセスをよろしくお願いいたします。(『妖怪通信』って、素敵なネーミングですね。)
www.rg-youkai.com/tales/ja/15_niigata/12_usu.html

この「塩吹き臼」のお話、どうやら中国から日本に伝わったらしいのですが、この点につきましては回を
改めてご紹介したいと思っています。

そうそう、昔話で思い出したのですが、桃から生れた桃太郎が成長して「鬼たいじ」に出かけていくお話は
有名ですが、そのとき身に付けていったのは「きび団子」でした。このお団子もきっと「臼」で作ったもの
ではないでしょうか。この「きび団子」につられてイヌ・サル・キジが桃太郎のお供をしたのはいうまでも
ありませんから、このお話で臼ときび団子はお供をしたイヌ、サル、キジ同様、とても重要な役割をしてい
るわけです。まあ、「食べ物」で他人を釣るのは、どこかの「〇〇情報」に参加されているブロガーさんたち
と同じで可笑しすぎるのですが、「月とスッポン」「雲泥の差」。
まあ、それはともかく、桃太郎たちに退治されてしまう鬼たち。この鬼たちも、なかなか素敵なキャラクター
ですが、桃太郎に登場する鬼たちは頭に角(つの)が生えていて、腰には虎の毛皮を巻いていました。
一体どうしてなんだろうと思うと、「鬼」っていわゆる「十二支」の「丑寅(うしとら)」の方角にいるから
なのですね。だからこそ頭に牛の角があり、虎の毛皮を腰にまとっているというわけなんだそうです。つまり
「鬼たち」は「丑寅」、つまり「北東」の方角に生存していたわけで、これがいわゆる「鬼門」と呼ばれる方
角です。紫禁城を中心として北京の「丑寅」の方角にはいったい何が生存しているのでしょうか。21世紀の現
在も「鬼たち」が跳梁跋扈しているのでしょうか?



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第81回 通州 紫竹庵胡同28・雪の日のメモランダム(その三) 雪の「会話」

2016-01-25 10:26:13 | 通州・胡同散歩
雪の降る、人の往来の途絶えた紫竹庵胡同。ひっそりと静まり返っていました。



写真向かって手前左側に、紫竹庵胡同を訪れると、いつもシャッターを切ってしまう、
塀の上に素敵な「飾り」のある二軒続きの家があります。




それを見る者の気持ちを和ませ、心に潤いを与えてくれる、ちょっとした工夫。



まるで住んでいらっしゃる方々の「体温」が伝わってくるようです。




上の写真を撮っていると、背後から声をかけられました。
振り返ると、顔に笑みを浮かべた女性が傘をさして立っていました。瞬間、失礼にもどなたか
分らなかったのですが、この胡同で二、三度すれ違ったことのある女性で、言葉を交わすのは
初めてでした。
笑みを浮かべると眉が八の字になり、どことなく日本の女優さんを思い起こさせるお顔立ちで、
その笑みは「こんな雪の日にお寒くありませんか・・・?」と問いたげです。
お訊ねすると、この女性は、これから南大街にお買い物にいらっしゃるとのことでした。



雪の降る日だからこそ、胡同だからこそ出会えた温かい後姿に、シャッターを切らせて
いただきました。


  
 


第79回 通州 紫竹庵胡同26・雪の日のメモランダム(その一)

2016-01-18 10:20:02 | 通州・胡同散歩
昨年11月22日、北京には雪が降りました。今回から数回に分け、雪の紫竹庵胡同を
ご紹介させていただきます。


普段から人通りの少ない住宅街・胡同ですが、雪が降り、いっそう静かで、名状しがたい魅力を
発散していました。




上の写真は、胡同入口ですが、南大街のある西側から東方向を写したもの。
撮った後、この胡同を横切っている中街まで行き、人の気配に振り返ると女性がお一人歩いて
いらっしゃるのに出会いました。




中街の北方向にも数人の方が歩いていらっしゃいました。
寒さと足元に注意しているためか、道行く人の歩く姿は皆さん背中をまるめ、うつむきがちです。




次の写真は、中街から進行方向の東側を撮ったもの。




ここまで来て、以前ご紹介した、いつも窓の開いているお店もさすがに雪の降る今日は閉まって
いるだろうと思いながら行ってみますと、やはり開いていました。
雪の日でも近所の子供が小銭を握って買い物に来るのでしょうか。商売熱心だなと思ったのですが、
それも束の間。



窓の中を覗き、「誰かいますか?」と声をかけたのですが、どこからも返事がありません。

窓枠の所には、商品が置かれていたので買ってみようかと思ったのですが。



首をかしげながら、少し間をおき、やはり「誰かいますか?」と前よりやや大きめな声で奥に向かって
声をかけたのですが、やっぱり、うんともすんとも返事がありません。

いったいここはどんなお店なんだろう、この店の主人はいったいどんな人なんだろう。
商売っ気が無いようなあるような、あるような無いようなお店。
雪の白さが、店内とこのお店の置かれている状況、そしてこの店のご主人の心、それぞれの
奥の深さをいっそう際立たせていました。


  
  
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第78回 通州の胡同・紫竹庵胡同25・見つめていたい。

2016-01-14 09:21:18 | 通州・胡同散歩
なんの変哲もないたたずまい。しかし、なぜか惹かれる風景があります。







「紫竹庵胡同」と書かれたプレート、煉瓦造りの建物、そして、一本の木。

この日、この風景の前では母と子が日向ぼっこをしていました。





数ヵ月後、春。再び訪れ、シャッターを切りました。








夏。再び足を運ぶと、




この日は、木の下に「対聯(duilian)」のようなお二人が。
男性は恥ずかしがり、女性はカメラのレンズを見つめています。




この後、イスとテーブルを撮りたい旨を伝えると、このお二人、私のために気を遣って席を
立ってくれました。





夏から秋へ移り変わる9月。






馬鹿の一つ覚えのように再び訪れ、撮ってしまう。そんな自分に呆れています。


11月の雪の日。







胡同のありふれた佇まい。どこか懐かしく、それでいて新しい。
過去と未来を垣間見せてくれる風景。
心地よいめまい、酩酊感、そして胸のときめきに満ちています。

煉瓦造りの壁、



道端に干されたソックス、



年季の入ったプレート。




再び、冬。

胡同名の書かれたプレート、そのプレートの貼られた煉瓦造りの家、そして四季折々の表情を
見せてくれる一本の木。



見つめていたい。


 
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