雪のうっすらと積もった石臼。
眺めていると、儒教や仏教や道教が一定の形を整えるより以前の昔に生きていた人々が
石臼で穀物をゴリゴリと挽く音が聞こえてきそうでした。
今回は石臼にゆかりのある「昔話」をご紹介させていただきます。
それは皆さんも幼い頃に絵本でお読みになったり、身の回りの大人からお聞きになったかも
しれない「塩吹き臼」。地方によってお話の内容や登場人物などに微妙な違いがあるものの、
石臼が富や食べ物を人に授けるという点、石臼が海に関係しているという点ではほぼ一致して
いるようです。石臼と海との結びつきが実に不思議ですね。
今回当ブログでは、『まんが日本昔ばなし』より「あらすじ」を拝借し、少し手を加えて
みました。ご興味のおありの方はお読みください。
『塩吹き臼』
むかしむかし、あるところに百姓の兄さまと弟さまがいたと。兄は欲張りででーっかい家に住
み、弟は正直者だったが、とーっても貧乏だったと。
年の暮れ、弟さまは米と味噌を借りに兄さまの家に行ったのですが、欲張りな兄さまは貸して
くれませんでした。仕方なく弟さまがとぼとぼと歩いていますと、なんと、老人が声をかけて
きたではありませんか。その老人は弟に「この先の洞穴に行って、石でできた動く物を持って
おいで」と言いました。
弟さまは言われるままに、祠のそばの暗い穴蔵に入ると石臼があったのでそれを持って出てき
ました。すると老人が「それはなんでも欲しいものが出てくる石臼じゃ。右に回すと欲しいも
のが出て、左に回すと止まるんじゃよ。」と言って、姿を消してしまいました。
弟さまは夢を見ているような、からかわれているような気がしたのですが、石臼を家に持って
帰り、さっそく「米、出ろ。米、出ろ。」と言って石臼を回すと、驚いたことに、米がどんどん
出てきたではありませんか。こうして弟は裕福な長者になり、ほかの貧しい人たちにも石臼から
出てきたものを分け与えていました。
弟さまが急に長者になったことを不思議に思った兄さま、その秘密をかぎつけて石臼を盗み出し、
船に乗って海を越えて向こうの国で大金持ちになろうと思いました。弟さまの家から持ってきた
饅頭を食べたあと、塩が欲しくなり、さっそく石臼を回して塩を出したが、止め方を知らなかっ
たので、臼から塩がどんどんと出てきて、ついに船は塩の重さで沈んでしまいました。
今でも石臼は海の底で塩を出し続けていると。
以上、『まんが日本昔ばなし』「塩ふきうす」より
nihon.syoukoukai.com > ... > お話データベース > 東北地方 > 岩手県
さて、この「塩吹き臼」のお話、先ほども書きましたように似たお話が他にもあるのですが、当ブログ
ではもう一話、新潟県の「山北町」に伝わる「塩吹く臼」をご紹介させていただきます。
方言で語られる昔話。肉声を聞いてみたくなってしまいます。
また、このお話への「コメント」も興味深く思われますので、ご興味のおありの方は、次の『妖怪通信』
のURLにアクセスをよろしくお願いいたします。(『妖怪通信』って、素敵なネーミングですね。)
www.rg-youkai.com/tales/ja/15_niigata/12_usu.html
この「塩吹き臼」のお話、どうやら中国から日本に伝わったらしいのですが、この点につきましては回を
改めてご紹介したいと思っています。
そうそう、昔話で思い出したのですが、桃から生れた桃太郎が成長して「鬼たいじ」に出かけていくお話は
有名ですが、そのとき身に付けていったのは「きび団子」でした。このお団子もきっと「臼」で作ったもの
ではないでしょうか。この「きび団子」につられてイヌ・サル・キジが桃太郎のお供をしたのはいうまでも
ありませんから、このお話で臼ときび団子はお供をしたイヌ、サル、キジ同様、とても重要な役割をしてい
るわけです。まあ、「食べ物」で他人を釣るのは、どこかの「〇〇情報」に参加されているブロガーさんたち
と同じで可笑しすぎるのですが、「月とスッポン」「雲泥の差」。
まあ、それはともかく、桃太郎たちに退治されてしまう鬼たち。この鬼たちも、なかなか素敵なキャラクター
ですが、桃太郎に登場する鬼たちは頭に角(つの)が生えていて、腰には虎の毛皮を巻いていました。
一体どうしてなんだろうと思うと、「鬼」っていわゆる「十二支」の「丑寅(うしとら)」の方角にいるから
なのですね。だからこそ頭に牛の角があり、虎の毛皮を腰にまとっているというわけなんだそうです。つまり
「鬼たち」は「丑寅」、つまり「北東」の方角に生存していたわけで、これがいわゆる「鬼門」と呼ばれる方
角です。紫禁城を中心として北京の「丑寅」の方角にはいったい何が生存しているのでしょうか。21世紀の現
在も「鬼たち」が跳梁跋扈しているのでしょうか?
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眺めていると、儒教や仏教や道教が一定の形を整えるより以前の昔に生きていた人々が
石臼で穀物をゴリゴリと挽く音が聞こえてきそうでした。
今回は石臼にゆかりのある「昔話」をご紹介させていただきます。
それは皆さんも幼い頃に絵本でお読みになったり、身の回りの大人からお聞きになったかも
しれない「塩吹き臼」。地方によってお話の内容や登場人物などに微妙な違いがあるものの、
石臼が富や食べ物を人に授けるという点、石臼が海に関係しているという点ではほぼ一致して
いるようです。石臼と海との結びつきが実に不思議ですね。
今回当ブログでは、『まんが日本昔ばなし』より「あらすじ」を拝借し、少し手を加えて
みました。ご興味のおありの方はお読みください。
『塩吹き臼』
むかしむかし、あるところに百姓の兄さまと弟さまがいたと。兄は欲張りででーっかい家に住
み、弟は正直者だったが、とーっても貧乏だったと。
年の暮れ、弟さまは米と味噌を借りに兄さまの家に行ったのですが、欲張りな兄さまは貸して
くれませんでした。仕方なく弟さまがとぼとぼと歩いていますと、なんと、老人が声をかけて
きたではありませんか。その老人は弟に「この先の洞穴に行って、石でできた動く物を持って
おいで」と言いました。
弟さまは言われるままに、祠のそばの暗い穴蔵に入ると石臼があったのでそれを持って出てき
ました。すると老人が「それはなんでも欲しいものが出てくる石臼じゃ。右に回すと欲しいも
のが出て、左に回すと止まるんじゃよ。」と言って、姿を消してしまいました。
弟さまは夢を見ているような、からかわれているような気がしたのですが、石臼を家に持って
帰り、さっそく「米、出ろ。米、出ろ。」と言って石臼を回すと、驚いたことに、米がどんどん
出てきたではありませんか。こうして弟は裕福な長者になり、ほかの貧しい人たちにも石臼から
出てきたものを分け与えていました。
弟さまが急に長者になったことを不思議に思った兄さま、その秘密をかぎつけて石臼を盗み出し、
船に乗って海を越えて向こうの国で大金持ちになろうと思いました。弟さまの家から持ってきた
饅頭を食べたあと、塩が欲しくなり、さっそく石臼を回して塩を出したが、止め方を知らなかっ
たので、臼から塩がどんどんと出てきて、ついに船は塩の重さで沈んでしまいました。
今でも石臼は海の底で塩を出し続けていると。
以上、『まんが日本昔ばなし』「塩ふきうす」より
nihon.syoukoukai.com > ... > お話データベース > 東北地方 > 岩手県
さて、この「塩吹き臼」のお話、先ほども書きましたように似たお話が他にもあるのですが、当ブログ
ではもう一話、新潟県の「山北町」に伝わる「塩吹く臼」をご紹介させていただきます。
方言で語られる昔話。肉声を聞いてみたくなってしまいます。
また、このお話への「コメント」も興味深く思われますので、ご興味のおありの方は、次の『妖怪通信』
のURLにアクセスをよろしくお願いいたします。(『妖怪通信』って、素敵なネーミングですね。)
www.rg-youkai.com/tales/ja/15_niigata/12_usu.html
この「塩吹き臼」のお話、どうやら中国から日本に伝わったらしいのですが、この点につきましては回を
改めてご紹介したいと思っています。
そうそう、昔話で思い出したのですが、桃から生れた桃太郎が成長して「鬼たいじ」に出かけていくお話は
有名ですが、そのとき身に付けていったのは「きび団子」でした。このお団子もきっと「臼」で作ったもの
ではないでしょうか。この「きび団子」につられてイヌ・サル・キジが桃太郎のお供をしたのはいうまでも
ありませんから、このお話で臼ときび団子はお供をしたイヌ、サル、キジ同様、とても重要な役割をしてい
るわけです。まあ、「食べ物」で他人を釣るのは、どこかの「〇〇情報」に参加されているブロガーさんたち
と同じで可笑しすぎるのですが、「月とスッポン」「雲泥の差」。
まあ、それはともかく、桃太郎たちに退治されてしまう鬼たち。この鬼たちも、なかなか素敵なキャラクター
ですが、桃太郎に登場する鬼たちは頭に角(つの)が生えていて、腰には虎の毛皮を巻いていました。
一体どうしてなんだろうと思うと、「鬼」っていわゆる「十二支」の「丑寅(うしとら)」の方角にいるから
なのですね。だからこそ頭に牛の角があり、虎の毛皮を腰にまとっているというわけなんだそうです。つまり
「鬼たち」は「丑寅」、つまり「北東」の方角に生存していたわけで、これがいわゆる「鬼門」と呼ばれる方
角です。紫禁城を中心として北京の「丑寅」の方角にはいったい何が生存しているのでしょうか。21世紀の現
在も「鬼たち」が跳梁跋扈しているのでしょうか?
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