答え。
哪吒(なた)さま、だよ。
(文字化けするかもしれないから書いておくと、「な」は「口へん」に「那」、
「た」は「口へん」に「宅」のウかんむりを取ったもの。)
哪吒さまにまつわるお話には、いろいろあるんだ。
ここではその内の二話、しかもホントはもっと長い話なんだけど、ポイントだけ
ご紹介しておくね。
昔、北京は一面苦い潮水の海で、「苦海幽州」と呼ばれていたんだ。
そのころ苦海一帯を支配していたのは竜王とその家族。じゃあ、人間たちは
どうしていたかというと、西や北の山の上に逃げ込んで、苦しい毎日を送っ
ていたんだ。
それからどれほどの年月が経ったか分からないけど、赤いあわせの上着に短
いズボンをはいた“哪吒”と呼ばれる男の子があらわれた。
その哪吒と呼ばれる男の子の強いのなんのってありゃしない。竜王とその息子
たちに勝負を挑み、九九の八十一日ものあいだ戦った末に、ついに竜王たちを
やっつけてしまったんだよ。すごいだろ!!
そしたら、なーんと!! 苦海一帯から水が引きはじめ、次第に大地があらわれて
きたじゃないか。
哪吒少年は、そこらじゅうにあいていた潮水の吹き出し穴をふさぎ、竜王とその
奥さんをいちばん大きな穴の中に閉じ込め、その上に大きな白い塔を築き、竜王
夫婦をその白い塔の下に封じ込めてしまったんだ。
すると苦海幽州の潮水はあれよあれよと引いて、もう苦海と呼ばれず、“幽州”と
だけ呼ばれるようになったそうだよ。
その後、次第に人々が家を建てて住み着くようになって、次第に町ができたという
わけなんだな。その後、いろいろ紆余曲折を経て、北京城ができあがるんだよ。
もう1話。
ある帝が、北京城を築こうと思い立ったんだ。
でも北京は「苦海幽州」と呼ばれるところで、しかも、あちこちに実に手ごわい竜
たちが住みついていたんだそうだ。
そこで帝は、これは!! と思われる二人の軍師を城造りにつかわした。二人とももちろん
優れた軍師だったけど、竜たちにも手出しのできない北京城を築くにはどうしたらよい
やら、困った、困った。
二人があれこれ思い悩んでいると、ある時、赤いあわせの上着に短いズボンをはいた男
の子が、彼らの耳に「おいらソックリに画かなくちゃ、だめだよ」と言って、城造りの
ためのヒントを授けるんだけど、その男の子が竜たちなんぞ退治してしまう「八本腕の
哪吒さま」と呼ばれる男の子だったんだ。
そのことに気付いた二人は、もちろん「八本腕の哪吒さま」ソックリに北京城の設計図
を描いたよ。
たとえば、
正陽門(前門)は、哪吒さまの頭、
正陽門の甕城の東西の門は、哪吒さまの耳、
正陽門内の二つの井戸は、哪吒さまの目、
正陽門の東の崇文門・東便門、東側の朝陽門・東直門は、哪吒さまの右半身の四本の腕、
正陽門の西の宣武門・西便門、西側の阜成門・西直門は、哪吒さまの左半身の四本の腕、
そして、肝心の皇城は、哪吒さまの五臓、
という風にね。
上の二つの話しを読むとわかるけど、哪吒さまは、北京にとっての救い主なんだね。
守護神の一人と言っても、いいね。
なお、哪吒さまは、四天王の一つ・毘沙門天の息子なので、哪吒太子とも呼ばれてい
るけど、それが道教に取り入れられ、民間説話の主人公としてより一層多くの人たち
に親しまれるようになったんだ。(さらにルーツを遡ると毘沙門天父子はもともとはイ
ンド神話の神様だったそうだよ。)
今回ご紹介した伝説は金受申さんが整理した『北京的伝説』を日本語に訳した『北京
の伝説』(村松一弥訳・平凡社)を参考にしていることをお断りしておきます。
2016年 年末のご挨拶
ブログの更新も今年はこの記事が最後となりました。
今年一年、当ブログをご覧下さった皆さん
ありがとうございました。
どうぞ皆様、良いお年をお迎えください。
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哪吒(なた)さま、だよ。
(文字化けするかもしれないから書いておくと、「な」は「口へん」に「那」、
「た」は「口へん」に「宅」のウかんむりを取ったもの。)
哪吒さまにまつわるお話には、いろいろあるんだ。
ここではその内の二話、しかもホントはもっと長い話なんだけど、ポイントだけ
ご紹介しておくね。
昔、北京は一面苦い潮水の海で、「苦海幽州」と呼ばれていたんだ。
そのころ苦海一帯を支配していたのは竜王とその家族。じゃあ、人間たちは
どうしていたかというと、西や北の山の上に逃げ込んで、苦しい毎日を送っ
ていたんだ。
それからどれほどの年月が経ったか分からないけど、赤いあわせの上着に短
いズボンをはいた“哪吒”と呼ばれる男の子があらわれた。
その哪吒と呼ばれる男の子の強いのなんのってありゃしない。竜王とその息子
たちに勝負を挑み、九九の八十一日ものあいだ戦った末に、ついに竜王たちを
やっつけてしまったんだよ。すごいだろ!!
そしたら、なーんと!! 苦海一帯から水が引きはじめ、次第に大地があらわれて
きたじゃないか。
哪吒少年は、そこらじゅうにあいていた潮水の吹き出し穴をふさぎ、竜王とその
奥さんをいちばん大きな穴の中に閉じ込め、その上に大きな白い塔を築き、竜王
夫婦をその白い塔の下に封じ込めてしまったんだ。
すると苦海幽州の潮水はあれよあれよと引いて、もう苦海と呼ばれず、“幽州”と
だけ呼ばれるようになったそうだよ。
その後、次第に人々が家を建てて住み着くようになって、次第に町ができたという
わけなんだな。その後、いろいろ紆余曲折を経て、北京城ができあがるんだよ。
もう1話。
ある帝が、北京城を築こうと思い立ったんだ。
でも北京は「苦海幽州」と呼ばれるところで、しかも、あちこちに実に手ごわい竜
たちが住みついていたんだそうだ。
そこで帝は、これは!! と思われる二人の軍師を城造りにつかわした。二人とももちろん
優れた軍師だったけど、竜たちにも手出しのできない北京城を築くにはどうしたらよい
やら、困った、困った。
二人があれこれ思い悩んでいると、ある時、赤いあわせの上着に短いズボンをはいた男
の子が、彼らの耳に「おいらソックリに画かなくちゃ、だめだよ」と言って、城造りの
ためのヒントを授けるんだけど、その男の子が竜たちなんぞ退治してしまう「八本腕の
哪吒さま」と呼ばれる男の子だったんだ。
そのことに気付いた二人は、もちろん「八本腕の哪吒さま」ソックリに北京城の設計図
を描いたよ。
たとえば、
正陽門(前門)は、哪吒さまの頭、
正陽門の甕城の東西の門は、哪吒さまの耳、
正陽門内の二つの井戸は、哪吒さまの目、
正陽門の東の崇文門・東便門、東側の朝陽門・東直門は、哪吒さまの右半身の四本の腕、
正陽門の西の宣武門・西便門、西側の阜成門・西直門は、哪吒さまの左半身の四本の腕、
そして、肝心の皇城は、哪吒さまの五臓、
という風にね。
上の二つの話しを読むとわかるけど、哪吒さまは、北京にとっての救い主なんだね。
守護神の一人と言っても、いいね。
なお、哪吒さまは、四天王の一つ・毘沙門天の息子なので、哪吒太子とも呼ばれてい
るけど、それが道教に取り入れられ、民間説話の主人公としてより一層多くの人たち
に親しまれるようになったんだ。(さらにルーツを遡ると毘沙門天父子はもともとはイ
ンド神話の神様だったそうだよ。)
今回ご紹介した伝説は金受申さんが整理した『北京的伝説』を日本語に訳した『北京
の伝説』(村松一弥訳・平凡社)を参考にしていることをお断りしておきます。
2016年 年末のご挨拶
ブログの更新も今年はこの記事が最後となりました。
今年一年、当ブログをご覧下さった皆さん
ありがとうございました。
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