北京・胡同窯変

北京。胡同歩きが楽しい。このブログは胡同のあんな事こんな事を拙文と写真で気ままに綴る胡同お散歩日記です。本日も歩きます。

第127回 北京の胡同・ 前回「これ、だーれだ?」(その2)の答え

2016-12-29 16:35:40 | 北京・胡同散策
答え。

哪吒(なた)さま、だよ。

(文字化けするかもしれないから書いておくと、「な」は「口へん」に「那」、
「た」は「口へん」に「宅」のウかんむりを取ったもの。)

哪吒さまにまつわるお話には、いろいろあるんだ。
ここではその内の二話、しかもホントはもっと長い話なんだけど、ポイントだけ
ご紹介しておくね。

昔、北京は一面苦い潮水の海で、「苦海幽州」と呼ばれていたんだ。
そのころ苦海一帯を支配していたのは竜王とその家族。じゃあ、人間たちは
どうしていたかというと、西や北の山の上に逃げ込んで、苦しい毎日を送っ
ていたんだ。

それからどれほどの年月が経ったか分からないけど、赤いあわせの上着に短
いズボンをはいた“哪吒”と呼ばれる男の子があらわれた。

その哪吒と呼ばれる男の子の強いのなんのってありゃしない。竜王とその息子
たちに勝負を挑み、九九の八十一日ものあいだ戦った末に、ついに竜王たちを
やっつけてしまったんだよ。すごいだろ!!

そしたら、なーんと!! 苦海一帯から水が引きはじめ、次第に大地があらわれて
きたじゃないか。

哪吒少年は、そこらじゅうにあいていた潮水の吹き出し穴をふさぎ、竜王とその
奥さんをいちばん大きな穴の中に閉じ込め、その上に大きな白い塔を築き、竜王
夫婦をその白い塔の下に封じ込めてしまったんだ。

すると苦海幽州の潮水はあれよあれよと引いて、もう苦海と呼ばれず、“幽州”と
だけ呼ばれるようになったそうだよ。

その後、次第に人々が家を建てて住み着くようになって、次第に町ができたという
わけなんだな。その後、いろいろ紆余曲折を経て、北京城ができあがるんだよ。


もう1話。

ある帝が、北京城を築こうと思い立ったんだ。
でも北京は「苦海幽州」と呼ばれるところで、しかも、あちこちに実に手ごわい竜
たちが住みついていたんだそうだ。

そこで帝は、これは!! と思われる二人の軍師を城造りにつかわした。二人とももちろん
優れた軍師だったけど、竜たちにも手出しのできない北京城を築くにはどうしたらよい
やら、困った、困った。

二人があれこれ思い悩んでいると、ある時、赤いあわせの上着に短いズボンをはいた男
の子が、彼らの耳に「おいらソックリに画かなくちゃ、だめだよ」と言って、城造りの
ためのヒントを授けるんだけど、その男の子が竜たちなんぞ退治してしまう「八本腕の
哪吒さま」と呼ばれる男の子だったんだ。

そのことに気付いた二人は、もちろん「八本腕の哪吒さま」ソックリに北京城の設計図
を描いたよ。

たとえば、

正陽門(前門)は、哪吒さまの頭、
正陽門の甕城の東西の門は、哪吒さまの耳、

正陽門内の二つの井戸は、哪吒さまの目、

正陽門の東の崇文門・東便門、東側の朝陽門・東直門は、哪吒さまの右半身の四本の腕、
正陽門の西の宣武門・西便門、西側の阜成門・西直門は、哪吒さまの左半身の四本の腕、

そして、肝心の皇城は、哪吒さまの五臓、

という風にね。

上の二つの話しを読むとわかるけど、哪吒さまは、北京にとっての救い主なんだね。
守護神の一人と言っても、いいね。

なお、哪吒さまは、四天王の一つ・毘沙門天の息子なので、哪吒太子とも呼ばれてい
るけど、それが道教に取り入れられ、民間説話の主人公としてより一層多くの人たち
に親しまれるようになったんだ。(さらにルーツを遡ると毘沙門天父子はもともとはイ
ンド神話の神様だったそうだよ。)

今回ご紹介した伝説は金受申さんが整理した『北京的伝説』を日本語に訳した『北京
の伝説』(村松一弥訳・平凡社)を参考にしていることをお断りしておきます。

2016年 年末のご挨拶

ブログの更新も今年はこの記事が最後となりました。
今年一年、当ブログをご覧下さった皆さん
ありがとうございました。

どうぞ皆様、良いお年をお迎えください。



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第125回 通州・小営房(胡同) 清の軍隊駐屯地があった場所

2016-12-24 20:00:51 | 通州・胡同散歩
小営房(胡同)。

以前ご紹介した「頭条胡同」の東端少し手前から南方向に走る路地。その路地の
東側一帯が「小営房(胡同)。


(写真向かって左側一帯が「小営房」。)

清代、この胡同は軍隊の駐屯地でした。その駐屯地の名は「東営房」。これは通州城内西側
にあった駐屯地と対を成していました。時代が変わり1913年前後に一般住民の住む胡同が形
成されたようです。

下の写真は光緒九年(1883年)の旧通州城地図の一部。「東営房」「西営房」の名を確認する
ことが出来ます。





さて、一枚目の写真を撮ったのは本年2016年12月上旬ですが、下の写真は3年前の11月中旬。



この下の写真を見て、ビックリ。右側に写っているのは、なんと「頭条胡同」で伝書鳩を
30羽飼い、お茶をご馳走してくださったDさんではありませんか。
3年前に出会っていたことなんて、私も忘れていたし、Dさんも忘れていたようです。

当時は胡同を歩いていても地元の方と知り合いになる心のゆとりなど全くありません
でした。今振り返ると、当時、胡同で出会ったいろいろな方ともっと知り合いになって
おけばよかったなぁと反省しています。

時間を三年後に戻し、胡同歩き続行。


前方からワンちゃんがやってきます。


しばしワンちゃんと遊んでしまいました。

ワンちゃんと遊んでいる場合ではありません。



下の写真の左手前のお宅の壁。


3年前は壁に屋根からヘチマが下がっていて、印象に残っています。







このヘチマのお宅から前へ。気分を変えて本年11月上旬に写した写真をアップして
みました。この頃はまだ緑があり、日の傾くのがゆっくりでした。


左手前のお宅の角を左に曲がります。






上の写真の左のお宅。他日に撮った次の写真をご覧ください。



ちょうどよく3年前の写真がありましたのでアップしておきます。


当時は、一番手前にはどなたも住んでいなかったようです。
ずいぶん年季が入っていて個人的にはお気に入りの建物でした。「いつごろ建てられたん
だろう」「窓の形がおもしろいなぁ」「建てかえられてしまうだろうな、きっと」。そん
な興味や予感とともに写真を撮ったのを今でもはっきり覚えています。



現在の窓は次の通り。


この界隈で多く見られるようになった白い窓枠。寒さ対策でしょうか、以前に比べ
小振りになっています。

さらに進み、



突き当りを右へ。



物置は変わりませんが、道路が舗装されているためか3年前とは印象がだいぶ違っています。









突き当りを右に曲がる。そんなことは分かっているのに、なぜかここに来ると方向感覚に狂いが
生じ、自分が一体どこにいるのか位置づけが出来ず、一瞬迷路にでも迷い込んでしまったような
錯覚に陥ってしまいます。





ご覧になってもお分かりのようにこの界隈のお宅はすっかり建てかえられています。






左側のお宅の妻側の壁に吉祥紋様の「梅」。









突き当りを右に曲がり、まっすぐ行くと出発地点に戻ります。

出発地点に戻ってしまうと言えば、老舎の『駱駝祥子』に胡同の特徴の一つを描いた
こんな一節があり、しかもその胡同のあり方が彼が虎妞(フーニユ)との関係について
あれこれ考えを巡らす場面に登場している点が、実に興味深く思われます。訳として、
立間祥介、中山高志お二人のものを挙げておきました。

他還記得初拉車的時候、摹仿着別人、見小巷就鉆、𤔡是抄点近児、而誤入了羅圈胡同:
繞了個圈児、又繞回到原街。(「十」より)

訳「彼は車引きをはじめた当座、近道をしようというので、見よう見まねで盲めっぽう
に横町にとびこみ、それがなかで、ぐるりと曲がっていて、でてみたらなんのこと
はない、はいったところだった、ということがあつた・・・。」(立間祥介訳・岩波
文庫)

訳「彼の記憶にまだありありと残っていることだが、最初車を引いた時分人のまねを
して、小さな路地を見ると少しでも近道になるだろうと思って、すぐにも跳び込ん
で行ったものだ。たいていは袋小路で、ぐるぐる回るだけ回ってまた元の所へ出て
くるのだった。」(中山高志訳・白帝社)







下の写真に鳥籠が写っていますが、このお宅は以前ご紹介した「南二条(胡同)」の東端に
あったお宅です。



上の写真を撮ってからほぼ一週間後の11月下旬、他の胡同を歩いた帰りに再びこの胡同を訪れて
みました。すると胡同(の景観)を守ろうとしている方たちに遭遇。このお二人はこの界隈の住民
の方たち。








荷物を積んだ三輪車をひき、このように一軒一軒回って歩いていらっしゃるんですねぇ。
なお、手前のうしろ姿の方はこの胡同の方。一番奥の男性はこの界隈担当の清掃員の方です。

作業もひと段落したようで、世間話に花が咲き始めました。



かつてこの胡同は旧通州城を守備するために清の軍隊が駐屯していた場所。
21世紀の今、女性たちがこの胡同を守っています。

帰宅途中の南二条を歩いていると空から鳩笛の音が降ってきました。
頭条胡同にお住まいのDさんが大切に育てている伝書鳩たちであることは言うまでもありません。




 
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第124回 北京の胡同・「なに踊ってんの?」

2016-12-21 12:11:34 | 北京・胡同散策
北京の胡同を歩いていて見かけた踊り。

広場踊りじゃないよ。
だって、ここは胡同なんだから!!



たとえどんなに大気汚染がひどくても、いつもめげずに踊ってる。

みんなも元気を出して踊ってみて。



(脚の上がり方がスゴイよね。で、いったい誰なの?)

 
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第123回 北京の胡同・前回「これ、だぁーれだ?」の答え

2016-12-17 19:30:18 | 北京・胡同散策
もう分かっていると思うけど、答え。

みんな大好き兎児爺だよ。

むかし北京で疫病が流行ったんだ。それを見かねた嫦娥(じょうが)という月の女神が
地上に送り、北京っ子たちを疫病から救ったのが、“兎児爺(トゥールイエ)”なんだ。


(写真は北京・首都博物館にて。子供たちの作った“兎児爺”)

日本では月でウサギが餅をついていると言うけど、むかしの中国の人たちは月でウサギ
が薬(仙薬・不老不死の薬など。「竹取物語」にも出てくるね)をついていると考えた。
このウサギを「玉兎」と呼ぶんだけど、この「玉兎」が少女に姿を変え、時に馬にまた
がり、時に獅子などの動物に乗って疫病にかかった北京っ子たちを救って歩いたと言わ
れているよ。その時の薬が姿を変えて今に伝わるのが月餅だという説もあるんだ。

この兎は、つくづく北京っ子たちの大恩人なんだね。

そして、“兎児爺”は、月からやって来たという意味で宇宙的規模の護符と呼んで
良いかもしれない。可愛らしい人形だけど、スケールがとっても大きいんだ。


(撮影は同上)

そうそう、「爺」という言葉が付いてるのは尊称なんだけど、「玉兎」が姿を変えた少女が
虎やゾウなどいろいろな動物に乗っているのには、きっと深ーい意味があるんだろうなぁ。
みんなも考えてみて。


(撮影は同上)

大気汚染からも守ってくれたら いいよネ。


 
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