北京・胡同窯変

北京。胡同歩きが楽しい。このブログは胡同のあんな事こんな事を拙文と写真で気ままに綴る胡同お散歩日記です。本日も歩きます。

第40回 紫竹庵胡同5・門墩(mendun)の静かな日々。

2015-08-11 08:13:01 | 通州・胡同散歩
平屋の集合住宅のゲートを後にすると、目の前に、静かで、まったりとした時間が
のびています。




歩き始めて右側には門墩(mendun)のある家。




正面。




門墩(mendun)。



門墩(mendun)は、決してこれ見よがしの素振りをしたり、ましてや声高に語ることも
しませんが、こちらが耳を傾けるといろいろな声が聞こえてきます。




胡同を歩いていると時に出遭う、「獅子」や「獣吻」の頭、彫り飾りが乱暴にも削り取られ、
中にはセメントで覆い隠されてしまっている門墩。門墩は文化大革命時に破壊の対象の一つ
でした。(もっとも写真のものがそうだ、というわけではありませんが。)



ちなみに、門墩は単なる装飾品ではなく、敷居・柱・扉を支えるための建築部材なのです。


去る6月中旬。



再び紫竹庵を訪れると、門墩はやはりその日も静かにその役目を果していました。

 
   
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第39回 (限定豪華追加版)紫竹庵胡同4・「のようなもの」(プラス「北京・華康里」)。

2015-08-08 10:05:44 | 通州・胡同散歩
胡同ファンのみなさまへ

此の度、世界中の胡同愛好家のためだけに『第39回紫竹庵胡同4・「のようなもの」』に北京外城の
「華康里」の写真を数枚追加いたしました。嬉しい方は・・・泣いてください。(--;)
2015年8月10日記 満腹楼拝



光と影が揺れていたアパートのレンガ塀の前には、一見すると何かの工場かとおぼしきゴツイ建物。


本年4月23日撮影。


角度を変えて。


本年1月22日撮影。



本年6月18日撮影。


ひょっとして、かつては何かの工場だったのかもしれません。でも、ここは平屋の集合住宅なのです。

ゲートがあります。


1月撮影。



6月撮影。


この平屋の集合住宅に似た形式の建物群は、かつて当ブログで紹介したことがあるのですが、
あえて確認の意味で再掲させていただくと次の通りです。


これは、回民胡同を歩いた時のもので、通州供電の社宅アパートの敷地内で見かけたもの。
写っているワンちゃんがテコでも動きませんでした。


次は、劉菜園で写したもの。
ここもどこかの社宅かなと思っているのですが、いまだ未確認。



次は、上の路地の奥から撮影したものです。




実際に見ると上の三箇所の集合住宅には、すぐに気付く共通点があります。それは、路地が
南北方向に伸びていて、その路地に沿って玄関があり、間口が同じで、東西方向に長い同形の
建物が南北に並んでいることです。違いを言えば、回民胡同と劉菜園の場合、建物と建物の間
にちょっとした中庭があるのに対して、紫竹庵の場合は中庭はなく、日本の長屋のように各家
がつながっていて、しかもその高さが低いことです。

これらの集合住宅を実際に見た時、「平屋の里弄(lilong)かな?」などといったんは思ったものの、
里弄(lilong)という言葉の定義も曖昧なまま、はたしてこの言葉を使ってよいものやら、ちょっと
ためらいを覚え、だから今も、これらの建物のことを一人こっそり「里弄のようなもの」と呼んで
います。


紫竹庵の平屋の集合住宅を見た後、続けて写真を撮っていると、顔見知りのワンちゃんが陽射しを
避けるようにして散歩中。



「あれって里弄でありますか?」
相手が相手なのでさすがに聞くに聞けず、かわりと言ってはなんですが写真を撮らせてもらいました。
胡同はワンちゃんにとっても安心して散歩のできる、気が置けない場所のようでした。



<豪華おまけ「北京・華康里」>

北京でも見かける平屋の集合住宅。雑院化した四合院とも多層のアパートともひと味違う、北京を
語る時見逃すことのできない建物群である。





正面は二層の西洋風。



もとの名は、「平康里」。民国十九年(1930)以後「華康里」と呼ばれるようになったそうです。
そして、ここはもと「妓院」であったとか・・・。



アーチ型の西洋風ゲートをくぐると正面の建物とは趣のまったく異なる平屋の住宅が並んでいます。



平屋の集合住宅と正面の西洋風建物というまったく異質な建物がどのような理由で並存するように
なったのか。私にとっての興味の焦点になっています。



「華康里」。その文字が私には眩しすぎる。
    

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