参ったなぁ、前回ご紹介しました“合順居飯館”に負けず劣らず底光りのするオーラを放つ、いい
雰囲気の物件がありました。
「もとはいったい何だろう?」。
胡同関係の本などには取り上げられておりませんが、注目に値する物件なのではと愚考しており
ます。
すぐ近くには改築中のお宅。
中を覗くと、どうやら改築がこれから始まるといった状況で、関係者の方たちが歓談中といった
ところでした。
現在、天橋地区では、旧時代の外観を残しつつ、内部をモダンな住居に改築推進中なのです。
上の写真のお宅の東側には、わたしを誘惑してやまない、いい雰囲気の細い路地がありましたが、
今回は省略して先に進みます。
日除けのようなものが道に架け渡してあります。
日除けの真下に入って上を見上げると、電灯設備の部品のようなものが取り付けられている
ではありませんか。
「電灯設備か?」
そんなことを考えながら体勢をもとに戻して、左手のお宅の玄関脇をふと見ると、
参ったなぁ、今度は円い鏡が目の中に飛び込んできたではありませんか。
「鏡よ、鏡よ、鏡さん。どうしてあなたは魔除けなの?」
どうして鏡が魔除けになるのか、中国の人々に、鏡が魔除けの道具として使われだしたのは
いつごろのことなのか分かりませんが、鏡が魔物、化け物の正体を暴き、退散させる神秘的
な力を持つことを示す例を次に挙げておきます。引用は、仙人になるための必読書、葛洪(
284-364)の『抱朴子』より。
“林慮山の麓にひとつの亭があり、そこには鬼が棲んでいて、泊まる者は死んだり
病気になったりした。毎夜数十人の人がおり、男であったり女であったり、着て
いる物の色は、黄あるいは白、あるいは黒であった。後に伯夷という者がここに
泊まった。彼が燈燭を明らかにして坐して経を誦みしに、夜半、十餘人の人が来
て、伯夷と対座し、自らともにばくちを打った。伯夷密かに鏡でこれらの人たち
を照らすと、すなわち犬であった。伯夷は燭を取って立ち上がり、間違ったふり
をして彼らの着ているものを焼くと、毛の焦げるにおいがした。伯夷は、小刀を
懐にし、一人を捉えて刺すと、初めは人間の叫び声をあげたが、死ぬと犬になっ
た。ほかの犬もことごとく逃げ去り、遂に怪事の絶ったことは、鏡の力である。”
魔除けの鏡を後にすると、ありました。
「華清館妓院」の経営者、黄樹卿が住んでいたという27号院。
もちろん、写真をご覧になってもお分かりのように、現在の27号院が当時のままということ
はありません。
写真ではよく分からないかもしれませんが、27号院の前面の部分が建て増しされていて、上
の写真でいいますと、建て増しされた部分の背後、屋根の背後に注目していただけると、旧
時の建物の面影を見つけることができるのでは。
なお、この27号院の東側には「四勝胡同」という一本の路地があり、そこは昔“四聖廟”と
いう名。黄樹卿が「華清館妓院」の数軒を開いていた場所でもありました。
上の写真右手のお宅は28号院。黄樹卿の経営する妓院は28号にもありました。
もちろん、現在の28号院は27号院の場合と同じく、旧時のままということはありません。
やはり、こちらのお宅もその前面の部分が建て増しされているようです。
28号院の斜め前には、年代物の宅門。
やはり年代物の宅門がありました。
ちょっと見ただけでは見逃してしまうかもしれません。しかし、この胡同を注意して探して
みると旧時の面影を今に伝える素敵な細部にたくさん出会えるんじゃないか、そんな気がい
たします。
さて、前回は北京における妓院ならびに妓女について触れました。そこで、今回は胡同関係の本
によって、大柵欄地区の胡同の中から、妓院が多くあったといわれる胡同を等級別に書き抜いて
みました。ご興味をお持ちの方はご覧ください。なお、大柵欄地区とは、珠子口西大街の北側に
位置し、前門大街以西、前門西大街以南、南新華街以東の地域を指しています。
〇一等妓院(清吟小班)が多くあった胡同名(以下同じ) 4本
韓家潭(現名、韓家胡同)、百順胡同、陕西巷、胭脂胡同。
〇二等妓院(茶室) 5本
小李紗帽胡同(現在、小力胡同)、朱家胡同、朱茅胡同、燕家胡同、石頭胡同。
〇三等以下(下処、小下処) 7本
王広福斜街(現名、棕樹斜街)、皮条營(現名、東壁営胡同)、王皮胡同、蔡家胡同、
博興胡同、火神廟夹道(現名、青風夹道)、留守衛(下の※を参照)。
※「留守衛」について:現在この地名はなく、場所としては「朱家胡同」南端から東側にかけての
一部分であったと思われます。
※胡同関係の本によっては、“万福巷”にも多くの妓女が集住していた旨が記されていましたが、
これらの妓女がどの等級の妓院に属していたのか不明であったため、ここでは省略といたしまし
た。
ご参考に北京の妓院についての民国18年に行なわれた調査結果の一部を書きますと次の通りです。
一等妓院(清吟小班)の合計45軒、妓女328人。最多は「韓家胡同」で、次は「百順胡同」と「陕西巷」。
二等妓院(茶室)の合計60軒、妓女528人。最多は「石頭胡同」で、次は「朱茅胡同」。
朱家胡同45号院。「臨春楼」二等妓院(茶室)。現在は保護の対象になっています。
一等妓院や二等妓院は、門の上に名前が記され、規模も大きく、二層のものがほとんど。
しかし、三等、四等になりますと普通の民居と同じく平屋で敷地面積も狭く、名前も書かれていない
ことが多く、そのため、現在、胡同を歩いていても見逃してしまい、探すのが難しくなっています。
ところで、大柵欄の妓院といえば、“八大胡同”という言葉が頭をよぎります。そこで、ついでといっ
ては何ですが、のちほどこの“八大胡同”についても簡単に触れておきました。
“八大胡同”、そこは北京において妓院、妓女で賑わった場所の代名詞。
それならば、かつて妓女たちの脂粉でむせびかえった八大胡同とは、具体的にどの胡同を指すのか。
わたしの目に触れた範囲内での胡同関係の本の中から、以下に五種類の“八大胡同”を挙げておきました。
不備な点が多いとは思いますが、ご興味をお持ちの方はご覧ください。
なお、★印一つは、一等妓院の多かった胡同を示し、以下二等、三等以下となっています。
例1
1、韓家潭(現名、韓家胡同)★ 2、百順胡同★ 3、陕西巷★ 4、小李紗帽胡同(現名、小力胡同)★★
5、朱茅胡同★★ 6、石頭胡同★★ 7、王広福斜街(現名、棕樹斜街)★★★
8、留守衛(上述の※を参照)★★★
例2
1、韓家潭(現名、韓家胡同)★ 2、百順胡同★ 3、陕西巷★ 4、小李紗帽胡同(現名、小力胡同)★★
5、胭脂胡同★ 6、石頭胡同★★ 7、王広福斜街(現名、棕樹斜街)★★★
8、皮条營(現名、東壁営胡同)★★★
例3
1、韓家潭(現名、韓家胡同)★ 2、百順胡同★ 3、陕西巷★ 4、小李紗帽胡同(現名、小力胡同)★★
5、胭脂胡同★ 6、石頭胡同★★ 7、朱家胡同★★ 8、王広福斜街(現名、棕樹斜街)★★★
例4
医者として1938年(民国27年)から数年間北京在住体験をお持ちで、その時に老舎『駱駝祥子』の翻訳を
手がけた中山高志さんの「訳者補注」には、次の八本の胡同名が挙げられています。
1、石頭胡同★★ 2、陕西巷★ 3、韓家潭(現名、韓家胡同)★ 4、朱家胡同★★
5、柳樹衛(下の※を参照)★★★ 6、朱茅胡同★★ 7、王広福斜街(現名、棕樹斜街)★★★
8、燕家胡同★★
※「柳樹衛(liushuwei」について:現在この地名はなく、断定はできませんが、音の似ている
「留守衛(liushouwei」のことかと思われます。
例5
清末から民国初め、こんな歌があったそうです。
“八大胡同自古名、陕西巷百順石骰城、韓家潭畔弦歌雑、王広斜街灯火明。
万佛寺前車輻輳、二条營外路縦横、貂裘豪客知多少、簇簇胭脂坡上行。”
ここで挙げられている胡同は、次の八本だといわれています。
1、陕西巷★ 2、百順胡同★ 3、石頭胡同(下の※を参照)★★ 4、韓家胡同★
5、棕樹斜街★★★ 6、万福巷(★の数、不明) 7、大外廊營胡同と小外廊營胡同(★の数、不明)
8、胭脂胡同★
※「石骰」は「石頭(shitou)」と同音。
以上、五種類の“八大胡同”をご紹介いたしました。
昔日の面影を慕いつつ“八大胡同”を徘徊なさる時の伴侶(とも)としていただければ光栄です。
留学路沿い、西の出入口から東方向に歩いていきますと徐々にその道幅が狭くなっていましたが、
東の出入口にたどりつくと、道幅がだいぶ広くなったように感じます。しかし、外来のクルマが駐車
されてしまうと、廃品回収や宅急便の三輪車や歩行者はそのたびに立ち往生せざるをえない状態。
双喜文字がありました。
趙錐子胡同をふくめ、この界隈の胡同は新しい時代を迎えようとしています。写真左手の通りは
“鋪陳市胡同”。わたしが通りかかった時には改装真っ最中でした。
クルマが去り、もとの静かな胡同に。
今は昔、この胡同ならびにこの界隈の胡同には、黄樹卿の営んでいた「華清館妓院」をふくめ、三等以下の
妓院が多くあったそうです。次回はそのひとつ、趙錐子胡同沿いの現名“四勝胡同”にお付き合いいただき
ます。
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雰囲気の物件がありました。
「もとはいったい何だろう?」。
胡同関係の本などには取り上げられておりませんが、注目に値する物件なのではと愚考しており
ます。
すぐ近くには改築中のお宅。
中を覗くと、どうやら改築がこれから始まるといった状況で、関係者の方たちが歓談中といった
ところでした。
現在、天橋地区では、旧時代の外観を残しつつ、内部をモダンな住居に改築推進中なのです。
上の写真のお宅の東側には、わたしを誘惑してやまない、いい雰囲気の細い路地がありましたが、
今回は省略して先に進みます。
日除けのようなものが道に架け渡してあります。
日除けの真下に入って上を見上げると、電灯設備の部品のようなものが取り付けられている
ではありませんか。
「電灯設備か?」
そんなことを考えながら体勢をもとに戻して、左手のお宅の玄関脇をふと見ると、
参ったなぁ、今度は円い鏡が目の中に飛び込んできたではありませんか。
「鏡よ、鏡よ、鏡さん。どうしてあなたは魔除けなの?」
どうして鏡が魔除けになるのか、中国の人々に、鏡が魔除けの道具として使われだしたのは
いつごろのことなのか分かりませんが、鏡が魔物、化け物の正体を暴き、退散させる神秘的
な力を持つことを示す例を次に挙げておきます。引用は、仙人になるための必読書、葛洪(
284-364)の『抱朴子』より。
“林慮山の麓にひとつの亭があり、そこには鬼が棲んでいて、泊まる者は死んだり
病気になったりした。毎夜数十人の人がおり、男であったり女であったり、着て
いる物の色は、黄あるいは白、あるいは黒であった。後に伯夷という者がここに
泊まった。彼が燈燭を明らかにして坐して経を誦みしに、夜半、十餘人の人が来
て、伯夷と対座し、自らともにばくちを打った。伯夷密かに鏡でこれらの人たち
を照らすと、すなわち犬であった。伯夷は燭を取って立ち上がり、間違ったふり
をして彼らの着ているものを焼くと、毛の焦げるにおいがした。伯夷は、小刀を
懐にし、一人を捉えて刺すと、初めは人間の叫び声をあげたが、死ぬと犬になっ
た。ほかの犬もことごとく逃げ去り、遂に怪事の絶ったことは、鏡の力である。”
魔除けの鏡を後にすると、ありました。
「華清館妓院」の経営者、黄樹卿が住んでいたという27号院。
もちろん、写真をご覧になってもお分かりのように、現在の27号院が当時のままということ
はありません。
写真ではよく分からないかもしれませんが、27号院の前面の部分が建て増しされていて、上
の写真でいいますと、建て増しされた部分の背後、屋根の背後に注目していただけると、旧
時の建物の面影を見つけることができるのでは。
なお、この27号院の東側には「四勝胡同」という一本の路地があり、そこは昔“四聖廟”と
いう名。黄樹卿が「華清館妓院」の数軒を開いていた場所でもありました。
上の写真右手のお宅は28号院。黄樹卿の経営する妓院は28号にもありました。
もちろん、現在の28号院は27号院の場合と同じく、旧時のままということはありません。
やはり、こちらのお宅もその前面の部分が建て増しされているようです。
28号院の斜め前には、年代物の宅門。
やはり年代物の宅門がありました。
ちょっと見ただけでは見逃してしまうかもしれません。しかし、この胡同を注意して探して
みると旧時の面影を今に伝える素敵な細部にたくさん出会えるんじゃないか、そんな気がい
たします。
さて、前回は北京における妓院ならびに妓女について触れました。そこで、今回は胡同関係の本
によって、大柵欄地区の胡同の中から、妓院が多くあったといわれる胡同を等級別に書き抜いて
みました。ご興味をお持ちの方はご覧ください。なお、大柵欄地区とは、珠子口西大街の北側に
位置し、前門大街以西、前門西大街以南、南新華街以東の地域を指しています。
〇一等妓院(清吟小班)が多くあった胡同名(以下同じ) 4本
韓家潭(現名、韓家胡同)、百順胡同、陕西巷、胭脂胡同。
〇二等妓院(茶室) 5本
小李紗帽胡同(現在、小力胡同)、朱家胡同、朱茅胡同、燕家胡同、石頭胡同。
〇三等以下(下処、小下処) 7本
王広福斜街(現名、棕樹斜街)、皮条營(現名、東壁営胡同)、王皮胡同、蔡家胡同、
博興胡同、火神廟夹道(現名、青風夹道)、留守衛(下の※を参照)。
※「留守衛」について:現在この地名はなく、場所としては「朱家胡同」南端から東側にかけての
一部分であったと思われます。
※胡同関係の本によっては、“万福巷”にも多くの妓女が集住していた旨が記されていましたが、
これらの妓女がどの等級の妓院に属していたのか不明であったため、ここでは省略といたしまし
た。
ご参考に北京の妓院についての民国18年に行なわれた調査結果の一部を書きますと次の通りです。
一等妓院(清吟小班)の合計45軒、妓女328人。最多は「韓家胡同」で、次は「百順胡同」と「陕西巷」。
二等妓院(茶室)の合計60軒、妓女528人。最多は「石頭胡同」で、次は「朱茅胡同」。
朱家胡同45号院。「臨春楼」二等妓院(茶室)。現在は保護の対象になっています。
一等妓院や二等妓院は、門の上に名前が記され、規模も大きく、二層のものがほとんど。
しかし、三等、四等になりますと普通の民居と同じく平屋で敷地面積も狭く、名前も書かれていない
ことが多く、そのため、現在、胡同を歩いていても見逃してしまい、探すのが難しくなっています。
ところで、大柵欄の妓院といえば、“八大胡同”という言葉が頭をよぎります。そこで、ついでといっ
ては何ですが、のちほどこの“八大胡同”についても簡単に触れておきました。
“八大胡同”、そこは北京において妓院、妓女で賑わった場所の代名詞。
それならば、かつて妓女たちの脂粉でむせびかえった八大胡同とは、具体的にどの胡同を指すのか。
わたしの目に触れた範囲内での胡同関係の本の中から、以下に五種類の“八大胡同”を挙げておきました。
不備な点が多いとは思いますが、ご興味をお持ちの方はご覧ください。
なお、★印一つは、一等妓院の多かった胡同を示し、以下二等、三等以下となっています。
例1
1、韓家潭(現名、韓家胡同)★ 2、百順胡同★ 3、陕西巷★ 4、小李紗帽胡同(現名、小力胡同)★★
5、朱茅胡同★★ 6、石頭胡同★★ 7、王広福斜街(現名、棕樹斜街)★★★
8、留守衛(上述の※を参照)★★★
例2
1、韓家潭(現名、韓家胡同)★ 2、百順胡同★ 3、陕西巷★ 4、小李紗帽胡同(現名、小力胡同)★★
5、胭脂胡同★ 6、石頭胡同★★ 7、王広福斜街(現名、棕樹斜街)★★★
8、皮条營(現名、東壁営胡同)★★★
例3
1、韓家潭(現名、韓家胡同)★ 2、百順胡同★ 3、陕西巷★ 4、小李紗帽胡同(現名、小力胡同)★★
5、胭脂胡同★ 6、石頭胡同★★ 7、朱家胡同★★ 8、王広福斜街(現名、棕樹斜街)★★★
例4
医者として1938年(民国27年)から数年間北京在住体験をお持ちで、その時に老舎『駱駝祥子』の翻訳を
手がけた中山高志さんの「訳者補注」には、次の八本の胡同名が挙げられています。
1、石頭胡同★★ 2、陕西巷★ 3、韓家潭(現名、韓家胡同)★ 4、朱家胡同★★
5、柳樹衛(下の※を参照)★★★ 6、朱茅胡同★★ 7、王広福斜街(現名、棕樹斜街)★★★
8、燕家胡同★★
※「柳樹衛(liushuwei」について:現在この地名はなく、断定はできませんが、音の似ている
「留守衛(liushouwei」のことかと思われます。
例5
清末から民国初め、こんな歌があったそうです。
“八大胡同自古名、陕西巷百順石骰城、韓家潭畔弦歌雑、王広斜街灯火明。
万佛寺前車輻輳、二条營外路縦横、貂裘豪客知多少、簇簇胭脂坡上行。”
ここで挙げられている胡同は、次の八本だといわれています。
1、陕西巷★ 2、百順胡同★ 3、石頭胡同(下の※を参照)★★ 4、韓家胡同★
5、棕樹斜街★★★ 6、万福巷(★の数、不明) 7、大外廊營胡同と小外廊營胡同(★の数、不明)
8、胭脂胡同★
※「石骰」は「石頭(shitou)」と同音。
以上、五種類の“八大胡同”をご紹介いたしました。
昔日の面影を慕いつつ“八大胡同”を徘徊なさる時の伴侶(とも)としていただければ光栄です。
留学路沿い、西の出入口から東方向に歩いていきますと徐々にその道幅が狭くなっていましたが、
東の出入口にたどりつくと、道幅がだいぶ広くなったように感じます。しかし、外来のクルマが駐車
されてしまうと、廃品回収や宅急便の三輪車や歩行者はそのたびに立ち往生せざるをえない状態。
双喜文字がありました。
趙錐子胡同をふくめ、この界隈の胡同は新しい時代を迎えようとしています。写真左手の通りは
“鋪陳市胡同”。わたしが通りかかった時には改装真っ最中でした。
クルマが去り、もとの静かな胡同に。
今は昔、この胡同ならびにこの界隈の胡同には、黄樹卿の営んでいた「華清館妓院」をふくめ、三等以下の
妓院が多くあったそうです。次回はそのひとつ、趙錐子胡同沿いの現名“四勝胡同”にお付き合いいただき
ます。
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