第172回でご紹介した時には改修工事真っ最中だった福昌里。その後、期待しながら再び訪れて
みました。撮影は本年12月下旬。
工事関係者の方たちの姿はどこにもなく、足を踏み入れると改修の途中で工事は一時休止といった
状態でした。
前回お邪魔した時には、それぞれの玄関に「門簪」はついていなかったのですが、今回お邪魔した
時には取り付けてありました。次の写真の玄関は上の写真右手に写っているもの。
しかし、その「門簪」に第171回の永勝巷でご覧いただいたような吉祥文字は書かれておりません。
断定はできませんが、今後、書かれることが予想されます。
また、ご覧になってお分かりのように外壁に永勝巷のようなタイルも貼られておりません。やはり、
今後貼られるといってよいかもしれません。
さらに注目したいのは上の写真に写っている路面。右手に写っている玄関手前辺りから地面が新しく
なっています。これはいったい何を意味しているのか。
屋根にも新しくなった永勝巷と同じ瓦が葺かれていました。
次の写真の玄関内は、第172回で工事関係者の方たちがパイプを埋設していたところです。
やはり「門簪」が取り付けられています。
パイプの埋設工事は無事に終了。
次の写真の右側。前回の時に工事関係者の方が外壁の状態を調べていた玄関と外壁。
この胡同の北端のお宅の玄関にも「門簪」。
北端から南方向を見たこの胡同の様子です。
改修工事が終了するのは、まだまだ先のようです。
【ご報告】
第172回の福昌里に関する記事で、この胡同には昔、娘娘廟のあったことを書きましたが、その後、
『乾隆京城全図』で福昌里辺りを見ますと、現在の福昌里の東側辺りにに“真武廟”のあったこと
が判明しました。また、清の朱一新『京師坊巷志稿』を見ますと「斗姥宮 康熙三十四年建,地以宮
名。東有真武廟,西有仁壽寺,舊為昭顯廟,俱詳寺觀。」とあり、第170回でご紹介しました「斗母
宮」と今回の「真武廟」の名が載っていましたことをご報告させていただきます。
ついでに真武について簡単に書きますと、北方の守護神。玄武、玄天上帝などの別名をもっていま
す。窪徳忠さんの『道教の神々』によりますと、二十八宿の星のうちの北方の玄武すなわち斗、牛、
女、虚、危、室、壁の七宿を合わせて神格化したものなのだそうです。
真武は清代に「北極佑聖真君」に封ぜられています。
さて、『乾隆京城全図』は、清の乾隆十五年(1750年)に作成された北京の内城外城の地図ですが、
当時の北京を知る上で貴重な資料のひとつとなっています。ご興味をお持ちの方は、下のURLにアク
セスするか、当ブログのブックマークの『古都北京デジタルマップ』で観ることができますので、ど
うぞご覧になって、当時の北京をお楽しみください。
『古都北京デジタルマップ』
dsr.nii.ac.jp/beijing-maps/
分かりづらい説明で申し訳ありませんが、下に地図の見方の一例を書いておきましたので、ご参考に
どうぞ。
〇地図の見方(その一例)
1、まずは、URLにアクセス。
2、右横の「乾隆京城全図」をクリック。
3、「コレクション情報」が現れますので、そのまま画面を下に移動。
4、すると「ボリューム情報」があります。
5、例えば今回ご紹介した「福昌里」の東側にあった「真武廟」を確認したい場合。
画面右側に「vol、14」とあり、「解題」に「天橋」とあるところまで画面を下に移動し、移動し
たら、その画面の左端をクリック。
6、画面が変わりましたら、「第十四排」とある本の表紙上をクリック。
7、再び「第十四排」とある本の表紙が現れましたら、矢印(→)を「0008」になるまでクリックして
ください。
8、7で現れた画面をクリックすると拡大することができます。
9、「真武廟」は、左下の「先農壇」の一部(曲線部)の右横にある建物(?)の一番右の建物の東端上方
あたりにあります。
ご報告をもうひとつ。
2017年12月下旬に福昌里を訪れた時、すぐ近くにある“霊佑胡同”は改修工事真っ最中。
賽金花さんが住んでいらっしゃった“居仁里”は改修の途中で工事一時休止といったような
状態でした。下の写真は当日の霊佑胡同。
次の写真は「大喇叭胡同」「小喇叭胡同」「何家胡同」「永勝巷」「福昌里」などの胡同がある
永安路沿いの様子。目隠し壁で覆われています。
最後になってしまいましたが、いつも当ブログをご覧くださっている皆様、本年中は
当ブログ「北京・胡同窯変」にお付き合いくださいまして、まことに有難うございました。
2018年が皆様にとりまして素敵な一年でありますよう、胡同窯変、心より念じております。
次回は新年一月に入ってからですが、場所はやはり天橋地区の続きとなります。
2018年もよろしくお願い致します。
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みました。撮影は本年12月下旬。
工事関係者の方たちの姿はどこにもなく、足を踏み入れると改修の途中で工事は一時休止といった
状態でした。
前回お邪魔した時には、それぞれの玄関に「門簪」はついていなかったのですが、今回お邪魔した
時には取り付けてありました。次の写真の玄関は上の写真右手に写っているもの。
しかし、その「門簪」に第171回の永勝巷でご覧いただいたような吉祥文字は書かれておりません。
断定はできませんが、今後、書かれることが予想されます。
また、ご覧になってお分かりのように外壁に永勝巷のようなタイルも貼られておりません。やはり、
今後貼られるといってよいかもしれません。
さらに注目したいのは上の写真に写っている路面。右手に写っている玄関手前辺りから地面が新しく
なっています。これはいったい何を意味しているのか。
屋根にも新しくなった永勝巷と同じ瓦が葺かれていました。
次の写真の玄関内は、第172回で工事関係者の方たちがパイプを埋設していたところです。
やはり「門簪」が取り付けられています。
パイプの埋設工事は無事に終了。
次の写真の右側。前回の時に工事関係者の方が外壁の状態を調べていた玄関と外壁。
この胡同の北端のお宅の玄関にも「門簪」。
北端から南方向を見たこの胡同の様子です。
改修工事が終了するのは、まだまだ先のようです。
【ご報告】
第172回の福昌里に関する記事で、この胡同には昔、娘娘廟のあったことを書きましたが、その後、
『乾隆京城全図』で福昌里辺りを見ますと、現在の福昌里の東側辺りにに“真武廟”のあったこと
が判明しました。また、清の朱一新『京師坊巷志稿』を見ますと「斗姥宮 康熙三十四年建,地以宮
名。東有真武廟,西有仁壽寺,舊為昭顯廟,俱詳寺觀。」とあり、第170回でご紹介しました「斗母
宮」と今回の「真武廟」の名が載っていましたことをご報告させていただきます。
ついでに真武について簡単に書きますと、北方の守護神。玄武、玄天上帝などの別名をもっていま
す。窪徳忠さんの『道教の神々』によりますと、二十八宿の星のうちの北方の玄武すなわち斗、牛、
女、虚、危、室、壁の七宿を合わせて神格化したものなのだそうです。
真武は清代に「北極佑聖真君」に封ぜられています。
さて、『乾隆京城全図』は、清の乾隆十五年(1750年)に作成された北京の内城外城の地図ですが、
当時の北京を知る上で貴重な資料のひとつとなっています。ご興味をお持ちの方は、下のURLにアク
セスするか、当ブログのブックマークの『古都北京デジタルマップ』で観ることができますので、ど
うぞご覧になって、当時の北京をお楽しみください。
『古都北京デジタルマップ』
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分かりづらい説明で申し訳ありませんが、下に地図の見方の一例を書いておきましたので、ご参考に
どうぞ。
〇地図の見方(その一例)
1、まずは、URLにアクセス。
2、右横の「乾隆京城全図」をクリック。
3、「コレクション情報」が現れますので、そのまま画面を下に移動。
4、すると「ボリューム情報」があります。
5、例えば今回ご紹介した「福昌里」の東側にあった「真武廟」を確認したい場合。
画面右側に「vol、14」とあり、「解題」に「天橋」とあるところまで画面を下に移動し、移動し
たら、その画面の左端をクリック。
6、画面が変わりましたら、「第十四排」とある本の表紙上をクリック。
7、再び「第十四排」とある本の表紙が現れましたら、矢印(→)を「0008」になるまでクリックして
ください。
8、7で現れた画面をクリックすると拡大することができます。
9、「真武廟」は、左下の「先農壇」の一部(曲線部)の右横にある建物(?)の一番右の建物の東端上方
あたりにあります。
ご報告をもうひとつ。
2017年12月下旬に福昌里を訪れた時、すぐ近くにある“霊佑胡同”は改修工事真っ最中。
賽金花さんが住んでいらっしゃった“居仁里”は改修の途中で工事一時休止といったような
状態でした。下の写真は当日の霊佑胡同。
次の写真は「大喇叭胡同」「小喇叭胡同」「何家胡同」「永勝巷」「福昌里」などの胡同がある
永安路沿いの様子。目隠し壁で覆われています。
最後になってしまいましたが、いつも当ブログをご覧くださっている皆様、本年中は
当ブログ「北京・胡同窯変」にお付き合いくださいまして、まことに有難うございました。
2018年が皆様にとりまして素敵な一年でありますよう、胡同窯変、心より念じております。
次回は新年一月に入ってからですが、場所はやはり天橋地区の続きとなります。
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