今回は、第206回でご紹介した「中鮮魚巷」の一本東側を南北に走る
「公平巷(Gongpingxiang/ゴンピンシャン)」を歩いてみました。
このプレートは公共トイレの外壁に貼られていたもの。このトイレの名称は「公平巷16号旁」。
【その名称や形状の移り変わり】
〇清の光緒年間(1875年ー1908年)
その名称「公平当(Gongpingdang/ゴンピンダン)」。
〇民国期(1912年ー1949年)
同上。
次の地図は2007年4月に発行された『北京胡同志』(主編段柄仁/北京出版社)所収の
「北平旧城街巷胡同図(内城東部)」の一部。赤色部分が「公平当」。
〇新中国成立後(1949年ー現在)
1965年の地名整頓時に「公平当」の南端から東にのびている「箭桿白胡同(Jianganbaihutong/
ジエンガンバイフートン)」を編入、現在名となる。
なお、中国の百度地図で「公平巷」を調べてみると、現在は次の地図上の赤色の部分が「公平巷」と
なっていました。
1965年の地名整頓時まであった「箭桿白胡同」の部分の道路名は不明。
【名称の由来について】
『北京胡同志』には「公平当(Gongpingdang/ゴンピンダン)」と「箭桿白胡同(Jianganbaihutong/
ジエンガンバイフートン)」の由来が書かれていませんでした。そこで調べてみると中国人ブロガーなど
によってはその由来に触れている方もおられるので、その当否はともかくご参考に次に書いておきました。
〇「公平当」について
「公平当」の「当」を「当鋪」(日本の質屋)の「当」と捉え、「公平」を質屋の屋号だったとする説。
「崇文门内苏州胡同南,名公平当,公平乃是当铺的字号。六十年代,与箭杆白胡同合并后,更名为公平巷。」
という記事がありました。『贾云峰的博客』の「你见过老北京的当票吗 (2009-03-02 20:00:21)」より。
〇「箭桿白胡同」について
明代に「建平伯胡同」という名称であったが、「建平伯」という爵号をもつ高士文という人物が住んでいたの
がその由来。清末に「箭杆白胡同」と改められるが、それは「建」と「箭」、「伯」と「白」がそれぞれ同音
だからかもしれない、という説。
「北京站邮局东侧有一条箭杆白胡同。明代时称建平伯胡同,因建平伯高士文就住在此胡同。
清末,这条胡同改称箭杆白,可能是因为“建”与“箭”、“伯”与“白”同音。1959年
北京站建成后,箭杆白胡同拆除,只剩下如今北京站邮局西侧那条南北走向的公平巷中部
偏北的东西向胡同,此为当年箭杆白胡同的一部分。」
(「煮酒论史_论坛_天涯社区」https://bbs.tianya.cn/list-no05-1.shtml。この
サイト内検索に「大白菜考」と書き込むと上の記事にたどり着けます。)
公平巷はその距離がいたって短い胡同。
しかし、その名前の由来ひとつみてもお分かりのように不明な点が多く、そのお蔭で
その分からないことを調べる楽しみが増え、まことにありがたいことです。
さて、当日は、北京駅西街沿いにあるこの胡同の南出入口から歩き出しました。
南出入口の右手、東側には休憩もでき、宿泊所にもなっている「平價富瑞隆餐庁」
という食堂がありました。
ちなみに、この食堂を中国の「大衆点評」で調べてみると、その住所について
「北京邮通街南口,北京火车站对面 」と書かれていました。はっきりと住所が
書かれていないところが興味深い。なお、「北京火车站」とは後で写真をご覧い
ただく「北京駅」のこと。
さて、体勢を元に戻して前進です。
こちらが公共トイレ脇の16号院。
「超市(スーパーマーケット)」。
この超市は先にご覧いただいた「平價富瑞隆餐庁」が経営。
写真を撮っていたら小腹がすいてきたので、ついつい
鶏肉ソーセージを買ってしまいました。
値段は2元。1元は16,5円ほど。
上にご覧いただいた超市からソーセージをむしゃむしゃしながらほんの少し行くと、
洗濯物が、いっぱい。
洗濯物の陰に旅館の看板。
縁起の良い名前です。「瑞鵬和義旅館」。
上の旅館の前方斜め前に再び宿泊施設。
「站前賓館」。
日本語にすれば「駅前旅館」。
リアルタイムでは観ていないのですが、映画『駅前旅館』を思い出し、この賓館の前で
小さく笑ってしまいました。森繁さんや伴淳さんやフランキー堺さんが出ていましたね。
大人になってから原作が井伏鱒二さんであることを知り、意外に思ったり、驚いたり、
よくよく考えてみると意外ではないのかもしれないと思ったり。
余談ですが、たとえば井伏さんの短編『へんろう宿』『言葉について』で語り手の泊まっ
た「宿屋」の話。今でも宿屋の様子や登場人物やそのやりとりが目に焼きついていて離れ
ません。井伏さんはおっかない小説書きなんだな、とつくづく思わされた小説でした。
話しは元に戻りますが、「站前」の「站」とはこの場合具体的には「北京駅」のこと。
北京駅が近いので宿泊施設が多いというわけなのですが、この胡同の南出入口から撮った
北京駅とその周辺の写真を次に挙げておきました。
写真向かって右側に見えるのが、北京駅。
駅前旅館の前辺りから北方向。
次の写真の国旗越しに見える建物も宿泊施設です。
名前は「国機快捷酒店」。
ちなみに、この「国機快捷酒店」の住所は、蘇州胡同の30号院。
上の国旗を過ぎると、右手のお宅の外壁に、
と、書かれていました。
このお宅の出入口。
住所は、公平巷13号院。
さて、もう少しでこの胡同も終点です。
右手の春聯の貼られたお宅は蘇州胡同28号院。
しかし、上のお宅の出入口すぐの北側の外壁には、「公平巷」と書かれたプレートが
貼られていました。
重箱の隅をつつくような話しで申し訳ないのですが、この「公平巷」と書かれたプレートを
見ただけで、「春聯の貼られたお宅も公平巷という住所なんだろう」と思ってしまう落し穴
にはご注意ください。
上の写真奥を東西に走っているのは「蘇州胡同」。前方に見えるのは「北京信誼酒店」という
ホテル。
蘇州胡同沿いの北出入口から南方向を撮ってみました。
右手に見える建物は先にご紹介した「国機快捷酒店」です。
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「公平巷(Gongpingxiang/ゴンピンシャン)」を歩いてみました。
このプレートは公共トイレの外壁に貼られていたもの。このトイレの名称は「公平巷16号旁」。
【その名称や形状の移り変わり】
〇清の光緒年間(1875年ー1908年)
その名称「公平当(Gongpingdang/ゴンピンダン)」。
〇民国期(1912年ー1949年)
同上。
次の地図は2007年4月に発行された『北京胡同志』(主編段柄仁/北京出版社)所収の
「北平旧城街巷胡同図(内城東部)」の一部。赤色部分が「公平当」。
〇新中国成立後(1949年ー現在)
1965年の地名整頓時に「公平当」の南端から東にのびている「箭桿白胡同(Jianganbaihutong/
ジエンガンバイフートン)」を編入、現在名となる。
なお、中国の百度地図で「公平巷」を調べてみると、現在は次の地図上の赤色の部分が「公平巷」と
なっていました。
1965年の地名整頓時まであった「箭桿白胡同」の部分の道路名は不明。
【名称の由来について】
『北京胡同志』には「公平当(Gongpingdang/ゴンピンダン)」と「箭桿白胡同(Jianganbaihutong/
ジエンガンバイフートン)」の由来が書かれていませんでした。そこで調べてみると中国人ブロガーなど
によってはその由来に触れている方もおられるので、その当否はともかくご参考に次に書いておきました。
〇「公平当」について
「公平当」の「当」を「当鋪」(日本の質屋)の「当」と捉え、「公平」を質屋の屋号だったとする説。
「崇文门内苏州胡同南,名公平当,公平乃是当铺的字号。六十年代,与箭杆白胡同合并后,更名为公平巷。」
という記事がありました。『贾云峰的博客』の「你见过老北京的当票吗 (2009-03-02 20:00:21)」より。
〇「箭桿白胡同」について
明代に「建平伯胡同」という名称であったが、「建平伯」という爵号をもつ高士文という人物が住んでいたの
がその由来。清末に「箭杆白胡同」と改められるが、それは「建」と「箭」、「伯」と「白」がそれぞれ同音
だからかもしれない、という説。
「北京站邮局东侧有一条箭杆白胡同。明代时称建平伯胡同,因建平伯高士文就住在此胡同。
清末,这条胡同改称箭杆白,可能是因为“建”与“箭”、“伯”与“白”同音。1959年
北京站建成后,箭杆白胡同拆除,只剩下如今北京站邮局西侧那条南北走向的公平巷中部
偏北的东西向胡同,此为当年箭杆白胡同的一部分。」
(「煮酒论史_论坛_天涯社区」https://bbs.tianya.cn/list-no05-1.shtml。この
サイト内検索に「大白菜考」と書き込むと上の記事にたどり着けます。)
公平巷はその距離がいたって短い胡同。
しかし、その名前の由来ひとつみてもお分かりのように不明な点が多く、そのお蔭で
その分からないことを調べる楽しみが増え、まことにありがたいことです。
さて、当日は、北京駅西街沿いにあるこの胡同の南出入口から歩き出しました。
南出入口の右手、東側には休憩もでき、宿泊所にもなっている「平價富瑞隆餐庁」
という食堂がありました。
ちなみに、この食堂を中国の「大衆点評」で調べてみると、その住所について
「北京邮通街南口,北京火车站对面 」と書かれていました。はっきりと住所が
書かれていないところが興味深い。なお、「北京火车站」とは後で写真をご覧い
ただく「北京駅」のこと。
さて、体勢を元に戻して前進です。
こちらが公共トイレ脇の16号院。
「超市(スーパーマーケット)」。
この超市は先にご覧いただいた「平價富瑞隆餐庁」が経営。
写真を撮っていたら小腹がすいてきたので、ついつい
鶏肉ソーセージを買ってしまいました。
値段は2元。1元は16,5円ほど。
上にご覧いただいた超市からソーセージをむしゃむしゃしながらほんの少し行くと、
洗濯物が、いっぱい。
洗濯物の陰に旅館の看板。
縁起の良い名前です。「瑞鵬和義旅館」。
上の旅館の前方斜め前に再び宿泊施設。
「站前賓館」。
日本語にすれば「駅前旅館」。
リアルタイムでは観ていないのですが、映画『駅前旅館』を思い出し、この賓館の前で
小さく笑ってしまいました。森繁さんや伴淳さんやフランキー堺さんが出ていましたね。
大人になってから原作が井伏鱒二さんであることを知り、意外に思ったり、驚いたり、
よくよく考えてみると意外ではないのかもしれないと思ったり。
余談ですが、たとえば井伏さんの短編『へんろう宿』『言葉について』で語り手の泊まっ
た「宿屋」の話。今でも宿屋の様子や登場人物やそのやりとりが目に焼きついていて離れ
ません。井伏さんはおっかない小説書きなんだな、とつくづく思わされた小説でした。
話しは元に戻りますが、「站前」の「站」とはこの場合具体的には「北京駅」のこと。
北京駅が近いので宿泊施設が多いというわけなのですが、この胡同の南出入口から撮った
北京駅とその周辺の写真を次に挙げておきました。
写真向かって右側に見えるのが、北京駅。
駅前旅館の前辺りから北方向。
次の写真の国旗越しに見える建物も宿泊施設です。
名前は「国機快捷酒店」。
ちなみに、この「国機快捷酒店」の住所は、蘇州胡同の30号院。
上の国旗を過ぎると、右手のお宅の外壁に、
と、書かれていました。
このお宅の出入口。
住所は、公平巷13号院。
さて、もう少しでこの胡同も終点です。
右手の春聯の貼られたお宅は蘇州胡同28号院。
しかし、上のお宅の出入口すぐの北側の外壁には、「公平巷」と書かれたプレートが
貼られていました。
重箱の隅をつつくような話しで申し訳ないのですが、この「公平巷」と書かれたプレートを
見ただけで、「春聯の貼られたお宅も公平巷という住所なんだろう」と思ってしまう落し穴
にはご注意ください。
上の写真奥を東西に走っているのは「蘇州胡同」。前方に見えるのは「北京信誼酒店」という
ホテル。
蘇州胡同沿いの北出入口から南方向を撮ってみました。
右手に見える建物は先にご紹介した「国機快捷酒店」です。
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