北京・胡同窯変

北京。胡同歩きが楽しい。このブログは胡同のあんな事こんな事を拙文と写真で気ままに綴る胡同お散歩日記です。本日も歩きます。

第212回 北京・公平巷 公平当と箭桿白胡同

2018-11-26 13:28:16 | 北京・胡同散策
今回は、第206回でご紹介した「中鮮魚巷」の一本東側を南北に走る
「公平巷(Gongpingxiang/ゴンピンシャン)」を歩いてみました。


このプレートは公共トイレの外壁に貼られていたもの。このトイレの名称は「公平巷16号旁」。

【その名称や形状の移り変わり】

〇清の光緒年間(1875年ー1908年)
その名称「公平当(Gongpingdang/ゴンピンダン)」。

〇民国期(1912年ー1949年)
同上。

次の地図は2007年4月に発行された『北京胡同志』(主編段柄仁/北京出版社)所収の
「北平旧城街巷胡同図(内城東部)」の一部。赤色部分が「公平当」。



〇新中国成立後(1949年ー現在)
1965年の地名整頓時に「公平当」の南端から東にのびている「箭桿白胡同(Jianganbaihutong/
ジエンガンバイフートン)」を編入、現在名となる。

なお、中国の百度地図で「公平巷」を調べてみると、現在は次の地図上の赤色の部分が「公平巷」と
なっていました。


1965年の地名整頓時まであった「箭桿白胡同」の部分の道路名は不明。

【名称の由来について】

『北京胡同志』には「公平当(Gongpingdang/ゴンピンダン)」と「箭桿白胡同(Jianganbaihutong/
ジエンガンバイフートン)」の由来が書かれていませんでした。そこで調べてみると中国人ブロガーなど
によってはその由来に触れている方もおられるので、その当否はともかくご参考に次に書いておきました。

〇「公平当」について

「公平当」の「当」を「当鋪」(日本の質屋)の「当」と捉え、「公平」を質屋の屋号だったとする説。

「崇文门内苏州胡同南,名公平当,公平乃是当铺的字号。六十年代,与箭杆白胡同合并后,更名为公平巷。」
という記事がありました。『贾云峰的博客』の「你见过老北京的当票吗 (2009-03-02 20:00:21)」より。

〇「箭桿白胡同」について

明代に「建平伯胡同」という名称であったが、「建平伯」という爵号をもつ高士文という人物が住んでいたの
がその由来。清末に「箭杆白胡同」と改められるが、それは「建」と「箭」、「伯」と「白」がそれぞれ同音
だからかもしれない、という説。

「北京站邮局东侧有一条箭杆白胡同。明代时称建平伯胡同,因建平伯高士文就住在此胡同。
清末,这条胡同改称箭杆白,可能是因为“建”与“箭”、“伯”与“白”同音。1959年
北京站建成后,箭杆白胡同拆除,只剩下如今北京站邮局西侧那条南北走向的公平巷中部
偏北的东西向胡同,此为当年箭杆白胡同的一部分。」
(「煮酒论史_论坛_天涯社区」https://bbs.tianya.cn/list-no05-1.shtml。この
サイト内検索に「大白菜考」と書き込むと上の記事にたどり着けます。)

公平巷はその距離がいたって短い胡同。
しかし、その名前の由来ひとつみてもお分かりのように不明な点が多く、そのお蔭で
その分からないことを調べる楽しみが増え、まことにありがたいことです。


さて、当日は、北京駅西街沿いにあるこの胡同の南出入口から歩き出しました。



南出入口の右手、東側には休憩もでき、宿泊所にもなっている「平價富瑞隆餐庁」
という食堂がありました。




ちなみに、この食堂を中国の「大衆点評」で調べてみると、その住所について
「北京邮通街南口,北京火车站对面 」と書かれていました。はっきりと住所が
書かれていないところが興味深い。なお、「北京火车站」とは後で写真をご覧い
ただく「北京駅」のこと。


さて、体勢を元に戻して前進です。



こちらが公共トイレ脇の16号院。








「超市(スーパーマーケット)」。





この超市は先にご覧いただいた「平價富瑞隆餐庁」が経営。



写真を撮っていたら小腹がすいてきたので、ついつい
鶏肉ソーセージを買ってしまいました。


値段は2元。1元は16,5円ほど。


上にご覧いただいた超市からソーセージをむしゃむしゃしながらほんの少し行くと、
洗濯物が、いっぱい。



洗濯物の陰に旅館の看板。





縁起の良い名前です。「瑞鵬和義旅館」。



上の旅館の前方斜め前に再び宿泊施設。



「站前賓館」。
日本語にすれば「駅前旅館」。
リアルタイムでは観ていないのですが、映画『駅前旅館』を思い出し、この賓館の前で
小さく笑ってしまいました。森繁さんや伴淳さんやフランキー堺さんが出ていましたね。
大人になってから原作が井伏鱒二さんであることを知り、意外に思ったり、驚いたり、
よくよく考えてみると意外ではないのかもしれないと思ったり。

余談ですが、たとえば井伏さんの短編『へんろう宿』『言葉について』で語り手の泊まっ
た「宿屋」の話。今でも宿屋の様子や登場人物やそのやりとりが目に焼きついていて離れ
ません。井伏さんはおっかない小説書きなんだな、とつくづく思わされた小説でした。

話しは元に戻りますが、「站前」の「站」とはこの場合具体的には「北京駅」のこと。
北京駅が近いので宿泊施設が多いというわけなのですが、この胡同の南出入口から撮った
北京駅とその周辺の写真を次に挙げておきました。

写真向かって右側に見えるのが、北京駅。



駅前旅館の前辺りから北方向。



次の写真の国旗越しに見える建物も宿泊施設です。
名前は「国機快捷酒店」。


ちなみに、この「国機快捷酒店」の住所は、蘇州胡同の30号院。

上の国旗を過ぎると、右手のお宅の外壁に、





と、書かれていました。

このお宅の出入口。


住所は、公平巷13号院。


さて、もう少しでこの胡同も終点です。



右手の春聯の貼られたお宅は蘇州胡同28号院。





しかし、上のお宅の出入口すぐの北側の外壁には、「公平巷」と書かれたプレートが
貼られていました。


重箱の隅をつつくような話しで申し訳ないのですが、この「公平巷」と書かれたプレートを
見ただけで、「春聯の貼られたお宅も公平巷という住所なんだろう」と思ってしまう落し穴
にはご注意ください。



上の写真奥を東西に走っているのは「蘇州胡同」。前方に見えるのは「北京信誼酒店」という
ホテル。

蘇州胡同沿いの北出入口から南方向を撮ってみました。


右手に見える建物は先にご紹介した「国機快捷酒店」です。




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第211回 【お知らせ】 人工衛星で地球を観察する男からの案内状

2018-11-13 11:22:26 | 民間交流
地面に這いつくばうようにして胡同を歩いている私からすると、人工衛星から地球を観察する
という、そのスケールのあまりの壮大さによって私のつつましやかな日常や常識に揺さぶりを
かけ、一体何を企んでいるのかさっぱり分からず、思わず「怪しい」とつぶやきたくなってし
まう一方で、そのおびただしい得体の知れなさによって私を惹きつけてやまない知人の男から
一通のメールがやってきた。

リモートセンシング。
私にとって決して身近ではない、いや、私の日常にとってまったく無縁と思われるこの言葉の
意味は、ある本の著者によると「空(宇宙)から地球上をカメラやレーダーなどのセンサーで撮
影・スキャンし、その“画像”をみて地球の状態について調べる技術」「医者がレントゲンを
みて診断を下すように、どこで火事が起こっていとか、地震の被害の状況がどの程度かといっ
た現象など」「地球上で起こっている現象の診断をする技術」(『リモートセンシング読本』
岩男弘毅著、村井俊治監修/日本測量協会)なのだそうで、なにしろ日本リモートセンシング学
会なるものもあるというから世の中の狭い私には驚きだ。

今回送られて来たメールに書かれていたのは、このリモートセンシング関連の一般人向け催し
物が来月12月16日に東京代々木で開かれるというもの。

もし、当ブログをご覧くださっている方の中で上の岩男弘毅さんのように宇宙からの地球観察
に少しでもご興味をお持ちの方は下記のご案内をお読みうえ、出来得ればご参加くださるなら
ば友人の一人として幸甚に存じます。


【第16回GSJジオ・サロン開催のご案内】

「宇宙から地質Ⅱ~映画のウソ?ホント!?~」

日時:平成30年12月16日(日) 14:00~16:00
場所:Connecting The Dots 代々木 地下大会議室(JR代々木駅から徒歩1分/ 小田急線南新宿駅から徒歩5分)
講演者:岩男弘毅(産総研地質調査総合センター地質情報研究部門リモートセンシング研究グループ長。 防災・
資源・環境分野など、様々な分野で衛星データを利活用するための調査・研究・データ配信を行なって
いる。映画とマンガを愛する研究者。無類の甘い物好き。)

お申込み方法:下記をご覧ください。

〇お申込み方法、内容などに関して詳しくお知りになりたい方は次のURLをご覧ください。

内容やお申込み方法について
www.gsj.jp/geobank/geosalon.html
※アクセスできない場合がございます。その場合は大変ご面倒をおかけいたしますが、
URLをコピペのうえ、検索よろしくお願い致します。
「GSJジオ・サロン開催案内|募集特定寄附金GeoBank(ジオバンク)」でご覧いた
だけます。


今回は取り急ぎリモートセンシングに関する催し物のご案内をさせていただきました。
リモートセンシングによって胡同を観ることはできるのだろうか。
ひょっとして岩男弘毅さんは空(宇宙)から胡同を歩く私の姿を「胡同窯変さん、元気にやってるな」
と笑いながら見ているのかもしれない。今度胡同を散策するとき、大空(大宇宙)に向かって手を振っ
てみるつもりだ。



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第210回 北京・侯位胡同(後) 住んでいたのは“祥泰義”という老字号の老板だった!?

2018-11-06 10:54:41 | 北京・胡同散策
福の字の貼られた玄関のある建物の屋根越しに見える華風洋館を早く見たい。
そんな気持ちを抑えて侯位胡同を歩き出しました。





提灯(灯籠)がさげられ、国旗が掲揚されているこちらは侯位胡同11号院。



この11号院のところでこの胡同は北方向に折れています。



隅きりされた角地の様子。




北方向を撮ってみました。


写真奥に見える大きな建物は北京日報北京晩報社の社屋。住所は東城区建国門内大街20号。

左手手前は9号院。



その斜め前に8号院。



問題の洋館のあるのは、この8号院の中。
早速おじゃましてみました。





上の写真の突き当りを右へ。

本来ならば、ここで右へ曲がったときの写真をご覧いただくわけですが、どうしたわけか
撮り忘れてしまいました。そこで右へ曲がって正面にわたしが見たものを書いておきますと、
それは玄関とその上にあった小さな円形の二枚の鏡。

次は、この二枚の鏡のある玄関の前を左折。



そして、今度は奥の突き当たりを左折。



上の細道を抜けると次のような光景が目に飛び込んできました。



興奮気味の心を抑えて周囲を見ると、ここには、東、北、西の三方向に三棟の洋館が
建っていました。

次に各棟の一部をご覧いただきます。


まずは、東棟の一部。







こちらが東棟の出入口。
昔は、左右に見える建物がなかったことはいうまでもありません。



次は北棟の一部。





次の写真二枚は、上の北棟の北側を東西に走る麻线胡同から撮ったもの。





次は西棟の一部をご覧ください。





出入口。



さて、この洋館、建てられたのは民国期のようなのですが、この8号院の住民のお一人が
教えてくださったことには、この洋館には“祥泰義”というお店の老板、すなわち店主、
経営者が住んでいたとのこと。

と、書いたものの、せっかく住民の方が教えてくれたにもかかわらず、恥ずかしながら
わたしには肝心の「祥泰義」がいったいどういう商店なのかさっぱりわからない。

このお店が北京の人たちには有名な老字号(老舗)にちがいないことは、教えてくださった
住民の様子から察することは出来たのですが。

そこで帰宅後に調べてみて知りえたこともあったのですが、不明瞭な点、曖昧な点が多いため、
只今調査中ということで、今回は書くのを控えさせていただくことにいたしましたと書きたい
ところなのですが、次の二点についてだけはご参考になるかもしれないと思い、あえて書いて
おくことにしました。

一つは、このお店のあった場所。
出発点は1900年代初めの天津で、その時義和団事件に巻き込まれたり、フランス租界で洋酒
や輸入食品を扱っていたり、その後、北京で暮らす中国人や日本人で知らない人のいない北京
の東単交差点の東南角に店を構えたり、新中国成立後の1950年代にはせっかく出した店も営業
停止になったり、一時期「東単食品店」と改名していたこともあったようです。

もう一つは、店名の由来。
創始者の韓邦泰さんとその兄弟である韓邦祥、韓邦義三人の名前からそれぞれ一字をとって
店名が作られたとのこと。


侯位胡同を歩いていて偶然知った老字号(老舗)“祥泰義”。その歴史は、まるでNHKの朝ドラ
や大河ドラマを見るようで興味津々たるものがあり、今後も調べていきたいと思っております。


さて、住民の方にお礼を言って8号院をあとに。
次は7号院。



7号院の前の6号院。



6号院の玄関。



6号院のところまで行ったら左折。これ以上北方向には進めません。
次の写真は6号院の玄関前から西方向を撮ったもの。


写真右手のフェンスの向こう側の手前に見えるのは北京日報社、北京晩報社。

この6号院で侯位胡同も終点かなと思いながら、西方向にとぼとぼと歩いて行くと
左手に公共トイレがありました。



そこで、「ここはいったいどこだろう」と思ってトイレの外壁に貼られたプレートを見たところ、
その名称のところに「侯位胡同1号旁」と書かれていました。



お断りするまでもなく、このトイレの「そば、わき」に1号院がある、というわけなのです。
そこで、トイレ周辺をキョロキョロ。トイレのまわりでそんなことをしている自分が実に
怪しく思われたのですが、「この際そんなことはどうでもよろしい」「トイレなんだから、
そんな自意識はきれいに水に流してしまえ」とばかりに、1号院探しに熱中。

今回の結びにかえて。
たしかに周囲には古い建物はありました。しかし、残念なことに1号院と書かれた門牌が
貼られていなかったため、そこがはたして1号院なのかどうか不明というのが今回の中途
半端な結論。しかし、嬉しかったのは、とにかくこのトイレの辺りまでが“侯位胡同”で
あることを自分の目と脚ではっきりと分かったこと。トイレの名称のお蔭でスッキリとし
ました。




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