北京・胡同窯変

北京。胡同歩きが楽しい。このブログは胡同のあんな事こんな事を拙文と写真で気ままに綴る胡同お散歩日記です。本日も歩きます。

第102回 通州の胡同・“百花深処”と化す。 (胡同で見かけた変化)

2016-06-22 10:48:22 | 通州・胡同散歩
同じ胡同を繰り返し歩いていると「変化」に遭遇することがございます。
今回は、回民胡同・劉菜園・熊家胡同・蓮華寺・中街の五つの胡同で見かけた「変化」
の一端をご紹介。

〇回民胡同

2013年12月の時の「通州区民族小学」。
「清真寺」北門のまん前にございます。





2016年5月。
洗ったのでしょうか、塀に貼られたタイルに艶があり、「通州区民族小学」と刻まれた文字も
以前と同色ではありますが、新たに塗り替えられ、一段と輝いていました。



この界隈に居住する回民の子弟が通う学校にふさわしい校門。
ただし、実際に通っているのは回民の子供たちだけではありません。



学校案内の一部を見ますと次の通り。

「・・・・・始建于1938年,时为穆光小学。1957年更名为民族小学,并一直沿用至今。学校现有教学班8个,
教师27人,学生220人,其中回、满、蒙古、撒拉、瑶、土家等少数民族学生55人占总数的近25%。借读生163人,
占74.1%,其中进城务工人员随迁子女97人」。

1938年創立ということですが、その時の名前は「穆光小学」。ここには出ていませんが、もとは回民の有志たちが
創った学校です。
興味のおありの方は、学校のホームページをご覧下さい。
   www.tzqmzxx.com/

次も「回民胡同」。
東端にあります数件のお店。2013年12月。



2016年4月。
「烟酒茶」という看板を残し、それ以外の看板が消えていました。2013年の時点では
ペット用品などの看板があったのですが・・・。また、それぞれのお店の正面が新しく
なっていました。今後どのように変貌するのか、ちょっと気になるところです。



なお、以前ご紹介した「鳥」と「鳥かご」は健在でした。



「鳥」の種類は「画眉」。目の周りをご覧下さい。


〇劉菜園(胡同)

劉菜園(胡同)の東端は上の「回民胡同」東端のまぢか。

2013年12月に見た「劉菜園(胡同)」の東端。
西方向から東を撮影。



翳っていて見えづらいかもしれませんが、写真真ん中のやや上に石がかたまって置かれています。
どうやらクルマ除けのようなのですが、2016年4月には本格的なものに変わっていました。
東端から西方向を撮影。



胡同における道は、単なる交通の場所ではなく、生活の一部。
道端に置かれたイスにゆったりと腰を下ろし、お茶を喫しながらくつろぎ、時に娯楽に興じ、
時に情報を交換する。それは「お茶の間」のような場所で、ご近所さんたち同士の大切な交流の場所。
そして忘れてならないのは、ここが子供たちの遊び場所だということ。クルマが置かれることによって、
たとえそれが胡同在住者のクルマであっても、今後さまざまな問題が生じることが予想されます。
いや、問題はすでに生じているのかも。クルマ除けの設置自体がその証拠ですよね。


〇熊家胡同

この胡同の東端。2015年9月。
ここは残念にも物置場所のようになっていたのですが・・・。



それが2016年4月には新しいレンガ造りの建物が出現。





そして、同年6月。





いったい用途は何?
花壇にしては壁が高すぎるような。しかし、見方によっては花壇
のような・・・? これからも注目していきたいと思います。


〇蓮華寺(胡同)

この胡同はまだ紹介はしておりませんが、馬家胡同の東端にあります「蓮華寺(胡同)」の一部の
お宅が建て替えられていました。ちなみに、この胡同にはあの「李卓吾」が住んでいたんですよ。

2013年12月の時。
これはこれで壁の模様が素敵だったのですが・・・。



2016年4月。



そして、6月。



やはり北向きということで、窓がだいぶ小さくなっていたのが印象的でした。
それはそうと、レンガの色、屋根の傾斜に見とれてしまいましたね。


〇中街(胡同)

この胡同もまだ当ブログでご紹介していないのですが、私が歩いている胡同を南北に
貫いております。

本年6月にたまたま通りかかった時に遭遇。部分的に改築。



すぐ目につきましたのは、ガラス部分の多い部屋が増築されていること。採光を良くするための
工夫だといって良いと思います。このような改築をこの界隈の胡同でよく見かけるようになったこと
については繰り返し書いたのですが、それが一時の流行なのか、それとも今後も増えつづけるのか、
今後も見守って行きたいと思います。

また、「雨どい」詳しくは「竪樋」が取り付けてあるのが印象的。
前にも書きましたように、胡同では日本で見かけるような「軒樋(のきどい・のきとい)」を見る事は
ほとんどない、皆無といってよいのではないでしょうか。今後、胡同を歩く際にはこのような点に
ついても注意を払いたいと思います。お蔭さまで楽しい課題が増えました。


〇再び、熊家胡同。

胡同歩きの際にいつも私の目を楽しませてくれる花壇のあるお宅。
熊家胡同と中街(胡同)が交差する東北角にございます。

今まで何回となくご紹介したお宅ですが、たとえば2015年4月の写真では、こんな感じです。



それが、2016年5月。



ご覧のように一段とその魅力がパワーアップ。



塀や壁沿いに造られた花壇や植え込み、そして軒から下がる鉢植えの花々。それらはその育て主を
楽しませるものであると共に道行く人々の目をも楽しませ、心を和ませてくれます。





断るまでもなく、胡同は植物園。別名・緑の楽園。
北京の胡同「百花深処」はその昔、グリーンパラダイスでした。四季折々の花が咲き乱れ、そこには
素敵な池もあり、築山だってあったそうです。

このお宅は、ひょっとしたら現代版「百花深処」かもしれません。

ご覧下さい、次の写真を。



写真左の謎の物体は、花壇に水を与える仕掛け、給水装置のようなのですが、



よくよく見ると、



そこには、水車があり、アヒルやカエルだっているのです。そして、
築山さえもが。



ここは、まさしく「百花深処」を再現した盆景なのです。

そして、今回私が遭遇した変化の中でも特筆に値するのは、これ。



「愛護樹木花草」。
以前には掛けられていなかった標語。
このお宅を、胡同の力強い植物園化・緑の楽園化推進への、そして環境の美化への貢献度ナンバーワンと
いっても過言ではありません。

そして、現代版「百花深処」を造りだしたこのお宅の玄関脇に置かれた竹には、
次のフダが下がっていました。



「迎賓竹」。
異邦人であり、しかも胡同の部外者でもある私にとって胸中の琴線に触れた言葉でした。

(追記)
今回の記事を書いた後、何か書き残しているような気がしていたのですが、胡同を歩く時に
いつも持ち歩いているメモ用紙に次のように書いてあるのを見つけ、ほっとしました。
次に書き出しておきます。

「けっして観光地でもなく、ましてやレストランでもない生活の場である胡同の
一隅でこのような言葉(「迎賓竹」)に出会ったことの意味は、重い。」
「胡同を歩こう。」(6月25日記)


  
    にほんブログ村
  


第101回 北京の胡同・ 洋館の階段 

2016-06-13 14:59:26 | 北京・胡同散策
ひと口に「階段」と申しましても、いろいろな階段がございます。


幼いころ、友だちと仲良く並んで腰掛け、アイスクリームを食べた階段。

兄弟姉妹に見つかっては大変とばかりに、身を隠すようにして好物のチョコレートを
頬張った階段。

「階段で遊ぶのは危ないから、ヤメヨーね!」といった教員が、ある日、階段を三段抜かして
駆け上がっていく姿を見て、なんだか見てはいけないものを見てしまったような気持ちになった階段。

「階段を昇り降りしている時に、足元から手がにゅーっと出てきて足をつかまれたら、怖いよね」と
友人と話していたその夜、昇り降りがちょっと怖かった階段。

苦しいこと悲しいこと、そして悔しいことがあって、他の人に見つからないように一人座って
泣いた階段。

日本でミニスカートが流行り始めた十代後半、見えそうで見えなかった階段。

数がちゃんと決まっているはずなのに、数えるたびに段数の違うという噂のあった謎の階段。

ヒッチコックの作品のなかで活躍する数々の階段たち。

憧れの異性と初めて言葉を交わした、嬉し恥ずかし、ときめきの階段。


と、いうことで、
今回は北京の胡同で見かけた素敵な洋館の階段を二点ほど、ご紹介させていただきますね。

まずは、仁寿路にあります“泰安里”の階段。
建物内に入ると、こんな階段が。



この階段を上がっていき、振り返ると、



その傷み具合といい、傾き加減といい、その溢れる魅力は人工的には創り出せませんよね。

そんな階段が輝きを放っているのは、ここ。



今から100年ほど前の民国期に出現した、北京の胡同の中の「里弄」。



現在改修中で見学できない場合もございます。その時はどうかご容赦を。
改修前に観ておいて、ヨカッたー。


もう一点。

「東堂子胡同」にある、やはり洋館。



手すりのカーブぐあい、階段の磨り減りぐあい。言葉を失い、うっとりと見とれてしまいました。



この階段を上ることができるのは、ここ。



絶対に怪人二十面相の秘密のアジトがありそうな館ですよね。


いかがでしたか。
階段は、人生の素敵な伴侶。
ご覧の皆さんには、階段にまつわるどのような思い出がおありですか。
どのような階段がお好きですか。

機会があれば、上の二点の階段を手摺りに触れながら上ってみてはいかがでしょうか。
素敵な階段の思い出やお気に入りの階段が、増えるかもしれませんね。
そして、濃密な至福の一瞬が待ち受けているかも。

(なお、建物内の撮影は、可能なかぎり居住者や関係者の許可を得て行なっていることを
お断りしておきますね)。


  
    にほんブログ村
  




第100回 通州・蔡老胡同 (その三)  フートンの春

2016-06-07 12:23:01 | 通州・胡同散歩


突き当りを左、北方向に曲がりますと、やはり路地。
今回は、ここから歩きはじめたいと思います。



右側に、渋い門扉のお宅。



どうやら、門扉に色彩を施しているようです。
材料が木なので、防水用なのかもしれません。



このような色の門扉を見るのは初めてです。
門環を撮ろうと思ったのですが、突然、門内にいる三匹ほどのイヌに吠えられ、あきらめました。
その吠え声から、一匹は大型犬、残りは小型だと思われます。
門扉の下のすき間からのぞいておりますイヌの前脚が、可愛らしい。

イヌに吠えられ、そそくさと左斜め前のお宅の玄関前に移動すると、



よく整理整頓された内部。いろいろな物が雑然と置かれた自室が脳裏を横切り、予想外の時と場所で
ちょっと反省。「かたづけなくちゃ」。天災と反省は、忘れた頃にやってくる。



それはそうと、玄関内を拝見して、思わず目を瞠ったものがありました。



写真奥をご覧いただくとお分かりのように、「雨どい」、雨水を地面に下ろす「竪樋」が
ございます。今まで、胡同を含め、北京の歴史的建造物を見てきて、記憶違いでなければ
「雨どい」を見たのは、今回が初めてではなかったと思います。もちろん、まったくとは
言えないかもしれません。しかし、胡同を含め、北京の歴史的建造物にはほとんどといって
良いほど「雨どい」は設けられていないのではないでしょうか。

もしそうならば、その理由が気になるところ。
むやみやたらなことは言えませんが、その一つとして、やはり、気候や風土などが深く関わって
くるのでしょうか。思えば、北京は乾燥が激しく、年間降雨量を見ても、例えば東京の二分の
一以下。屋根に「雨どい」などを設置する必要を感じなかったのかもしれません。今後も、その
有無を含め、「雨どい」と北京の建物との関係をめぐって考えていきたいと思います。何か
興味深い答えが見つかるかもしれません。

さらに歩きます。

路地の正面。



足元にマンホールの蓋。



刻まれた二枚の葉っぱが、何気なくお洒落でした。
胡同植物園にふさわしいデザインと言えなくもありません。



マンホールの蓋は、足元にあってけっして目立つ存在ではありません。しかし、この蓋も普段の
生活の立派な一部。可能であれば、ぜひそのデザインに工夫があってほしいところ。胡同ならば
胡同らしい意匠にすれば、胡同の魅力にいっそうの磨きがかかり、胡同歩きがさらに楽しくなる
こと間違いありません。

ちなみに、「大杜社」とあるのは、どうやら通州区内の地名のようです。ひょっとして、この
マンホールは「北京市通州区大杜社铸造廠」で製造されたものかもしれません。この企業は、
1979年、つまり改革開放の一年後に設立。数字から考えて、経済の発展に応じて設立された
会社のようです。

もう少し進むと、どうやらこれから改修するのではと思われるお宅がありました。



「1991年に建てたんだよ」ということでしょうか。住人の方がご自分でお書きになったような、
独特の趣きがある字体。



1991年。
米国を中心とする多国籍軍がイラクを空爆。湾岸戦争。
ソ連の解体。冷戦終結。
日本。バブル経済の崩壊。
そして、中国。1989年の民主化運動後、経済の停滞を招くも、1990年代初期に中国経済回復。市場
経済を改めて推進。経済発展と並行して、胡同激減、経済格差、急激な人口移動、大気汚染の拡大など、
さまざまな問題を抱えつつ現在に至っております。


上のお宅の前から進み、胡同正面。



右側に干してあるタオルに「上海」の文字。
一瞬、上海で過ごしたクリスマス、和平飯店の屋上から見たバンドの夜景、爵士の音、そして黄浦江
を渡る風が、記憶の奥から蘇りました。

1920年代から1930年代にかけて「魔都」と呼ばれた上海。私にとりましては、今もって怪しい街
でございます。

さらに進みますと・・・



私を待ち受けていたかのように、胡同四点セットがありました。
塀の上の「花瓦頂」、壁沿いの「甕」・胡同植物園、道を跨いで掛け渡された蔓巻き用の
二本の竹。

そして、四点セットを調査中に目に飛び込んできたのは、チョークで壁に書かれた数字と文字。



5月1日にキュウリを植えたんですねぇ。
私もキュウリの生長を楽しみにしております。
壁に書かれた「↓(矢印)」が、私のハートをぎゅっとつかんで、いつまでもいつまでも放しません
でしたよ。

キュウリの植え込み斜め前。



胡同正面。



奥を横切っていますのは「紫竹庵胡同」。

ここまで来て、冬に「紫竹庵胡同」を訪れたことが思い出されました。
「紫竹庵胡同」から撮ったこの路地の冬景色。



路地を後にしようと歩いていますと、後ろで人の気配がいたします。
振り返ると、掃除をなさっている方がいらっしゃるではありませんか。



そのお姿を拝見して、「やっぱり、マンホールの蓋の図案にもっと工夫がほしいなぁぁ」と、
改めて思いましたね。

いよいよ、奥の深い南側の路地になります。
いい雰囲気の路地。それでは、突入したいと思います。





正面お宅。



屋根のアップ。



軒丸瓦の先端の円形部分・瓦当に、なにやら彫り飾りが。



「機関車トーマス!!」と思ったのですが、すぐに思いなおしました。
やはり縁起物の「獣面」(鬼面とも)の文様かと思われます。邪気払い、厄除けなどの働きが
あるとか。具体的にどのような動物なのかハッキリしたことは言えませんが、耳やヒゲ、
そして顔の周りには逆立つ毛髪が描かれております。ひょっとして、獅子の変形したものと
言ってよいかもしれません。それにいたしましても、見るこちらが微笑ましくなってしまう
ような、どことなく愛嬌のある、お目出度いお顔でした。

次の写真は、上のお宅の右側。



玄関内部を拝見いたしますと・・・



自転車、電動三輪車、テーブルにイスなどがあるのですが、実に綺麗に置かれています。
窓なども新しく、テーブルやイスと同じく色が白。実に清潔な雰囲気が漂っていました。
そう言えば、右側窓沿いに鳥かごがありますが、中の鳥も、やはり白。どうやらタイハク
オウムという鳥のようでした。一般的にこの鳥は、よく喋るだけではなく、人懐っこいと
言われています。

まだ東京にいる頃、オウムのような大きなインコを飼ったことがありました。知人が飼っ
ていたのですが、どうしたわけか指に噛み付き、飼い主にすっかり嫌われ、大事にされなく
なってしまった鳥。嘴が大きいですから、さぞかし痛かったと思います。こんな鳥はもう
いらない、誰かにもらってもらうつもりだ、ということなので、私の家で飼うことに。
よく喋ること喋ること。いつも何か喋っていましたね。そこで名前を「ピー助」と改め、
「ピーちゃん」と呼んでおりましたら、いつしか自分の事を「ピーちゃん」と呼ぶように
なりましたよ。
このピーちゃん、天気の良い日などは、日向ぼっこが大好きで、ホースで水をジャブジャブ
かけてあげると、嬉しそうにしていました。ネコなどが鳥籠のそばに来ると、おもしろかっ
たですよ。ピーちゃんは、慌てふためいたり、騒いだりいたしません。止まり木の上で静
かーにしております。ネコが、いよいよ鳥かごのすき間から前脚を入れようとしたところを
がぶっと大きな嘴で脅かすんですね。
長生きする鳥なのですが、我が家に来た時にはすでに高齢で、ある朝、覆いを開けてみると
鳥かごの床に横たわっていました。いったい幾つだったんでしょうかねぇ、ピーちゃんは
我が家に来て幸せだったのかなぁ、北京にいる今でも、時にそんなことを考えることがあり
ますよ。ピーちゃんは、東京自宅の一隅の土の下で眠っています。もう土の一部になって
いるでしょうねぇ。

思い出を語っている場合ではありません。上のお宅の正面でございます。





道沿いにささやかながら、やはりプランター。



しかし、ここで注目していただきたいのは、これ。



地面に埋もれた門墩が、太鼓の部分だけを地面から顔を出していました。
図案は、やはり目出度い「蓮華」です。見える部分からだけでは、はっきりしたことは
言えないのですが、岩本公夫さんの「中国の門墩」を拝見しますと、「連年有余」という
図案かもしれません。蓮と魚を彫った図で、蓮(lian)と連(lian)、魚(yu)と余(yu)は共に
同音ということで、「毎年余裕が有る」との吉祥図なのだそうです。

左側に花壇がございました。



北京にはバラが多いんですよ。






清楚な白いバラに情熱的な赤いバラ。
こちらの胸にぐぐっと来るものがありましたね。




来た道を振り返ると、どこか鄙びたところのある、いつかどこかで見たことのあるような、
いい雰囲気の道でした。



さて、体勢を戻してさらに歩き、正面。



道が、右と左に分かれていました。

左側の奥は、行き止まり。



そこで右側の道を行きます。またまた魅力的な曲がり角のある路地。



左横を見ますと、こういうところにも「花瓦頂」が。



さらに進みますと・・・



気になるお宅。



このお宅、前回もご覧いただいたお宅のように、やはり庇が壁から突き出している、この辺では
珍しいタイプ。しかし、ここでは庇の瓦に注目していただきます。

横に「鳳凰」の彫り飾り。



もちろんこの鳥は空想上のものですが、麒麟、龍、亀と並ぶ瑞獣の一つ。世の中に平安をもたらす
治者の出現の前触れを示すとか。ここでは広く、「日々平安でありますように」という願いが込め
られていると考えておいてよろしいかと思います。

軒丸瓦の先端の円形部分はと申しますと、



とても単純化された「蓮華」の図案のようです。泥中から清楚な花を咲かせるので、清廉潔白の
象徴であることは言うまでもありません。実をたくさん付けることから、豊かさ・繁栄をもたらす
文様とされています。

斜め前のお宅。



やはり、花瓦頂は欠かせないようです。

少し傾斜のある道を、さらに前へ。



左にゆっくりと曲がります。



足元には、年季の入った、いい雰囲気の石畳。



この石畳を歩いて、前へ。



プレート。



プレートを過ぎ、右に曲がったところで、うしろ髪を惹かれるような気持ちで、思わず振り返って
しまいましたよ。



体勢を元に戻して、前へ。



雰囲気のだいぶ違う場所になりました。

左手の路地。



なお、この路地は前にご紹介した「太平庄(胡同)」の一部になっている模様です。
「太平庄(胡同)」を歩いた時には、「太平庄(胡同)」が「蔡老胡同」に繋がっていることなど
まったく気付きませんでしたよ。迂闊でしたね。



そして、4月にここを訪れた時には、右手の塀の上にネコがおりました。



どうやら、飼われているネコではなく、迷いネコ。近所の方たちがエサや水をあげているようです。

蔡老胡同も、もう少しで終点です。



右手に住宅、左手は物置になっています。



この辺りまでが、蔡老胡同。その先は「白将軍胡同」という名の胡同です。



左手の物置。



前方に葉の繁った大きな木が見えますが、4月にここを訪れた時には、その木の手前のやや小さめの木に
花が咲いていました。



木の前には、春の到来を待ちのぞんでいたかのように、花を見上げる人の姿がございました。



胡同の春。
私にとってこの写真は、この言葉とともに「蔡老胡同」を歩いた時の「記念碑」のような
ものになっております。


 
    にほんブログ村