北京・胡同窯変

北京。胡同歩きが楽しい。このブログは胡同のあんな事こんな事を拙文と写真で気ままに綴る胡同お散歩日記です。本日も歩きます。

第231回 北京・船板胡同(後) 「 故きを温ねて」とは言うけれど。

2019-06-11 12:37:30 | 北京・胡同散策
北京基督教会崇文門堂(亜斯立堂)のある後溝胡同の北口から見た東方向も舗装工事中。



少し前へ行くと左手に「西鎮江胡同」なのですが、こちらも工事中。



寄り道せずに前へ。





シンプルで現代的造りの建物は「漢庭酒店」。



結構人気があるらしく、昨年7月に内部を拝見した時には
女性のグループ客が多かったのが印象的でした。











いい雰囲気の玄関がありました。




日本や中国の建物のこういう細部が好きで、ついついシャッターを押してしまうんですよね。



門墩(メンドン)をご覧いただきます。





門墩(mendun)について、当ブログのブックマークにあります門墩研究家・岩本公夫さん
のWeb版「中国の門墩」をご覧いただけたらうれしいです。




思えば文革の時に傷を負いながらも今に残る門墩の強さや逞しさ。わたしも見習わないと。

それはそうと、玄関の脇には貼り紙。


期間は5月8日から5月15日まで。舗装工事にともない、住民の皆様にはご不便を
おかけいたしますが、ご協力のほど何卒よろしくお願い致します。ちなみに
わたしがおじゃましたのは5月10日でした。



「おいで、おいで」と人を誘惑してやまない細い路地。


今回はそんな誘いをふりきって前進。この路地はのちほどご覧いただきます。



斜め前に青空自転車修理屋さん。





まるで現代美術館の展示室に紛れ込んだよう。



肝心の修理屋さんがおりませんが、四枚前の写真左に写っているのがそれ。
工事中なのでお客さんから預かった自転車を修理する場所がないのです。

昨年撮った写真。


胡同入口に店をひろげる修理屋さんは、みんなの人気者。

今回は、修理屋さんの隣に、こんなボックスが。
でも、現在は工事中なので中に係員はおりません。



いつ設置されたのかなと思って確認すると、どうやら数ヶ月前。







貼り紙を見ていたら、今まで休憩中だった工事がすぐ近くで再開。





目を東口の北側に移すと、こんな旅館。



天賜旅館。





昨年は「有客房」と書かれた、味わいのある木の板でしたよ。



写真を横切っているのは北京站西街。
次の写真奥に見える蒲鉾型の建物は北京駅の荷物受取所の一部。


後ほど接近してみたいと思います。

まずは、北京站西街の南方向へ。



こちらのお宅は、船板胡同旁2号。



ここで北方向へ戻ります。



次の写真に見える路地。後ほどおじゃまいたします。





大賜順興賓館の前を過ぎると船板胡同21号院。





もとへ引き返し、先ほどの路地を散策。











足元を見ると胡同の道端につきものの路上菜園でしょうか。





次の写真の突き当りを、まずは右へ。







二階にもシェア自転車が。





手前と奥に出入口が二つ。



まずは奥へ。



壁に鏡が取り付けられています。


この鏡は、人と人とがゴツンコしないための工夫でした。

引き返すと29号院。



写真左手を、よーくご覧ください。



住居の壁から木が。



もとへ戻ります。



次の写真の奥に見えるのは、工事中の通りです。




さて、以上が現在残る船板胡同ですが、ここで次の地図をご覧いただきます。
1938年(昭和十三年)4月に発行された「最新北京市街地図」(東京アトラス社編纂)
という地図(複製)の一部です。



緑色矢印の部分に「滙文学校」とあるのがわかりますが、この学校並び関係施設の
あった場所は現在北京駅並びにその関係施設になっています。

そこで、これから船板胡同の東口から移動して、一般人が近づくことのできる範囲内
の風景を次にご覧いただきます。

前にご覧いただいた蒲鉾型の建物から。


撮影は昨年7月。写っているのは北京駅の荷物受取所の一部。
この施設の周辺一帯に、昔、滙文学校の関係施設があったのです。

上の写真の建物から北方向へほんの少し移動。
すると、こんな簡易建物が。



上の設備の奥が「中鉄快運北京站到達提取処」。



そうして、今ご覧いただいた施設の北側には「北京市滙文第一小学」という小学校。
この小学校、先にご覧いただいた「滙文学校」の名残りの一つなのです。


この学校の構内には、当時の面影を今にとどめる建造物が残っているようです。
残念ですが、現在はもちろん関係者以外は立ち入り禁止。
ついでに書いておきますと、この小学校の名称は、もと丁香胡同小学。
由来は丁香胡同にあったことに基きます。
この胡同も現在は消失。「丁香(ディンシャン)」という綺麗な名前の胡同だったん
ですけどね。

上にご覧いただいた蒲鉾型の建物の並びには、こんな洋館の姿を
見ることもできます。



憶測に過ぎないかもしれませんが、地理的にみて、この洋館なども元は昔あった
学校関係の施設だったのでは、と思っております。もし、そうだとすれば、一般
に開放されていないのが残念すぎる。


撮影後、頭を垂れ、両肩を落としてとぼとぼと引き揚げましたよ。


ちなみに、「滙文学校」の沿革をざっとですが次に書き出してみました。
ただし、年代などに異説のあることをお断りしておきます。

〇1871年(清同治十年)、小規模なアメリカの教会附属の学校として出発。
この教会は「北京基督教会崇文門堂(亜斯立堂)」。
〇1885年(光緒十一年)、学校を拡充。小学、中学、大学をあわせ「懐理書院」
と命名。懐理(ファイリー)は教会関係者の名。
〇1888年(光緒十四年)、「滙文書院」と改名。文、理、神、医、芸などの科が分設
される。
〇1900年義和団事件(庚子事変)の際、学校の設備が破壊されるも、のち再建。
〇1904年(光緒三十年)、「滙文大学堂」と改名。
〇1918年(民国七年)、滙文大学部と他の教会関係大学とが合併、燕京大学となり、
海淀に移転。中学と小学は残留し、「滙文中学」と改名(改名は1927年か)。
〇1947年(民国三十六年)、学生宿舎が火災に遭遇。
〇1959年、北京駅建設のため、崇文門外の培新街に移転。
(略歴作製にあたり『北京地名典』王彬、徐秀珊主編、中国文聯出版社を参照)。

地図上に見つけた「滙文学校」。このキリスト教系の学校がその母体となる教会とともに
今から170年ほど前に起った、あのアヘン戦争、とりわけ第二次アヘン戦争(1856ー1860)
と深い関係にあることはいうまでもありません。

思えば、“鴉片”が“洋薬”と名を変え、その輸入が合法化されてから以降の中国の歴史は、ア
ヘンという“毒”といかに上手く折り合いをつけていくか、もう少し書けば、アヘンという“毒”を
いかに“薬”に変えていくか、そんな苦悩に満ちた休みない試行錯誤、闘いの連続の歴史だった
んじゃないか、その歴史は今も続いているんじゃないか、ふとそんなことを柄にもなく考えること
があるんですね。

今回で船板胡同に関する記事はとりあえず終了です。
この胡同がもと水路であったこと、その水路が元の時代の「通恵河」の一部であったかもしれない
ことや、金の時代の「金口河」などに関係しているかもしれないことを書こうと思っていたのです
が、不確かな点があり、今回は控えました。機会を見つけて再チャレンジしたい。

そうそう、ここで書き漏らせないことを一つ。
日本占領期のこの胡同内には日本の「北京カフェー組合」があったそうです。
名称は、北京カフェー組合
住所は、船板胡同四六。


写真は船板胡同の東口で昨年の5月下旬に撮ったもの。

飼い主さんが修理屋さんに自転車を修理してもらっている間、うつらうつらしながら
待っているワンちゃん。今年の5月には合えなかったな。



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第230回 北京・船板胡同(前) 「 故きを温ねて」とは言うけれど。

2019-06-04 12:26:22 | 北京・胡同散策
船板胡同(ChuanbanHutong/チュアンバンフートン)。

当日は、崇文門内大街沿いの西口から入ったのですが、なんと、舗装工事中。



明の時代から現在まで名前は変わらず「船板胡同」。
しかし、今は東側の一部(北京駅西街以東)がありません。

明の時代の地図

上の地図を見ると、今の崇文門内大街から崇文門東順城街沿いまであったのがわかります。
地図は『北京胡同志』(主編段柄仁、北京出版社所収「明北京城街巷胡同図 万暦ー崇禎年間
公元1573ー1644年」)を使用。

2003年の地図

赤色部分、現在北京駅附属の荷物受取所(「中鉄快運北京駅到達提取処」)。
地図は同上書所収「2003年」。

西口の北側の立体駐車場。出来たてホヤホヤ。





食堂。
家常菜(家庭料理)。



その隣は「天隣旅館」。



昨年5月下旬には上の食堂や旅館の前辺りに「焼き芋屋さん」がいたのですが、
本年は出合いませんでした。残念。





大きな双喜文字がどーんと貼られています。



傾いた新しい門牌の背後から古い門牌が顔を出しています。


新しい門牌も悪くないのですが、古い門牌の字体が良いのです。

上の前辺りの風景。





昨年はクルマ止めの所にも造花。





こちらの門扉上には門牌が二枚。



スーパーがありました。





「便民生活超市」。
でも、何かが違うんですよね。

帰宅後、調べてみたら昨年5月下旬の時には「您恵万家」の看板でしたよ。



調べついでに、さらに時間をさかのぼってみました。
次の写真は2014年10月に東から西方向を撮ったもの。
今からすると信じられない風景が当時はひろがっていました。


写真向かって左に写っているのは、信じられないかもしれませんが、先ほどご覧い
ただいた超市とその東隣。写真に電信柱が写っていますが、その電信柱とその後ろ
の屋根の形に注目です。するとそこが前にご覧いただいた造花の飾られていた家辺
りであることがわかります。はっきり見えませんが、写真奥に写っているのは胡同
西口を入ってすぐのところにある掲示板。


時計の針を戻して、
いい雰囲気のお宅がありました。





その隣は公共トイレなのですが、只今改装工事中。





中華風装飾で凝ったトイレに仕上がっているようです。



トイレの隣は「東交民巷小学」。


こちらは南門。正門は北側の小報房胡同。

小学校の前には、面白い建物が。





意味は不明なんですが、牛の飾り。



船板胡同で欠かせないのが、こちら(↓)。



東側から撮ってみました。


建物前面は洋風ですが、その背後は中華風であることがわかります。

そして、注目していただきたいのは、左から二番目の窓の下方。


この建物には以前出入り口があったんですね。
そのことを示す出入口を塞いだ痕跡と今も残る石段。

ここで昨年5月に撮った写真をご覧いただきます。


昨年には、ここが出入口であったことがはっきりわかります。
しかも、窓のサイズが現在より小さく、外壁にはお洒落な外灯も。

時計の針を今に戻し、上の楽しい洋風からほんの少し東方向には「欣燕都酒店」というホテル。



このホテルの前辺りに来た時、「何か変だなぁ」という気持ちになったので、しばらく
立ち尽くしていると、前方から毛を短く刈ったワンちゃんがやってきました。

舗装工事中の道に慣れていないためか、おどおどびくびくと散歩です。



飼い主さんの指示でやっとこちらに顔を向けてくれました。



2014年10月に撮った写真を確認するとありました。


写真向かって左に出入口の一部が写っていますが、ここは上にご覧いただいたホテル。
ただし、当時、現在のホテルであったかは不明。それはそうと、ホテルの隣に当時は
お店が並んでいたなんて、その凄まじい変貌ぶりが怖い。

さらに前へ。



年輪を感じさせる大きな木。









ブタさんの前を通り過ぎると、国営仁分旅店。



2014年の写真を調べてみると、ありました。
次の写真は、上の「国営仁分旅店」の前を通り越した東側から西方向を撮ったもの。


やや傾いた電信柱が当時と変わらずそのまんま。

現在の国営仁分旅店からさらに東方向に歩くと、便民超市。


このスーパーの前の電信柱を右折すると以前ご覧いただいた「北京基督教会崇文門堂(亜斯立堂)」
のある「後溝胡同」。

次の写真は、上のスーパーの斜め西寄りのところにある「永楽賓館」。



お次は、やはり以前にご覧いただいた「南八宝胡同」南口とその東にある
楽しい建物。



昔は商店だったようです。



外壁上部をご覧ください。

建物向かって右から「文興」。



次は、初めの一字がはっきりしません。
二字目は「油」、三字目は「紙」。



次は、残念ながら判読不可。


いずれにしても、かなり古くからの建物だと思われますので、一見の価値ありでは
ないでしょうか。

さて、ここで時間をさかのぼって2014年の写真をご覧いただきます。

次の場所は、後溝胡同の北口前から船板胡同の西方向を写したもの。
写真向かって左手に「超市」という看板のある辺りが現在の「便民超市」のある位置
だと思われます。


写真右側に小さくて見えづらいかもしれませんが、交通標識と「船板胡同」のプレートが
見えます。そのプレートの手前が「「南八宝胡同」。ついでに書きますと、プレートの
向こう側には「旅館」と書かれた看板。これは先にご覧いただいた「永楽賓館」。

次の写真は昨年5月に「南八宝胡同」の南口を撮ったもの。
当時は南口の西側に木製の電柱があり、そこに交通標識と「船板胡同」のプレートが
掛けられていました。


今回訪れた時にはこの木製の電柱は取り払われていました。結構味わいのある
電柱だったのですが。

そうして、次の写真は2014年10月に撮った「後溝胡同」の北口正面。
この北口から西方向を写したのが先きにご覧いただいた写真です。
現在の写真は省略しますが、今からは信じられない光景にわが目は点。
ちなみに、写真左手のお店の住所は船板胡同51号。


現在、数年前に飲食店があったことを示す痕跡などまったくありません。

昔の賢者曰く「故きを温ねて新しきを知る」と。賢人ではないわたしは情けなくも
「古きを訪ねて驚きで言葉を失う」といった感じです。



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