この胡同の名前の由来について、胡同関係の本、例えば『北京胡同志』などによると
その形が椅子(もちろん背もたれのある椅子のこと)に似ていることが挙げられてい
ました。
椅子を真横から見ると、背もたれがあり、その末端からお尻を置く場所が横に伸び、
その場所の両端から下に椅子の脚が二本続いています。実際、この胡同を歩いてみて
椅子の後ろ脚の部分がない点を除いて、先の指摘に納得です。
例えば、中国の「百度地図」を見てもそのように見えてしまいます。
オレンジ色の部分がこの胡同。
ならば、この椅子の形をした胡同が「小椅子圏胡同」と命名されたのはいつのことか?
と言いますと、今から52年ほど前の1965年で、それ以前は中華民国期に入ったばかり
の1911年に名づけられた「椅子圏」という名前でした。
名前の変遷を辿ると、1911年「椅子圏」、1965年「小椅子圏胡同」に改名される、
ということになる訳ですが、ここで、それならばこの椅子の形をした胡同が北京に
姿を現したのは1911年の民国期からなのか?という思いが頭の中をよぎります。
そこで、その辺のことを確認するため、やはり前掲書に載っている元代以降の北京
の地図、具体的には明代以降のこの胡同の変遷を辿ってみると次の通りでした。
この小さな胡同の形が時代によって変化しているのがよく分かり興味深く、変化の
原因や理由なども調べてみたくなってしまったのですが、今その点はおくとして、
明の時代の「小椅子圏胡同」の形と現在のそれとがほぼ同じ形をしている点には、
とりわけ印象深いものがありました。ご興味をお持ちの方はご覧ください。
〇『明北京城街巷胡同図』万暦ー崇禎年間(公元1573ー1644年)
現在の地図とほぼ同形ですが、名前が記されていません。
〇『清北京城街巷胡同図』乾隆十五年(公元1750年)
前掲のものとほぼ同形ですが、やはり名前がありません。
〇『北平旧城街巷胡同図(内城西部)』(1949)
名前は「椅子圏」とあるものの、前二者とは形が大きく違っています。「前公用庫」沿いに
出入口が二つあり、しかも、椅子の脚に該当する部分が下の胡同と接続しています。
〇『北京旧城街巷胡同図』(1990)
縦棒線が二本ありますが、これは数字の「11」で「小椅子圏胡同」であることを示しています。
前掲地図と同じく出入口が二本あるものの、前掲地図のような椅子の脚の部分が姿を消し、下の
胡同に接続していません。
〇『北京旧城街巷胡同図』(2003)
現在と同じ「小椅子圏胡同」という名前があり、しかも、見づらいかもしれませんが、現在の地図
で見ることができるような、椅子の脚の部分もあるものの、この地図では出入口が二つある点が現
在のものとは違っています。
そして、再び現在の「小椅子圏胡同」の地図(百度地図より)
明代から現在までの変化を辿ってみて、明代の地図上の形と似ているので、一瞬タイムスリップして
しまったような、キツネにつままれたような気持ちになってしまいました。
さて、話は変わりますが、パソコンでこの胡同について調べていると、不動産屋さんの部屋貸し出しの
広告が載っていました。この胡同における部屋代のご参考にどうぞ。
この広告を見ると、一部屋(20平米)が2200元。1元≒16円で、35200円なり。
部屋の写真も、どうぞ。
そして、もう一つ。
やはりパソコンで調べていたら、「小椅子圏胡同」ではないのが残念ですが、胡同の
部屋の改造という、写真を見るだけでも楽しい記事に遭遇しました。やはり、ご興味
をお持ちの方はご覧ください。胡同における部屋を改造する場合のヒントの一つにな
れば、嬉しいです。
題名は『北京胡同房舎改造:大雑院里30平米小房子的華麗蜕変』というもの。
アクセスできない場合は、次の簡体字の題名をコピペのうえ、検索してみてください。
『北京胡同房舎改造:大杂院里30平米小房子的华丽蜕变』。
www.sjq315.com/news/347636.html
【オヤジの独り言】
「珠玉の短編」という言葉があるように「珠玉の胡同」「珠玉の住まい」という言葉があっても
良いんじゃないか。変化の激しい北京にあって、この胡同にも訪れるに違いない、さまざまな波。
たとえいかなる波が押し寄せようと、この『小椅子圏胡同』に見られた四季平安という静かで穏
やかな祈りの果てには、「珠玉の胡同」という言葉が待っていてほしい。いや、この静かでつつ
ましやかな祈りの中には、すでに珠玉の胡同と呼ばれる未來が孕まれているのかも知れない。
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その形が椅子(もちろん背もたれのある椅子のこと)に似ていることが挙げられてい
ました。
椅子を真横から見ると、背もたれがあり、その末端からお尻を置く場所が横に伸び、
その場所の両端から下に椅子の脚が二本続いています。実際、この胡同を歩いてみて
椅子の後ろ脚の部分がない点を除いて、先の指摘に納得です。
例えば、中国の「百度地図」を見てもそのように見えてしまいます。
オレンジ色の部分がこの胡同。
ならば、この椅子の形をした胡同が「小椅子圏胡同」と命名されたのはいつのことか?
と言いますと、今から52年ほど前の1965年で、それ以前は中華民国期に入ったばかり
の1911年に名づけられた「椅子圏」という名前でした。
名前の変遷を辿ると、1911年「椅子圏」、1965年「小椅子圏胡同」に改名される、
ということになる訳ですが、ここで、それならばこの椅子の形をした胡同が北京に
姿を現したのは1911年の民国期からなのか?という思いが頭の中をよぎります。
そこで、その辺のことを確認するため、やはり前掲書に載っている元代以降の北京
の地図、具体的には明代以降のこの胡同の変遷を辿ってみると次の通りでした。
この小さな胡同の形が時代によって変化しているのがよく分かり興味深く、変化の
原因や理由なども調べてみたくなってしまったのですが、今その点はおくとして、
明の時代の「小椅子圏胡同」の形と現在のそれとがほぼ同じ形をしている点には、
とりわけ印象深いものがありました。ご興味をお持ちの方はご覧ください。
〇『明北京城街巷胡同図』万暦ー崇禎年間(公元1573ー1644年)
現在の地図とほぼ同形ですが、名前が記されていません。
〇『清北京城街巷胡同図』乾隆十五年(公元1750年)
前掲のものとほぼ同形ですが、やはり名前がありません。
〇『北平旧城街巷胡同図(内城西部)』(1949)
名前は「椅子圏」とあるものの、前二者とは形が大きく違っています。「前公用庫」沿いに
出入口が二つあり、しかも、椅子の脚に該当する部分が下の胡同と接続しています。
〇『北京旧城街巷胡同図』(1990)
縦棒線が二本ありますが、これは数字の「11」で「小椅子圏胡同」であることを示しています。
前掲地図と同じく出入口が二本あるものの、前掲地図のような椅子の脚の部分が姿を消し、下の
胡同に接続していません。
〇『北京旧城街巷胡同図』(2003)
現在と同じ「小椅子圏胡同」という名前があり、しかも、見づらいかもしれませんが、現在の地図
で見ることができるような、椅子の脚の部分もあるものの、この地図では出入口が二つある点が現
在のものとは違っています。
そして、再び現在の「小椅子圏胡同」の地図(百度地図より)
明代から現在までの変化を辿ってみて、明代の地図上の形と似ているので、一瞬タイムスリップして
しまったような、キツネにつままれたような気持ちになってしまいました。
さて、話は変わりますが、パソコンでこの胡同について調べていると、不動産屋さんの部屋貸し出しの
広告が載っていました。この胡同における部屋代のご参考にどうぞ。
この広告を見ると、一部屋(20平米)が2200元。1元≒16円で、35200円なり。
部屋の写真も、どうぞ。
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やはりパソコンで調べていたら、「小椅子圏胡同」ではないのが残念ですが、胡同の
部屋の改造という、写真を見るだけでも楽しい記事に遭遇しました。やはり、ご興味
をお持ちの方はご覧ください。胡同における部屋を改造する場合のヒントの一つにな
れば、嬉しいです。
題名は『北京胡同房舎改造:大雑院里30平米小房子的華麗蜕変』というもの。
アクセスできない場合は、次の簡体字の題名をコピペのうえ、検索してみてください。
『北京胡同房舎改造:大杂院里30平米小房子的华丽蜕变』。
www.sjq315.com/news/347636.html
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「珠玉の短編」という言葉があるように「珠玉の胡同」「珠玉の住まい」という言葉があっても
良いんじゃないか。変化の激しい北京にあって、この胡同にも訪れるに違いない、さまざまな波。
たとえいかなる波が押し寄せようと、この『小椅子圏胡同』に見られた四季平安という静かで穏
やかな祈りの果てには、「珠玉の胡同」という言葉が待っていてほしい。いや、この静かでつつ
ましやかな祈りの中には、すでに珠玉の胡同と呼ばれる未來が孕まれているのかも知れない。
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