北京・胡同窯変

北京。胡同歩きが楽しい。このブログは胡同のあんな事こんな事を拙文と写真で気ままに綴る胡同お散歩日記です。本日も歩きます。

第24回 馬家胡同5 艶やかな愉しみ(改訂版)

2015-03-13 03:06:49 | 通州・胡同散歩
これは改訂版。最後に追記がございます。


前回は三輪車に乗った愛鳥家さん、先導役のワンちゃん、そして、鳥かごや小鳥をご紹介したわけですが、
その愛鳥家さんを見つけたのは、このおウチの前。



そこで今回は、このおウチから胡同歩きをはじめたいと思います。


もう少し玄関に接近・・・



手前は、ガレージのようですが、これってこの辺りの胡同ではじつに珍しい代物。


ガレージで思い出したのですが・・・、北京の胡同でもたまにガレージ付きのおウチを見かけることが。
ある胡同本によれば、「私の独断と偏見によれば」と断ったうえで、このガレージの存在が政府関係者(指導者
や幹部)の邸宅かどうかの指標になる、と書いてありました。

この他には、警備員の詰所があったり、朱塗りの門だったり・・・。

そう言えば確かにうなずくことのできる経験をしたことがありました。

写真を撮っていたら、若い警備員さんが突然ウチの中から飛び出してきた。
その時の警備員さん、笑顔で私に話しかけてきたので、私も負けずに笑顔で「胡同の写真を撮るのが好き
なんです」というと、困ったような、申し訳ないような複雑な顔をしていた。
職務に忠実な警備員さんでした。
その経験をもとにして私なりにいえば、監視カメラの有無なんてこともあげてもよいかと思います。

肝心の上の写真のおウチとは直接関係ないまったく野暮な話ですが、思い出したので
書き留めておく次第。


次は、前のおウチ。


上のおウチの壁。

窓がありません。

前にも書いたのですが、このおウチも北向きであるために窓がないと言ってよいかもしれません。
正面が北向きの場合、かりに窓があったとしても、基本的には小さいものが多いようです。
建物って、人間と自然条件との合作だし、自然条件に合わせてけっこう合理的に作られているのが建物。



次は、上のおウチの進行方向左斜めのおウチ。

先ほど窓について書きましたが、このおウチは南向きであるので、窓があり、しかも大きめ。

この南向きの「窓」について、手持ちの本に次のようにありました。

 「北部一帯の住まいは、古くから自然光を利用することはもとより、冬の太陽熱を蓄えたり夏の太陽熱を
  遮ったりして、その熱の利用に関心を寄せてきた。長方形をした住まいの南向きのファザードに大きな
  窓を設けることや、その土地の緯度に合わせて軒の出を調節することによって太陽熱の利用をはかって
  いる。(中略)太陽高度が低い冬至のころは、大きな窓を通して住まいの内部にまで太陽光線をとりいれ
  るが、太陽高度の高い夏至のころは、強い日差しを軒で遮っている。」

また、同書は太陽光と窓との関係について、次のようにも書いています。内容が重なりますが、窓の位置
への言及が興味深く、あえて掲げておこうと思います。

 「中国の住宅は太陽の恵みを得るために、その軒の出と窓の位置によって夏の太陽光線を遮断し、冬は
  逆に住宅内部に太陽光線を導き入れている」(ロナルド・ゲーリー・ナップ『中国の住まい』学芸出版社)



次の写真は、上のおウチの屋根と壁。



やはり先の本によれば、この屋根の形態は「硬山頂」と呼ばれるそうで、意味は、中国語で強固な山。
中国北部、および北西部全域においてもっとも一般的な屋根の形態なのだそうです。
なお、同書には「これは、軒の出によって妻側の壁を守る必要のない、雨の少ない地域に適応したタイプで
ある」とありました。


と、書いたものの・・・

上にこの屋根の写真を掲げたのは、この屋根の形態の名称をご紹介するのが目的ではありません。そもそも
写真を撮ったのは、この壁に魅力的な肌触りを感じたり、色違いの煉瓦が描き出す模様に魅せられてしまっ
たからなのです。


次は、上のおウチの隣。


正面出入口。



次は、上のおウチの正面のおウチの壁。

北側の壁であるため、前に見ていただいた南向きのおウチの窓より小ぶり。


なお、停めてあるクルマは、日本車。

日本車じゃん、なんて思いながら、写真を撮っていると
背後にオートバイの走ってくる音。

振り向くと・・・



女性ドライバー。

私の前をニコニコしながら通りすぎて行ったのですが、笑顔の素敵な美人さんだったのでつい見とれてしまい、
写真を撮りそこねてしまったのは、なんとも情けない。


そして・・・
美人ドライバーを見送ったあとの私の前にやはり笑顔で現れたのが、これまた美人さん。
思わず、本日は美人まつりかと思ったりしたのですが、こちらの美人さんの写真はしっかり
撮らせていただきました。


でも、

もったいないのでここには載せません。門外不出!!


これはあまり大きな声では言えないのですが・・・、
よくよく思えば胡同には美人さんが多いような気がします。
美人は北京の繁華街にではなく、テレビやスクリーンでもなく、胡同にいる、
と言ってもまんざら的外れではありません。

いや、より正確には胡同は美人の宝庫。
これは胡同を歩く醍醐味の一つと言ってもよい現象。

ちなみに北京にはズバリ「美人胡同」という名の胡同さえあるのです。
でも、その具体的な場所は秘密です。(^^)




ところで、この美人さんが私の視界からその姿を消したあと、私の目に飛び込んできたのは、
電動三輪車に乗った次の女性。



やはり私の顔を見てニコニコしていたのですが、この時ばかりは、一瞬、私の秘かな愉しみを見透かされて
しまったかとドキッとしたりヒヤッとしたり。

でもこの女性、よくよく考えるとこの界隈の胡同で何度かお会いしたことがあるような気がしないでもありません。
あの笑顔は私への挨拶だっだのか!?
そこに気付いた私は、全身これ情けなさを絵に描いたような立ち姿だったと思います。



人の往来の途絶えた静かな胡同にたたずむ私の前にあったのは、葉を落としたればこそその強さ・逞しさ、そして
その美しさを人目に晒すことになった珊瑚のような形の大きな木とその背後にひろがる海のような青い空でした。



ふたたび緑の葉の繁る季節にこの馬家胡同を歩いてみたいと思います。
もちろん、ふたたび胡同美人に出会えるかもしれぬという秘かな期待を抱きつつ。(^^) 



馬家胡同。東端より西の方向を写したもの。

追記

胡同に懐かしさを覚える、そんな人たちがいるようだ。
そんな人たちの中には、「なぜ懐かしさを覚えるのか?」と自問自答する方もいらっしゃるかもしれない。
しかし私だったら次のように問うだろう。「なんの為に懐かしさを覚えるのか?」と。

また、胡同に対して、「そんなもの、単なるノスタルジャアだよ」と言う方がいるかもしれない。
私はそう言う方にお尋ねするだろう。
「人はなんの為にノスタルジャアを覚えるのか?」。あるいは、こう言い換えてもいい。
「ノスタルジャアはなんの為に存在するのか?」と。

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