北京・胡同窯変

北京。胡同歩きが楽しい。このブログは胡同のあんな事こんな事を拙文と写真で気ままに綴る胡同お散歩日記です。本日も歩きます。

多田麻美さんの『老北京の胡同』が出版されました!!

2015-01-26 13:07:17 | 【本棚より】
北京・胡同にお住まいのライター・多田麻美さんの『老北京の胡同』がサイのマークでおなじみの晶文社
より上梓されました。写真は相棒で写真家の張全さんです。
内容・目次などをお知りになりたい方は晶文社による紹介記事をご覧ください。
      http://www.shobunsha.co.jp/?p=3433





北京・胡同を歩く多田麻美さんと張全さん
     (上の二枚の写真が『老北京の胡同』の内容と関係ないことを
     お断りしておきます。写真提供・胡同会会員T.Mさん)

<<多田麻美さんのこと>>

「胡同は森」。
いつであったか多田麻美さんはご自身のブログでこう書いていたと記憶しています。
この「森」なる言葉を私なりに比喩として使わせていただけば、確かに胡同は700年ほどの歳月を経た
幅広く奥深い森であって、そこには有名無名を問わず多くの人々の暮らしや出来事があったし、現在も
あることはいうまでもありません。
多田さんは、果敢にもそんな森深くに分け入り、私などが関心を持ちながらも容易に知ることのできな
い、そこで生きる人々の暮らしぶりや出来事を時に大胆に時に繊細に陰影こまやかに私たちの眼前に照
らし出してくれる、いわば探照灯のような存在なのだと思います。
待ちに待った多田さんの胡同本『老北京の胡同』が自宅の本棚に並ぶことを心待ちにしていた方は多い
のではないでしょうか。
「もっと勉強しなければ」。北京や胡同、そして中国語についてのやはり多田さんの言葉ですが、この
言葉を聞いたか読んだかした時、「多田さんらしいな」と思った。そんな多田麻美さんは今日も北京の
どこかの胡同を相棒でカメラマンの張全さんと共に歩いているにちがいない。(満腹楼記)


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第22回 通州の胡同・馬家胡同 3 円柱のある家を見つけた!

2015-01-19 08:01:46 | 通州・胡同散歩
こんにちは~!

今回も前回に続き馬家胡同を歩きたいと思います。

それではさっそく歩きます(^^)/


まずは、前回最後にご紹介したおウチの前、進行方向右のおウチです。



左側に戻って、三輪自転車。



少し進んで、やはり左側です。


正面。



これは上のおウチの隣です。



さらに隣。


よく見ると・・・
ハト小屋がありました。


アーップ!!



その隣のおウチの壁沿いに・・・


玄関に近づいてみましょう。


正面。



次は移動して右側のおウチ。

門dunがありますが、このおウチでは飾りとして置いている模様です。

上のおウチの前から進行方向。

日本車がありました。




ちょっと前に進んで振り返ると、こんな感じです。



体勢を元に戻して、進行方向左側を見ると・・・
オッ!! こんなおウチに目が釘付けになりました~(^o^)/


正面。


シンプルですが、柱頭だってちゃんとあるんです!

でもこの円柱、柱としての機能を果たしているのかどうかは不明ですが・・・(^^ゞ
(なお、この柱頭アップ図は2013年10月下旬に撮ったものです。)


さてさて、以前にもこのブログ内で書いたとおり、四合院住宅の大門の規模や形態には等級があり、一目見れば
そのおウチの主人の身分・階層などが分ったといわれています。

この等級制度が廃止されたのは今から100年とちょっと前の辛亥革命(1911年)以降のこと。
この時からその家の住人の好みなどによって大門が自由に作れるようになったわけで、そんな時代の移り変わりと共に
出現したのが、この「華洋折衷」の大門だったというわけなんです。

こういう大門を見ていると、明治以降の日本人と同じく、中国の人々の西洋に対する憧れや旺盛な好奇心の一端を
垣間見るような気がいたしております。


ところで、以下でもう一度同じおウチを見ていただきたいと思います。
ただし説明内容との関係上、写真は門扉の閉まっていた時のもの。撮影は2015年1月14日。

斜めから。


正面。


この大門の西洋式円柱に意識を集中すると、西洋建築って「垂直性」が際立ってるなぁ~って感じます。
その代表が北京でも見ることのできる教会。

それに対して、この大門の上の中国式の屋根(これは日本も同様)に目を注ぐと、その「水平性」が際立って見える。
その代表は皆さんもよくご存知の景山から眺めた「故宮博物院」の横へ広がる屋根の群れです。

それじゃあ、この異質な二つの特性が接合されたこのおウチの大門は、これを見る人にどんな印象を与えるんだろう
かって考えたくなってしまいます。

が、あまり深く追究して眠れなくなってしまうといけません。そこで、付け足しとして、ちょこっとだけ書いときますと、
それぞれの特性が各々の特性を緩和しているんじゃあないか?というのが私の個人的印象なんですが・・・(^^)ゞ


次に、いま一つだけ書いときたいと思います。

この大門には、中国の建物の一つの特性としての「水平性」と西洋のやはり特性の一つとしての「垂直性」という二つの
異質な性質が併存しているわけですが、その一方でこの大門には際立った共通点も見出すことができ、その点も見逃す
ことが出来ません。

それは、2本の円柱に見られる左右対称性と次の写真の中華風「門環(ドアノッカー)」の配置に見られる、やはり左右
対称性という共通の性質です。

下の写真をご覧ください。

門環部分のアップでございます。


門環はごく一般的に二つですが、この大門の場合は四つ。
実質的に言って門環は二つで十分で四つも必要ないわけですが、おそらくこれはその左右対称性を強調するための
工夫なんじゃないかと考えられなくもありません。四つの門環がその対称性を強調するのに役立っているという訳
なのです。
しかも、四つという実質とは離れた量の門環を取り付けることによって西洋式「円柱」の持つ際立った雰囲気
とのバランスを保とうとする、この大門を作った方の密かな意思すら感じてしまいます。
門環の大きさが「大」と「小」という点など、文字通り隅に置けない、なかなかの曲者なのです。

今回の〆として、北京の外城の胡同で見つけた可愛らしいおウチをご覧いただきます(^o^)/
それでは、また。




   
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第21回 通州の胡同・馬家胡同 2 すぐそこにあるシュールな扉

2015-01-12 03:47:02 | 通州・胡同散歩
前回は馬家胡同の西側をご紹介しました。
今回以降は東側を数回に分けて歩きたいと思います。

それではさっそく!



これは東側馬家胡同の入口(胡同口)です。

ちなみに次の写真は2013年の10月下旬に撮ったもの。



時間をもとに戻して・・・

右側の家の壁に案内板が掛かっていました。

この案内板、前にも書いたと思うのですが、直前の正面写真をご覧になってもお分かりのように、2013年の段階では
ありませんでした。私がこの看板を見かけるようになったのは昨年の晩春から夏にかけてであったと記憶しています。

運河が世界遺産に登録されるのに合わせたのかもしれません(^^)


私はこの案内板を見つけて嬉しかった。
案内板が掲げられたということは、この界隈の胡同が壊されることなく存続することを意味しています。
胡同歩き愛好者の一人としてそれは嬉しかった。

しかしそれだけではなかった。私が胡同歩き愛好者であることなど、小さな理由だ。
2013年に安家大院を歩いているとき、一人の胡同居住者の方と偶然話をすることがあった。
その方は胡同生まれ、胡同育ちだ。

その方は話をしている時、笑顔だった。話し方も穏やかだった。
その笑顔に複雑な表情が混じり、独特な笑顔になった。
「どうなるかわからない」

こうもおっしゃった。
「いつまでもここで暮らしていたいが、政府の決定に対して私たちはなにも言えない。どうすることも出来ない」

私はなにも言えなかった。心の底からこの方の言葉にうなずくことが出来たからではない。
この時は、その笑顔とその穏やかな口調に負けたからだ。
私はほんのたまにだが、私に「河」を思い起こさせる人物に出会うことがある。この方がそのお一人だ。
深い河は静かに流れる。

私が案内板を見つけて喜んだのはその方のことを思い出したからである。
こういう方が胡同にいることを私は決して忘れない。


これは、案内板の掛かった壁沿いに進行方向正面を撮ったもの。

ここに写っているのは日本車。しかもまだ新しい。前回も書きましたが、こういうクルマをこの界隈の胡同でもよく
見かけるようになりました。


次は、胡同口の左側の家の蔓。この時はまだ緑が残っていました。

蔓物は繁殖力が旺盛なのです。


少し進んで左側。
ちょいといい味があったので・・・


角度を変えて・・・

積み上げられた煉瓦はいったい何のため?
壁の倒壊を防ぐためかもしれません。
それにしても、煉瓦と蔓との取り合わせが何ともいえない独特のいい味、出してました~(^o^)

この独特の味を出している壁の家の玄関はこれ。



正面。


玄関の階段横を見ると・・・

門dun(土偏に敦)が横たわっていました・・・(--;)


以下、やや細かい説明になりますので、ご覚悟を!!

ところで、この「門dun」なるもの、岩本公夫さんの『北京門dun』(正確には「門」は簡体字。この場合のdunは、石偏
に敦である。)によれば、中国の伝統的な住宅である「四合院」の正門と中門(垂花門、第二門とも)の敷居、柱と扉を支
えるために考案された石製の建築部材。
装飾品としての機能もあり、家の主人の家柄や社会的地位を誇示すると共に、門に荘厳さ、優美さ、個性をもたらして
いる。
彫られた図案は、長寿・富貴・邪気払い・招福・夫婦円満・子孫繁栄・家庭隆盛・万事平安・万事如意など当時の住人
の願いが表されているという。(※一般的には門dunのdunは、土偏に敦だが、岩本さんは石偏に敦のdunを使用。理由は
北京で木製のものを見た事がないからだそうだ。)


岩本さんはやはり同書で北京旧城内に見られる門dunを「北京型門dun」としてあくまで仮説としながら八通りの型と身分
との関係を挙げていらっしゃるので参考として次に写しておきたいと思います。

獅子型・・・・・・・・・皇族と官庁
抱鼓型有獅子・・・・・・武官(高級)
抱鼓型有獣吻頭・・・・・武官(下級)
箱型有獅子・・・・・・・文官(高級)
箱型有彫飾・・・・・・・文官(下級)
箱型無彫飾・・・・・・・大富豪
門枕石・・・・・・・・・富豪
門枕木・・・・・・・・・一般市民

※ここに見られる「門枕石」とは、飾りのある「鼓(平たい太鼓)」や「箱」の
台座となっている部分のこと。中間に敷居をはめ込む溝があり、門の内側にな
る部分に門扉の軸を受ける穴が穿られた長方形の分厚い石のことである。門枕
木は、材料が木ということになる。著者はここで「門枕」をも「門dun」に含め
て考えているわけである。満腹楼記

なお、門dunなるものの起源が気になりますが、その発生の時期については分っていないようです。
ただし、この門dunの下の門枕石の発達したものと岩本さんはお考えで、その門枕石は、四合院
の原型が出来た漢時代(紀元前206年-西暦220年)から使用されているという。

あまり長くなってはなんですから、このくらいにしますが、さらに詳しい説明をお知りになりた
い方は岩本公夫さんの『北京門dun』(北京語言文化大学出版社)をお読みください。
なお、北京語言文化大学には「枕石園」があり、多くの門dunが保存・展示されているようです。
これは、本書同様、岩本公夫さんの熱意が多くの中国の人々を動かしたたまものなのです。


話をもとに戻して、
門扉に取り付けられた門dunを見ると・・・

なんと!左右に別々の格好をした門dun。

頭がぐるぐるしちゃいました~◎◎!!




上が箱型で身分は文官。下は抱鼓型で身分は武官ということになるようです。

ひょっとして、左右が別々というところにこのおウチの住人たちなりの工夫と深い意味のある粋なはからいなのかも。
驚きと可笑しさ、そして感動を頂戴いたしましたー(^O^)/


次の二枚は同じおウチを2013年10月下旬に撮ったものなんですが、ちょっとシュールっぽさもあり、ついシャッターを
切ってしまったのですが・・・




アーップ!!


時間が経った今になってみると・・・

扉を開けると、また扉。
次々と現れる新しい扉を開けているような私たちの毎日の生活と常に新しい発見のある胡同歩きが重なって感じられる
写真になっている次第です。

 
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【本棚より】(再録)イーフー・トゥアン「空間の経験」・東京と北京はどっちなんだ!?

2015-01-08 12:02:23 | 【本棚より】
(以下の記事が本年1月7日に「胡同窯変」(Ame版)に発表した記事の再録であること、再録にあたり加筆訂正箇所
のあることをお断りしておきます。)

イーフー・トゥアンさんの『空間の経験』を久しぶりに読んだ。読み返しにもかかわらず私には鮮度の落ちない本だ。

例えばこんな一節があった。東京の街はもちろん、北京の繁華街や胡同を歩いていて記憶の奥から不意に頭をもたげる                      一節である。いささか長いがここに書きとめておきたい。
 

 都市は、昔から同じところにあるというだけで歴史的になるのではない。過去のいろいろな出来事は、

 生きている伝統の一部と目されている歴史書、記念建造物、野外行列、聖俗両方の祝祭のなかで記憶

 されていなければ、現代に影響をあたえることはできないのである。古い都市は、代々の市民たちが

 場所のイメージを保持し再創造していくための手がかりとすることのできる様々な事実を豊かに蓄え

 ている。市民たちは、自分たちの過去に自信をもっているので、穏やかな口調で話をし、自分たちの

 町に対して敬意を払う仕事を上品な方法で進めてゆくことができる。

 反対に、北アメリカの辺境の開拓地に誕生したような新しい都市には尊重すべき過去がないために、

 市の指導者たちは、事業を誘致し、誇りを高めようとして声高に話をするのである。あくどいまでの

 熱狂的な宣伝をすることは、印象的なイメージをつくりだすために過去に用いられていたテクニック

 であるし、現在でも、規模は小さくなっているが同じテクニックが用いられている。熱狂的な宣伝者

 は、自分たちの都市の歴史や文化を自慢することはまずできなかったので、「もっとも中心に位置し

 ている」「最大の」「もっとも高い」といった抽象的な幾何学的な卓越性を強調する傾向があった。

 このような熱狂的な宣伝は、今日ではアメリカの伝統の一部になっており、ポップアート風の装いを

 まとって実践されているのである。


本書は1988年、筑摩書房から出されたもの。原題は『Space and Place』である。私は1995年に読んだ。今から20年前と                       いうことになるが、読み返すたびに発見がある。
日本や中国の「都市」についてあれこれ考えさせてくれる。
日本及び中国の「都市」が、上の「古い都市」に該当するものなのか、それとも「新しい都市」に当てはまるものなのか、                       考えることしばしばだ。
もちろん、この本は都市だけについて書かれているわけではない。普段暮らしている何気ない「場所」に思いを馳せる
契機を与えてくれる実に魅力に富んだ本だといってよいと思う。
いずれにしても私にとって私自身が思考停止しないための刺激を与えてくれる一冊になっている。


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