北京・胡同窯変

北京。胡同歩きが楽しい。このブログは胡同のあんな事こんな事を拙文と写真で気ままに綴る胡同お散歩日記です。本日も歩きます。

第106回 【特別編】フォトグラファー・張全さんの[お遊び版]HP“胡同写真館”が開設されました!!

2016-07-26 13:38:00 | 【本棚より】
北京の胡同在住のフォトグラファー・張全さんのホームページが開設されました。
もっとも、今回のものは「お遊び版」(試行版)ということで、本格的なものは
今後を待つより仕方がないのですが、たとえ「お遊び版」であっても張全ファン
にとっては朗報。

「お遊び版」ということもあり、作品数は少ないのですが、観る者の目に飛び
込んでくるのは、やはり実にさりげない胡同写真。

胡同写真はおおざっぱにいえば三種類に分けられるように思えます。
一つは、観光客向け絵ハガキ風のもの、二つ目は、一つ目に近いのですが、い
かにもコマーシャリズムの見え透いたもの、そして三つ目は政治臭プンプンの
もの。

張全さんの写真は、そのいずれにも属さない。あえて言えば、四種目の胡同写
真といってよいかも知れません。張全さんの作品が、胡同の日常・日常の胡同
の一コマをさりげなく切り取っているからなのですが、ここには私などが見落
としたり、忘れがちな重要なことが含まれています。

さきに三種の胡同写真をご紹介しましたが、おそらく、いずれも胡同の日常・
日常の胡同を土台として持っていないものはないと言ってよいかも知れません。
もし、それらを土台としていなかったり、その土台から遊離したものであれば、
それらの写真はそれを観る者に長い間愛され続けることはないでしょう。

張全さんの作品は、さきの三種の写真が生れ出づる、いわば土壌そのものの一
コマを観る者の目の前にやはり実にさりげなく差し出しているように私には見
える。張全さんの作品を観て、観る者が作品の中の胡同を実際に歩いているよ
うな錯覚を覚えてしまう所以はそこにある。

はじめに書いたように、今回のものは「お遊び版」(試行版)。できるだけ早く
本格版ホームページを開設してほしいところですが、これはファンのワガママ
というもので、じっくり待つより仕方ありません(笑)。しかし、たとえ「お遊
び版」であっても次のことだけははっきり言える。観たい時に観ることができ、
作品の中の胡同を歩きたい時に歩くことが出来るようになったことは、張全ファ
ンの一人として何より嬉しい。(胡同窯変記)

胡同写真館  
    張全/Zhang Quan
   Photos of Hutong
asamitada.wix.com/hutong-zhangquan

なお、上のURLでアクセスできない場合は、ブックマークのものをご利用下さい。


  
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第105回 通州・白将軍胡同(その一) 道幅

2016-07-14 10:25:04 | 通州・胡同散歩
狭いなぁ。
南大街沿い白将軍胡同の西端入り口に立ったとき頭に浮かんだ感想です。
同時に「南大街から入ることのできる胡同の中でもこの胡同がこんなに狭いのは、なぜ?」
という疑問も浮かびました。



後日胡同について考える上で役に立つかもしれません。巻尺で測ってみました。



入り口、約145cm。
ちなみに、北京・大柵欄の「銭市胡同」は最も狭いところで40cmほど。
以前、胡同会の皆さんと歩いた外城の九湾胡同で見かけた風景。

男の子がローラースケートで遊んでいました。



自転車1台がやっと通れる場所もありました。



さて、白将軍胡同ですが、入り口から東方向を見ますと、途中から道幅が広がっているようです。



こういうところにも植え込みがあるんですねぇ。





前の写真は6月に撮ったものですが、7月には植え込みなどの植物たちが無事に大きくなっていました。
この胡同を歩く方たちがこの植え込みの植物を大切にしていらっしゃることが分ります。



日付を6月に戻して前進。

狭い道幅を電信柱がさらに狭くしています。道幅約120cm前後といったところでしょうか。



電動三輪車が置いてある辺りから道幅が広くなっていました。
とはいうものの、電動三輪車が置いてあるので実質的には道幅はもっと狭く。



三輪車の前に回って写真を撮ってみました。



これら二台の三輪車は、運転席に一人、後部座席に一人乗れるもの。幅は、最も広いところで約81cmほど。
この辺りでこのサイズの電動車がやっと二台横並びできる広さ。

ご参考までにこのサイズの電動三輪車のお値段はと言いますと、南大街のお店でお聞きしたところ、



改造していないもので2900元と言うことでした。まあ、地域やお店による違いを考慮しても
3000元前後と考えてよろしいかと思います。なお、写真に写っているお店の右隣が修理や改造など
してくれるところ。

それはそうと、胡同にはその大きさといい、速度といい、電動三輪車がよく似合うとつくづく
思いましたね。

と、そんなことを考えていると、二匹のワンちゃんと荷物を担いだ飼い主さんがやって来ました。
お買い物の帰りのようです。



二匹のワンちゃんと飼い主さんたちが通り過ぎるのを待ってから、体勢を戻して少し進み、右側の宅門を
撮りました。



ご覧のように門墩がありました。



抱鼓型で、図案は蓮の花。吉祥図。



宅門の前から少し進んで、前方。
再び電信柱。



電信柱のあるところは、先ほどの電動三輪車がやっと一台通ることが出来る幅。

写真を撮っていると、後ろでなにやら物音が・・・。
振り返ると、先ほどの宅門の前にイスを出して男性が腰掛けていらっしゃいました。



白将軍胡同はまだまだ続くのですが、あと少しでこの狭い路地は終点。



狭い路地の終点に到着。ぱっと道幅が広がりました。



右側には路地。



路地の左側のお宅の屋根と壁。



前にも書きましたが、屋根の形式は「硬山頂」。雨の少ない北方で多く見られる屋根の形。
日本の切妻屋根に似ていますが、壁からはみ出した屋根部分がほとんどありません。

年季の入ったものですが、レンガの作り出す模様が素敵なんですよねぇ。胡同はアートの宝庫。
モネや「黄色の壁(Mur jaune)」を描いた荻須高徳がこの壁を描いたらどんな作品になったでしょうか。
ピカソやマティスにも胡同を歩いて欲しかったなぁ。

狭い路地から少し離れて撮ってみました。



終点の道幅210cm前後。
入り口から終点までの長さはと言いますと65m前後。

まだ白将軍胡同は続くと言うのに、どうして南大街の入り口からおよそ65m前後の距離の部分だけ
狭くなっているの? とうして突然道幅が広くなっているの?
道端に置いてあった石に腰を掛けて考えてしまいましたよ。



どうして狭いの? とうして突然道幅が広くなっているの?
結局、この問いの周りをぐるぐる回っていただけで直接この疑問に結びつく答えは浮かばなかったのですが、
その代わり『日下旧聞考』と『元史』の胡同に関係する一部分を思い出したのは見つけモノでした。
後日役に立つかもしれませんので、次に掲げておきます。

『日下旧聞考』「巻三十八・京城總紀二」より

“街制自南以至於北謂之經自東至西謂之緯大街二十四步闊小街十二步闊三百八十四火巷二十九衖通”

ここには、北京城の土台を築いたと言われる元の大都城の道路名とその道幅とが記されています。もともとは
『析津志』という名の本に書かれていたもの。『日下旧聞考』は康熙の時に編纂された『日下旧聞』を乾隆の
時にさらに増補した書ですが、この中には現在では散逸してしまった多くの記録が記されています。『析津志』
もその一つですが、今は『析津志輯佚』として目にすることが出来ますが、ここでは『日下旧聞考』から引用
しました。

引用中に「大街二十四步闊小街十二步闊三百八十四火巷二十九衖通(xiangtong・文字化けした場合を考えて
書いておきますとxiangは「共」に行き構え)」とありますが、ここから大都には、四通りの道路があったこと
を知ることが出来ます。
大街・小街・火巷・衖通の四つです。道路幅は大街が二十四歩、小街が十二歩。「歩」というのは長さの単位で
すが、当時の「一歩」は1.536m。ですから大街の幅は36.864m、小街は大街の半分で18.432mとなります。

火巷(huoxiang)と衖通(xiangtong)は、詳しい説明は省略しますが、現在「胡同」と呼んでいる道路と
同じものと考えておいてください。
この火巷と衖通については「三百八十四」「二十九」とその数は書かれているのですが、残念ながらその幅が
書かれていません。しかし、1965年、中国科学院考古所によって行なわれた大都城の調査によりますと当時の
胡同の幅はだいたい9.3mだったそうです。この数字は元代の六歩で、小街の半分ということになりますね。


もう一つ。『元史』「巻十三・本紀第十三・世祖十」より

“詔舊城居民之遷京城者以貲高及居職者為先、仍定制以地八畝為一分、其或地過八畝及力不能作室者、
 皆不得冒據、聴民作室”

細かい説明は省略しますが、ここから大都へ移り住んだ人へ一戸主あたり「八畝」の土地が与えられたことが
読み取れますが、断るまでもなく「畝」は面積の単位。元代では240方歩で一畝。この場合の「歩」は長さの単位
ではなく面積の単位で、元代では1歩は5尺平方でした。当時の長さの単位としての1歩は5尺で1.536mと言わ
れていますから、1歩という面積は約2.359296平方mになり、240方歩では約566.23104平方m。八畝というの
は、この八倍の4529.84832平方mということになります。

上に『日下旧聞考』『元史』をもとに胡同の幅や宅地面積などについての細かい数字を掲げましたが、もちろん
これらの数字はあくまで一つの目安にすぎません。しかし、胡同の長さや幅を考える上で何かのヒントになる可能性
も無きにしも非ずですので、細かいことを承知であえて数字を掲げてみました。これらの数字が白将軍胡同を含む
現在歩いている胡同とどのように結びつくのか?どのように結びつけたらよいのか? これらの数字から、一体何が
見えてくるか? これからの課題です。

ところで、石に腰掛けていろいろ考えているうちに『日下旧聞考』や『元史』の一部を思い出したのはよかったの
ですが、この路地を歩いて気になることがもう一つありました。それは、この細い路地で見かけた電信柱。



電信柱はこの胡同の入り口にもありました。



次回は電信柱の周りを回ってみるつもりです。


 
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第104回 【特別編】客死した琉球人が眠る埋葬地(通州・張家湾)

2016-07-05 10:00:08 | 【本棚より】
皆さま、暑い夏をいかがお過ごしでいらっしゃいますか。
今回は、胡同歩きから離れ、地元・通州に関連する記事を取り上げてみました。

1870年代の日本による「琉球処分」についてご存知の方は多いに違いありません。
しかし、その時、琉球救国のため中国(当時は、清・光緒の時代)に渡った琉球人が
客死したこと、そしてその埋葬地が現在私がご紹介している胡同のある北京・通州に
あることを知っている方は少ないのではないでしょうか。

そこで、「琉球新報」の次の三つの記事をご紹介。ご興味をお持ちの方はご覧下さい。
いずれも「社会面」でございます。

それぞれの見出しを掲げました。お手数をおかけいたしますが、それぞれコピペのうえ
「琉球新報」URLへアクセスし、紙面上で検索していただけるとよろしいかと存じます。

北京の琉球人埋葬地危機 調査・収骨なく開発計画 研究者ら保存運動
北京の琉球人埋葬地 県内研究者有志、現地で発掘調査へ
北京の琉球人埋葬地で鎮魂の祈り 墓参団、関係者に保存打診
「琉球新報」URLryukyushimpo.jp

  
  
 
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第103回 胡同で見かけた小鳥と犬のお尻

2016-07-01 11:19:54 | 街角便り
時期としては、ちょっと早いのですが、暑中お見舞い申し上げます。
気温、湿度ともに高い北京の夏を皆さんはいかがお過ごしですか。
私は、北京や通州の胡同歩きで次のような光景から涼しさを頂戴し、元気パワーを
注入しています。

北京の胡同にて



写真右側、蔓巻き用の棚の作る木陰に吊るされた鳥籠と小鳥たち。
胡同の夏の風物詩。



胡同植物園には鳥籠と小鳥がよく似合います。
湿度が高くない時は、木陰に入ると涼しく、実に快適なんですよ。


次は、地元・通州の南大街にて



「改衣坊」。仕立て直しのお店の入り口。クーラーはあるようなのですが、店の中では扇風機が回っていました。
なぜか入り口からちょこんとお尻だけ出したワンちゃん。



ワンちゃんはお尻も可愛らしい。
夏の暑さも、吹き飛んでしまいます。


私は現在、暑さも忘れ、通州の胡同関係の遺跡を調査中。
次回は、通州の胡同でお会いいたします。
どうぞ皆様も、快適な夏をお過ごし下さい。


  
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