
じとじとしてます
第18回 歌麿よ見徳(みるがとく)は
一炊夢(いっすいのゆめ)
残念ながら、この↑副題がどこから来て
どう意味なのか分かりませんでした
調べたいと思っています
喜多川歌麿「婦女人相十品 / ポッピンを吹く娘」
寛政4~5年(1792~)
「婦人相学十躰 / 浮気之相」 寛政4~5年
青本の作者を探していた重三
北川豊章(絵師)の作品をいくつか見ていて
はたと思った
唐丸の筆の運びと同じようなところがあるらしい
早速豊章を訪ねた所にいたのは捨吉という名の若者だった
どうやら身の上を隠そうとしているようだが…
一方青本の執筆も決めなければならない
重三は目星は付けていた
朋誠堂喜三二
新作をどれくらい書いてもらえるか
重三が頼むと喜三二はなんだかんだと嫌がる
そこで
何ともいやはやどうなんやろ~しかし
これで「OK」
出すんですよね~
ま、この駆け引き三方とも商売が成り立つんですけど
それは
女郎屋に「居続け」
しかも松葉屋、駿河屋、十文字屋…と
お店を転々と変えていいと
喜三二さん、ふたつ返事で、「OK」
重三は商売上手です
海千山千のおやじさん達を見て育ち
根っからの利口さも発揮して、やりますね
さあとんとん拍子と思いきや
喜三二さんがダウン!
早く回復して下さいよ(^-^;
さあ、絵師ですね
人材配置は大切です
子供の頃に一緒に暮らした
「唐丸」
やはりあの絵はもう唐丸に違いない
重三は今は捨吉と名乗る青年を唐丸と信じ
話をつづけた
幼い頃、親の愛を味わったことのない子の
心には様々な影が宿っていた
一生懸命に話してくれる重三に捨吉(唐丸)は
心がほどけてきた
もう大丈夫だ
重三は矢立を唐丸に差し出した
キラキラ輝やく矢立
私もあんな文具がほしいなあ~
と言っても豚に真珠です~⤵
『唐丸これで好きなだけ書いたらいい』
と重三が言ったかどうかは分かりませんが
ふたりは一目散に駆け出しましたね
今度こそ、唐丸にしあわせが来ますように
予告編で「歌麿」と名付けたようでしたね
あの、喜多川歌麿ですか
大河ドラマ「べらぼう」に
現実味がうわっと湧いて出たみたいです
ご無沙汰しております
ありがたく忙しくしておりました
神社の大人神輿が一基 子供神輿が二基出ました
前日の雨にどうなる事かと思いましたが
晴れました
なんとか事故もなく、本当に良かったです
ただ、来年から何かと変わるようです
「神社の存亡の機」
ま、私はとやかく言う立場でもないので
「仰せのままに」です
見る限り、仲が悪いとかそう言うのではなく
どこもあれこれと成り行かないこともあったりして…
昨夜も町内単位の定例会でその話に時間が費やされました
結果?
いえいえ、出ませんでした~
俳句の会もふたつが合併します
15人位になるようです
今年度は責任者をする羽目になってしまった
本心困ってます
昨年今年とこういう年回りの様です
ま、体を動かすように!との思し召しかも
「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺17」
まで来たんですね
なかなかゆっくり見られず…
江戸時代中後期に活躍した蔦屋重三郎
次々と新しい風が吹きます
貸本屋だった蔦屋が
吉原細見や赤本、青本、錦絵など
世の中に送り出して行ってます
今はまだ江戸界隈でしょうか
おそらくこの先、
江戸を飛び出し四方八方へ広がるのでしょうね♪
令和の今、情報はいろんな形で我々の所へ来ます
もう有り余るほどの情報を見る、聞く
自由ですね
その自由に比例して問題も多く生じています
人の心を深く傷つけることもある
情報をいっぱい得る人
そんなのは見ませんという人
どちらがいいのか幸せなのか、分かりません
「べらぼう」で私は江戸時代の花街の情報を得ています
テレビから飛んでくる映像はもちろんの事
「浮世絵」が花魁の姿や行事や吉原一帯の風景を
真実性も高く目に飛び込んで来ます
テレビ好きには格好の情報媒体です
重三は自分の生まれて育った吉原を
たくさん本にしてお江戸の人を楽しませた
吉原の催しごと
普段の遊女たちの暮らしぶり
など、吉原に住む重三だからこそ知りうることなどを
吉原は辛く悲しいところ
遊女たちはどこへも飛んでいけないかごの鳥
そんなことも本にしたことがあるのでしょうか…
田沼意次も重三の本を読んだんですね~
重三が言ってました
気にかかってることがある
「たくさんの人の世話になった
世話になるばかりで恩返しが出来ていない」
だから、あちらにもこちらにも
本を広めたい、と
ドラマに映った地図によると
もう関東一円に行ってますね
ただどの国にもつぶさに広めたとは言えないようで
「耕書堂」
平賀源内にもらったこのお店の名
世の中に働きかけよ!
と
遺言になってしまいましたね
平賀源内、瀬川、吉原の人々、
富本太夫、朋誠堂喜三二、絵師、版元、摺師
確かに恵まれてると思えるくらい沢山の人が
重三を支えてきました
はあ~真面目でいじらしくて切なくなります
耕書堂は今、上向きです⤴
鱗や鶴が気になりますね、どんな封じ手に出るのか
蔦重が本屋「耕書堂」を開きました
「吉原」
語源はこの辺りが以前は葦が茂っていたからだそうです
吉原の五十間道という所地図を見ると大門の外ですね
「蔦屋」の名前も見えます
↙浅草がある、あ、奥の方に江戸城と上野と富士山が~
こうして地図を見ると大門の内側は
整然と並んでいます
五十間道は広いですね~
沿道のお店の発展はこれからですね
道から離れた所も田畑が残ってます
「お歯黒どぶ」も見えますね
高い塀とお歯黒どぶに囲まれた吉原
遊女たちは逃げだすことは出来なかった
駿河屋、松葉屋は一等地にあります
栄えていたのでしょうね
いちばん華やかそうな仲の町通
桜の季節には毎年桜の木を根っこ付けたまま
運んできて道の中央にずら~~っと植え込み
お花見が盛大に開かれ賑わったとか
桜の木を毎年植えては季節が済めば抜いた
なんて、べらぼうな!
大門をくぐる前にお客様たちは
蔦屋で吉原の案内本「吉原細見」を買い求め
知識を集めた
この下に載せたのは写真でして
朝日新聞がシリーズで出したものです
ずっと前に夫が購入してました
表彰状くらいの大きさです
「吉原大門内花魁道中図」
歌川豊国 寛政7年(1795)頃
蔦屋重三郎の晩年の頃
「東洲斎写楽」や「曲亭馬琴」とは関わっていましたが
「歌川豊国」とは直接には関わりはなかったとか
この絵は
吉原正面入り口「大門」から中央の「仲之町通」へ
やって来たばかりの遊び客
黒いかぶり物に裾の長い羽織を引きずっている
この出で立ちは「金々先生」と呼ばれてると
ドラマ「べらぼう」でも見ましたね
当時流行りのファッションの遊び客
花魁と禿たちが2組描かれてます
①金々先生を迎えに来た花魁と禿
②後方のお店らしき二階から身をのり出して
見ている客らしき所に行く花魁と禿
と説明文がありました
「遊女と禿図」
喜多川歌麿 寛政年間(1789~1801)初期
歌麿美人の極み、吉原高位の「遊女・滝川」
「べらぼう」で喜多川歌麿と蔦重は関わりますね
遊女の黒地の打掛には白い波の裾模様
更に小さな鈴がいくつも付けられている
襟元を緩ませてあだっぽくしてますが
これも流行りかな、個性かな
禿からの修業は苦しいものでしょうね
花の井もそうだったのか
重三も幼いうちから吉原で働いていた?
図上に文字がありますが
狂歌師 頭光(つぶりのひかる)によるもの
”居続は幾世の孫に帰るらん
桃のこひある色の源”
「居続・いつづけ」
「桃のこひ」
百の媚び と 桃源郷の桃
がかけられている
”このような楽しいところに居続けて
帰ることを忘れそうだ”
という意味だそうです
さて、瀬川を失った蔦重
また大河ドラマ「光る君へ」を
思い出しました
”めぐりあひて見しやそれともわかぬまに
雲がくれにし夜半の月かな”
紫式部
道長と紫式部も悲恋でした
晩年の「源氏物語」を通しての
”めぐりあひ”はありましたが…
重三と瀬川のこの先はどうなるんでしょうか
重三のピュアで優しい心
仕事となると情熱的で猛進しがち
瀬川も幼い頃から重三を光として生きて来た
でも妻として重三を支えていけるかな
重三にもらった「女重宝記」まだ持ってる?
ほんとに瀬川はどこへ行ったのでしょうか
”瀬川ロス”
私は感じています
ふたりの楽しい日々を描いてほしかった
まだ寝ている重三を優しく𠮟りつける瀬川
目が覚めて
夢と分かった重三の寂しさ
夢に見たような楽しい
「蔦重瀬川夫婦道中」が本当だったら…
∞
幕府には何やら不審な「死」が続きますね
「刀」ではなく「毒」がざわつきます
德川家基
鷹狩の最中のあの手袋
松平武元
家基の死の真相を追って手袋を手に入れた
田沼意次
あの手袋は意次が作らせ渡したもの
大奥の高岳(たかおか)・富永愛さん
と
一橋治済(はるさだ)・生田斗真さん
このふたりから噴き出している怪しさ
「鷹狩手袋毒殺事件」
の真相はあらわになるのでしょうか
平賀源内も解決に一役かっていますが
なんだか様子が変…
源内さん、しっかりして!
当道座の鳥山検校さん
あっちの問題こっちの問題に絡んでいました
特に「座頭金」
徳川家康のお墨付きの「盲人優遇政策」を
利用している「座頭」
悪徳高利貸しとなって町人から武士から
べらぼうな高利をむさぼる
挙句の果て家督を乗っ取り出家させることも
あるという
「座頭」とは
盲目の人達の職業を表し、あんま・はりをする人
或は琵琶や琴などを弾く人のこと
勝新太郎さんが演じられた
「座頭市」という名前には
その人のデータが組み込まれてたんですね
座頭の市さんで座頭市
なるほど
でも正義の味方的な人でしたよね
琴といえば
「八橋検校」
やつはしけんぎょう
お琴の名士で有名ですよね
「六段の調」という曲名を思い出せたのですが
どんな曲だったかなあ~(^-^;
それと八橋といえば
京都みやげの「八ッ橋」
当初の八ッ橋は焼いたのだけでした
大きくてとても分厚そうな鉄板の上で
お琴のかたちに焼き上げる
店頭で焼いて見せてくれます
拍子木のような形のきれいな木を
鉄板の上に置いて
生八ッ橋から固焼きへと
お琴の形に形成されて行きます
その手さばきが鮮やかでした
新京極や近くのお店で
見とれてた覚えがあります
もうお店の前はニッキの香が漂います
その後生八ッ橋が登場
三角に折った生八ッ橋の間にあんこを挟んで
これは”名物に旨いものなし”とは
言えません、おいしい♡
話がすっかりそれました<m(__)m>
こんなことになってる座頭金
田沼意次はこれはほっておけないと
*鳥山検校の家宅捜査
*西の丸勤めの侍で座頭金に手を出した者はいないか
田沼は勘定奉行の松本秀持
江戸城西の丸の進物番の長谷川平蔵を
徹底的に取り調べよ!と
早々に報告が田沼に届く
あまりのひどさに
将軍家治に一刻も早く願い出ようと
例えば森親子が借金のため逐電したのは
贅沢のせいでなく質素な暮らしの者がここまで
追い詰められているのですと
世の中がこんなにも座頭金に苦しめられていると
将軍に実情を理解してもらうことが出来た
さてこちらの問題は、悲しい
鳥山が次第に瀬川と蔦重のことを疑い出した
瀬川はよほど思い詰めていたんでしょうね
鳥山に追い込まれ
「蔦重はわっちにとって光でありんした」
蔦重や吉原の人たちは瀬川にとって
家族のようなもの
それでも身請けされたのだから
蔦重への想いを自分の胸から消したいと
鳥山の刀を抜いて自分の喉にむけ、殺してくださいと
腹をくくった瀬川
腹立ちの鳥山に納戸の中に閉じ込められた
鳥山の所へ行ってからは
窓縁から外をぼ~っと見てることが多そうで
決して幸せな毎日ではなさそうで
蔦重はその頃鳥山の使いの者がきて
呼び出され
不安な顔つきで鳥山の屋敷に向かっていた
まさか瀬川がこんな目にあってるとは
知らないだろうが、瀬川はどうしてるか
不安な気持ちで向かっていたんでしょうね
でも予告編が…べらぼう