北京・胡同窯変

北京。胡同歩きが楽しい。このブログは胡同のあんな事こんな事を拙文と写真で気ままに綴る胡同お散歩日記です。本日も歩きます。

第139回 通州の胡同・悟仙観(その四) 戻って来た9号院の門牌!!

2017-04-27 11:28:00 | 通州・胡同散歩
4月26日(水曜日)。

前回、行方不明になってしまい、気をもんでいた悟仙観9号院の住所表示板・門牌が
再び貼られていました。





こんなことを書くと「門牌如きで!!」と笑われてしまうかもしれません。
しかし、「たかか門牌、されど門牌」なのです。時と場合によって、門牌はとんでもないお宝。

たとえば、北京の胡同・小楊家胡同の老舎の生まれた旧宅の門牌などは現在貼られていません。門牌を
持ち去ってしまうふとどき者がいたにちがいないのです。

毛沢東さんの旧宅。
毛沢東さんは何ヶ所かの胡同に住んでいたことがあるのですが、その一ヶ所の門牌などにいたっては貼り
かえても持ち去られてしまうため、名刺大のぺらぺらの紙にボールペンで番号の書かれた門牌が玄関に貼
られているのを実見したこともありました。

と、いうことで、
たかが門牌、されど門牌。

皆さんもふとどき者の仲間入りなどせず、門牌を大切に可愛がってネ!!

それはそうと、南倉街9号と書かれた門牌は今も行方不明中。

  
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第138回 通州の胡同・悟仙観(その三) 名前の由来となった場所44号院

2017-04-25 11:26:32 | 通州・胡同散歩
9号院を後に歩き出しました。





9号院の出入口が壊されていたのはショックでしたが、歩き出して玄関に貼られている
春聯を見ると元気が回復してきて「よっしゃぁ!!」と気合が入ります。





私好みの宅門が見えます。







曲がっているところが「ちょっと」と思わないでもありませんが、これはこれでよろしいかと。



入口の戸の上に渡してある木製の横木、中国語で「門楣(menmei)」。
感触といい、模様といい、十分説得力のある細部です。



門墩。





磨り減っていて、なんの模様だか分からない状態でした。






ここは13号院。



前にも書きましたように、「悟仙観」という所番地をしめす門牌に並んで「南倉街」という
門牌が貼られているのは、私の確認したところではここ13号院まででした。

写真を撮っていると中から子犬。







普段、飼い主さんや周囲の人たちに可愛がられているためか、一見警戒心がまったくと言ってよいほど
ないように見えます。が、その実まだまだ幼く、遠くに遊びに行くのはおっかないようで、玄関の近く
を離れることができないようです。



名前が分からないので、勝手にクロと名付けました。


クロと別れ、再び歩き出しました。





上の写真のお宅玄関には何も貼られていませんでしたが、斜め前のお宅には門神。







ご覧のように、貼られている二神は「秦叔宝(しんしゅくほう)」と「尉遅恭(うつちきょう)」
です。

前にも書きましたように、唐の太宗が夜、悪鬼に悩まされて安眠できなかったとか。そこで勇名
を馳せる秦叔宝と尉遅恭の二臣を門に立たしめたところ効験があったそうです。そこで画工に命
じて彼らの像を描かせ、宮門に懸けるようになり、これが後世に受け継がれたとか。

門神は邪気の侵入を防ぐ護符ですが、それがどうして財神になったのか興味深いところです。



上のお宅の壁沿いの植え込み。



目にも鮮やかな緑が見られるようになるには、今少しかかる時期の写真撮影でしたが、その代わりに
春聯が目を楽しませてくれるのです。

斜め前のお宅玄関には、豪華にも春聯、門神、そして福の字の三種類が貼られていました。



しかも、春聯は手書き。
上手下手に関わりなく手書きの春聯には心がこもります。



各家庭の春聯の文字がそれぞれ手書きであったなら、胡同は百人百様の春聯文字の競演です。
胡同の楽しさ倍増、間違いなし!!

門神は先ほどのお宅と同じく、やはり「秦叔宝(しんしゅくほう)」と「尉遅恭(うつちきょう)」の
二神ですが、こちらは武神でありながら、厳めしいというより、親しみの持てる可愛らしさがあり、
舞台劇風なところもひと味違い、思わず京劇を観たくなってしまいます。




斜め前は公共トイレ。



その前のお宅をとくとご覧ください。



角度を変えて。



上の写真では分からないかもしれませんので、正面写真を、どうぞ。



石段の跡があります。



ここにはもと、出入口があったのですが、何らかの理由で出入口を塞いでしまった模様です。
ならばこのお宅の出入口はどこかといいますと、建物脇の路地沿いで、チャウチャウと飼い主さん
が出てきた所。





チャウチャウと飼い主さんが出てこられた玄関。



悟仙観44号院。



「第136回 通州・悟仙観(その一)」でも書きましたように、こちらがこの胡同の名前の由来となった
道観「悟仙観」のあった場所なのです。

前にも書きましたように「悟仙観」は元代の至正年間(1341~1368)の初めに建てられたそうですが、
やはり『北京胡同志』によると時代が下って新中国成立後、ここには「南倉街小学校」という学校が
あったとのこと。先ほどご覧いただいた石段の跡は、もしかしてその頃の名残りかもしれません。
なお、南倉街小学校については不明瞭な点がありましたので今回は省略し、このような小学校が一時
的にもこの場所にあったということを記録しておきたいと思います。


路地を歩いてみます。







レンガがぶら下がっていました。



「このレンガは、いったい何なの?」とつぶやくと、「わたしは知りません」とでも言いだけな
ドアの取っ手。



狭い路地の道端の植え込み。



それは、春の到来を待ち望む北京っ子、胡同っ子の心の発露、心の形。
胡同に胡同植物園が溢れる季節のやってくるのが楽しみです。





ドアの対面。



突き当りを左。



今度は右折で、行き止まり。




再び歩き出しました。











門墩。



文革期の傷痕か。



玄関の柱には春聯の文字ではなく、なにやら書かれていますが、読み取れません。








華やかな春聯と門神。





門神はやはり「秦叔宝(しんしゅくほう)」と「尉遅恭(うつちきょう)」。
その隣にも春聯。





胡同正面。
写真奥を横切っているのは「中倉路」。
あと少しで悟仙観も終点です。







西の端から東側を撮ってみました。



次の写真は南側。



中国式のお医者さんがありました。



その隣。
南側の「悟仙観」という住所はこの辺りまで。



続けて北側。



北側は、写真左の塀が白く塗られている手前までが、「悟仙観」です。




さて、それでは前回お約束したとおり9号院のその後をご覧いただきます。
9号院の出入口がきれいに改修されていました。



現時点では、今後工事が9号院の内部にまで及ぶものなのかどうか分かりませんが、それらしき
動きがあった場合にはご報告させていただきます。

なお、気になったことが一つ。

入口の戸の上の横木「門楣(menmei)」の材料が木から石へと換えられ、これでより丈夫になった
ということなのでしょうが、悟仙観9号、南倉街9号と書かれた門牌の姿がどこにも見当たりません。
いったいどこへ行ったのでしょうか。個人的には非常に貴重なものなのですが・・・。


さてさて、さらにご報告を三つほど。

前回、蓋のはずれた木製の新聞受けをご紹介しましたが、その蓋が修理されていました。





また、今回ご覧いただいた中国式のお医者さんの前の街路樹の脇には、なんと!!長ネギが。







そして、クロとの再会もありました。



まだ幼さの残るクロでしたが、前回とは違い、だいぶ大きくなり、他の犬といっしょに胡同内を
元気よく走り回っていました。







クロは今、遊び盛りのようです。



   
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第137回 通州の胡同・悟仙観(その二) 9号院は、どうなるの!?

2017-04-20 10:01:26 | 通州・胡同散歩
3号院の前の家。



どなたも住んでいらっしゃらないようです。
このお宅の入口の形が面白かったので、脇の路地の塀沿いから中を覗いてみました。



胡同には、いっぱいの宝物が埋まっています。いや、転がっています。
中を覗くと、琺瑯引きの洗面器が当たり前のように転がっていました。



この空き家斜め前に広がる光景。

青空に似合うもの。
ヒコーキ雲と道端に干された洗濯物。



斜め前辺りのお宅。
蓋のはずれた、木製の新聞受けがありました。





その対面は、周倉庵胡同の南端出入り口。





お化粧された立派な建物がありました。





敬賢堂。



蘇式彩画というのでしょうか、雲のような輪郭の中に花や鳥獣、山水が描かれています。



雀替もあります。



敬賢堂の斜め前の細い路地。



路地の奥がどうなっているのか、ご紹介したいところですが、「周倉庵胡同」
の由来となっている「周倉庵」の跡地といわれる9号院に移動。



劣化が激しく倒壊の危険性があるための改修工事か、それとも他の理由によるもの
なのか、また、この工事が、この敷地の中に残る、以前ご紹介しました「周倉庵」
の一部と思われる建物にも及ぶものなのかどうか、分かりません。





道端には9号と書かれた住所表示板の貼られた横木が横たえられていました。



9号院は、今後どうなることやら。
次回にはご報告出来るのでは、と思っています。


  
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第136回 通州の胡同・悟仙観(その一) オヤジ、3号院で励まされる!!

2017-04-13 11:25:07 | 通州・胡同散歩
前回、前々回で書きましたように胡同会のFさんとSさんという遊び友達が北京を
離れ、柄にもなくガックリと意気消沈したオヤジですが、「これでは、いかん!」
とばかりに元気を出して、今回は通州の胡同・悟仙観をご紹介いたします。

悟仙観は、第130回から第133回でご紹介した周倉庵胡同から一本南側にある胡同です。
写真は南大街から西方向を撮ったもの。



入口右手のお宅前に煉炭を配っている方がいらっしゃいました。




前にも書きましたように、この煉炭は「優質煤」と言って燃焼時に一酸化炭素などの
有害物質が少ないもの。

こういう一輪車で注文を受けた各家庭に配っているのです。



さて、入口右手角のお宅をよくよく見ると、



参ったなぁ。
換気のための通風口と灯り取りとを兼ねたような物件が屋根の上に載っているでは
ありませんか。これってもしかして7、80年以上は、いや100年以上は経ってるんじゃない?


屋根の上にちょこんと載っているこの物件。今後、どうなってしまうのか分からないので、
「ぜひ残して欲しいなぁ」、そんな願いを込めてシャッターを切りました。


右手と左手のお宅の外壁。





時に傷ついた外壁は、人間と材料と雨風の三者がはからずも創り出したその美しさを、
何の躊躇いもなく人目にさらして憚らないもののようです。



1号院。



2号院。



住所を示すプレートが二枚貼られていました。



ご覧のように一枚には「悟仙観」、



もう一枚には「南倉街」と書かれてあります。



胡同名「悟仙観」は、その字面からお分かりのように「悟仙観」という道観名に基
づいた地名。『北京胡同志』(北京出版社)によれば、「悟仙観」なる道観は今から
およそ650年ほど前の元代の至正年間(1341~1368)の初めに建てられたそうです。
ただし、胡同が形成されたのはどうやら次の清代になってからで、その時の名前は
「悟仙観胡同」。そして、中華民国期の1913年前後に「悟仙観」と改名されました。

なお、名前の由来となった「悟仙観」は残念ながら現在残っておりません。この道観
があったといわれる場所は44号院で、回を改めてご紹介させていただきます。
また、同書によると住所名を示すプレートに「南倉街」とあるのは、1989年にこの
胡同東側の一部が「南倉街」に編入された時の名残りなのだそうですが、この南倉街
という地名については不明瞭な点があるため説明は省略させていただきます。ちなみ
に私か確認したかぎりでは「南倉街」と書かれたプレートが貼られているのは13号院
まででした。

足元には、マンホールの蓋。



いつも靴底の下にあって、灯台下暗し状態を地でいったようなマンホールの蓋。
「通県自来水公司制」とあるけど、いったいいつ製造されたの? 今はこのような会社名は
ありません。それにしても風格あるその磨り減り具合といい、胡同に馴染みきった泰然自若
ぶりといい、まったくもってたまりません。灯台違いで恐縮ですが、たとえ自らの足下が
どんなに暗くとも、灯台はその光を夜の海に投げかけなければ船を正しく導くことは出来
ないのです。

そうして、3号院へ。





何の変哲もない玄関。しかし「おいで、おいで」と私を誘う声が聞こえそうで、その
声に誘われるまま、吸引力バツグンの掃除機に吸い込まれるように中に入ってみました。
何なの、この吸引力、「おいで、おいで」力は?



左側に犬小屋。




大きなシェパード。





左手にハト小屋。







犬小屋に隣接した建物は物置かなと思っていたのですが、ハト小屋でした。



屋根の上にも、ハト。





ハト小屋の対面。





蓋柿とニンニク。


蓋柿はいったん凍らしたものを自然解凍したもののようです。
こうして食べると甘くて美味しいのです。

一番東側の部屋。



シンプルでモダンな軒灯の笠。



先ほど屋根にハトがとまっていた、西側寄りの部屋。



入口に防寒用の厚手のカーテンが下がっているお宅。



ここのご主人は食品関係のお仕事をなさっています。



お名前はZさん。



カメラを持ってこの胡同をとぼとぼと歩いている時に知り合ったお方です。

Zさんは、いっけんこわもてですが、ハトや犬のお好きな方で、お訊きしたところ
飼っている伝書鳩の数は25羽なのだそうです。
なお、私の聞き間違いでなければ、お住まいの建物は75年ほどが経っているとのこと。


帰り際に厚かましくも「また遊びに来てもいいですか?」とお訊ねすると、そのこわもての顔
に笑みを浮かべて「いいですよ」とZさん。

近頃北京の胡同の宅地内を拝見することが以前に比べて難しくなって来たように感じています。
保護指定された「四合院」などにいたっては残念なことに全く見学不可能と言ってもよいほど。
このようになったのは、おそらく胡同を訪れる人が増え、何かと不都合なことが起こるからに
ちがいありません。



そういう環境の変化の中で帰り際のZさんの「いいですよ」という回答は私にとってはありがたい
言葉でした。同時に、というより、それ以上にそういう返事を返してくれたZさんという方と図ら
ずも知り合いになれたということが、私にはそもそも何より嬉しい出来事でした。
「いいですよ」、それは私にとって胡同を歩くことへのシンプルですが、実に力強い励ましの言葉
になっているのです。


  
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第135回 北京の胡同・オヤジの「三つのお願い」

2017-04-05 11:25:42 | 北京・胡同散策
3年前に胡同会で知り合ったSさんが北京を離れることに。
そこで急遽、ささやかながら送別会を開かせていただきました。

ここしばらく胡同会でSさんのお顔を拝見していなかったので、心配していました。
そんな時、連絡をくれたので送別会を開くことが出来て嬉しかったです。


送別会の場所は后海沿い。お店は屋上から鼓楼や鐘楼、そして后海がよく見える、
こんなところ。





慶雲楼飯荘





食前の二人のイケ女。



テーブルに並べられた料理は次の通りです。











二人があっという間に料理を平らげてしまいました。
食後のお二人。



后海をバックに記念撮影。



Sさんは、心優しく、真面目で、ガンバリ屋さん。
これからは上海か日本でお暮らしになるそうです。

さて、誰言うともなく、「もう一軒!!」

入ったのは、やはり后海沿いの茶芸館。



素敵な玄関、ドア・ノッカー、鳥と鳥かご。







そして、可愛らしい螺旋階段。



この螺旋階段を上ってテラスへ。

やはり眼下に后海が広がっていました。






この店は茶芸館ですが、当日注文したのはカプチーノなど。



さてさて、ここで「三つのお願い」があります。

一つ目:行き先が上海だったら、美味しい小籠包をいっしょに食べたいです。
二つ目:行き先が日本の場合、いっしょにクリームあんみつが食べたいです。
三つ目:たとえどこで暮らそうとも、健康にだけはくれぐれも気を付け、元気
   でね、イケ女!!(★_★)

送別会で食べた料理、美味しかったですか。
オヤジにとっては、何といっても、北京を離れる前に貴女に会えたことが一番
のご馳走でした。

胡同に雪が降るとき、胡同の夜空に月が懸かるとき、胡同に花が咲くとき、
北京の胡同で出会い、胡同を共に歩きし友を懐(おも)います。


で、后海あたりで禁制品を売買してそうなこのオヤジは、いったい誰なの(汗)


  
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